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昼休憩後の世界(10)

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 物置から持ち帰った媒体、もうサポート終了なんて概念すらないような、よく動くなぁと感心するようなソフトを次から次へと入替えてインストールしていく。時々、媒体にシリアルコードが記載されていないものは、梅先さんが「これこれ」と、何代にも渡ってメールの転送を繰り返し、使いまわしているらしいいくつかのシリアルコードを入力していった。もう僕は、この世界のこの国のこういう会社ってこういうものなんだ、としか思わなくなっていた。
 僕は梅先さんに言われるがまま、CDやらDVDやらを入れたり出したり初期設定をしながら辺りを見回してみた。朝、死ぬほど驚かされた謎の人物、僕に “梅先氏” と言う、呼称を印象付けてくれた、謎な男八武さんは、相変わらず奇妙な振り付けで小刻みに踊りながらコーヒーサーバに注ぐ水を運んでいく。よくあれで零れないな、と感心していたら、後ろからやってきた茶山さんに注意されていたから、給湯室からずっと水を溢し続けていたようだ。耳をそばだてれば、八武さんが「自分、気が付かなかったでつよ。あいわかったー。モップでふくでつよー でもモップどこでつかね?」と、でつでつ特殊な方言で茶山さんに答えていた。八武さんの相手が終わった茶山さんはこちらへとやって来て「梅先くん」と梅先さんに声を掛けた。
「お昼、古津くんの捜索、ありがとうね。助かったわ。あら? 紫野くんは?」
「いえ、どういたしまして。紫野は、今頃きっと……」
 遠いところですよ、茶山さん。遠いところです。むしろ捜索が必要なのは、古津さんではなく紫野さんになるかもしれません。
 言葉を切った梅先さんの心中を察した僕は、そっと心の中で呟いた。
喫煙ルームたばこべやかしら?」
 茶山さんは、フロアの奥の扉を眺めた。
「いえ。もっと遠いところだと思います」
 梅先さんは、茶山さんにふっと笑いかけた。それは哀愁を帯びた笑いに見えた。
「あらあら。煙草吸いに外まで行ったのかしら? 外、冷たい風が吹いているのにねぇ。今朝、あんなに暑かったのに、今はぐっと寒いわよ~」
 察してあげてください、茶山さん! 梅先さんの胸の内を! 紫野さんに至っては極寒の土地、最果ての世界まで逃げたいところでしょうが、まあ所詮人間が出来る範囲でと言うのがお気の毒でなりません。
 僕は画面に指示に従って、パソコンから出てきたトレーに次のCDを入替えた。
「まあ、紫野くんのことだから、その内帰って来るわね。何せ、かるぅ~いから、ほら、アレが。なんだったかしら、ね、鳴海さん。ほら、あれ、紫野くんみたいなかるぅ~い感じの」
「え? あの、の、ノリ、でしょうか」
 突然話しを振られた僕は、答えつつももう胸がちょっと痛くなってきた。
「そうそう! ノリよ、ノリ。あの子、ノリが軽いからなんてことなく帰って来るわね。だって、納期が近い時も、徹夜が続いた日の朝も、鬼切くんに怒られた後も、かるぅ~いもの~」
 うふふふ、と軽やかな笑い声を立てた茶山さんに、ハハハと梅先さんは乾いた笑いで返していた。『納期。そう、納期。締切目前なんだよ。紫野、死んでも仕事しに帰って来い』そんな梅先さんの心の声が聴こえて来そうだった。
「じゃあ、紫野くん、帰ってきたら、古津くんの件、お礼を伝えて頂戴ね」そう言って、茶山さんは総務のエリアへと戻って行った。その後を、発見された古津さんが追いかけどうやらモップの在り処を尋ねているようだった。僕の同期の古津さんは、隣のグループ、三戸さんと言う方が管理されている部署に配属されたらしい。それは八武さんの後輩になったと言うことだった。
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