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あなたに捧ぐ物語。
しおりを挟む「そうですね。あの、雰囲気イケメンってあるじゃないですか。僕、そんなにイケメンじゃないことは分かってるので、せめて雰囲気だけでもよく見えるようにお願いします」
それが、初めての彼との会話でした。
「長さはどうしましょう?」
「えーと。長すぎなければ」
「わかりました」
「あ、でも」
私は美容師を目指していて、やっと夢かなって、数ヶ月後のことです。あれから一年経った今でも彼のような不思議なお客さんは見たことありません。
「全体的に貴女の好みにそってくだされば結構です」
「私、ですか?」
「ええ。貴女ような女性がタイプなので、ね」
「でも、そのタイプの人が皆私の好みとは限りませんよ?」
「そうですね。でも、一定数はいるはずだし、それに貴女程の美人の感性は信頼できると思いますから」
今思うと、彼は思い切った人だと思います。今後こんな人が来たら引くかもしれません。でも、あの時は嬉しかったのです。彼は特別イケメンでもなかったから、多分、私も若かったのかなぁ、なんて。
「新人さんですか?」髪の毛を切り始めた時、彼は話しかけてきました。
「はい。小さい頃から美容師さんにあこがれてたんですが、今年になってやっとなれました」
「それは良かったですね。へえ、それは、僕もやる気がでます」
「どうしてですか?」
「実は僕、ライターなんですが、ゆくゆくはもっと有名に、あわよくば小説家になりたいと思っていまして、だから夢が叶ったなんて、励まされるじゃないですか」
「へえ、凄いじゃないですか。頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。いつか好きな人のために、素敵な話を書きたいんですよね」
そう言えば、そんなことを言っていました。最近は忙しそうで、お話を書いている様子はありませんが…
「ありがとうございます。ちょっと、カッコよくなりましたかね?」
散髪が終わって、会計を済ましていた時です。
「はい。もし周りの反応が悪ければ代金は私が持ちますよ」
「はは。それは、いい」
「誠心誠意、切りましたから」
「少しでも貴女好みに近づきました?」
「ええ」
彼は財布から名刺を取り出しました。
「えーと。あの、ぶっちゃけ、貴女に一目惚れしました。これ、僕の連絡先なんですけど、もし良ければ連絡してくださりませんか」
彼は赤面するでもなし、バツが悪そうな顔をするでもなし、飄々とした顔で言いました。あまりに軽すぎて「ええ、代金は1000円になります」と会計の言葉を言いそうになったほどです。
「仕事が終わったら、連絡してください。もちろん、気に入らなければしなくても結構です。そうですね、一週間こなければ、諦めて、この店には二度と来ません」
彼はにっこりと笑いました。
「あ、脅しではないですよ。貴女に迷惑をかけたくないだけで」
私は帰って直ぐにメールを送ったのでした。
『今朝はお店に来ていただき、ありがとうございました。また来てくださいね』
『メールありがとうございます。出禁にならずに済んで、良かったです』
『まさか。あなたほどスマートにナンパする方は初めてです…って、ナンパ自体初めてなんですけど(笑)嬉しかったのは内緒です』
『確かに、ナンパですね笑すみません。僕もこんなことしたの初めてです。貴女が、それほど魅力的だったとも言える…なんて』
『ひょっとして、それ口説いてるんですか?』
『ええ。流石にいきなりディナーは重いでしょうから、一緒にお茶でもしませんか?駅前に良い感じのカフェがあるんです。なんて、調子のりすぎでしょうか』
『まさか。』
あれがデートと言えるのかはともかく、私にとって初めての男性と二人きりこ外出だったのは間違いありません。私は二十数年生きて人生初めてのデートで張り切ったし、多分彼もそうでした。
私は気合を入れてオシャレして、彼は私好みの格好で来ました。それもそのはず。あの日、彼とファッションの話もしたのですから。
「私服も良いですね」
彼は待ち合わせ場所で、これまた飄々と佇んでいました。私の緊張とは裏腹に、堂々としてもいた。何か、もう手順は、いや、未来さえも決まっていて、彼はそれを知っているかのように思えました。
「ありがとうございます。あなたの格好も、すごく私のタイプです…って、それもそうですね」
「はい。あの日のお話を参考にさせて頂きました」
彼の見つけたというカフェは、確かに良い雰囲気でした。知的で、落ち着いていて、いい香りがしました。珈琲も凄く美味しくて、背伸びして頼んだブラックコーヒーもさらりと飲めたのを覚えています。そこには本がたくさん置いてあって、だから彼はここが気になったのだと思いました。小説を手に取りながら、彼と談笑し、珈琲を飲み、ケーキを食べると、久しぶりに有意義な時間を過ごせたと嬉しくなりました。
「もう、五時ですね。今日はここらでお開きにしましょう。もちろん、代金は僕が持ちますよ」
「ええ、でも、いいのですか?」
「はい。僕が勝手に貴女を誘い出したのですから」
「ありがとうございます。ご馳走様です。でも、そんな、とても楽しかったです」
「それは良かった。僕も、たいへん楽しかったです。珈琲も美味しかったですし」
「また、来たいですね」
