雪原脳花

帽子屋

文字の大きさ
2 / 109
第一楽章

しおりを挟む
 affettuosamente
 ”優しく 愛情深く”




 輪郭もおぼろげな柔らかい光が、世界一杯にキラキラと舞う。色はまだわからない。明るさの違いは何となく。
 薄闇の中で、暖かく包まれ守られていた場所から、不本意にも放り出されたここは、全てが刺激に溢れている。何より、前と比べて居心地が良くない。周りでは、帰りたくて泣いているやつもいれば、腹を空かせて喚くやつ、放り出されショックから立ち直れないやつ、刺激に翻弄されて放心状態のやつもいれば、ひたすら眠りこけているやつもいる。

 そして僕はと言えば。

 捕まえたいと考えている。あれを。

 なんでこんな騒々しく、眩しい場所に出されてしまったのかと、うとうとしながら考えていた僕に、そっと触れたあの何かを。触れた感触が離れていくのが嫌で、この不自由な世界の前にいた、もう少し自由に身体を動かせていたあの時にしていたように、僕は自分の身体を “ぎゅっ” としたら、触れているその一つを捕まえたらしい。そうしたら、優しい音が、いくつもいくつも落ちてきた。あの滑るように動く捕まえた何かが、僕の身体にも付いていて、思い通りに動かせるといいな。そうしたら、あの音をもっともっと降らせたい。それから、この目の前でキラキラ気になる光を捕まえたい。

「ねぇ。見て。あの子。あんなに小さな指を広げて、手を伸ばしているわ」
「本当。可愛いわね。女の子かしら。顔が可愛いもの」
「ねえ、見てあの子。なんて可愛いの?」
「本当に。天使みたいね!」

 新生児室へやって来た、マタニティセミナーの参加者たちは、セミナー講師の説明が済むと、ガラス越しに見える小さな命たちを眺めては、無意識にか自分たちの腹を撫でながら、口々に「可愛い」「小さい」「天使のよう」を連呼して、柔らかで幸せな笑顔の花をそこら中に咲かせていた。
「もう少ししたら、私たちもあの可愛いベビーを抱けるのね」
 キャシーも、自身の大きくなった腹に視線を落として優しくさすると、このセミナーで同室になったアマンダへ幸せな笑顔を向けた。キャシーの屈託の無い顔を見て、アマンダも嬉しそうに笑った。
 ほころぶ花畑の一団を、新生児室の端にあるミーティングスペースへと誘導した講師は、高揚する彼女たちの顔を眺めながら、午前の講義を締めくくる話を始めた。
「ここにいるベビーたちは、皆、皆さんのベビーと同じく、ギフトを贈られた子供たちです。ですが、まだ世界の全てのこれから生まれてくる子供たちに、ギフトが贈られているわけではありません。今、世界は未来に向けて、これから生まれてくる全ての子供たちにギフトが贈られるように、GATERS(ゲーターズ)が次世代の人類となるようにと進み、私たちNeoGene(ネオジーン)社も、世界と共に歩んでいます。しかし……」
 講師は一度ここで言葉を切った。親になる準備段階の彼女たちは、口を閉じ講師へと目を向けた。
「しかし、セミナーで繰り返し説明を受けているとは思いますが、ギフトが100%の期待通りである保証はありません。だからこそ、ベビーにギフトを贈ることが認められてから、子供をもつことに資格が必要になり、親となる私たちはその資格に見合うだけの責任を果たさなければならなくなりました。法により、責任を放棄すれば、罪に問われることになりますが、それ以前に、親の資格を得た、責任ある一人の人間として、子供を育てていかなければいけません。リボンを解いたギフトが期待から少し外れていても、或いは期待通りのギフトだったとしても、それを贈ったから、それでおしまいとは決してならないのです。ギフトはあくまで、その子の将来へのささやかな糧であり、子供の将来を約束するものではありません。ここにいるベビーたち、そして皆さんのベビーの将来は、皆さんの養育に責任があるのです。皆さんは、それを決して忘れてはいけません。パートナーがいる方は、勿論パートナーとも話し合うべきですね。では、午後のセミナーでは、新生児のケアについて体験して頂きます」
 講師は、一人ひとりの顔を見るように頷きながら、ランチタイムは1時間半ですと告げ、ドアを開いた。


