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【終】ある家族と、恋人たち
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ヒロコにもかつては同年代の夫がいた。
結婚したのは30年以上前になるが、それなりに恋愛関係を楽しんで、自然な流れでゴールインとなった。
しかし夫は数年前、若い愛人の家で刺し殺された。
別れ話で大もめにもめた末路らしい。
夫を深く愛していたヒロコは、長年気付かぬふりをしていた夫の浮気が明るみになったことと、それがもとで命を落とした事実が受け入れられなかった。
夫はじつのところ、(新婚当初からわずかに予兆はあったが)ヒロコの尊厳を傷つけるような暴言を吐き、手を上げたりもする男だった。
それを含めて自分の中で「なんでもない」と思い込み、心を殺し続きてきた結末としては、あまりにもショッキングだった。
その結果、ヒロコは一言でいうと「気がふれて」しまった。
夫に顧みられぬ日々の中で、彼女にとって唯一の心の支えともいえた、しっかりものの娘すら、今や「なぜか親切にしてくれる若いお隣さん」程度の認識になってしまっていた。
◇◇◇
リナには大学時代から付き合っていた恋人ダイキがいる。
結婚も視野に入っていたが、事件後に母の様子が急変して以降、「あなたが好きだが、今は結婚や同居は無理だ」と明言していた。
ダイキはそう言われても、リナと別れる気はさらさらなく、彼女とはとりあえず友人関係を続けていた。
「いちばんの友人」として、リナたちの住む家のリビングで語り合うことも多い。
ただ、ヒロコがダイキと顔を合わせると、そわそわ落ち着かず、時にはパニック状態になってしまうこともあるので、ヒロコとは極力顔を合わせない。
事件の前のヒロコは、ダイキをリナの恋人というよりも、半ば自分の息子のようにかわいがっていた。
時には「ダイキさんって、お父さんの若い頃にちょっと似ているわ。血は争えないわね」と、からかい口調で言うこともあった。
ヒロコの夫はリナに対してだけは、尊敬できる良い父親の対面を保っていた。
しかし聡明なリナは、それを額面通り受け取っていたわけではない。
父の母に対する当たりを見ていたこともあり、リナはそう言われると複雑な表情を浮かべるのだった。
◇◇◇
「お母さんの様子は相変わらず?」
「そうね。家の中にいてくれる限りは、問題になることはないと思う」
「そうか…」
ヒロコは事件後、新婚時代を思い出したような――というより、それがリアルの生活の出来事であるような話をしばしばするようになった。それがごくわずかな、まさに蜜月期だったのだろう。
そこで、写真やヒロコの話をもとに、家の一室を新婚時代に暮らしていたアパート風に改造した。
これはダイキの発案だったが、作戦としては悪くなかったようで、ヒロコはトイレや入浴、食事といった用事以外では、ずっと「新婚アパート部屋」で手仕事などをして過ごしている。
時々、例えば「“あの人”のパジャマを縫いたいから」などと、リナに服地や素材の調達を頼むこともあった。
ミシンは苦手だといって使わないので、かなり時間を要するが、正直そうして時間をつぶしてもらえるのは、日中勤めに出ているリナには好都合だった。
リアルな大人の経験と記憶を持ちながら、心はサポートが必要な幼児のまま――それが今のリナにとっての母親である。
「いつまでもこのままでいいとは思わないけど、今は母さんの穏やかな顔を見ていたいんだ」
「ん…無責任に同意するのもアレだけど、その気持ちは分かるよ」
「うん。ダイキなら本当に理解してくれているって、私も分かってるから」
「やめろよそういうの…」
「え、何が?」
「(そういうことを言うから、俺はリナを諦められないんじゃないか…)」
◇◇◇
1階のリビングでリナとダイキが語り合っているとき、ヒロコは自室で転寝をしていた。
裁縫作業で根が詰まり、疲れてしまったのだろう。
穏やかな寝顔から想像するに、甘い夢を見ているようだ。
【了】
