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好きな人
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六本木にひっそりと佇んでいる喫茶店、毎日それなりにお客さんが訪れる。僕はここで店員をしていて、オーダーを取りそれを厨房に伝達し出来上がったものを運ぶのが大半だ。
人前に立つことも人前で話すことも苦手で、何より顔に自信がなくていつも地味顔だと言われていた。癖の強い髪はある程度伸ばさないと大変だ。雨の日は特に手入れが面倒で、帽子をかぶり髪を潰してから出勤するという何とも雑なやり方をしている。声も小さいしすぐ上がるし、何より頼まれると断れない性格で嫌なことでも引き受けてしまうのが悪い癖だ。
今日も店を開ける準備をする。テーブルを拭いてセルフサービスの冷水機横に置くグラスを拭き上げて並べておく。最後のコップを拭き終わった時、入口のドアが開いた。
「みんな、おはよう」
入ってきたのはオーナーの篠原さんだ。彼は仕事が出来て、周りに気遣いが出来て背が高くて、優しくて、時々見せる真剣な表情がすごくかっこいい人なんだ。この店で働こうと決めた時、面接してくれたのが篠原さんで一目見た瞬間からすごく素敵な人だなって思った。一緒に仕事をするようになって、その人柄に惹かれて、気付いた時には好きだった。切れ長の目と長い睫毛が彼の顔立ちをより際立たせている。たまにかけている眼鏡姿も、見かける度にドキドキするんだ。
一人一人に挨拶して回っている篠原さんは最後になって僕のところに来た。遠目で見れればそれで幸せで、話しかけられるとすごく嬉しい。
「おはよう、宮野くん。……今日も可愛いね」
「おお、おはようござい、ます篠原さん……か、可愛くないですから……か、からかわないで、くださいよ」
彼は決まって僕のことを可愛いと言ってくる。それがどこまで本気なのかは知らないが男に可愛いというのだから茶化しているのかもしれない。たとえ嘘でも心の奥では喜んでいるのが自分でもわかる。気持ち悪いと、心で自責する。
「からかう? そんなつもりないんだけどな? 宮野くんはいつも頑張っているから。どう? 仕事終わりにちょっと付き合わない? いい店知ってるから奢るよ」
「そそ、そんなの悪いですよ! だだ、大丈夫です、お気持ちだけ受け取っておきますね?」
篠原さんからは何度も誘われている。だけど女子も居るし彼の横に立つのは僕ではなくて可愛い女の子がきっと似合うはずだから、それに篠原さんはすごくモテる。僕みたいな地味ではっきりしない男が、彼に好意を持つこと自体罪じゃないかって、そんな気さえしてくるんだ。
篠原さんの誘いを断った後、僕は仕事に取り掛かった。いつも通りオーダーを取って、料理を運んで、会計して、それの繰り返しだ。いつもと変わらないことをいつも通りやっている。
それにしても、と思う。篠原さんはどうしていつも僕みたいな冴えない男を食事に誘うのだろうか? もし好きだとしたら……なんてそんな夢みたいな話があるわけないんだ。
「宮野くん、今日もまた誘われてたでしょ?」
「あ、いえ、その……こ、断ったんで」
「そうなんだ? じゃあ私篠原さん誘ってランチ行こうっと」
ボブの黒髪を揺らして桜井さんが上機嫌で彼に近寄り何かを話して嬉しそうにしている。きっと昼食の誘いに成功したのだろう。羨ましいと思う……。
もしも男じゃなく女に生まれていたら、そう思った。女だったらもっと積極的になれたかななんて考えるけどきっと性別が変わっても地味さは変わらないし、積極的にもなれないだろう。遠目から指をくわえて見つめているだけになるはずだ。
「……くん、のくん……宮野くん!」
「あ! はは、はい! 篠原さん!」
「大丈夫? ぼーっとしてるみたいだけど、まさか風邪─」
手を額に近付けられそうになり驚いて手を跳ね除けてしまった。あ、と声が漏れて僕はそのまま仕事に戻る。
余計なことを考えると周りに迷惑がかかる、だから何も考えないでおこう、そう決めた。僕はただひたすらに何も思わないようにして仕事をする。
昼のピークが過ぎて静けさが戻り僕は厨房で皿洗いをしていた。製造する人は二人で僕を入れて四人、ボーッとしたまま無言で皿を洗い続ける。一通り終わると休憩に行ってもいいよと言われて僕は厨房内に休憩頂きますと呟いて事務所へ向かった。ドアを開けると誰も居なくて、少しホッとする。壁に貼られたシフトを何気なく目で見やる。オーナーというところに、篠原さんの名前が書いてあり、週二日の休みというペースでシフトが組み込まれている。僕と彼が被っている休みはない。
