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第10章 俊也と松崎
仕切り直し
しおりを挟む突発的とはいえ、お互いの思いを打ち明け合った直後ではあったが、松崎の介入で興がそがれたことも否めない。
「じゃ、まあ、その、またの機会に」という空気になり、ホテルの前から無言で離れたが、映画館通りを通り抜ける直前で、「あ――俺今からさよりちゃんを送っていくよ」と言い出した。
「え?あの…帰りの時間は大丈夫ですか?」
「もともと特に予定を組んでいたわけじゃなく、会いたくて気まぐれで来ただけだし、最終便は9時台だったよね?」
時間は5時台だった。
2時間ほど「ご休憩」した後、食事をしても間に合うだろうと思ってのプランニングだから、当然時間はたっぷりある。
「さっきのやつ、さよりちゃんの家を知ってる?」
「家は知らないと思いますけど、住所は知っているから…」
「そうか。1人になったところを襲われる可能性もあるな」
「まさか。まだ明るいし、顔見知りですよ?」
「さよりちゃん、生々しいことを言うけど、レイプ被害のほとんどは知り合いからの加害だって知っている?」
「え?」
「何だか思い込みの激しそうなやつだったし、心配だよ」
「俊也さん…」
「さすがにレイプは行き過ぎにしても、絡んでこられるのも迷惑じゃない?」
「それは、まあ…」
「よし、決まりだ」
◇◇◇
「しかし――本当に駅から近いんだね。いい家だ」
さよりの家は、「駅から歩いて行ける距離」と聞くと、新興のマンションだったり、商店街の住居付き店舗のようなものを連想されがちだが、実際は結構ゆったりした日本家屋で、庭もそこそこある。ただただ、周辺環境が「駅近」「買い物至便」というだけの場所だった。
「ひいおじいちゃんの代からここに住んでいるらしくて。
家はそのままなのに、街の方が変わっちゃったって」
「俺の実家は地方都市の郊外だから、こういう環境って憧れだったな」
2人はさよりの部屋にいた。
俊也の提案で「古風な習慣」にのっとったため、部屋のドアは開けたままなので、会話の声はやや控え目にしなければならない。
さよりは俊也を「晴海ちゃんの大学の友達で…」と母に説明したが、俊也自身がそれに続けるように、「今はさよりさんとお付き合いしています。本日は突然押しかけて申しわけございません」と恭しく挨拶した。
その姿は、さよりの母親には大分好印象だったようで、どうぞどうぞと迎え入れ、麦茶を運んできた後は、2人の邪魔をしないようにしていた。
「あの松崎ってやつと付き合ってたの?」
「付き合っていません!高校時代の友達が勝手に住所を教えて…」
さよりは、「できるだけ正確に」松崎との関係について語った。
東京に行くまでの1年の間は、手紙の交換しかしていないこと。
寮の住所は教えていないが、県の学生寮だったため、簡単に調べられてしまったこと。
付き合ってと言われたわけでもないのに、どう断っていいか分からず、上京後に2度だけ会ったこと。
うそをついているわけではない。だからこそ、さよりの優柔不断さを責めるむきもあるだろうが、俊也は一言も彼女を責めない。
◇◇◇
「要するに勘違い男ってことだよね。
さよりちゃんのこと、自分の彼女ぐらいに思っていそうだけど」
「それはないと思いますけど…」
「じゃ、どうしてさっき止めに入ったんだろうね?」
「あ、それは…」
「君は優しいけど、すきが多い。それだけは反省してね――俺のために」
真剣なまなざしでそう言われ、さよりは恥ずかしげにうつむいて、「はい…気を付けます」と言うのがやっとだった。
俊也は松崎の妨害に遭ったとき、反射的に「清純そうに見えて非処女か?ま、かわいいからな。それにしちゃお相手がダサすぎだが…」くらいのゲスいことを考えたが、さよりの弁明はうそではなさそうだと判断した。
これが芝居なら、大した演技力だ。そこまで器用には見えない。
「東京でも厄介なことになったら、すぐに俺を頼ってよ。
もうさよりちゃんのお母さんに、彼氏だって言っちゃったしね」
「俊也さんのこと彼氏って思っていいんですか?」
「俺としては、君と初めてお酒を飲んだ日から、さよりちゃんは俺のかわいいカノジョだって思っていたけれどね」
「え?」
「俺も勘違い野郎かな」
「そんな…私こそ…私なんかでいいんですか?」
そこで俊也は軽く咳払いをして言った。
「じゃ、改めてお願いします。
俺と付き合ってください、水野さよりさん」
「…こちらこそ、よろしくお願いします」
「やったね!」
俊也はさよりをぎゅっと抱擁し、おでこに軽くキスをした。
「ここから先は後日改めて、だね」
「…はい」
◇◇◇
その日俊也は、さよりの母親の料理(夕飯)に舌鼓を打ち、しかし「いっそ泊まっていけば?」という誘いは固辞し、東京に戻っていった。さすがに帰りは新幹線らしい。
ラブホテル代は出せても、往路はキセル行為で運賃をごまかしていたこと。
きちんとした挨拶、部屋のドアは開放するなどの「礼儀正しい青年像」も、かなりやせ我慢の演技であること。
(これは恋の入口の行為としては、責められるほどでもないが…)
さよりが多分バージンであるということへの期待。
俊也がさよりに興味を持っていることは間違いないが、純粋な恋心とかどうかは疑わしい部分は多い。
さよりが盲目的に俊也の言動に異を唱えず、表面的にでもラブラブ路線でいけるか、何がしかの違和感を覚えるか。全てはこれからにかかっているようだ。
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