お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

文字の大きさ
52 / 65

五十二話

しおりを挟む
兄の跡目を継ぎ、次期藩主になる右京……。


それ故、来れないと断りを入れたのだろう。……無理もない。


一国一城の主と吉原の太夫……


二人の身分も立場も全く違う物になる……


右京こそが、太夫に取って手が届かない。


そんな立場の右京が、息せき切って駆けつけて来てくれた……。


自分を守る為に……


あの時…あのような、あられも無い姿を見られ、やはり身を売る女かと、彼に蔑まれたらどうしようと思った。


そうなれば自分を支えて来た誇りも、砕け散ってしまっただろう。


だが、右京の自分を見る眼差しが変わる事はなかった。


花魁である、自分の立場や気持ちを彼は理解してくれていた。


決して望んでしている事では無いと……




右京様……


ああ、右京様……


太夫の胸が熱くなる……


もう……もう充分……。これ以上は罰が当たる……



涙が溢れて白い頬を伝わった。


誰にも己の心を渡さぬ氷の太夫……。


その氷が人前で溶けて行くのを止められない。




藤兵衛が驚いたように彼女を見た。


右京も太夫の涙に動揺を隠せない。「……太夫、悪かった。本当にすまなんだの」


胸が詰まり、声も出せない太夫はかぶりを振る。


言いたい事が山ほどあるのに……


この気持ちを伝える事が出来るなら……



彼女が、ようやく言葉に乗せたのは……


「……松、いえ、鳥山様。私が貴方様に助けて頂いたのはこれで三度……。それに吉野の命も助かりました。まことにありがとうございます。この事は、終生忘れませぬ」


生まれついての武家言葉。


吉原の……花魁の言葉は使わなかった。


ありんす……廓言葉は気に染まぬのをごまかし嘘を付く為……


私自身の真の言葉に、廓言葉は使わない。


右京様


貴方様は私の心まで助けて下さった……



藤兵衛も吉野の一件を彼に話した。「鳥山様、本当にありがとうございます」


そこへ伊之助が来て主に耳打ちした。

「……吐きましたか。やはり、な」向き直った彼は「鳥山様、山城屋の始末をどうなさいます?」右京に尋ねる。


「家老と結託して、藩を喰い物にした生き証人だ。繋がりを吐かせなければ。ただ、こちらにも落ち度はある。あまり公にも出来ん」


「実は山城屋は、長崎屋さん襲撃の主犯のようです」


「!」


藤兵衛は外記と山城屋を迎えるに当たって、長崎屋からの忠告に従い、料理の吟味をした事を説明した。


そして見世の中に内通者がいる可能性も。


それで新しく板場に入った男を見張っていた所、口に入れると腹痛などを起こす食材をコッソリ捨てようとしていたのを捕まえ、誰に頼まれたか伊之助が責め、山城屋との関係を吐いたとの事だったのである。


「ならば、山城屋はこちらの件が済んだ後で、町奉行所に引き渡すとしよう。才蔵親分や神野殿に」

右京は決断を下した。


「よろしいので?」


「我が藩の中での悪さより、長崎屋にしたように、山城屋はもっと叩けば埃も出よう。藩でこっそり始末するより、町奉行所で調べて被害者達の救済をして貰った方が良かろうと思う」


藤兵衛は一礼した。「……では、そのように」

彼は右京の判断に感激していた。


見世の者がおずおずと顔を出した。「……あの……お迎えの家中の方々が……」


右京は目を上げる「……来たか」そして彼は太夫を見やった。


もう、逢えない……。



お互いに見つめ合う……



「…親父様、申し訳ござんせん。鳥山様と二人きりになりとうありんす……」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。 飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。 大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。 愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。 だが、彼女は、立ち上がる! 人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。 奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ! これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!  ――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

処理中です...