■■■


 明るく開かれたカフェテラスでは、妊婦たちがいくつかのグループに分かれてテーブルを囲んでいた。妊娠周期によってセミナーは各コースに分けられ、ランチタイムもランチのメニューもコースに応じて分かれていた。
 キャシーが胸にぶら下げたコースタグをスキャンした配膳ロボットが “サードコースメニュー” と表示されたメニューを目の前に投影させた。キャシーは宙で左右に手を振り、宙空の立体映像を何度かスライドさせると、その中から、さっき見た新生児の手のような小さなクッキーがデザートに添えられたプレートを選び、先に進んだエリアで選んだランチを受け取るとテーブルに向かった。
 キャシーは日当たりの良い席に座りフルーツジュースを飲んでいると、アマンダがやってきて向かいの席に座った。アマンダのランチプレートは、彼女らしい、一流企業で働くキャリアウーマンが選びそうなプレートに見えた。
「どうしたの?」
 一人納得したそぶりを見せるキャシーを見て、アマンダが尋ねた。
「うん。クールなアマンダらしいチョイスだと思って。そのランチ」
「何を言ってるの」
 アマンダは、凛とした整った顔を崩すことなく笑った。
「キャシーはどうしてそれにしたの?」
「このクッキーが可愛くて。あの一生懸命ちっちゃな指を広げていた赤ちゃんの手みたいでしょ?」
「本当。かわいい。そんなクッキーあった? 気付かなかった」
 キャシーはクッキーの一つをつまむと、パクリと口に放り込んだ。
「でも、食べちゃうのね」
「そう。食べちゃいたいぐらい、可愛かった」
 二人はそろって笑うと、さっそくランチに取り掛かった。
「さっきの話し、プレッシャーだなあ……」
「?」
 しばらくして、メインを頬張ってたキャシーが突然動きを止めた。その姿が、リスかハムスターのようで、アマンダは内心笑いそうになるのを堪えた。
「……。アマンダはいいけど……」
「キャシー、話しが全く見えないわ」
 にんじんをつつきながら下から様子を伺うようなキャシーの目が、ますます小動物を彷彿させた。
「ギフトが期待通りじゃないかもって、それは、いいんだけど、いや、良くはないけど、そういうものなんだろうし、だけど、責任、責任と言われると、不安になる……。アマンダみたいに、頭も良くて、クールでかっこよくて美人で、何でも出来たら心配ないと思うけど。私は、子育てを考えると不安……自分が、あのクズのような人間にならないか、子供に私のような思いをさせないか、不安……。それに、私が持つクズ人間の遺伝子が、ギフトで帳消しにはならないよね……。親の資格、剥奪されないかな……」
 アマンダは、キャシーと部屋で、お気に入りの音楽で盛り上がりながら、まるで子供のお泊り会のように話をした時を思いだしだ。あの時もキャシーは、ふと思い出したように、訥々と話し始めた。幸せとは無縁の子供時代を。妹を失ったことを。どうして自分にそんな話を教えてくれるのか、アマンダにはわからなかったが、国においてきた妹を慰めるように、静かにキャシーの話しを聞いた。
「キャシー。心配することはないわ。ギフトに関係なく、子供の将来は養育にかかっている、と言っていたのは、遺伝が全てではないってこと。あなたは、素敵なお母さんになる。だから、あなたのベビーは素敵な人間になるわ。私が保証する。あなたは、ちゃんと資格も取ったし、こうやってセミナーにも参加している。一見恐そうで動かない鳥みたいだけど、優しいパートナーだっているじゃない」
「ハシビロコウ」
「そうそう。ハシビロコウ。ハシビロコウが一緒だから大丈夫、ね?」
「アマンダ。慰めてる? 笑わせてる?」
「両方よ。兎に角、元気出して!キャシーの取り得は、笑顔と可愛さと元気よ!」
「それは、褒めてる?」
「勿論! 頭も良くて、クールでかっこよくて美人で、何でも出来る私が言うから間違いないわ」
「自分で言うかな……」
「あなたが言ったのよ」
 そうだね、とキャシーは笑いながら、食事を再開した。メインを終える頃には、キャシーは不安から解放されたようだった。
「ここのご飯、美味しいよね。ご飯が美味しいところで本当に良かった。これなら、何度泊まりのセミナーがあってもいいな」
「キャシーにとっては、マタニティセミナーもサマーキャンプね」
「泊まりのセミナーで、ご飯が美味しくなかったら悲しいでしょ? そこは、さすがネオジーン。こんな有名大企業で、ギフトのオーダーとマタニティセミナー、それに出産まで出来るなんて本当にラッキー。世の中にたくさんある企業の中でも、ネオジーンここのマタニティツアーは人気でしょ?」
 何がさすがなのか、アマンダはつっこもうかと思ったが、あまりに幸せそうにキャシーがデザートを食べるので、黙っていることにした。アマンダは、そんなキャシーを見ているだけで、不思議と自分が救われるような気持ちになり、心なしか重たくなった身体も軽くなる気がした。
「人気だと思うわ。依頼人の人たちからも、ハヤマかネオジーンがいいけど、どちらもなかなか予約が取れないから出産日やスケジュールが決められなくて困る、なんて話しをよく聞くもの。今回依頼された方は特別に予約が取れたって……」
