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3日目の世界(1)

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 ――週末をはさんで入社3日目。
 時を戻そう。
 と言っても、僕にはそんな能力ありませんけどね。この世界の単純時間でさえ、操るには相当高度な魔法、技術が必要。あの科戸さんですら「時間になんて手を出せないワヨ。めんどくさいし、半端なく疲れそう。昔、ちんちくりん……陛下が輪廻に手をつっこめるやつがいるから探しに行こうってバカみたいに巨大な古代書に影響されてその気になってたのを止めるのに苦労したワ」って遠い目、そう数百万年ぐらいを過去見るような目で言ってたぐらいですから、ぼくみたいなヨリナシには夢物語。そう、こやって狭い車内に押し込められているこの世界の人間たちと大差ない……あ、なんか悲しくな……ムギギギギ……つぶれ、ます……。
 相変わらず緑が目に眩しい電車の乗車率はすごかった。ドアが開くたびに次から次へと押し入ってくる人間たちに僕は四方八方から押しつぶされながら、車内の奥へと押し込まれる。ああ、これじゃまた降りるときが至難の業……。
 この擬態、もう少し身長が欲しかったな。数多くいる周囲の男性の胸の辺りぐらいまでしかないこの身長で乗るラッシュの車内は苦行だ。空気は悪いし呼吸さえ一苦労。なにせこの肘が、肘が、肘が、顔の近くで当たって痛いです。そこの壮年の方、たかだかご自身の極狭エリアを主張するために、肘を突き出すのをやめて頂きたい。あなたが肘をはるからそこの青年がそれを回避するために前後左右に身体を動かすものだから、周りも微妙に身体を揺らさなきゃならないじゃないですか。
 くわえて電車が揺れて青年の体が肘出しおじさんにあたるたび、おじさんは舌打をする。その舌打を聞いた前の女性が白い目を向けるが、おじさんは横柄な態度をおさめるつもりはない。
 ああ、嫌な空気がぎゅうぎゅうのぼくのところまで漂ってくる……。
 青年は耐えているが、逆側のお化粧ちょっと濃い目の女性は、鞄でおじさんの肘にアタックをかけ始めた。その鞄のせいで、ちょっと濃い目女性の背後に位置する、僕と同じつるしのリクルートスーツを着た新入社員らしき女性は鞄からの攻撃を回避すべく必死に身じろぎしている。
 負の連鎖反応だ。まったくあなたがた、空も飛べず、時空トンネルも抜けられない、それにも関わらず毎日の出勤のためにこの苦行をともにする同属でしょ? 肘ぐらいコンパクトに折りたたんで、おとなしく電車に乗ったらいいじゃないですか。そしたら僕も、この負の連鎖がめぐりめぐって僕をむやみにこづいたり、人の壁が傾いて僕にのしかかってくることもないと思うんですよ。
 僕はこの世界の外から来たモノとして、まさに第三者的立ち居地、至極客観的に周囲の人間たちに声を大にして訴えた。心の中で。
 首都高速と広い国道を過ぎた駅で電車は止まり、僕は下車すべく体を動かしたがちっともドアに向かえない。「す、みません。おり、ます」声を出してみたが、人に押しつぶされている状態では大した声はあがらない。ようやく気付いてくれた人が少し隙間をあけてくれたが、時すでにおそく、ドアから乗り込む人間の波にまた奥へと押し戻されそうになる。
 待って、僕、ここで降りないと、もしかしたらこの環状路線一周しちゃうかも?!まだ出社3日目なんです!しかも”新人のやること”が用意されていて遅刻はできないんです!
 脱出できない恐怖からパニックに陥りそうになった僕は、涙目になるのをこらえてドアに手を伸ばす。
 発車のアナウンスがホームから聞こえる。待って! 降りる! 降ります! 僕の叫び(心の中)は虚しく、ドアは無情にも閉ざされようとした。
 自動ドアは鈍い音とともに10センチほど戸袋から顔を出し、そこで一旦動きを止め、一呼吸のあと完全に僕の脱出口を閉ざそうと再び動き出したが、ギャア!とヒィ!が混ざった奇声が奇跡を起こした。
 僕の目の前で、あの肘出しおじさんが、今度は肘ではなく、わずかに開いていた自動ドアの隙間めがけて頭を突き出した。ドアはその首をなにごとでもないように挟み、おじさんの頭は電車からホームに向かって生えたキノコのようだ。
 おじさんの衝撃も相当だったと思うが、周囲にいた人間たちへの衝撃は筆舌しがたい。一瞬、朝の騒然とするその場が無音になったぐらいだから。もちろん僕も目の前で起きた衝撃に心の声すら失った。
 ホーム側から緑の電車から突き出たおじさんの生首状態の頭を見ていた人たちは尚更だろう。僕の世界と違って、斬首や生首はそんなに日常的なことではないだろうから。もちろんおじさんの首は無事だったが、僕を含め、車内にいた人間たちはそのとき知らなかった。おじさんの頭は落ちなかったけど、おじさんの頭にあったものはホームと電車の隙間に吸い込まれるように落下していたことを。今思えば、今朝の固定が甘かったために、電車の振動で滑り落ちそうになるそれを、おじさんは必死に守るために肘を突き出していたのかもしれない。
 沈黙を破ったのは、どんなときでも慌てることなくクールに仕事をこなす愛すべき公共交通機関だった。電車は数あるドアの挟み込みの中でも異物と言って過言ではないだろうおじさんの首に反応し、ガコっと音を立て冷静に扉を開いた。もちろん、出発は時刻を過ぎても見送られた。扉があいた拍子におじさんはホームに転がりでる。その勢いで僕も転がり出ることに成功。成功というほど能動的なものではなかったけど、とにかく、僕は電車からホームへと無事脱出することができた。
 脱出の勢いと、かかとがほんのちょっと高い、まったくもって履きなれない靴のせいで体勢がななめになったままおじさんを見れば、いてもたってもいられない様子で熱い熱いとわめきながら上着を脱いでいる。ホームには4月にしては冷たい風が通り抜け、おじさんの頭上はそれはそれは涼しそうなのに……。
 僕と同じことを考えた車内と車外のひとたちの視線がその一点に集まるが、おじさんはそれどころではないらしい。ホームでは安全確認を行うとアナウンスが流れ、駅員さんが走ってやってくるのが見える。
 まずい、急がなきゃ。
 おじさんと一緒に転がり出たことで、なにか勘違いを受けて僕まで駅員さんの質問攻めにあっては遅刻してしまう。悪いことはしていないはずなのに、なぜか不安を感じた僕は迫ってくる駅員さんに声を掛けられないよう、足早に、しかし気持ちは急いてもなれない靴で不恰好な足取りのままホーム下の改札へ通じる階段を下りた。
 ああもう。このヒールがある靴って歩き辛い!
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