「はぁ……重なったところで、だよね」
何かを期待しているわけでもない、でも、彼が僕に言う言葉達は魅力的で胸がドキドキしてたまらない。“今日も可愛いね”の意味、女の子にもきっとそう言っているのだろう……。
「はあぁぁ……篠原さん……」
「ん? なに? 呼んだ?」
「僕……。え、うわああ!」
いつの間に部屋にいたのか、というか後ろに立っていたのか、しばらく相手をじっと見つめてしまう。心臓がバクバクして体が熱を持っている。
「どうしたの? もしかして悩み事? 相談乗るよ」
「あ、いえ、なな、なんでもありませんからっ!」
僕はたまらずその場を飛び出してしまう。危うく好きだって言いそうになった、それが恥ずかしい。コンビニに寄ってジュースとパンを買って食べる。胸がズキズキする……。
「はぁ……篠原さん……僕、どうすれば……」
─篠原─
桜井香、通称香ちゃん。彼女に食事に誘われて、俺は宮野くんも誘おうと提案した。香ちゃんはあまり乗り気じゃないような顔をしていたけど、俺は宮野くんと食べたい。まぁ宮野くんを食べたいが正しいけど、そこまで行ってないし何度デートに誘っても断られてしまう。それでも懲りずに誘い出そうと事務所に入ると、シフトをボーッと眺めながら重いため息をつく彼がいた。近寄り声をかけようとした時だ。深い溜息と一緒に俺の名前を呼ばれ嬉しくなる。
「ん? なに? 呼んだ?」
そう答えると何かを言いかけた後飛び跳ねるように驚いている姿がすごく可愛くて、真っ赤に染まる顔を向けたまま見つめられてしまった。俺の理性が飛びそう……。
でも、と気をしっかり持って悩み事があるのかと聞くと彼は何でもないと叫ぶように言い放って逃げられてしまった。腕を捕まえる暇もないくらいに……嫌われているのだろうか。
「あ、篠原さん。こんなところにいたんですね」
宮野くんと入れ違いで香ちゃんが入ってくる。彼のいない食事なんて俺にとっては楽しくないわけで、一緒に食べなくてもいい、ただ同じ空間で俺の目に写ってくれたらそれだけですごく心が和むし幸せな気持ちになる。
「ああ、ごめん。ちょっと上から呼ばれてさ、香ちゃん一人で休憩取っててよ。悪いね」
俺は足早に事務所を出て店の近くにあるコンビニで時間を潰す。もしかしたら、と思ったが彼の姿はなかった。いつもコンビニの袋をぶら下げてるからもしかしたら、と思ったのに。そう上手くはいかない、どうしたら彼を手に入れられるのか、俺の悩みは尽きそうもない。
人前に立つことも人前で話すことも苦手で、何より顔に自信がなくていつも地味顔だと言われていた。癖の強い髪はある程度伸ばさないと大変だ。雨の日は特に手入れが面倒で、帽子をかぶり髪を潰してから出勤するという何とも雑なやり方をしている。声も小さいしすぐ上がるし、何より頼まれると断れない性格で嫌なことでも引き受けてしまうのが悪い癖だ。
今日も店を開ける準備をする。テーブルを拭いてセルフサービスの冷水機横に置くグラスを拭き上げて並べておく。最後のコップを拭き終わった時、入口のドアが開いた。
「みんな、おはよう」
入ってきたのはオーナーの篠原さんだ。彼は仕事が出来て、周りに気遣いが出来て背が高くて、優しくて、時々見せる真剣な表情がすごくかっこいい人なんだ。この店で働こうと決めた時、面接してくれたのが篠原さんで一目見た瞬間からすごく素敵な人だなって思った。一緒に仕事をするようになって、その人柄に惹かれて、気付いた時には好きだった。切れ長の目と長い睫毛が彼の顔立ちをより際立たせている。たまにかけている眼鏡姿も、見かける度にドキドキするんだ。
一人一人に挨拶して回っている篠原さんは最後になって僕のところに来た。遠目で見れればそれで幸せで、話しかけられるとすごく嬉しい。
「おはよう、宮野くん。……今日も可愛いね」
「おお、おはようござい、ます篠原さん……か、可愛くないですから……か、からかわないで、くださいよ」
彼は決まって僕のことを可愛いと言ってくる。それがどこまで本気なのかは知らないが男に可愛いというのだから茶化しているのかもしれない。たとえ嘘でも心の奥では喜んでいるのが自分でもわかる。気持ち悪いと、心で自責する。
「からかう? そんなつもりないんだけどな? 宮野くんはいつも頑張っているから。どう? 仕事終わりにちょっと付き合わない? いい店知ってるから奢るよ」
「そそ、そんなの悪いですよ! だだ、大丈夫です、お気持ちだけ受け取っておきますね?」
篠原さんからは何度も誘われている。だけど女子も居るし彼の横に立つのは僕ではなくて可愛い女の子がきっと似合うはずだから、それに篠原さんはすごくモテる。僕みたいな地味ではっきりしない男が、彼に好意を持つこと自体罪じゃないかって、そんな気さえしてくるんだ。