 じっと見つめる視線にはっとして、アマンダは話しを途中でやめた。覗き込むような瞳は、母国の短い夏に見上げる、大好きな空の色に似ていると思った。アマンダは眼鏡を外して、静かにキャシーの空を見て言った。
「私、代理母なの」
「うん」
「隠すつもりはなかったの、本当よ」
「うん」
 キャシーはスプーンを置いて、アマンダの言葉を待った。
「私は企業との契約ではなくて国と契約して代理母になったの。ヤーコンクス共和国が私の出身」
 キャシーはヤーコンクス共和国の名前を知っていた。
 GATERS(ゲーターズ)や代理母についてニュースが流れる時、よく聞く国名だったからだ。このセミナーに参加する前にも、新たなGATERS技術の開発に成功したと、こぞってメディアが取り上げていたのを覚えている。
 GATERS技術、つまりは、生まれてくる子供にゲノム編集を行う技術だが、ゲノム編集を経て生まれた子供を、デザイナーベビーと呼び、物議を醸していたのは一昔前の話となり、生まれてくる子供にゲノム編集を行うことを世界が容認し始め、やがて転機を迎え、ゲノム編集は、“贈り物ギフト” となって、一般社会に届けられ始めた。その転機を迎えた頃、GATERS技術と同じく、飛躍的な発展を遂げた存在がジーンバンクと、そして代理母だった。
 初めてのGATERS誕生の少し前から、子供を持つ一般的な形態だった古典的形式の “結婚” は廃れ、パートナー制度の導入と整備が先進国を中心に急速に広がり浸透していき、同時にGATERSの普及とともに “親になること” の資格化が進められると、結婚し子供を持つこと、親になることに男女の対である必要性はもはや色を失っていた。 同性同士のパートナー、或いは独りであることを選択する人々、そしてGATERSが足並みを合わせて歩み始めた時、求められたのが、ジーンバンクと代理母であり、同性、独り身、病気や怪我などで自然発生が望めないパートナーたちにとって、子供を望むために必要不可欠な存在としてこの二つは広く支持された。その中で、ヤーコンクス共和国は、GATERS技術と共に、この代理母を、国を挙げて推進する代表的な国だった。
「だから」
 アマンダは、小さく息を吐いた。
「だから、私は、この子のお母さんにはなれない」
 キャシーは、アマンダが寝る前に必ずお腹の子に「愛している」と囁くのを知っていた。お腹に小さな足の形を見せ付けて、元気に胎動する姿を見て笑っているのを知っていた。それでもどこか静けさを感じさせるのは、アマンダがクールだからだと思っていた。
 アマンダが「愛している」と囁く時、恐らく抱くことも、もしかしたら顔すら見ることの出来ないお腹の子に、胎内にいる間に一生分の「愛している」をこめて囁いていることを、伝えていることを、キャシーは知らなかった。
 キャシーの中では、ひっくり返りながら母の胃をわが子が蹴っ飛ばしていたが、その衝撃に身をよじることも、わが子を宥めることも出来ず、キャシーはただ静かにアマンダを見つめていた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜

まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、 専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活   現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。   しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。   彼は大陸一の富を誇る名門貴族―― ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。   カイルに与えられたのは ・世界一とも言える圧倒的な財力 ・財力に比例して増大する規格外の魔力   そして何より彼を驚かせたのは――   彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。   献身的なエルフのメイド長リリア。 護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。   さらに個性豊かな巨乳メイドたち。   カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。   すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――   「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」   領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、 時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、   最強の御曹司カイルは 世界一幸せなハーレムを築いていく。 最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

処理中です...