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消えたチャット
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昼下がりのキャンパスは、穏やかな陽光に包まれていた。秋の風が渡り廊下を抜けるたび、乾いた木の葉がカサカサと音を立てる。講義と講義の間の空き時間、麗華は人の少ないベンチに腰を下ろし、スマートフォンの画面に集中していた。
「今日のお昼、カレーだよ」
「お姉ちゃんのカレー、いいな」
「今度、また一緒に作ろうね」
メッセージの送り主は、純明だった。
麗華の指は迷いなく画面を滑り、まるで今そこに弟がいるかのように自然なやりとりを続けている。五年前に急病で倒れて以来、純明はずっと麗華の中で変わらないままだ。画面に並ぶ言葉の一つひとつが、麗華にとってはかけがえのない日常の証だった。
「麗華、何してるの?」
背後から、柔らかい声がした。振り返ると、雅子が紙コップのコーヒーを手に立っていた。授業終わりで少し汗ばんだ額を、風が心地よく撫でている。
「純明ちゃんと話してるの」麗華は当然のように答えた。
「そっか……元気?」
「うん。すごく。いつも通りよ」
雅子は一瞬だけ、不思議そうに目を細めたが、すぐに微笑んで「いいね」と言った。その笑顔には優しさと、ほんの少しの戸惑いが混ざっていた。麗華はそれに気づかないふりをして、再びスマホに目を落とした。
大学のカフェテリアは、昼を少し過ぎた時間でもまだ混雑していた。トレイに乗せたサンドイッチを片手に、雅子と向かい合って座る。何気ない話題が続くなか、ふと雅子が尋ねた。
「ねえ、純明くんって、最近どうしてるの? 前に体調崩してたって言ってたよね」
麗華は、少し嬉しそうにスマホを取り出した。「元気だよ。毎日話してるし。ほら、今朝も——」
画面を見せようとした、その瞬間だった。
チャットアプリを開いた麗華の目に飛び込んできたのは、真っ白な画面だった。履歴が、一行も残っていない。昨日も今朝も、確かにやりとりをしていたはずなのに。ピン留めしていた純明の名前も、リストから消えている。
「……あれ?」
「どうしたの?」雅子が首をかしげる。
「いや……さっきまで、ここに……」
麗華は画面を何度もリロードした。しかし、戻ってくるのは同じ白い画面だけ。サンドイッチを持つ手が微かに震えた。雅子は「電波悪いんじゃない?」と軽く笑って言った。その声音は優しかったが、どこか現実的で、麗華の胸にざらついた違和感を残した。
夜、自室に戻ると、麗華はすぐにスマホを開いた。
テーブルの上には、昼に広げたレポートが散らばったままになっている。蛍光灯の白い光の下で、スマホの画面が静かに光っていた。
チャットアプリを開く。
純明の名前は、やはりどこにもなかった。検索欄に「純明」と打ち込んでも、候補は出てこない。バックアップを確認しても、該当する履歴は存在しないという無機質な表示だけが現れる。
「……そんなはずない」
麗華は呟いた。
今朝、確かに純明と話していた。昼食のカレーの話をした。あれが、夢だったというのだろうか。いいえ、そんなはずはない。あのとき、指先に触れた液晶の感触、送信したときの振動まではっきりと覚えているのに。
テーブルの端に置いてある、純明が生前使っていた筆箱がふと目に入る。中には、もう使われることのないシャープペンや消しゴムがそのまま残っていた。麗華は無意識にそれを手に取り、ぎゅっと握りしめる。
「純明ちゃん……どこに行ったの……?」
その夜、布団に入りながらも、麗華の頭は混乱したままだった。
夢ではない。あのチャットは確かに存在していた。
もし消えたとすれば、それは外部の力ではなく——この世界のほうが歪んでいるのかもしれない。
午前二時を過ぎたころ、暗い部屋の中に、不意にスマホの光が浮かび上がった。通知音は鳴らなかったが、ロック画面に一瞬だけ表示されたメッセージに、麗華の心臓が跳ねた。
「純明ちゃん:見てるよ」
息が止まる。
慌ててスマホを手に取り、ロックを解除する。だが、チャットアプリを開いても履歴は空白のままだ。通知も消えている。
「今の……確かに、見えた……」
麗華は、スマホを胸に抱きしめた。
その表情には怯えではなく、穏やかな微笑みが浮かんでいた。まるで、大切な誰かに見守られていることを確信したかのように。
窓の外では、風が静かに木の葉を揺らしていた。