彼はそこで、初めて驚きの表情というか、目を丸くしました。
「あの…もし、良ければなんですが」
そう言われて、私は彼が散髪に来た日のことを思い出しました。そして、もしかすると告白されるのでは、と身構えさえしました。彼との時間は楽しかったし、惹かれていたのも事実。しかし、経験の乏しい私はどうしても強ばってしまったのです。
「もし、良ければ僕と、友達になってはくれないでしょうか」
でも、彼は私の思惑とは違うことを言いました。
「え…こちらこそよろしくお願いします」
私は赤面していたらしいです。だって、恥ずかしかったのです。何がって、告白されるだなんて、勘違いしてたのだから。
「私、てっきり告白されるかと思っちゃいました」
「まさか。一回目のデートでそれは重いでしょう。こういうのはしっかり段階を踏んでからです」
そうして一回目のデートで彼とは友人になり、二回目ではさらに惹かれ、三回目では遂に告白されました。四回目のデートで私はその返事をして、五回目で付き合って初めてデートをしました。私と彼の手の指を合わせても数えられないくらいデートをした頃、ファーストキッスをして、さらに足の指を加えても数えられなくなった頃、私たちははじめて枕を重ねました。
あれから、一年。長いような、短いような、とにかく、幸運にも関係は続きました。波乱万丈とまではいきませんが、それでも何度か喧嘩しました。本当に、些細な事だったように今は思います。しかし、あの時は真剣に怒っていました。それも、真剣に恋愛していたことの裏返しなのです。特に腹を立てた日などは出て行きもしましたね。そんな時、私は、かつてのカフェに行きました。あそこで珈琲の香りを嗅いで、紙の香りに身を置いて、店長の美味しい珈琲を飲むと、とてもおちつきました。お話の中の主人公に思いを馳せ、紙を一枚一枚めくると、その度に心の整理がつくようでした。そして、整理し終わった私の本棚は新たなスペースを、あなたとの新しい道を生み出してくれるのでした。
海にも行きました。山にも行きました。川にも、谷にも、北にも南にも、とにかくあなたとならばどこへでもいける。そう錯覚するほどに共に過ごしました。その思い出は等しく私の中を満たし、形作っています。つまり、あなたがいなければ、今の私はないのです。あなたがいなければ、私は内側から崩れ落ちて、大きな砂漠のひとすくいの砂となってしまうことでしょう。
最初の頃、私を「さん」付けして呼んでいましたね。
いつしか、それが「ちゃん」になりました。
そして、あだ名で呼ぶようになり、気が付けば、今、あなたは私を名前で呼んでくれています。
呼び方が変わる度に私はたいそう喜んだものでした。
もう、これ以上変わることがないであろうことは、少し寂しいです。でも、変わらないことにも幸せがあるのだと、実感することもできます。
私もあなたを「さん」付けしていましたね。
いつしか、「君」で呼び、またいつしか、あだ名で呼ぶようになりました。
そして、今日から、「あなた」と呼ぶのです。
それは、これ以上変わることはありません。きっと、ないのです。だって、私とあなたは結婚するのだし、共に生きていくのだから。これも、変わらないことの喜びです。結婚しても、変わらず、ずっと愛し合っていけたらいいなと思うのです。
かつて、あなたは「好きな人のために小説を書く」と言っていましたね。
あの時はまだ付き合ってもいませんでしたから、考えもしなかったのですが、それでも思い出す度に期待しなかったといえば嘘になります。
最近は凄く忙しそうなので、もしかするとうっかり忘れてしまったのかもしれません。いえ、それに不満などありません。貴方が私を幸せにしようと、そのために頑張ってくれているのは知っています。それに、あなたが私を愛してくれているのは、お話になくてもわかりきっているから。
そこで、私があなたの代わりに書いてしまいました。
私の愛する人へ、ひとつの、物語を。
私は幸せですが、このお話はハッピーエンドとは限りません。なぜなら、物語はここから始まるのです。辛いことも、嬉しいことも乗り越えて、その先に待つエンドはどのようなものでしょう?
1ページ、1ページ、抱きしめたくなるような、例えそれでくしゃくしゃになったとしても、それでも愛すべき物語を作りたいなと私は思うのです。
私から、きちんと言ったことは少ないので、この場を借りてハッキリ伝えます。
あなた。大好きです。愛しています。
この物語はまだ序章にすぎません。
さあ、始めましょう。
私たちの長い人生の、第一章を。
少しの苦難と、大いなる幸福に満ちた生活を。
私と貴方の物語を。
貴方に捧ぐ物語──
そこまで書ききって、僕はため息をついた。
頭にジンとした感動を感じつつ、ああ、こんな恋が出来たらなあと、感慨に浸る。
今はまだ彼女すらいないのだけど…などと、苦笑した。
まだ、いい。
そう思う。
まだ、その時期じゃない。いつかコレを成し遂げられるように、その道筋を掴むために、しばらく頑張らなければならない。
だから、せめて、いつかの愛する人への物語を書いた。
こう言わせてみせる。
幸せにしてみせる…少し違う。一緒に幸せになってみせる。
そういう、決意でもある。
まだ見ぬ愛する人へ――貴女へ捧ぐ物語。
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