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帰宅後の世界 #3

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「なになに。ようするに、極秘任務のお姫様探し、お目当てのお姫様がいなかったってこと?」
「はい。会社にいる女性は妙齢の茶山さんぐらいで、あとは外に派遣に出されている契約社員の方たちみたいで」
「そっちの可能性はどうなのよ」
「ですが資料によれば姫は正社員で本社勤務ということなので……」
「でた、資料! あのねぇそもそもその資料が怪しいと思うんだけど。だいたい、お試し期間……」
「訓練期間です」
「細かいわね。お試し保育みたいなものだからいいのよ。その訓練期間の訓練先のコースが2年から半年になってたって段階で、相当いい加減でしょうが。情報省ってそんなんでいいって初めて知ったワ」
「僕、表向きは超僻地の辺境調査なんで。全く重要視されてないんです。僕がもしこの世界で消えても、表向きにはきっと数万年後くらいに、何かのついでで廃棄資料の中からこの調査が見つかって”そう言えばこんなのあった気がするね。結局なんだっけ?” ぐらいに気付いてもらえれば良い方とか、それぐらいなものなんです……↘凹」
「はい凹まない。それにしたって、そんな資料、アテになんないわよ」
「でもっ 資料がアテにならなかったとしたら、僕、どうしたらいいんですか?」
「そうねぇ。まあお姫様が素直にこの世界の人間に照らし合わせた年齢や女の姿でいるとも限らないけど、とりあえず、その最悪な上司の相手をする前に、会社にいるおばあさまと契約社員のコたちを当ってみたら?」
「それってどうしたらいいんでしょう?」
「契約社員が派遣されてるところに異動願い出すとか」
「入社2日目で異動願いとか、ちょっと無理かと思います」
「ダメなの?」
「多分」
「パワモラ上司に耐えられませんとか言ってもダメ?」
「パワモラ?」
「パワハラ、モラハラの略ヨ」
「パワハラ、モラハラと呼べるほどの攻撃を今日はまだ受けてないかと……客観的に今日一日を振り返ると、僕が一方的に恐れ慄いていただけで、鬼切さんから直接攻撃を受けたわけではないので」
「突然の冷静な分析ネ」
「有難うございます。加えますと、正直、今日はこの世界の仕事も、極秘任務たる仕事も何もしておりません」
「それは、それこそ初日だからいいんじゃない? さておき、そしたら、その鬼切とか言う上司に、背後からでも近付いて陛下の伝言をささっと伝えたらいいんじゃない? それでお姫様だったら呪いだか魔法だかが解けるんでしょ?」
「背後じゃダメですよ。まっすぐに相手の目を見て、一言一句大切にお伝えしないと」
「ナニソレ。何の罰ゲームよ。マジで」
「それに。もし、鬼切さんが姫ではなくて、更にこの世界の人間でもなくて、こちらの可能性、僕としては非常に高いと思うんですけど、だったとして、陛下のお言葉で僕はこの世界の存在ではないと知れたらまずくないですか? 少なくとも全く微塵も友好的種族だとは思えません」
「そうねぇ……ナルちゃん、この世界のチワワ並みのオーガでも戦うとなったら手こずりそうだもんねぇ」
「チワワ……」
「困ったわねぇ」
 科戸さんは、右手の肘をつき手の甲に頬を乗せながら、逆の手でワイングラスをくるくるさせて僕を見つめた。困ったと言っているものの、その表情はどこか楽しげにすら見える。そのRomanée-contiと書かれたボトルのワインが程よくまわってホンワカしてるのかな。そんなに美味しいのかな? お子様はダメって言われるけど、僕もちょっと味見してみたい気がします。一応、僕、この世界では成人してますしね。法律的には大丈夫。
「あの、そのワイン、僕も味見しても……」
「ナルちゃん」
 あ。やっぱりダメですか。味見。
 科戸さんは、くるくるさせていたグラスをピタリと止め、まっすぐに、酔っ払いと真剣の間くらいの眼差しで僕を見た。
「はい」
「その鬼切って、王子様って言ってたからには男なのよね」
「え? ええ。まあ。男性ですね」
「篭絡しなさい」
「ロウラク?」
「ナルちゃん、誰の趣味だか知らないけど女の子になってるでショ?」
「趣味、ではなく、作戦の一環だと聞いておりますが」
「いいの」
「はい」
「だから、女を武器にその鬼切とか言う人間(仮)を色仕掛けで篭絡するのヨ」
「え?」
「まぁ今は媚眼秋波ビームとか特殊技が繰り出せないまでも、ドジっ子眼鏡がひたむきな努力でその鬼教官のしごきにたえて立派に成長……ドジでのろまな亀が、いつしかガメラかパタパタになって空を羽ばたく……アリだわ」
 ナイです。無いと思います。
 荒唐無稽にも程があります。なんのドラマかアニメの見すぎですか。教官ではなく上司ですし……パタパタって何? ツッコミたい気持ちはやまやまでしたが、酔っ払いと真剣の間、そしてドヤ顔の科戸さんに僕が何かを言えるわけもなく、その後、「方向性、決まってよかったわー。面白くなりそうね」と何かを含みつつも満面の笑顔でにっこり笑う科戸さんは気分を良くしてカパカパとグラスを傾け、「飲みまショ。おこちゃまはほんとはダメだけど、今日だけ特別ヨ」と僕の前に浮いたグラスを寄越してワインを注いだため、あっという間にフワフワ気分になった僕は、ますます科戸さんの方向性に異を唱えることは出来なくなってしまった。

