よろずカウンセラー広海の失敗。

ユンボイナ

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第一章

第一話 智恵子(49)

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  「うちは、15年前に旦那と離婚しました。成人した息子もいてます。だけど、旦那がDVで、もう男の人は嫌なんです。」
   広海は話を聞きながら、カウンセリング票を見た。三宮智恵子、49歳。現在、川崎市内で美容院を経営している。20歳で大阪から上京、23歳で結婚して翌年に長男を授かったが、その後夫の暴力に耐えられず、35歳のときに離婚する。以降、美容師をしながら女手一つで長男を育ててきた。その長男も現在25歳。母親からは独立して横浜市内の工場で働いているそうだ。

  「男の人は嫌やけど、いくつになってもやっぱり恋はしたいでしょう? せやから女性ならええかな、思うて。」
智恵子はスマートフォンをいじって、キャップ帽を被った人物の画像を出して広海に見せた。
「この人です、うちの元カノは。」
彼女というがアメカジを身にまとった小太りのおじさんに見える。女性らしさは微塵もない。広海は質問した。
「どういうきっかけで知り合ったんですか?」
智恵子はひと息おいて答えた。
「そら普通にしてたら女性が好きな女性には知り合えませんもんね。掲示板です、ビアン用の。うちが簡単にプロフィールを書いて彼女を募集したら、何人かメールくれたんですけど、そのうちの一人がキミちゃん。」
「キミちゃんっていうんですね、彼女は。」
広海が頷きながらメモを取ると、智恵子はこう続けた。
「あ、私がキミちゃんって呼ぶと怒るんで、本人にはタカさんって言わんとあかんのんですけどね。」
  それは女性ではなく、生物学的には女性で心が男性の、つまりトランスジェンダーの男性なのでは、と広海は思ったが、口には出さなかった。クライアントの話に疑問を呈するのは基本的にご法度である。傾聴と受容、カウンセリングの基本のキだ。

  「それで、どうして別れたんでしょう?」
広海の質問に、智恵子は突然涙を流した。
「あの、うち、女性だったら旦那みたいに殴ったり蹴ったり、乱暴なことはせんと思うてたんです。けど、キミちゃんも男みたいに殴ったり蹴ったりしてくる。初めは私も悪いところがあるんかな、と思って我慢してたんやけど、キミちゃんがうちの息子のことまで罵ってくるから、それはちゃうんやないかな、と思いはじめて。」
広海は黙って智恵子にティッシュを箱ごと渡した。智恵子はティッシュを3枚くらい取ると、大きな音を出して鼻をかんだ。次に、またティッシュを2枚取ると、今度は目を拭った。
「そのうち、キミちゃんが、うちが夜の相手をせえへんことに腹を立てて、台所から包丁を持って来たんです。包丁を持って振り回してきたから、私、怖くなってアパートから飛び出しました。キミちゃん、そのまま追いかけてきたから、通行人に通報されまして。私、それ以来、キミちゃんに会ってません。」
広海は言った。
「警察のおかげとはいえ、そんな危険な人と別れられて良かったじゃないですか。」
しかし、智恵子は少し寂しそうに言った。
「でもね。2年半付き合って、1年半くらい同棲して、楽しいときもあったんですよ。キミちゃん、怒ってないときは優しいし、料理も上手やし。うちも来年で50になります。これから素敵な彼女なんか見つかるとは思えんし……。」
「あのね。」
広海はさすがに口を挟んだ。
「DVってのは一種の病気です。なかなか治らないし、一時的に優しくなっても、また暴力を繰り返す。包丁まで振り回すような人、危なくて復縁なんか勧められませんよ!」
智恵子は少し声のボリュームを上げた。
「分かってるんです、頭では! せやけど、やっぱり店を閉めて一人になったら毎晩寂しくて。先生、どうやったらキミちゃんを忘れられますか。」

  広海は少し考えてから言った。
「三宮さん、男の人はもうダメですか? マイノリティの女性はなかなか見つからなくても、素敵な同年代や年上の男性は見つかるかも。」
智恵子は首を振った。
「あきません、男は。だって暴力を振るうんやもん。」
「いや、女性であるキミちゃんだって暴力を振るったじゃないですか? DVする女性もいるし、DVしない男性もいますよ。」
広海の話を聞いて、智恵子は少し笑った。
「それ、警察の人にも同じこと言われました。暴力を振るう女性もいるって、キミちゃんのおかげで学習したようなもんです。けど……。」
「けど?」
「やっぱり割合的に男のほうが暴力的やと思うんです。それに、女性のほうがね、あれがいいんです、あれが。」
智恵子が恥ずかしそうな顔をしたので、広海は察して何も言わなかった。あれとは、あれしかない。
「今更、男のアレは耐えられません。せやから、ビアンでいい人いないかなあ、って。」

  広海は「ちょっと待ってください。」と言って腕組みをした。
「レズビアンの友達がいるので最新の情報を入手してきます。一週間後にまた来ていただけますか?」
智恵子は「わあ。」と言って手を叩いた。
「彼女を紹介してくれるん?」
広海は慌てた。
「いや、友達には彼女がいるので。そうじゃなくて、どうやったら三宮さんが新しい彼女を見つけられるか、その方法を一緒に考えてもらうんです。」
「なんや。でも、そらそうか。」
智恵子は苦笑いした。
「けど、うちは先生に話を聞いてもろうてちょっとスッキリしました。こんなん、息子にも客にも話されへんもん。また来週来ますんでよろしく。」
智恵子が財布から取り出した1万円札を受け取り、広海は「ありがとうございます、また来週の今日の同じ時間に予約入れておきますね。」と言って頭を下げた。
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