お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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六十二話

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長崎屋に任せた藩の物産の売上は上々だった。


右京は決算報告書に目を通し、色々質問し、長崎屋はそれに答える。


「……で、生産者達に何か問題はないか?」


彼は苦労が多い、生産者の生活がどうなったかも気がかりだった。


大丈夫です、と微笑んだ長崎屋。「売り上げも多いに伸びましたので、それに見合った報酬を出しており、皆喜んでおりますよ」


長崎屋は生産者から搾取するような男ではないので、右京はホッとした。「それならば良い」


それからは堅苦しい話は止め、和やかに酒と肴が供された。


右京が笑って長崎屋の杯に酒を注ぐ。


藩主自らの酌に、長崎屋は恐縮し、かしこまって杯を押しいただいた。


「粋で知られた長崎屋殿には、綺麗どころもおらんで、ちと物足りないと思うがの」


「何を仰います事やら」


「財政難に喘いでいた藩の財政が、ここまで回復して参ったのも長崎屋殿の尽力だ。礼を言わせてくれ」対馬守が頭を下げ、長崎屋は慌てた。


「勿体無い!礼などご無用に。手前の方こそ、ご信頼を頂き、ありがとうございます。……しかし、鳥山様、いや対馬守様はお変わりになりませぬなぁ……」


人格が権力や地位で歪んでいないのである。


右京は悪戯っぽくこっそりと言った。「変わってたまるか。好きでしている訳ではないからの。舞い上がる気にもならん。出来るなら、早く隠居してサッサと自由になりたいわ」


長崎屋は思わず吹き出した。「は、早、隠居でございますか?まだお世継ぎもおられぬのに」


右京は皮肉な笑みを浮かべて言った。「何も余の子で無くてはならない事もなかろうよ。とんでもないボンクラが出来る可能性だってある。ならば、分家の誰か優秀な者を据えた方が家臣や民の為によほど良かろう。要は家が恙無く続けば家老共は文句あるまい。……それぐらいの抵抗はしてやる」


よほど、意に染まぬお世継ぎをとか、縁談にうんざりしているらしい。


長崎屋はクスクス笑った。「……さようで」


彼が辞する時、ふと思い出したように右京に尋ねた。「そういえば、対馬守様は藤の花がお好きだとか?」


右京はピクッとした。「……ああ」


「我が家に、それは美しい藤の花がございます。その木は去年移し替えたたのですが……無事根が付きました。宜しければ、一度見においで下され」ニコニコと長崎屋は彼を誘った。


「ほう?」


「それが他に類を見ない逸品でして」商人は心持ち胸を張る。


「長崎屋殿がそんなに自慢するとは、さぞかし美しいのだろうな。分かった、伺おうか。江戸の町も久しぶりだしの」


「ぜひ」



約束は三日後となった。



お主らが付いていながら、又勝手な事をとガミガミ文句を言う家老。


三郎と右近がこもごも「ご家老、殿は藩主に御成りになっていらい、殆どコレと言った楽しみもなく真面目に政務を執られておられますな?如何?」と言い返した。


それは紛れもない事実なので、家老は不承不承頷く。「……確かにご立派にお務めになっておられる」


「ここらで殿にお休みをあげては如何でしょう?元々自由な暮らしをされていた方が、窮屈な藩主をされていらっしゃるのです。張り詰めた糸は切れやすいもの。突然ぷっつんされたら、どうなされる?」

右近が脅かすように言った。


「……ぷっつん?」


三郎も友の言葉に得たりと頷いた。「さようでござる。今まで自由に生きて来られた殿が今の生活。しきたりしきたりとかなり無理をなさっておられるのは間違いござらん。人間無理を続けるとイライラし、些細な事も我慢出来なくなるもの。いつかは爆発するかも知れず、その爆発するのがもし殿中だったら?赤穂浅野の二の舞でござる」


家老は思わず喚いた。「ば、馬鹿もの!縁起でもない!」


「されば、たまに息抜きは必要でござろう?」 口を揃える二人。


こたびは致し方なし、と一応家老は納得したが、「くれぐれも御身に害が及ばぬようにな」と念を押してよこした。


「ご家老、我が藩一番の使い手が殿でござる」右近がボソッと言った。


この泰平の世では武士と言えど刀を抜く機会もそうはなく、所謂道場剣法と揶揄される事も多い。


しかし、右京の養父の松永新次郎はかつて藩において剣の達人だと知れ渡っていた為、真剣での果し合いを何度も挑まれ勝利していた。

その彼に幼少期から薫陶を受けた右京の剣は実戦を経て更に強くなっている。


「ええい!情けない奴らだの!ではいざとなったら盾になれ、盾に!」



三日後、長崎屋の店に駕籠にも乗らず、たった5人程の供侍を連れただけの右京が現れた。


彼を出迎え、さすがに驚く長崎屋「あ、歩いてお見えになったのでございますか?」


「駕籠は嫌いなのだ。知っておるだろう?窮屈で叶わん。江戸城中や格式を問われる所は我慢しておるが、他の場合は真っ平御免だの。来年は参勤交代で国元に行かねばならぬし難儀な事よ……こんな時ぐらいは手足を伸ばしたい。供もこんなに要らんのだが、家老がうるそうての」


長崎屋は、何かとうるさがたの老人の顔を思い浮かべた。


右京はこっそりと囁く。「でないと外には出さないだと。主君の余に命令しおるのだ。どっちが藩主だか分からん」


供の者には別室で待って貰う事にした。


右京は彼らに向かい、「こちらが黙っていると、はばかり(手洗い)にまで付いて来るでの。良いか?今日ぐらいは勘弁せよ。三郎、右近、他の者もここは心配いらぬ。待っておれ。め い れ い だぞ」


クスクス笑いながら長崎屋は「今、お供の方々にも茶菓などお出し致しますで、どうぞ、ごゆるりと」共侍達に挨拶をし、右京をいざなう。


いそいそと彼は長崎屋と一緒に店の奥に消えた。

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