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自分はFTMだと思っていた
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高校を卒業する頃くらいまで、私は自分のことを、「男になりたい女」だと思っていた。というのも、一般的な(当時の)周りの女の子が好きなものが嫌いで、逆に男の子が好きなものが大好きだったからである。
だから、私はまず幼稚園から躓いてしまった。私は赤い千代紙ではなく、青い千代紙が欲しいのに、先生はどうしても「女の子だから」という理由だけで赤い千代紙を私に渡すのである。また、貼り絵で自分の顔を作れと言われたとき、私は何となく髪を短く作った。その方がかっこいいと思ったからだ。しかし、先生にそれを見せると、「女の子なのに髪を伸ばさないのはおかしいよ!」と言われた。私は確かに当時母親の趣味で髪を長く伸ばしていたので、「そういうものか」と思い、言い訳程度に顔の両脇に黒い折り紙をつけて「髪を長くした人」に改変した。
もちろん、遊びも女の子とは趣味が合わない。他の女の子は画用紙にロングドレスを着た「お姫様」を描いたり、外では「おままごと」をしたりしている。私は、「特撮ヒーロー」は描いても「お姫様」は描かない子どもだった。「おままごと」は近所の年上の女の子たちとの付き合いもあるので何度か渋々やったことはあるが、どうも気恥しい。したがって、普段は男の子たちと砂場で山を作ったり、泥団子を作ったりしていた。
この状態は小学生になっても続く。私は男の子たちと虫取りをしたり、ドッジボールをしたりするのが好きで、普段から男の子ばかりと遊んでいた。小三か小四くらいで「ミニ四駆」が流行り、私はそれに熱中した。しかし、同級生の男の子が、「女のくせにミニ四駆やってる」などと言い出し、「もしかしてミニ四駆という趣味は隠さなきゃいけないのか?」と悩んだ。その一方で、近所の二年上のお姉さんに、「私はミニ四駆好きだよ」とも言われ、援護射撃してもらった気分になっていた。
小学五年生くらいになると、さすがに遊びが男女別れてくるので、周りの男の子が前のように気軽に遊んでくれなくなった。その代わりに遊んでくれるようになったのが、同じクラスのNさんという女の子で、彼女には非常に感謝している。Nさんは正直、勉強もスポーツもいまいちな子で、習い事もあまり続かなくてズボラだったけど、とても寛大な子で人当たりも良く、他の女の子たちとのパイプ役になってくれた。計四人くらいで彼女の家に集まって、部屋でお菓子を食べながらグダグダ話をしたり、自転車で近くの公園に出かけたりした。
ちなみに、今思い出せる初恋は小学校中学年のときで、近所の二年上のお姉さん(「ミニ四駆好きだよ」と言ってくれたのとは別の人)である。便宜上Iさんとしておくが、彼女は小柄ながら大人びた雰囲気があって、顔もどちらかというとキリッとしていた。習い事が同じということもあって、私はIさんとはよく話す機会があったのだが、今となっては話の内容はあまり覚えていない。一つだけ覚えているのは、彼女が「カレールーのCMで『インド人もびっくり』というのがあるけど、あれってインド人に失礼なんじゃないかな」と言い出したことくらいである。何をもって「失礼」なのか論拠は思い出せないし、当時も言っていることの意味はよく分からなかったが、Iさんが独特の世界観を持っていることだけは分かった。私はそんなIさんが好きだった。二十代前半で早めにご結婚されたと聞いているがお元気だろうか。
さて、初恋はそれとしても、男の子のことも好きにならないわけではなかった。五年生のときに同じクラスになったOくんは背が高くて足が早く、勉強もできる子だったが、あまりもてるタイプではなかった。たぶん、自分の上履きを鼻と口に当てて、「ガスマスク」などと言ってしまうところが他の女の子から見て「対象外」だったのだろう。しかし、私はなぜか彼とはよく話をする機会があって、「こいつ面白いじゃん」と思っていたのだ。やはり、接触が多いと好きになりやすいものだ。ただ、彼はお父さんの仕事の都合か、遠方に引っ越してしまった。残念だったが、泣くほどでもなかった。子どもの「好き」とはそのレベルのものである。ひょっとしたら、LOVEよりもLIKE寄りの好きだったのかもしれない。
中学生になってからは、断然女の子のほうが好きだった。好きだった女の子たちの話をしていくとキリがないのでやめておくが、男の子はうるさいだけで興味が持てなかった。しかし、自分の中で、「女の子が好きな私って変なのかな」という自覚はあって、ほとんど他の子には話したことがなかった。
「ほとんど」というのは、当時の友人のYさんが結構下ネタ大好きな子で、「レズ」の話も気に入ってしていたものだから、そのYさんには多少冗談ぽく話したかもしれない。彼女が同性愛に批判的でなかったことには、私は救われた。
もっとも、当時、北川悦吏子脚本のドラマで「その時、ハートは盗まれた」というのがあり、一話目で内田有紀が一色紗英にキスをしたのだが、一話目が放送された翌日に、クラスのある女の子が、「何あれ、キモイ!」と言っていた(しかも周囲は同調していた)のが衝撃的だった。私はこれを見て、「内田有紀、ステキ」と思っていたのに、同じものを見たら「キモイ」と思うのが普通なのか、と落ち込んでしまった。
