26 / 47
第四章 生まれた子どもたちの行方~その二
両親の離婚⑵
しおりを挟む
夏休み明け、E郎は登校した。家から学校までは少し遠くなったが、私立の中高一貫なので転校しなくて済んだのはありがたい。
E郎は教室に着くと、まず親友のα秀を見つけて話しかけた。
「おはよう!」
「よう、おはよう。E郎のところも大変だな。」
夏休み中、E郎はα秀とメールや電話で連絡を取り合っていた。α秀も両親が離婚して母親や母親の両親と一緒に住んでいたので、親の離婚について相談していたのだ。
「まあ、僕のところはパパの実家だからね。前からたまに遊びに行ってたし。」
「けど、大変だよな、ババアは。いっぱいご飯出してくる。『飯食え』攻撃だよ。」
α秀はクラスの中で一番太っていた。その理由は、いつも祖母が闇雲に夕飯を作るために食べざるを得ないからだと言う。そういえば、E郎も少し腹が出てきたような気がする。
「なあ、あれ、何だろう。太らせて相撲取りにでもさせたいのかな?」
α秀は笑った。
「最近はうちの母ちゃんも病気にならないように注意してくれるようになったけど、一度でかくなった胃袋はなかなか元に戻らないっていうからな。E郎も気をつけろ。」
E郎は頷いた。
夏休み中のα秀とのやり取りで一番E郎のためになったのは、以下のようなものだった。
「まずはその家の指揮官が誰かを見定めることだ。うちの家には母ちゃんとばあちゃん、二人の指揮官がいるから、そのときどきで様子を見て、どちらの意見に従うかを考えなくちゃいけない。E郎の家ではどうだ?」
「うちはパパがばあちゃんに逆らえないし、じいちゃんは置物状態だから、指揮官はばあちゃんかな。」
「よし、じゃあ、E郎は徹底してばあちゃんに従え。それがサバイバルの道だ。」
E郎はα秀に質問した。
「従う、って何でも従うの?」
「さすがに譲れない部分はあるだろう。だけど、それ以外は服従だ。遠くの大学に行くか就職すれば一人暮らしさせて貰えるだろう。それまでは面従腹背だ。」
「メンジュウフクハイ?」
「形だけは従っておいて、内心はそうじゃないってこと。魂まで売り渡す必要はない!」
「なるほど。」
そういうことなら、E郎は得意だ。今までもA雄を泣かせないように良い子を演じてきた。今度は祖母好みの良い子を演じるだけである。
「ただいま、ばあちゃん! 今日は始業式だったよ。」
E郎は帰宅すると元気よく祖母に話しかけた。
「あら、それで帰りが早かったのね。お昼ごはんは簡単なものでいいかしら?」
「うん! ばあちゃんの作るものは何でも美味しいよ。」
祖母は「あらあら」と言いながら嬉しそうな顔をしている。
「貰い物の素麺がまだ残ってるんだけど、それで構わない?」
「僕、素麺大好きだよ!」
「じゃあそうするわね。できたら呼ぶから一緒に食べましょ。」
「わーい! 僕、部屋で待ってるね。」
E郎は学校のカバンを持って家庭用エレベーターではなく階段で二階に上がると、自分の部屋に飛び込んだ。そして、両手で頬を軽く叩いた。
「だんだん僕が僕じゃなくなっちゃう気がする。」
しかし、E郎はα秀が言った「面従腹背」の言葉を思い出した。さすがにその四文字熟語を紙に書いて部屋に貼るのはまずいような気がしたので、生徒手帳の隅にこっそり書いておいた。これなら仮に見つかっても言い訳できるような気がする。
次に、E郎は部屋のノートパソコンの電源を入れ、指紋認証をし、「今後の計画」というファイルを開いた。高校卒業までは、「面従腹背」で、その後は自宅から絶対に通えないような大学に進学する必要がある。関東甲信以外の大学でちゃんと「ここでなきゃ」という説得力のある大学である必要があった。この点も夏休み中にα秀に話をしたところ、ヒントをもらうことができた。
