お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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五十三話

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「太夫?」


「お別れを……」涙がこぼれる。


恩人だものな……納得した藤兵衛は頷いた。「……分かった。鳥山様、家中の方に二人を引き渡しておきますので」


藤兵衛と伊之助が出て行き、部屋の中は太夫と右京だけになった。


彼は太夫を逞しい両腕に抱きしめる。

「……太夫!」


彼女は夢にまで見た腕の中で、啜り泣いた。


薄い着物を通して伝わる、しなやかな肢体……


立ち上る甘やかな香り……


襟足から覗く白い滑らかな肌……


右京は己がカッと熱くなるのを感じた。


このまま、時が止まってしまえば……


だが、それは叶わぬ事……


右京は自分の気持ちを押さえ込むと、太夫のおとがいに手をかけ、涙に濡れた顔を上げさせた。


指で優しく涙を拭き取ってやる。


「……太夫、泣くでない。良い女が台無しぞ」右京は、少しおどけて……微笑んだ。


「……鳥山様」


お別れなのですね……


「鳥山、いえ、右京様、お願いでありんす。わちきの事など、お忘れなんして……早よう……良き奥…方様を……」


そうだ。もう独身は許されまい。


跡継ぎを残す義務がある。


右京は好きな女でなければ、抱かぬと言ってくれたが、あの時とは状況が違うのだ。


彼を己の誓いから解放してやらなければ……


だが、『奥方様を』と言葉にしただけで、この胸が張り裂けてしまいそう……。


もう充分……これ以上は罰が当たると思いながら、何と浅ましい……。


右京は目を見開く。「……俺に奥方だと?」


「あい、右京様はお殿様……可愛い奥方様と立派な若様が必要でありんす。ですから……わちきの事など忘れなんして……」


……嘘つき



嘘つきの白雪太夫。



今まで沢山の嘘をついた……


心にも無い沢山の嘘を……


それは、今まで“主さん”についた沢山の嘘。



心にも無い太夫の嘘、吉原の嘘……


きっと、これは嘘つきの罰なのね……


口にする嘘がこんなに辛いなんて…… 


こんなに切ないなんて……


「…早よう……奥方様を……」


ああ、胸がキリキリと痛むわ……


右京は言葉も無く腕の中の女を見下ろした。



彼女は気づいていない。


その眸が言葉より雄弁に心の内を語る事に……。


自分の為に、もっとも辛い言葉を口にしている事を彼は悟った。


ならば……。


「…そなたもな、良い身請け話があれば受けて幸せになれ。……俺の事など忘れての」


そう言った彼の腕が……微かに震えた。


太夫は悟った。


自分の為に言っているのだと……



彼女は右京に向かって「……あい」と返事し、微笑んだ。



もう、お互いの為にしてやれる事は、自分から解放してやる事だけ……。


右京は太夫をぐっと引き寄せ、唇を重ねる。


……その刹那的な時に込めた想い……


もぎ離すようにすると「……さらばだ。白雪太夫」


太夫は背中を向けた右京に「…おさらばえ……右京様……!」と声をかけた。


もう振り返らず、彼は階下に降りて行く。


背中を追いかけるような、押し殺した啜り泣きを聞きながら……




見世の者が一斉に平伏し、頭を下げる。


刀を右京に返しながら、藤兵衛が報告した。


家中の者達は、大門の外で外記と山城屋を駕籠に押し込め、待機しているとの話だった。


それから板場の男は奉行所に引き渡すと。


頷いた右京。


「世話をかけたの、鈴代屋殿……それに、せっかく、明日 某をもてなそうとしてくれたのに、約束を守れずすまなんだ。おまけに我が藩の重役と出入りの商人が調子に乗り、白雪太夫や吉野にえらい迷惑をかけてしもうた」


右京の重ね重ねの丁寧な詫びに、藤兵衛の方が慌ててしまう。「とんでもございませぬ。こちらこそ鳥山様には、ずっとお世話になりっぱなしで……それなのに、ろくろくお礼も出来ず……。失礼ながら貴方様とは、もう一度酒を酌み交わしたいと心から思いました」


彼は名残惜しそうな笑みを浮かべた「……某も」


別れを惜しみ、藤兵衛は深々と頭を下げた。「どうか、何時までもご壮健で」


「鈴代屋殿も……さらばでござる」


見世の者が見送る中、右京は吉原を後にした。




さらば……


さらば……



白雪……



幸せを掴めよ……


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