 日付が変わる頃、僕は明日も出勤であることをフワフワの中で思い出した。
「しにゃとさん、ぼく、あしたもしごとなんれ、かたづけして……ねまふ」
呂律が回ってないことも、あんまり気にならないぐらい酔ってしまった僕はふらふらと立ち上がった。
「あら。そうね、もうこんな時間。お子様はもう寝ないとね。片付け、いいわよ。彼らにやってもらうから」
 そう言って科戸さんは、机の周りの空気を撫でるように掌を振った。
「よく躾けられてるみたいだから、後は彼らに任しておけば大丈夫でショ」
 言うが早いか、きびきびとした無駄のない動きで机の上の食器や残された食事やデザートは宙に浮き、キッチンへと運ばれていく。
 残った食べ物が捨てられてしまうのではと心配した僕がその後をついていくと、やはり淀みのない動きが、きちっとサランラップやジップロックを駆使して理路整然と納めるべき場所へと配置されていく。シンクの蛇口が開かれ、お湯が出始めると僕が気に入っているサカナの形をしたスポンジが小気味良い音を立て皿を洗い始めた。
「あ、ありがとうございまふ。ぼく、みなひゃんのすがた、みえないんれすけど、たすかいまふ。おやすみなさい」
 僕は僕の代わりに後片付けをしてくれている姿の見えない何かに、お礼を述べてぺこりと頭を下げた。顔を上げると蛇口のお湯は止まっていて、やはり姿は見えないけれど、懐かしい雰囲気がなんとなく僕を見ているような気がして「おやすみなさい」僕はもう一度そう言ってキッチンを後にし、リビングの科戸さんのところへ戻った。
「しにゃとさん、おやすみなさい」
「おやすみー」
 科戸さんに挨拶をして廊下へ出ようとした僕は、やはり科戸さんはまだ気付いていないらしい毛の縮れをみつけ、そしてそこに仄かに残る熱にある人を思い出した。
 まさか、ね。あの超多忙な方が来られるわけないし。
 僕はぼんやりと思いながら廊下を歩き自室へ入るとそのままベッドへとダイブした。半目で窓を見れば、月が僕を見ていた。
 長官。僕、頑張ります。
 月齢18.7 81.8%ほど輝く月に僕は誓って、シンと冷えた空気に急かされるように布団の中へもぞもぞともぐりこんだ。次第にぬくぬくと温まる布団の中、僕は押し寄せてくるモコモコの愛らしい睡魔の群れに身を委ねはじめた。眠りに落ちていく中で建物の振動を感じたが、けたたましく心臓に悪い警戒音が携帯から発せられることもなかったので、この国特有の地盤の揺れではなさそう。きっとモコモコ睡魔の大群の地響きだ。そうに違いない。そうして僕は、ふと感じた望郷の匂いに包まれながら目を閉じた。

「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
 鏡の前。震える指は絶句の後、手にしていたタングルティーザーを床に落とした。一弾指、空気は止まり、そして絶叫が響き渡った。
「俺の自慢の髪が!!! あんのやろう!!! 小賢しく結界まで使って縮れ毛を演出か?! ふざけんな!!!」
 荒れ狂う科戸の部屋からは竜巻が発生し、外へ飛び出した怒りは彼らのマンション自体を暫く揺らしていた。
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