「例えば、だな。昆虫学みたいなマイナー分野だと、ちゃんと勉強できる大学が少ないんだ。京大で生態を学ぶか、九州大学で分類学をやるか、その辺りが大昔から伝統があって強い大学だ。」
「待って、京大に九大じゃ、めちゃくちゃ勉強する必要があるじゃないか。」
α秀は笑った。
「ある程度努力しないと自由は勝ち取れないぞ。もちろん、もう少し入りやすい大学はある。大阪府立大学は蝶の研究が日本一だし、香川大学は蟻研究で有名だ。」
「分かった、そんな感じでマニアックなところを攻めていけばいいんだね。でも、何でα秀はそんなに大学の研究内容に詳しいの?」
E郎の質問に、α秀はこう答えた。
「ふと、昆虫の研究なんてどこでやってるんだろうって思って調べた結果だ。残念なことに俺は虫が苦手だからやめておくが。」
E郎も虫はあまり好きではないので、他の分野を探すことにした。例えば魚類。長崎大学はフグ毒研究が盛んだ。マグロの養殖に関しては昔から近畿大学が有名だし、愛媛大学は場所がら魚の養殖技術について開発を続けている。
「東京を離れて西に行くのも悪くなさそうだな。」
E郎は西日本の観光名所の画像も収拾していた。通天閣、天の橋立、安芸の宮島、淡路島、四万十川など場所はバラバラだが、A雄が出不精なうえにB子が多忙であったために旅行にほとんど行ったことのないE郎の目には全て新鮮に映った。一番のお気に入りは長崎の端島である。「軍艦島」と呼ばれたその島の建物は完全に風化して今や瓦礫の山だが、建物の在りし日の画像をインターネットで見ることができた。
「すごいな。」
立体画像で30号棟アパートを見ていると、階下から祖母の、「お昼よー!」という呼び声が響いてきた。E郎は努めて明るく「はーい!」と返事をした。
E郎は教室に着くと、まず親友のα秀を見つけて話しかけた。
「おはよう!」
「よう、おはよう。E郎のところも大変だな。」
夏休み中、E郎はα秀とメールや電話で連絡を取り合っていた。α秀も両親が離婚して母親や母親の両親と一緒に住んでいたので、親の離婚について相談していたのだ。
「まあ、僕のところはパパの実家だからね。前からたまに遊びに行ってたし。」
「けど、大変だよな、ババアは。いっぱいご飯出してくる。『飯食え』攻撃だよ。」
α秀はクラスの中で一番太っていた。その理由は、いつも祖母が闇雲に夕飯を作るために食べざるを得ないからだと言う。そういえば、E郎も少し腹が出てきたような気がする。
「なあ、あれ、何だろう。太らせて相撲取りにでもさせたいのかな?」
α秀は笑った。
「最近はうちの母ちゃんも病気にならないように注意してくれるようになったけど、一度でかくなった胃袋はなかなか元に戻らないっていうからな。E郎も気をつけろ。」
E郎は頷いた。
夏休み中のα秀とのやり取りで一番E郎のためになったのは、以下のようなものだった。
「まずはその家の指揮官が誰かを見定めることだ。うちの家には母ちゃんとばあちゃん、二人の指揮官がいるから、そのときどきで様子を見て、どちらの意見に従うかを考えなくちゃいけない。E郎の家ではどうだ?」
「うちはパパがばあちゃんに逆らえないし、じいちゃんは置物状態だから、指揮官はばあちゃんかな。」
「よし、じゃあ、E郎は徹底してばあちゃんに従え。それがサバイバルの道だ。」
E郎はα秀に質問した。
「従う、って何でも従うの?」
「さすがに譲れない部分はあるだろう。だけど、それ以外は服従だ。遠くの大学に行くか就職すれば一人暮らしさせて貰えるだろう。それまでは面従腹背だ。」