篠原さんの誘いを断った後、僕は仕事に取り掛かった。いつも通りオーダーを取って、料理を運んで、会計して、それの繰り返しだ。いつもと変わらないことをいつも通りやっている。
それにしても、と思う。篠原さんはどうしていつも僕みたいな冴えない男を食事に誘うのだろうか? もし好きだとしたら……なんてそんな夢みたいな話があるわけないんだ。
「宮野くん、今日もまた誘われてたでしょ?」
「あ、いえ、その……こ、断ったんで」
「そうなんだ? じゃあ私篠原さん誘ってランチ行こうっと」
ボブの黒髪を揺らして桜井さんが上機嫌で彼に近寄り何かを話して嬉しそうにしている。きっと昼食の誘いに成功したのだろう。羨ましいと思う……。
もしも男じゃなく女に生まれていたら、そう思った。女だったらもっと積極的になれたかななんて考えるけどきっと性別が変わっても地味さは変わらないし、積極的にもなれないだろう。遠目から指をくわえて見つめているだけになるはずだ。
「……くん、のくん……宮野くん!」
「あ! はは、はい! 篠原さん!」
「大丈夫? ぼーっとしてるみたいだけど、まさか風邪─」
手を額に近付けられそうになり驚いて手を跳ね除けてしまった。あ、と声が漏れて僕はそのまま仕事に戻る。
余計なことを考えると周りに迷惑がかかる、だから何も考えないでおこう、そう決めた。僕はただひたすらに何も思わないようにして仕事をする。
昼のピークが過ぎて静けさが戻り僕は厨房で皿洗いをしていた。製造する人は二人で僕を入れて四人、ボーッとしたまま無言で皿を洗い続ける。一通り終わると休憩に行ってもいいよと言われて僕は厨房内に休憩頂きますと呟いて事務所へ向かった。ドアを開けると誰も居なくて、少しホッとする。壁に貼られたシフトを何気なく目で見やる。オーナーというところに、篠原さんの名前が書いてあり、週二日の休みというペースでシフトが組み込まれている。僕と彼が被っている休みはない。
「はぁ……重なったところで、だよね」
何かを期待しているわけでもない、でも、彼が僕に言う言葉達は魅力的で胸がドキドキしてたまらない。“今日も可愛いね”の意味、女の子にもきっとそう言っているのだろう……。
「はあぁぁ……篠原さん……」
「ん? なに? 呼んだ?」
「僕……。え、うわああ!」
いつの間に部屋にいたのか、というか後ろに立っていたのか、しばらく相手をじっと見つめてしまう。心臓がバクバクして体が熱を持っている。
「どうしたの? もしかして悩み事? 相談乗るよ」
「あ、いえ、なな、なんでもありませんからっ!」
僕はたまらずその場を飛び出してしまう。危うく好きだって言いそうになった、それが恥ずかしい。コンビニに寄ってジュースとパンを買って食べる。胸がズキズキする……。
「はぁ……篠原さん……僕、どうすれば……」
─篠原─
桜井香、通称香ちゃん。彼女に食事に誘われて、俺は宮野くんも誘おうと提案した。香ちゃんはあまり乗り気じゃないような顔をしていたけど、俺は宮野くんと食べたい。まぁ宮野くんを食べたいが正しいけど、そこまで行ってないし何度デートに誘っても断られてしまう。それでも懲りずに誘い出そうと事務所に入ると、シフトをボーッと眺めながら重いため息をつく彼がいた。近寄り声をかけようとした時だ。深い溜息と一緒に俺の名前を呼ばれ嬉しくなる。
「ん? なに? 呼んだ?」
そう答えると何かを言いかけた後飛び跳ねるように驚いている姿がすごく可愛くて、真っ赤に染まる顔を向けたまま見つめられてしまった。俺の理性が飛びそう……。
でも、と気をしっかり持って悩み事があるのかと聞くと彼は何でもないと叫ぶように言い放って逃げられてしまった。腕を捕まえる暇もないくらいに……嫌われているのだろうか。
「あ、篠原さん。こんなところにいたんですね」
宮野くんと入れ違いで香ちゃんが入ってくる。彼のいない食事なんて俺にとっては楽しくないわけで、一緒に食べなくてもいい、ただ同じ空間で俺の目に写ってくれたらそれだけですごく心が和むし幸せな気持ちになる。
「ああ、ごめん。ちょっと上から呼ばれてさ、香ちゃん一人で休憩取っててよ。悪いね」
俺は足早に事務所を出て店の近くにあるコンビニで時間を潰す。もしかしたら、と思ったが彼の姿はなかった。いつもコンビニの袋をぶら下げてるからもしかしたら、と思ったのに。そう上手くはいかない、どうしたら彼を手に入れられるのか、俺の悩みは尽きそうもない。
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