断罪された悪役令嬢は、二度目の人生で処刑人に愛される

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第1話 処刑台の記憶

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 鈴の音が、ひどく遠くで鳴っていた。
 霧のような白に包まれた広場。人のざわめきが潮騒に変わって、私の耳には何も届かない。ただ、冷たく澄んだ空気が肺を刺し、木製の台に膝が触れる感触だけがやけに生々しい。

 「リディア・アルヴェイン。最期に言い残すことはあるか」

 声の主を見上げると、黒い外套の影と、硬い瞳だけがあった。彼――王国騎士団長、レオン・クラウス。私を罪人にした人々の列の最前に立って、私よりもずっと静かに息をしていた。
 私は笑った。喉が震え、血の味がする。

 「いいえ。もう、何も」

 風が髪をほどき、頬に張り付く。処刑台の板には幾筋もの刃の跡が走り、たくさんの“終わり”がここを通り過ぎていったことを物語っていた。
 私はゆっくりと目を閉じる。どうしてだろう。怒りも、悔しさも、恐怖でさえ、もうとっくに燃え尽きていた。残っているのは、ただ一つ――。

 ――私だって、静かに生きたかった。

 斬鉄の気配が空気を割った瞬間、鈴の音がふいに近くなる。
 ぴん、と細い音。刃が落ちる。世界が白へ、白が黒へ、そして何もないところへ。

 沈む。
 底のない水の中へ。
 でも、そこで私は見た。ひどく場違いな色を。

 ――花の金。

 誰の冠でもない、朝焼けの金。
 私は、その光へ手を伸ばした。

      *

 目を開けると、天蓋の布が揺れていた。
 絹の匂い。窓辺から差し込む光は、処刑台とは違って、やわらかく温かい。頬に触れるシーツの感触は新雪のようで、体の重さはなく、喉には血の味がない。

 「殿下」

 呼び声。
 私は反射的に上体を起こし――視界が眩む。細い指が布を握りしめる。白い。私の指じゃないみたいに、白く、痕ひとつない。

 「……殿下?」

 部屋の入口に、銀の髪の侍女が立っていた。年は私より少し上に見える。深い藍色の制服、胸元の紋章は鷲の片翼を抱く月。ルーヴェリア帝国皇族付の印――と、私は知っていた。知っているはずがないのに。
 脳のどこかが鈍く疼く。
 侍女は慌てて駆け寄り、枕を直しながら微笑む。

 「ご気分は? 夢見が悪かったのですか」

 私は口を開く。名を確かめるみたいに、ゆっくりと音を結ぶ。

 「……私は」

 鏡が運ばれてきた。
 覗き込むと、そこには私がいた。白金の髪、薄い紫の瞳――けれどリディアではない。形は似ているのに、名は違う。
 侍女が囁く。

 「セレス殿下」

 セレス。
 胸の奥で、何かが音を立てて収まる。
 私は頷いた。「ええ。……少し、長い夢を見ていたの」

 長い、長い夢。処刑台の冷たさ、刃の落ちる音、海のような群衆のざわめき。
 夢だと言い切るには、あまりにも骨の内側にまで沁みついている。
 私は両手を重ね、指の温かさを確かめる。生きている。ここでは――。

 「朝議の前に、御前へ。陛下がお呼びです」

 侍女――ナタリアと呼ばれていた人は、手際よく衣を整え、髪を梳いた。鏡の中の私は、帝国皇帝の娘にふさわしい姿へと整えられていく。
 私はそのあいだ、ひどく静かな気持ちで天蓋の縁を眺めていた。言葉にならない問いが、舌の裏に溶けて残る。

 どうして、二度目の朝を与えられたのだろう。

      *

 玉座の間は、白の石と金の線で描かれていた。
 床に敷かれた赤い絨毯を、私はゆっくりと進む。高い窓から差し込む光が、私の影を長く伸ばす。その先に、帝国皇帝――私の父がいた。鷲の紋章が織り込まれた外套、切れ長の瞳は鋭いが、私を見たときだけ微かに緩む。

