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帽子屋

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業務終了の世界

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 暗黙の了解的問題だらけの初期設定作業をつつがなく終える頃、大きく取られたフロアの窓には夕焼け色の光が差し込んできた。時間の進みが速いこの世界は、光の変遷が目まぐるしい。そして。素直にきれいだな、と思う。僕は夕焼けより朝焼けの方がどちらかと言えば好きだけど。そう言えば、何故だか今だにわからないが、数ヶ月前、職業訓練校のレクリエーションの一環で、それに参加しなければ単位がもらえないと言う、半強制参加の遠足、高尾山の頂上から見た夕焼けがきれいだったことを思い出した。あれは、一体どういう趣旨で、あそこまでの強制力が必要なんだろう。レクリエーション、コミュニケーション能力の開発と言うことなのか。あれでその能力が開花するとも思えないけど。情報省の若手調査員たちが、数名単位のグループに分けられて、互いの素の要素、素要の能力を相互的に協力させられなければ死を覚悟せよ、みたいな集団訓練をするって話を聞いた事があるけど。勿論僕はそんなものに参加したことはない。
「そろそろ定時になるね。今日はここまでにしておこうか。結局、新香さん、来なかったし」
 インフラ担当の新香さんは、今日は、会社にたどりつくことが出来なかったのか諦めたのか、現れなかった。現れなかったかと言えば、八武さんと古津さんのグループの人も、この二人以外見ていない。
「17時半になったらすぐに退社出来る様に、帰りの支度、していいよ。パソコンはそのままで。後は俺がやっておくから。鳴海さん、今日は朝から大変だったね。お疲れ様」
「あ、有難うございます。お疲れ様です」
 僕はぺこりと梅先さんに頭を下げた。
 机の上に出してあった、私物の小さなノートとボールペン、それから水筒を鞄にしまった僕は、画面右下のデジタル時刻表示が――この時計の存在はこの世界に来て驚いた一つだけど――17:30となったのを確認して立ち上がり、梅先さんに「お疲れ様です。お先に失礼致します」と再び頭を下げた。梅先さんは「お疲れ様。明日からも宜しくね」と、少し焦った表情を浮かべながらも返してくれた。その表情の原因は、梅先さんのディスプレイに出ていたエラーメッセージ、コンパイルが通らない……だと思う。その為か、すぐに梅先さんは僕から視線をディスプレイに戻し、何かを呼び出すが如く、口の中でぶつぶつと唱え始めた。
 何も呼び出されませんように。
 僕は心底そう願って、その場を離れた。会社の玄関を出る前に、総務エリアを通るがそこにはもう茶山さんの姿はなく、初めて見る男性が一人、今まさにタイムカードを打刻機に入れガシャンとレトロな音を響かせていた。
「あ、新人さんでしょ? 鬼切さんのところの」
「は、はい。鳴海と申します。宜しくお願い致します」
「僕、総務の清涼です。宜しくです。えーと、鳴海さんのタイムカード、用意しておいたんです」
 そう言って、清涼さんは一枚の日付が書かれた厚紙を見せてくれた。
「これ、ここ入れておくから、明日朝来たら、この打刻機に入れてね。もし、ここが “出社” になってなかったらこのボタンを押して。この会社、皆、朝来るのぎりぎりだから、だいたい新人さんが一番早く来ると思うです」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ。じゃ、下まで一緒に行きましょう」
 清涼さんは、先に歩き出し、ドアを開けてくれた。僕は恐縮しながら足早にそのドアを通り抜け、エレベーターホールへと向かった。エレベータを待つ間、今朝、ここに辿りついてから、9時間弱、たったそれだけなのに、疲れがどっと押し寄せてきた。ビルのエントランスを出ると、冷え込んだ空気が立ち込めていた。清涼さんはどうやら僕と同じ駅から電車に乗るようで、その道すがら今日は社長代理の部長も総務部長も隣のグループのマネージャーも会社には来なかったこと。入社に際しての新人への話とやらは、明日かもしくは翌週へ持ち越されたらしいことを教えてくれた。なんでも、社長代理はワインの会への出席、総務部長はテニスに出かけ、隣のマネージャー、三戸さんは、今朝の電車遅延による駅構内超絶混雑に、電車に乗る前に心が折れて自宅に帰ってしまったと「ここだけの話」と前置いて教えてくれた。
 僕の初任務、初潜入調査先、4月1日、本日入社した株式会社SEI(エスイーアイ)はそういう会社らしい。自由な会社なんだなぁ。
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