未完成な僕たちの鼓動の色

水飴さらさ

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第一章

溢れる

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 由人は沈んでいく気持ちを誰にも悟られないように、体育祭中は、気を張り口角を上げていた。
 久場は午後の部も大活躍で、組対抗リレーでもアンカーを走る。そしてもちろん1番にゴールする。
 由人は、スタンド席で歓喜する大勢と同じように拍手をする。
 そんなにキラキラしないで、久場くんがかっこいいのはもう分かってるから……苦しいよ。
 笑顔を作りながら、由人は満身創痍だった。
 体育祭は大いに盛り上がり、青組は優勝した。
 高校生活、最後の体育祭で優勝したことに、クラス全体が興奮した。三の五は、放課後に教室で打ち上げをすることになった。
 由人は疲れ果てて、打ち上げには参加しなかった。
 早恵子達は、少しだけでも参加したらと、誘ってくれたが「頑張りすぎて疲れた、もうヘトヘト」と笑って断った。
 幸いなのは、あちこちで呼び止められているだろう久場とすれ違わなかったことだ。
 体育祭が終われば、受験勉強に本腰を入れなければいけない時期だ。
 教室で打ち上げなんて、もうこの先にないイベントだ。僕だって参加出来たらよかったと思う。雛ちゃんにも「かっこよかったよ」と言いたかった。パネルの準備を一緒にしたクラスメイトともたくさん話をしたかった。
 でもそれ以上に、今日はもう、久場の顔を見て長く話すことが上手く出来る自信がなかった。
 早く家に帰りたかった。
 電車に乗る頃、久場からメッセージアプリに通知が届く。
[由人がいなくて寂しい、ずっと頑張ってくれてありがとう、ゆっくり休めよ]と、由人を労う言葉だった。返信はしなかった。
 まだ人前だ。気持ちをしっかり持たなければいけない。
 すぐにスマホを制服のポケットに入れ、車窓を流れていく景色を眺める。
 ガタガタゴトゴト、耳を澄ませ揺れる電車の音に集中した。

 マンションの自転車置き場に自転車を置き、階段を駆け上がる。
 鍵を開け、逃げ込むように家に入る。
 時間は十六時半過ぎ。まだ家族は帰って来ていない、誰もいない。
「ああ、ぁぁぁ……あああーーー」
 声を出したら、だめで、胸が苦しくて息が上手く出来ない。
 部屋に入り、ベッドに泣き崩れた。
 ざわめく心を自分でも止められない、涙が次から次に溢れ出る。
「ひぁ、ぅぅぅ、ふぇっ、うう……あーーー、どうして……嫌だぁ、こんなのやだぁ……うっ、うぐっ僕は、ばかだぁ……あああーーー」 
 布団を被り、頭を掻きむしりジタバタともがく。
 苦し過ぎて何を口走っているのかももう分からない。苦しさの塊を、体から出しても心臓がぎゅっとなってまた苦しくなる。
 なのに……その辛さの深い方へ、自分から溺れていく。
 苦しさの元凶は久場大也。
 心臓を握りつぶしているのも、彼の無慈悲で大きな手なのだ。
「久場くん……」
 優しい久場くん、よく笑う久場くん、僕を軽々背負う久場くん、足が長い久場くん、久場くんのつむじ、僕を弟のようだと言う久場くん、博愛主義で優柔不断な久場くん、家族が大好きな久場くん、太陽の光がよく似合う久場くん、キラキラ輝いていた体育祭の久場くん、鉢巻を僕に巻かせる久場くん。
 どれも優しくて酷い久場くん。

 明日は日曜日で月曜日も代休だ。どんなに泣き腫らしてもいい。
「久場くん……久場くん」この部屋で切なく声にしても誰にも聞こえない。責められない。
 誰も見ていないのに、布団ですっぽり身を隠して、何度も名前を呼ぶ。
 その度に胸が締め付けられる。
 恋がこんなに苦しく切なく、甘いなんて知らなかった。
 唇から漏れ出す息は、焦がれた恋心のように熱い。
『鉢巻はお前にしてもらうって決めてた』なんでそんなことを言うの?
 友達にもならなければ、以前のように遠い憧れだけ抱いていればこんなに泣くこともなかった。
 それでも、僕は今日、彼の髪を触り、団長の鉢巻を巻いた。
 アポロンはその頭に常に月桂樹の冠を着けている。
 あの鉢巻は、僕にとっては月桂樹の冠。あの栄光を僕だけのもの。
 ぽろぽろと、涙が溢れ出る。
 報われない恋の辛さも、きらきらした思い出も、久場くんがいなかったら、僕の身には降ってくることのない光なんだ。
 自覚した恋はもう消せないけれど、この気持ちは僕だけの秘密。
 隠していれば、今まで通り友達でいられる。
 学校では笑っていられるように、今だけ……思いっきり泣こう。
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