そういうわけで、自分の性癖は「キモイ」ので隠さなくてはいけない、という認識がますます濃くなっていった私だった。
一旦ここで切って、次は高校以降の話をします。
だから、私はまず幼稚園から躓いてしまった。私は赤い千代紙ではなく、青い千代紙が欲しいのに、先生はどうしても「女の子だから」という理由だけで赤い千代紙を私に渡すのである。また、貼り絵で自分の顔を作れと言われたとき、私は何となく髪を短く作った。その方がかっこいいと思ったからだ。しかし、先生にそれを見せると、「女の子なのに髪を伸ばさないのはおかしいよ!」と言われた。私は確かに当時母親の趣味で髪を長く伸ばしていたので、「そういうものか」と思い、言い訳程度に顔の両脇に黒い折り紙をつけて「髪を長くした人」に改変した。
もちろん、遊びも女の子とは趣味が合わない。他の女の子は画用紙にロングドレスを着た「お姫様」を描いたり、外では「おままごと」をしたりしている。私は、「特撮ヒーロー」は描いても「お姫様」は描かない子どもだった。「おままごと」は近所の年上の女の子たちとの付き合いもあるので何度か渋々やったことはあるが、どうも気恥しい。したがって、普段は男の子たちと砂場で山を作ったり、泥団子を作ったりしていた。
この状態は小学生になっても続く。私は男の子たちと虫取りをしたり、ドッジボールをしたりするのが好きで、普段から男の子ばかりと遊んでいた。小三か小四くらいで「ミニ四駆」が流行り、私はそれに熱中した。しかし、同級生の男の子が、「女のくせにミニ四駆やってる」などと言い出し、「もしかしてミニ四駆という趣味は隠さなきゃいけないのか?」と悩んだ。その一方で、近所の二年上のお姉さんに、「私はミニ四駆好きだよ」とも言われ、援護射撃してもらった気分になっていた。
小学五年生くらいになると、さすがに遊びが男女別れてくるので、周りの男の子が前のように気軽に遊んでくれなくなった。その代わりに遊んでくれるようになったのが、同じクラスのNさんという女の子で、彼女には非常に感謝している。Nさんは正直、勉強もスポーツもいまいちな子で、習い事もあまり続かなくてズボラだったけど、とても寛大な子で人当たりも良く、他の女の子たちとのパイプ役になってくれた。計四人くらいで彼女の家に集まって、部屋でお菓子を食べながらグダグダ話をしたり、自転車で近くの公園に出かけたりした。
ちなみに、今思い出せる初恋は小学校中学年のときで、近所の二年上のお姉さん(「ミニ四駆好きだよ」と言ってくれたのとは別の人)である。便宜上Iさんとしておくが、彼女は小柄ながら大人びた雰囲気があって、顔もどちらかというとキリッとしていた。習い事が同じということもあって、私はIさんとはよく話す機会があったのだが、今となっては話の内容はあまり覚えていない。一つだけ覚えているのは、彼女が「カレールーのCMで『インド人もびっくり』というのがあるけど、あれってインド人に失礼なんじゃないかな」と言い出したことくらいである。何をもって「失礼」なのか論拠は思い出せないし、当時も言っていることの意味はよく分からなかったが、Iさんが独特の世界観を持っていることだけは分かった。私はそんなIさんが好きだった。二十代前半で早めにご結婚されたと聞いているがお元気だろうか。
さて、初恋はそれとしても、男の子のことも好きにならないわけではなかった。五年生のときに同じクラスになったOくんは背が高くて足が早く、勉強もできる子だったが、あまりもてるタイプではなかった。たぶん、自分の上履きを鼻と口に当てて、「ガスマスク」などと言ってしまうところが他の女の子から見て「対象外」だったのだろう。しかし、私はなぜか彼とはよく話をする機会があって、「こいつ面白いじゃん」と思っていたのだ。やはり、接触が多いと好きになりやすいものだ。ただ、彼はお父さんの仕事の都合か、遠方に引っ越してしまった。残念だったが、泣くほどでもなかった。子どもの「好き」とはそのレベルのものである。ひょっとしたら、LOVEよりもLIKE寄りの好きだったのかもしれない。
中学生になってからは、断然女の子のほうが好きだった。好きだった女の子たちの話をしていくとキリがないのでやめておくが、男の子はうるさいだけで興味が持てなかった。しかし、自分の中で、「女の子が好きな私って変なのかな」という自覚はあって、ほとんど他の子には話したことがなかった。
「ほとんど」というのは、当時の友人のYさんが結構下ネタ大好きな子で、「レズ」の話も気に入ってしていたものだから、そのYさんには多少冗談ぽく話したかもしれない。彼女が同性愛に批判的でなかったことには、私は救われた。
もっとも、当時、北川悦吏子脚本のドラマで「その時、ハートは盗まれた」というのがあり、一話目で内田有紀が一色紗英にキスをしたのだが、一話目が放送された翌日に、クラスのある女の子が、「何あれ、キモイ!」と言っていた(しかも周囲は同調していた)のが衝撃的だった。私はこれを見て、「内田有紀、ステキ」と思っていたのに、同じものを見たら「キモイ」と思うのが普通なのか、と落ち込んでしまった。
そういうわけで、自分の性癖は「キモイ」ので隠さなくてはいけない、という認識がますます濃くなっていった私だった。
一旦ここで切って、次は高校以降の話をします。
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