部屋の中は静まり返り、スマホの画面は暗いままだ。
純明の名前は、どこにもない。
しかし、麗華にとって、それは何の問題でもなかった。だって、純明ちゃんは、ちゃんと見ていてくれるのだから——。
「今日のお昼、カレーだよ」
「お姉ちゃんのカレー、いいな」
「今度、また一緒に作ろうね」
メッセージの送り主は、純明だった。
麗華の指は迷いなく画面を滑り、まるで今そこに弟がいるかのように自然なやりとりを続けている。五年前に急病で倒れて以来、純明はずっと麗華の中で変わらないままだ。画面に並ぶ言葉の一つひとつが、麗華にとってはかけがえのない日常の証だった。
「麗華、何してるの?」
背後から、柔らかい声がした。振り返ると、雅子が紙コップのコーヒーを手に立っていた。授業終わりで少し汗ばんだ額を、風が心地よく撫でている。
「純明ちゃんと話してるの」麗華は当然のように答えた。
「そっか……元気?」
「うん。すごく。いつも通りよ」
雅子は一瞬だけ、不思議そうに目を細めたが、すぐに微笑んで「いいね」と言った。その笑顔には優しさと、ほんの少しの戸惑いが混ざっていた。麗華はそれに気づかないふりをして、再びスマホに目を落とした。
大学のカフェテリアは、昼を少し過ぎた時間でもまだ混雑していた。トレイに乗せたサンドイッチを片手に、雅子と向かい合って座る。何気ない話題が続くなか、ふと雅子が尋ねた。
「ねえ、純明くんって、最近どうしてるの? 前に体調崩してたって言ってたよね」
麗華は、少し嬉しそうにスマホを取り出した。「元気だよ。毎日話してるし。ほら、今朝も——」
画面を見せようとした、その瞬間だった。
チャットアプリを開いた麗華の目に飛び込んできたのは、真っ白な画面だった。履歴が、一行も残っていない。昨日も今朝も、確かにやりとりをしていたはずなのに。ピン留めしていた純明の名前も、リストから消えている。
「……あれ?」
「どうしたの?」雅子が首をかしげる。
「いや……さっきまで、ここに……」
麗華は画面を何度もリロードした。しかし、戻ってくるのは同じ白い画面だけ。サンドイッチを持つ手が微かに震えた。雅子は「電波悪いんじゃない?」と軽く笑って言った。その声音は優しかったが、どこか現実的で、麗華の胸にざらついた違和感を残した。
夜、自室に戻ると、麗華はすぐにスマホを開いた。
テーブルの上には、昼に広げたレポートが散らばったままになっている。蛍光灯の白い光の下で、スマホの画面が静かに光っていた。
チャットアプリを開く。
純明の名前は、やはりどこにもなかった。検索欄に「純明」と打ち込んでも、候補は出てこない。バックアップを確認しても、該当する履歴は存在しないという無機質な表示だけが現れる。
「……そんなはずない」
麗華は呟いた。
今朝、確かに純明と話していた。昼食のカレーの話をした。あれが、夢だったというのだろうか。いいえ、そんなはずはない。あのとき、指先に触れた液晶の感触、送信したときの振動まではっきりと覚えているのに。
テーブルの端に置いてある、純明が生前使っていた筆箱がふと目に入る。中には、もう使われることのないシャープペンや消しゴムがそのまま残っていた。麗華は無意識にそれを手に取り、ぎゅっと握りしめる。
「純明ちゃん……どこに行ったの……?」
その夜、布団に入りながらも、麗華の頭は混乱したままだった。
夢ではない。あのチャットは確かに存在していた。
もし消えたとすれば、それは外部の力ではなく——この世界のほうが歪んでいるのかもしれない。
午前二時を過ぎたころ、暗い部屋の中に、不意にスマホの光が浮かび上がった。通知音は鳴らなかったが、ロック画面に一瞬だけ表示されたメッセージに、麗華の心臓が跳ねた。
「純明ちゃん:見てるよ」
息が止まる。
慌ててスマホを手に取り、ロックを解除する。だが、チャットアプリを開いても履歴は空白のままだ。通知も消えている。
「今の……確かに、見えた……」
麗華は、スマホを胸に抱きしめた。
その表情には怯えではなく、穏やかな微笑みが浮かんでいた。まるで、大切な誰かに見守られていることを確信したかのように。
窓の外では、風が静かに木の葉を揺らしていた。
部屋の中は静まり返り、スマホの画面は暗いままだ。
純明の名前は、どこにもない。
しかし、麗華にとって、それは何の問題でもなかった。だって、純明ちゃんは、ちゃんと見ていてくれるのだから——。
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