お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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三十九話

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白雪太夫の座敷を断られた山城屋が、その日再び吉原にやって来た。


マメな事である。



山城屋は、鈴代屋の藤兵衛に頭を低くくして頼み込んだ。

「こちらの意向を伝えましたら、ご家老様も大変反省なさってねぇ……申し訳ないとのお言葉なんですよ……鈴代屋さんから太夫になんとか執り成して貰えないかね?裏をどうのこうのではなく、ご家老自ら、太夫に謝罪したいとの仰せでね」


そう言われると客商売。

身分ある客の謝罪まで、そうそう突っぱねるワケにはいかない。

家老自ら謝罪すると聞いて藤兵衛の方が慌てた。


「本当にすまなかったねぇ。こちらの詫びの宴……受けておくれでないかね?頼みます」

山城屋は手を付いて頭を下げた。


「いや、山城屋さん。どうかお手をおあげ下さい。……そこまで言われては……太夫を納得させましょう」籐兵衛は宴を請け負った。


山城屋の顔がパッと明るくなる。「おお、承知して下さるか。なら、申し訳ないのだが、ご家老様もお忙しい身だ。私も急に江戸を留守にする所用が出来て……ご都合が明日しかつかないのだよ。本来なら、詫びを入れる方が太夫に合わせるのが筋だが、あちらの身分を考慮しておくれでないかね?何、身体に触らぬよう、短時間で失礼するよ。明後日は太夫の命の恩人をもてなす大事な日だと聞いていますしね」


藤兵衛は少し考えると、山城屋を待たせ太夫に訊きに行った。


彼女の顔が曇ったのは致し方ない。「……明日でありんすか?」


「ああまで言われてはねぇ……。相手のご身分を考えると……。ここは、太夫、頼まれておくれ」


彼女はため息をつきたがらも承知した。「……仕方ありんせん……。こたびは親父様の顔を立てなんす」


ずっと自分の身体を気づかって、座敷も休ませて貰ったのだ。


その間の損失はかなりの物だろう。


これ以上は太夫とて我が儘は言えない。


喜んだ藤兵衛は彼女の手を取った。「おお、ありがとうよ。ところで身体の具合は大丈夫かね?」


「あい」






明後日の宴の打ち合わせにと吉原に出向いた長崎屋は、丁度山城屋が見世から出て来るのを見かけ、思わず眉をひそめた。

「……あれは……」


見世に入り、出迎えを受けながら、「藤兵衛さん、今、出て来たのは山城屋さんではないのかな?」

と尋ねた。


「ええ。ご存知なので?太夫にどうしても、とね」


「ほう?」


キョロキョロとした籐兵衛は、辺りをはばかり、ヒソヒソ声になった。「……他の客の事は言わないのが決まりですがね……」


口が堅くなければならない商売だが、彼とて人間、誰かに言いたい、聞いて貰いたいという気持ちはある。


その点、長崎屋は人柄も申し分なく、気を許せる数少ない相手だった。


藤兵衛が説明すると、長崎屋は感心しない様子で首を振る。


「……どうもねぇ……引っかかる。山城屋はかなり強引な乗っ取りを繰り返して大きくなってきた店だ。この間の会合でも……」

言いかけてハッとする。


まさか……?


「長崎屋さん?」


「……いや、何でもない。私が言いたいのは、ああいう人間が、やけに下手に出る時は何か企んでいる場合が多いって事だよ。それに傲慢な人間が頭を下げる時もだ」


「お、脅かさないで下さいな!」籐兵衛は胸をさすった。


しかし長崎屋は更に話しを続ける。「いや、先の楽しみがあるから、一時的な屈辱に耐えられる。復讐の快感は堪えられないって言うからね」


「ふ、復讐?」思いがけない事を言われた籐兵衛は目を丸くした。


「野暮な浅黄裏……傲慢で乱暴者……藤兵衛さんや太夫が断って当然だが、そうは思わないからこそ、野暮なのさ。その家老とやら……あっさり傲慢な性格が変わる物かね。仕返しか……難癖か……宴には用心した方が良かろうな。できたら酒や食事に気を配る事だね」


藤兵衛は頭を抱える。「うう……長崎屋さんの話を聞いてから返事をすれば良かった……!」


「……もう遅いよ。約束した以上、今更、門前払いはできまい」


「……ですな。ご忠告通り、膳の物は特に吟味致しましょう」情けない顔の見世の主。


素直に忠告に従うと見て、長崎屋は少し安堵した。「そうした方が良い。何を言って来るか分からないからね。花魁達にも注意するように言っておいた方がいいだろう」


「そうしますよ……お品書きは板前と相談するか。やれやれだ。……で、長崎屋さん、そちらのご用は?」


「ああ、私の方は松永右京様との宴の件の打ち合わせだよ」にっこり笑う長崎屋。


藤兵衛も打って変わって明るくなり、心からの笑顔になる。「明後日の宴は、太夫も楽しみなようですよ」


「私もですよ」破顔した長崎屋。


機嫌よく料理や酒、侍る花魁の手配をすると彼は帰って行った。


残った藤兵衛はキセルを吸いつけながら一人微笑んだ。「長崎屋さんも、あのお侍には随分肩入れしているようだ……」


最高級の酒や料理で、精一杯のもてなしをとの要望だったのである。


それから藤兵衛は、板場から板前を呼ぶと、二つの宴の念入りな打ち合わせを行った。


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