"marry me"には主語がない

北へ。

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ワインレッドよりも赤く

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「新しい部署には慣れましたか、先輩」
 僕は少しからかいながら晶へ普段より少し上等なワインを注いだ。大目玉をくらったプレゼンでの内容が、口調はともかく内容に関しては慧眼だったということが会社の上層部へと伝わり、先月から彼女は企画部へと異動になっていた。
「冗談でも普段通りに話してよ。急に敬語を使われるとおばさんになった気がするから」そう言って笑いながらワインを口に運ぶ。「部内では相変わらず煙たがられてる。何かあると歳が嵩んだだけの係長が口を出してくる。やれそれはこういうわけでできない、やれそれは社内ルールで禁止されてる、ってね。できない理由をクリアしつつ本旨を生かした企画を作っていくということがあんたたちの仕事でしょ、って思うけどね。変な理由を並べ立てて企画を骨抜きにしておいて失敗したら部下のせい、一部でも上がった成果は自分たちのおかげ。人間関係で言えば営業の方がよっぽど良かったわ」
 珍しく上等なレストランで飲んでいるせいだろうか、ほどよく酔いが回っている。普段よりもかなり饒舌だ。すでに僕が先ほど注いだワインはほとんど空になっていた。
「市村さんはカバーしてくれないのか?」
 仕事ができて物腰が柔らかく、後輩の面倒見が良い市村さんは企画部の良心と言って良い存在のはずだ。結婚が決まった時には一部の女性社員から悲鳴が上がったと言う噂も聞く。
「あの人のおかげでうちの部署はなんとか回っていると言っていいわね。でも、少し堅苦しいから、私はあまり好きになれないかな、あの人」
 今日が金曜日なのを確認し、次のワインを彼女のグラスに注ぐ。
「堅苦しい、って?」
「仕事ができるせいでもあるんだろうけど、細かなマナーの関係とかそういうの。あとは、健康と煙草の関係とかかな。理屈的にも感情的にもあの人の言うことが正しいのは分かるんだけどね、少し息苦しい」
「なるほど」
 残ったワインを僕のグラスに注ぐと、訓練されたウエイターがきちんと注文を取りにきたので、適当なワインを追加で頼んだ。
「安心した?」彼女がニンマリと笑った。
「何が?」
「え、知らない?一部で噂されてるのよ、私と市村さんが不倫してるって。迷惑なことに」
「へえー、それは完全に初耳だったな。でも、晶がこうして話してくれているのが二人の間に何もない証左になっている、だろ?」
 ウエイターがやってきたので僕がグラスを開けると、丁寧に注いでくれた。
「つまらないな」彼女が呟いた。
 僕は首をかしげた。「つまらない?」
「理屈的に正しいかどうかと、女を喜ばせることができるかどうかは全く別の問題だってこと」
 今度は僕がワインをぐいとあける番だった。
「これは申し訳ない。今後は少し二人の関係を注視していくよ」
 彼女はクスリと笑うと、先ほどテーブルに置かれたワインボトルのネックの部分をなでた。器をなでるのは何かの話題を切り出すときのサインだ。
「ねえ、今度休みが合ったら…」
「新潟へ行こう。二泊。佐渡で一日、新潟市内を一日。どうだろう」
 彼女はにやりと笑った。
「気が合うわね」
「だから付き合っているんだよ。考えていたんだ、どのタイミングで切り出せば喜んでくれるかな、って」
「素晴らしい」
「何かリクエストがあれば計画に入れておくよ」
「OK。考えてみて、何かあったら連絡するわ。でも、たまにはメチャクチャしたいかなって気もする」
 言葉というのは難しい。その彼女の言葉の意味を一瞬取り違えたのは僕だけではなかったようで、周囲のテーブルの数人もこちらを見た。
 彼女はとたんに顔を先ほどまで以上の真っ赤なワイン色に染めてうつむき、そういう意味じゃないからね、と言った。
 僕は分かっているよ、と笑って流したが、本当にそう言う意味にするのもありかな、と思った。
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