 「セレス。顔色がよくないな」

 「少し、夢を見ました」

 父は顎を上げ、私の後ろへと視線をやる。「ならば、今日は守りを厚くする。……アレクシス」

 名が呼ばれた瞬間、空気が微かに変わった。
 私の背後の柱の影から、一人の男が進み出る。黒の礼装、胸には近衛の徽章。
 目が合った。
 私は呼吸を忘れる。

 硬い瞳――。
 処刑台の縁で、最後に見た、あの静かな瞳の色が、私を見ていた。

 「近衛騎士団長、アレクシス・ライネル。以後、セレス殿下の護衛を拝命いたします」

 低い声。
 彼は騎士の礼を完璧な角度で取る。
 顔つきも背格好も違う。生まれた国も違う。けれど、瞳は同じだった。
 私は微笑んだ。震えないように、唇を結ぶ力を少し強める。

 「よろしく、アレクシス」

 彼は一瞬だけ私の瞳の奥を覗くように見て、それから淡く頷いた。
 私の心臓は、胸の内側で軽く跳ねる。痛みではない。けれど、痛みよりも深い場所で、何かが剥がれた音がした。

 父は朝議の話へ移った。
 隣国との交易路の再開。宗教院との調停。王太子との婚約日程。
 そう、婚約――。
 私は視線をわずかに伏せる。前世の皮膚が、傷跡のように疼く。
 父の言葉が遠くなり、代わりに鈴の音が近づく。ぴん、と高い音。処刑台の朝、あの最後の合図。

 「……殿下?」

 横合いから、アレクシスの低い声。
 私は瞬きをして、現実に戻る。彼の視線は冷静で、しかし心配の気配を微かに含んでいた。
 私は首を振る。大丈夫、と唇だけで告げる。彼はそれを読み取り、再び無表情へ戻った。

 父の謁見が終わると、アレクシスが半歩前へ出た。
 「殿下。日程の確認と、護衛導線の説明を」

 「ええ」

 私たちは長い廊下を並んで歩く。大理石の床が靴音を吸い、壁に飾られた帝国歴代の肖像画がこちらを見下ろしている。
 私は横顔を盗み見た。
 彼は前世の“レオン”ではない。けれど、身に刻まれた律法の匂いは同じだ。命じられれば刃を下ろす、人の形をした秤。
 私は問わなかった。
 ――あなたは、覚えていないの? 私を。
 そんな問いは、あまりにも愚かで、あまりにも危険だった。

 「殿下」

 「なに?」

 「先ほど、玉座の間で。視線が遠のきました。……ご体調に問題が?」

 私は笑みでごまかすのをやめた。
 「夢を見ていたの。昔の夢。……処刑台の夢」

 彼の足が半歩だけ止まる。
 すぐに歩調を戻し、何事もなかったように続けた。
 「悪い夢です」

 「ええ。ひどく、長い夢」

 彼は何も言わない。
 私は彼の横顔をもう一度見た。声帯の奥が微かに震える。

 「アレクシス。あなたは――夢を、見る?」

 「夢を?」

 「昔の誰かの、終わりの夢。鈴の音と、白い朝の光。……そういうの」

 しばらくの沈黙。
 廊下の尽きる先に、庭園の緑が広がっていた。
 彼は、わずかに瞼を伏せた。

 「時々」

 「どんな夢?」

 「処刑台です」

 私は、心臓が落ちる音を聞いた。
 彼は続ける。「顔は見えない。けれど、女の声がする。静かに笑っている。……私は職務を果たす。夢の中の私は、嫌悪も憐憫もなく、ただ秩序を維持する。夢はそこまで。最後は鈴の音で目が覚める」

 吐き気がした。
 けれど、私は吐かなかった。指先に力を込め、手袋の内側の縫い目を爪でなぞる。ここは今世。私はセレス。彼はアレクシス。
 前世は、もう終わったはずだった。

