短編集「なくしもの」

あおみなみ

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バスターミナル

【後編】お姉ちゃんなんだから

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◆変化◆

 駅前の再開発工事は大分大規模なものになるようで、あすかが小学校に上がって落ち着いた頃には、終始工事の音が聞こえている状況だった。

 駅前に少しだけあったファーストフード店や個人商店が次々となくなり、更地になったかと思うと、25階建ての高層ビル「ジャイアントアイ」の建設も始まった。ここには商業施設のほか、各種オフィス、プラネタリウム、博物館、そして定時制高校のキャンパスまで入るらしい。完成すれば県内で最も高い建物になるそうだ。

 駅前がごちゃついた感じになって少し落ち着かないが、あかすは完成予想図を見てはワクワクしていた。
 隣の県の県庁所在にあるペデストリアンデッキは有名だが、どうやらこの街の駅前もそんなふうになるらしい。
 テレビのインタビュー場所としてしばしば見るが、あんなふうにインタビューされちゃったらどうしよう、などと不要な心配をしていた。

▽▽

 まだ完成までもう少し要する工事はさておいて、あすかが小学校3年生の秋ぐらいだったろうか。
 2人で映画を見にきていたが、えみが突然、「ごめんね…ママちょっと気持ち悪いから、もう家に帰りたいんだけど…」と言い出した。
 あすかは映画を非常に楽しみにしていたが、今は母親の青い顔の方が心配だ。

 その日はタクシーで家に帰り、えみはしばらくベッドに横になっていた。

 夫のマサオは7時頃帰宅したので、夕飯はあすかと2人でファミレスに行き、帰りにえみが食べられそうなものを土産にするといって、「大丈夫か?食べられるものあるか?」と聞いてきた。

「うどん…でも、家にあるから…具合よくなったら自分で作れる…」
「いや、コンビニで何かすぐ食べられるものがあるんじゃないか?
 そういうの買ってくるよ」

 マサオは料理こそできないが、気を使ってくれていることにえみは感謝した。

「でも…多分食べても戻しちゃうし…」
「ひょっとして、お前…」
「…うん。多分そうだよ。明日、病院に行ってみるよ」
「そうか…しんどいかもしれないが…そうだといいな」
「うん…行ってらっしゃい。やっぱりうどん、買ってきて」
「ああ、少し待っていてくれ」

 2人の会話に「病院」という言葉が入っていたので、あすかは心配になったが、「パパもママも、どうしてあんなにうれしそうなんだろう?」という疑問が明らかになるのは翌日だった。

▽▽

 えみはその翌日の午前中、言葉どおり病院に行った。
 マサオは「半休取って付き添う」と言ったが、えみは「大丈夫だから。行ってらっしゃい」と、追い出すように送り出していた。

▽▽

 あすかが学校から帰ってきて、宿題の前におやつを食べていたとき、えみはかしこまって言った。

「あすか、あなたは来年の夏には、おねえちゃんになるよ」
「え?」
「ママのお腹に赤ちゃんがいるの。
 だからしばらく、昨日みたいなことがあるかもしれないけど…」
「お姉ちゃん?赤ちゃん?」

 突然のことで驚いたが、徐々に何ともいえない高揚感がわいてきた。

「私、いっぱいお手伝いするから!ママは具合悪いときはゆっくり寝てて」

 あすかの「ワタシ」という一人称も大分板についてきたし、かなり頼もしいことを言ってくれる。
「ありがとう。元気な赤ちゃん産まなきゃね」



◆◆ケータイ◆◆

 えみの妊娠が分かると、マサオは2人で携帯電話を持とうと提案した。出先で何かあったとき、すぐに連絡がついた方がいいだろうと思ったのだ。
 あすかも欲しかったが、「中学生になってからね」と言われ、「お姉ちゃんなんだから、わがまま言っちゃ駄目だよね…」と納得した。

 えみがあすかに「お姉ちゃん」という言葉を使って我慢を強要することはないが、あすかが自粛する。
 そして、自分自身が弟が2人いる「お姉ちゃん」として我慢する場面が多かった身として、えみはそんなあすかに心を砕いた。