「メンジュウフクハイ?」
「形だけは従っておいて、内心はそうじゃないってこと。魂まで売り渡す必要はない!」
「なるほど。」
そういうことなら、E郎は得意だ。今までもA雄を泣かせないように良い子を演じてきた。今度は祖母好みの良い子を演じるだけである。
「ただいま、ばあちゃん! 今日は始業式だったよ。」
E郎は帰宅すると元気よく祖母に話しかけた。
「あら、それで帰りが早かったのね。お昼ごはんは簡単なものでいいかしら?」
「うん! ばあちゃんの作るものは何でも美味しいよ。」
祖母は「あらあら」と言いながら嬉しそうな顔をしている。
「貰い物の素麺がまだ残ってるんだけど、それで構わない?」
「僕、素麺大好きだよ!」
「じゃあそうするわね。できたら呼ぶから一緒に食べましょ。」
「わーい! 僕、部屋で待ってるね。」
E郎は学校のカバンを持って家庭用エレベーターではなく階段で二階に上がると、自分の部屋に飛び込んだ。そして、両手で頬を軽く叩いた。
「だんだん僕が僕じゃなくなっちゃう気がする。」
しかし、E郎はα秀が言った「面従腹背」の言葉を思い出した。さすがにその四文字熟語を紙に書いて部屋に貼るのはまずいような気がしたので、生徒手帳の隅にこっそり書いておいた。これなら仮に見つかっても言い訳できるような気がする。
次に、E郎は部屋のノートパソコンの電源を入れ、指紋認証をし、「今後の計画」というファイルを開いた。高校卒業までは、「面従腹背」で、その後は自宅から絶対に通えないような大学に進学する必要がある。関東甲信以外の大学でちゃんと「ここでなきゃ」という説得力のある大学である必要があった。この点も夏休み中にα秀に話をしたところ、ヒントをもらうことができた。
「例えば、だな。昆虫学みたいなマイナー分野だと、ちゃんと勉強できる大学が少ないんだ。京大で生態を学ぶか、九州大学で分類学をやるか、その辺りが大昔から伝統があって強い大学だ。」
「待って、京大に九大じゃ、めちゃくちゃ勉強する必要があるじゃないか。」
α秀は笑った。
「ある程度努力しないと自由は勝ち取れないぞ。もちろん、もう少し入りやすい大学はある。大阪府立大学は蝶の研究が日本一だし、香川大学は蟻研究で有名だ。」
「分かった、そんな感じでマニアックなところを攻めていけばいいんだね。でも、何でα秀はそんなに大学の研究内容に詳しいの?」
E郎の質問に、α秀はこう答えた。
「ふと、昆虫の研究なんてどこでやってるんだろうって思って調べた結果だ。残念なことに俺は虫が苦手だからやめておくが。」
E郎も虫はあまり好きではないので、他の分野を探すことにした。例えば魚類。長崎大学はフグ毒研究が盛んだ。マグロの養殖に関しては昔から近畿大学が有名だし、愛媛大学は場所がら魚の養殖技術について開発を続けている。
「東京を離れて西に行くのも悪くなさそうだな。」
E郎は西日本の観光名所の画像も収拾していた。通天閣、天の橋立、安芸の宮島、淡路島、四万十川など場所はバラバラだが、A雄が出不精なうえにB子が多忙であったために旅行にほとんど行ったことのないE郎の目には全て新鮮に映った。一番のお気に入りは長崎の端島である。「軍艦島」と呼ばれたその島の建物は完全に風化して今や瓦礫の山だが、建物の在りし日の画像をインターネットで見ることができた。
「すごいな。」
立体画像で30号棟アパートを見ていると、階下から祖母の、「お昼よー!」という呼び声が響いてきた。E郎は努めて明るく「はーい!」と返事をした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる