シンクの卵

名前も知らない兵士

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第一夜

11. 『世界を変えるための不必要の部屋』

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 恐る恐る、静かに、足音を立てずに事務所の様子をうかがった。誰かがいる気配はない。

 ドアノブを回して中に入った。
 月明かりに照らされた屋外よりもこちらの方が暗い。これからまたあの部屋まで行かないといけないと思うと、パルコは気が滅入った。

 だが、考えている暇はない。早くしないと足音の人が来るかもしれなかった。
 パルコはヘッドライトのスイッチをつけて、雑然とした書類群を踏みつけて長い廊下へと出た。

 一人きりの探索はとても心細かった。

 真っ暗な渡り廊下を一人分のライトだけで照らして進んだ。もしも、照らした先に誰かの足が見えたらどうしよう? いや恐ろしいのは真っ暗の中、立っているその人が何者かということだ。真夜中の廃工場で一体どうして誰がすき好んで突っ立っているのだろうか。

 そんな恐ろしい想像がパルコの頭の中をしだいに埋めていく。
 T字に差し掛かり左折した。作業用機械たちの墓場を走り抜ける。機械が勝手に動き出さないだろうか? パルコの足音だけが作業内で反響している。ベルトコンベアを何度も越えて、したたる汗も気にも止めず駆け抜けた。

 両扉を開き二階へとつながる階段に向かった。踊り場の窓から月明かりが差し込んでいた。その柔らかい光に身体を当てて、パルコは呼吸を整えた。誰かが追ってきてはいないかと耳を澄ませた。
 アンテナと失神しそうだと話していたことが思い出される。ほんとに失神しそうだった……でも、ここまで来れたんだ。

「よくやったよ、自分」

 パルコは心の中で自分に向かって言った。


 暗闇をにらみながら、恐る恐る静かに、パルコは音を立てないように階段を上がった。赤い絨毯が敷かれた廊下につながる踊り場に出た。

 やはり廊下の奥には、ドアの隙間からこぼれる灯火の光を確認した。パルコはゆっくりとドアに近づき、耳をそばだてた。何の音も聞こえなかった。人の息づかいも、衣のすれる音も、足音も。誰もいないようだった。パルコはドアの隙間から部屋の中をのぞいた。

 古びた木製の机と椅子、よく見ると、椅子の背もたれの縁取りには葡萄の蔦のような彫刻が施されている。この隙間からでは部屋全体を見渡せなかったが、人影もなさそうだった。パルコはホッとして、静かにドアを開けた。

 古びた机のはす向かいに、ヴァーミリオンのランプに照らされた男が一人立っていた。


 パルコに気づくと、彼は静かに振り向いた。

「やあ」

 若い青年だった。帽子をかぶっていた。帽子の正面にはユニコーンの横顔が描かれたアップリケがついていた。

 ユニコーンの帽子の青年は、深夜の来客を怖がらせないよう優しく話しかけた。

「これはこれは、小さな冒険者だな。君はいつも深夜に探検しているのかい?」

 パルコは誰もいないと思ったので、とてもびっくりして、まごついた。

「僕……万年筆を探していて……」

「なるほど、さきほど部屋に入ったのは君だったのか」

「勝手に入ってごめんなさい」

「気にするなよ。ボクも勝手に使っているんだ。内緒にしておいてくれたまえ」

 そう言って青年は笑った。パルコもそれを聞いて笑った。

「あぁ……万年筆だったね、机の下に落ちているかもね。探してごらんよ」

 パルコはかがんで机の下をヘッドライトで照らした。

「あった!」

 確かに万年筆だった。父親からもらった、今では大切な形見だ。
 なぜ、青年は机の下に落ちていることを知っていたのだろう? パルコはいぶかしげに思った。

 教えてくれた青年に、パルコは笑って万年筆を掲げてみせた。青年もホッとした様子だった。彼は優しい心の持ち主なのだろう、そう思ってパルコも内心ホッとした。

「良かったね」

「でも、落とした覚えがなかったから、おかしいな。部屋からあわてて出たから、その時に落としたのかな……?」

 そう言ってから、すぐにパルコの顔が曇った。

「この本に、勝手に書いてしまいました。ごめんなさい」

「正直だね。残念だけど、ボクは本の持ち主じゃないんだ。だから、ボクに謝られても困るな。それに気にしなくていい、なぜならこの本は勝手に書かれたっていいし、秘密のことを書くためにある秘密の本だからね」

「……え?」

「この本は特別な本なんだ。書いたことが現実になってしまうから。その代わりに、書いた人の大切なものが失われてしまう。交換だよ」

 パルコは彼の言っていることが、よく理解できなかった。

「でも、君はラッキーだよ。勇気を出して引き返しに来れたのだから。来れたとしても、普段は開いてないからね。その点、ボクがいるときに来たのだから、大したものだ。だから、万年筆は君の手に戻る。ボクは万年筆を拾う必要はないからね」

 なお、パルコは彼が言うことを、よく理解できなかった。

「ここは……何なんですか? 夜中だけ開いてる部屋なんですか?」

 帽子の影の中で光る青年の目と、パルコの目が合った。

 吸い込まれそうな青年の眼には、地球が映っていた。

 特別な眼だ、とパルコは思った。

 アースアイと呼ばれる目があると、いつかテレビでやっていたのを思い出した。海のような青色の輪から、だんだんと陸のような黄色とオレンジ色が混ざり合って中心に向かっている。真ん中の漆黒の丸が、パルコを見つめていた。

「世界を変えるための不必要の部屋なんだ」

 そう言って、青年はパルコに笑いかけた。

「世界を変える……?」

「書いたことが本当になるんだよ」

「この本に書いたことが?」

「そうだよ。『シンクの卵』の物語さ。その大きな本に書いたことが現実になるんだ」

「シンクの卵?」

「うん」

 彼の眼はとても澄んでいた。
 そして、マンガやアニメに出てくる主人公のように瞳がキラキラしている。うそ偽りのない、信じたいと思わせる目だった。それは、パルコの父親の眼に似ていた。

「君が……君の友達と『ブルーブラックの明かり』っていう秘密組織を作ったのかい?」

「……うん」

「そうなんだ。良い名前だね。なんだかワクワクする秘密の組織だよ」

 パルコは、それを聞いて嬉しくなった。

「書いてしまったことは仕方がない。幸い、書いた内容についてはそれほど問題ないと思うけど、君も君の友達も、この部屋のことを誰にも話してはいけない。そして、二度と皆んなと来てはいけない」

 ユニコーンの帽子の青年は真剣な表情で、何かを訴えかけるようにパルコに言った。それほど問題ないってことは、少しは問題あるってことなのかなとパルコは疑問に思った。

「わかりました。その大きな本って……一体何なんですか?」

「知りたいかい?」

 パルコはうなずいた。
 ユニコーンの帽子の青年は、その吸い込まれそうな地球が入っている眼でパルコを見つめ、やがて語り出した。


「……とある古き偉大な作家が、ある日一つの物語を書くことを思いついたんだ。それは地球の滅亡を事細かに書き記した話だ。全てはそれが始まりなんだ」

 まるで何かが始まるような冒頭の語りに、パルコはドキドキした。

「そして、その物語は、最初の作家が書き終えることのできないほど、大きな物語になってしまった。作家は神から閃きという形で与えられた物語を手にした時、その可能性にすでに気付いていた。作家は病を患い命を落としたが、未完に終わった物語は、後続を担う新進気鋭の作家に受け継がれていた」

「…………」

「そして、その作家が偉大になり命を落とした時も、また新たに偉大なる作家がその物語を手にしていった。そうやって、その物語は、才気煥発な作家や芸術家、あるいは音楽家や詩人、時には政治家や彫刻家などの手によって書き加えられていった。もはや、その物語は巨大だった」

「…………」

 パルコはもはやワクワクしていた。

「いつしかその物語は、世界で最重要の現象となった。世界の隠された秘密の中で、最も高位な機密事項となったのだ。なぜだかわかるかい?」

 パルコは、頭を横に振った。
 この時点で、たくさん聞きたいことがあったが、青年の見事な口上を止めたくなかった。

「それによって、世界は進展しているからだ。その物語によって、地球は滅ぶことが約束されている。そこに書かれた秘密に従って、現実が起こっているんだ」

「地球は……滅ぶんですか?」

「そうだよ。いつかはね。でも、それはずっとずっと先の話だよ。地球が滅ぶ時は、また始まる日なんだ。だから心配しなくていいよ」

 パルコは青年の言うことがよくわからなかったが、彼が心配しなくていいと言うと、本当に心配しなくてもいいことなんだとわかった。

「書いてみるかい? 試してみるといい。この部屋に二度も来れたんだ。君にはその資格がある。さっきの続きとみなすから、今日はもう大切な物は失われないよ」

「…………」

 この青年が言っていることは本当なのだろうか? とパルコは思った。

 本に書いたことが現実になるなんて、そんなのありえないことだ。そんな本が存在してしまったら、皆んな書きたいことだけ書いてしまい世の中は滅茶苦茶になっているのではないだろうか?

 ユニコーンの帽子の青年は、パルコの心を読んだかのように言った。

「皆んなが皆んな、この部屋にたどり着けるわけじゃないんだよ。誰も傷つかないことを書いてみたらいいよ。皆んながワクワクしてウキウキするような、そんなことが書けたらなって、たまに思うんだ。けれど、ボクには何も思いつかないな。君はどう?」

 パルコはそんなこと簡単なことだと思った。なぜなら、いつも考えているからだ。

「皆んなが皆んな、ワクワクするかどうかわからないけれど、自分だったらこうなれば面白いのになあ、なんて思うことはあるよ」

「じゃあ、書いてみればいい」

 ユニコーンの帽子の青年は優しくほほえんだ。そして、また言った。

「さあ、書いてみればいい」
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