「あすかは偉いね」
「あすかはいい子だね」
「あすかみたいな子がうちの子で、本当に幸せ」

 もちろんえみ自身が本当にそう思って言ってはいたのだが、ピグマリオン効果とでもいうのだろうか。あすかはどんどん、聞き分けのいいしっかりした「お姉ちゃん」になっていった。

 妹の「ゆずき」が生まれる頃には、母親の小さなうっかりを、「ママ、駄目でしょ」などとたしなめるほどだった。

▽▽

「ママ!トイレにケータイ置きっぱなしだったよ!」
「あら…ごめんなさい。ポケットから出したの忘れてた。そこだったのね」
「もうっ。私が見つけたからいいようなものの…」

 えみは妊娠を機に携帯を持ち始めただけで、それで他の人と連絡を取るつもりはあまりなかった。
 ゆずきがある程度大きくなるまでは、速記の現場も休ませてもらうことになったので、事務所にすら電話番号を教えていない。
 電話機自体にも執着がなかったので、こんなことは日常茶飯事だった。

「ケータイは携帯してこそでしょ。しっかりしてよ!」
 あすかは漫画で読んで気に入ったフレーズで母親に注意した。
 しかもそれに対してえみが、「言うようになったね。さすがお姉ちゃん」などとうれしそうに言うので、ちょっと満更でもない気持ちになったりもする。



◆◆◆落とし物が見つかったら◆◆◆

 ゆずきが自分の小さな靴を履いてよちよち歩きするようになった頃、えみは2人の娘を連れ、駅前の高層ビル「ジャイアントアイ」を訪れた。

 その日は土曜日だったが、夫のマサオは趣味(写真)のメーリングリストで知り合った人たちとのオフ会に出かけていた。えみがそんなふうにマサオの趣味に協力的なことも、青山家族が円満な秘訣なので、よくあることだった。

 小5になったあすかは、家族より友達との付き合いの方を尊重することも多くなったくらいだから、父親不在に対して特に文句も出ず、好物のオムライスを食べて、雑貨屋さんでハンカチを買ってもらい、ジャイアントアイ22階に展示された見事な鉄道ジオラマを見たりして、上機嫌だった。

▽▽

 ところで、今回3人が駅前まで来たわけは、実は遊び目的だけではなかった。
 この4日ほど前、えみが例によって「うっかりと」携帯をなくしてしまっていた。この日はバスに乗っていたので、バスの中の可能性も高い。

 半ばあきらめムードで警察とバス会社に届け出、連絡を待っていたところ、マサオのオフ会当日朝にバス会社から電話があった。
 「バスターミナルの窓口で預かっているから、取りにこい」と言う。
 携帯の型番や色、ストラップなども特定しているので、間違いないだろう。
 みんなでのんびり父親の帰りを待つつもりだったが、そういうことならばと、急遽3人で取りにいくことになった。

▽▽

「落とし物を探し、駅前のバスターミナルにたどり着く」

 この状況、どうしてもあの数年前の雨の日のことを思い出すが、あの日のように達者なハーモニカを聞かせてくれる老婆はいない。
 駅前に野音ステージ的なものもできたが、もともと使用許可を取った人たちが演奏や演説に使っているようだ。ゲリラ的なストリートミュージシャン自体、あまり見かけなくなった気がする。
 法律や条例に詳しくはないが、禁止されているか、あまり奨励されていないかだろう。

 窓口で対応してくれたのは、かなり年配の男性だった。
 親切で人の好さそうな人物ではあったが、「あいよ、電話ね。これかい?」と、言葉遣いはラフなことこの上ない。このバス会社では、そういうふうに接客せよという指導でもされているのだろうか。
 明らかに自分より若年の者相手だと、自然とそういう話し方になってしまうのかもしれない。

「間違いありません」
「戻ってきてよかったね。もう落とすなよ」
「はい、お手数かけました」

 あの日はひどく腹があったラフ対応だったが、今日はただひたすらほっとして、「さあ、どこ行きたい?ケーキでも食べちゃう?」と、晴れ晴れとして2人の娘と歩き出した。

「ママ、その前に!」
「え?」
「パパに『ケータイ見つかりました』ってメール送ろうよ、せっかくだし」
「…そうだね」

【後編 了】

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