結婚したのは30年以上前になるが、それなりに恋愛関係を楽しんで、自然な流れでゴールインとなった。
しかし夫は数年前、若い愛人の家で刺し殺された。
別れ話で大もめにもめた末路らしい。
夫を深く愛していたヒロコは、長年気付かぬふりをしていた夫の浮気が明るみになったことと、それがもとで命を落とした事実が受け入れられなかった。
夫はじつのところ、(新婚当初からわずかに予兆はあったが)ヒロコの尊厳を傷つけるような暴言を吐き、手を上げたりもする男だった。
それを含めて自分の中で「なんでもない」と思い込み、心を殺し続きてきた結末としては、あまりにもショッキングだった。
その結果、ヒロコは一言でいうと「気がふれて」しまった。
夫に顧みられぬ日々の中で、彼女にとって唯一の心の支えともいえた、しっかりものの娘すら、今や「なぜか親切にしてくれる若いお隣さん」程度の認識になってしまっていた。
◇◇◇
リナには大学時代から付き合っていた恋人ダイキがいる。
結婚も視野に入っていたが、事件後に母の様子が急変して以降、「あなたが好きだが、今は結婚や同居は無理だ」と明言していた。
ダイキはそう言われても、リナと別れる気はさらさらなく、彼女とはとりあえず友人関係を続けていた。
「いちばんの友人」として、リナたちの住む家のリビングで語り合うことも多い。
ただ、ヒロコがダイキと顔を合わせると、そわそわ落ち着かず、時にはパニック状態になってしまうこともあるので、ヒロコとは極力顔を合わせない。
事件の前のヒロコは、ダイキをリナの恋人というよりも、半ば自分の息子のようにかわいがっていた。
時には「ダイキさんって、お父さんの若い頃にちょっと似ているわ。血は争えないわね」と、からかい口調で言うこともあった。
ヒロコの夫はリナに対してだけは、尊敬できる良い父親の対面を保っていた。
しかし聡明なリナは、それを額面通り受け取っていたわけではない。
父の母に対する当たりを見ていたこともあり、リナはそう言われると複雑な表情を浮かべるのだった。
◇◇◇
「お母さんの様子は相変わらず?」
「そうね。家の中にいてくれる限りは、問題になることはないと思う」
「そうか…」
ヒロコは事件後、新婚時代を思い出したような――というより、それがリアルの生活の出来事であるような話をしばしばするようになった。それがごくわずかな、まさに蜜月期だったのだろう。
そこで、写真やヒロコの話をもとに、家の一室を新婚時代に暮らしていたアパート風に改造した。
これはダイキの発案だったが、作戦としては悪くなかったようで、ヒロコはトイレや入浴、食事といった用事以外では、ずっと「新婚アパート部屋」で手仕事などをして過ごしている。
時々、例えば「“あの人”のパジャマを縫いたいから」などと、リナに服地や素材の調達を頼むこともあった。
ミシンは苦手だといって使わないので、かなり時間を要するが、正直そうして時間をつぶしてもらえるのは、日中勤めに出ているリナには好都合だった。
リアルな大人の経験と記憶を持ちながら、心はサポートが必要な幼児のまま――それが今のリナにとっての母親である。
「いつまでもこのままでいいとは思わないけど、今は母さんの穏やかな顔を見ていたいんだ」
「ん…無責任に同意するのもアレだけど、その気持ちは分かるよ」
「うん。ダイキなら本当に理解してくれているって、私も分かってるから」
「やめろよそういうの…」
「え、何が?」
「(そういうことを言うから、俺はリナを諦められないんじゃないか…)」
◇◇◇
1階のリビングでリナとダイキが語り合っているとき、ヒロコは自室で転寝をしていた。
裁縫作業で根が詰まり、疲れてしまったのだろう。
穏やかな寝顔から想像するに、甘い夢を見ているようだ。
【了】
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読み終わってしばし茫然としました。構成がすばらしいですわ。 (゜o゜)
真田さま
読んでいただけただけでもありがたいのに、すてきなコメントまで!
本当にありがとうございます。
最近ろくなことがなかったのですが、人生捨てたものじゃないと思えました。