 「それは、悪い夢ね」

 「ええ。なぜか――目が覚めると、胸が痛む」

 彼は淡々と言い、私を見た。
 「殿下。今日は人が多い。外へ出るなら、私から離れないでください」

 私は頷く。「離れないわ」

      *

 午后の庭園は、絹のような風が吹いていた。
 私は東屋の白い柱にもたれて、遠くの噴水を眺める。アレクシスは三歩後ろ。近すぎず、遠すぎず。警護の理想距離。
 私は息を整え、心の中で言葉を並べ直す。
 ――二度目の人生では、静かに生きる。
 誰とも争わず、誰も傷つけず、誰の刃にもかからない場所を選ぶ。
 そのための“仮面”を、私はまた用意しなければならない。

 「殿下」

 「なに?」

 「本日、宗教院から使者が。枢機卿ヴァルナーの名で、王都大聖堂の改修式へのご列席を願い出ています」

 ヴァルナー。
 音だけで、喉が乾いた。前世の処刑状に彼の署名があったことを、私は確かに覚えている。
 ここでも彼は、力を持っているのだ。国が違えど、権力の嗅覚は似た場所で肥える。
 私は笑った。微笑に過ぎない角度で、しかし自分に向けて。

 「出席するわ」

 アレクシスが一瞬だけ眉を動かす。「危険です」

 「どこにでも、危険はあるでしょう。家の中にも、寝台の上にも」

 「しかし――」

 「あなたがいるでしょう?」

 彼は言葉を飲み込んだ。
 私は目を閉じる。鈴の音が、近づいたり遠のいたりする。
 処刑台の朝と同じ音。けれど今度は、その音に合わせて私が歩く。誰かに連れていかれるのではなく、私の足で。
 前世の私ができなかったことを、今世の私がやる。
 逃げない。
 抗わないでも、屈しない。

 「殿下」

 アレクシスの声が、やわらいだ。
 「恐れないのですか」

 「恐れているわ。ずっと」
 私は振り返る。「でも、恐れは隠すものじゃない。抱えて歩くものよ」

 彼の瞳に、淡い光が宿った。
 「……了解しました」

      *

 大聖堂の扉は、夕刻の光を受けて金に燃えていた。
 広場には街の人々が集まり、祈りの歌を口ずさんでいる。白い階段を上るにつれ、私の胸は静かに高鳴った。
 扉のすぐ内側、燭台の影から現れた男が、深い紫の法衣を揺らして微笑む。

 「ようこそ、セレス殿下」

 ヴァルナー枢機卿。
 前世の記憶が血肉になっている私の前で、彼は礼儀正しく頭を垂れた。
 私は一礼で返す。
 「お招きありがとう、枢機卿猊下」

 「あなたのご臨席は、帝都の誉れ。――どうか、祈りの席へ」

 アレクシスが半歩出て、私の前に立つ気配を示す。私はそれを袖の軽い合図で制した。
 大聖堂は天井が高く、音がまるで星屑のように舞い上がっては消える。
 私は祭壇を一度だけ見た。白い石。処刑台の板と違い、刃の跡はない。
 けれど、静かな鈴の音はここにもあった。

 祈りの言葉が始まる。
 私は目を閉じた。
 女神イリュシア――誰かの名が、人々の唇から溢れる。
 私の脳裏には、処刑台の朝に見た“花の金”がよぎる。
 もしあれが女神の計らいだったのなら、私は二度、生を受けた。
 二度目の死も、また――与えられているのだろうか。

 「殿下」

 耳元に低い声。アレクシス。
 「不穏の気配」

 私は目を開く。
 視界の端で、人影が動いた。祭具庫の陰、黒い影が一つ、二つ。
 アレクシスはすでに動いていた。
 私は祭壇の白を見つめ、深く息を吸う。
 恐れは消えない。けれど、私の足は止まらない。

 ――二度目の人生で、私は生きたい。
 静かに、しかし背を向けずに。

 鈴の音が、今度ははっきりと近くで鳴った。
 私は微笑む。処刑台で笑ったときと同じ、最後の強がりとは違う、ちゃんと自分のための笑みで。

 「行きましょう、アレクシス」

 「御意」

 刃が落ちる音はしない。
 かわりに、足音が響く。私の、そして彼の。
 ――これは処刑台ではない。
 始まりの階段だ。
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