雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 午後のセミナーが終わり、アマンダとキャシーは部屋で、VRライブ鑑賞を楽しんでいた。隣室に迷惑にならないように、宙空投影を部屋一杯に広げてはいたが音はインカム付きのヘッドホンで流し、二人は揃ってライブ会場の真っ只中に出掛けていた。夢中になってノックにも入室にも気付かないでいるキャシーの肩を男の手が叩いた。キャシーが、ヒャア! と変な声を上げたので、アマンダもインカムを外して振り返った。
「ジム! びっくりした! 驚かさないで!びっくりした拍子に生まれたらどうするの?」
「ノックもした。声も掛けた。それにここは出産できる場所だろう」
 キーキーと主張する小動物を前に、動じることの無い男を見て、アマンダは、ハシビロコウ……と心の中で呟いた。
「やあアマンダ。元気そうだ」
 胸の辺りにあるキャシーの頭を撫でながら、その頭を越えてジムはアマンダに声を掛けた。
「ありがとう、ジム。あなたも(多分、元気そう。たとえそうじゃなくても、わからなそうだけど……)」
 表情の変化に乏しいジムに、アマンダはいつも心の中で苦笑し、そして、小さく可愛い小動物とのやり取りを好ましく眺めていた。
「これ、前にも観ていたやつか?」
 ジムは、ステージで静止している自分の背丈よりはだいぶ小さいボーカルを指で差しながら尋ねた。
「最新のライブ映像です! アマンダが、ついこの前のリリース日にダウンロードしたんだって!」
 どうやら二人はライブを最前列で楽しんでいたらしいと合点のいったジムは、目の前に広がるステージで映画かアニメでしかみたことのないような衣装を身に着けたミュージシャンがギターやベースに手をかけたまま止まっているのを眺めた。触れられそうなほどリアルな宙空投影のミュージシャンに、相変わらず動き辛そうな衣装だと、ジムは思った。
「VRライブだけど、特典映像で、メンバーによる日本の街紹介があるから、日本観光出来るんだ。キョートにもトーキョーにも行けちゃうんだから! ジムと違って、私、外国行ったことないし。日本、行きたいし」
 じっとりと見上げてくる目に、ジムはそのうちな、と答えた。ジムの回答に、ほらね!? と言わんばかりの顔でキャシーはアマンダを見た。
「だから、アマンダと日本旅行。街を歩いて、ライブ観て満喫してるの。実際に歩いているから、運動にもなるよ」
 キャシーはその場で足踏みをしてみせた。そしてその足取りで、はたと基本的な質問にたどり着いたらしい。
「ジム、どうして来たの?私が帰るのは、今日じゃないよ」
「前回出席出来なかった、講習を受けてきた。急に仕事に空きが出来てな。モバイルに連絡した。メールもした。テキストも送った」
 モバイル……キャシーはどこかに置いたはずのモバイルを、脳内で必死に探していた。先日バッテリ残量が少ないことに気付いたが、アマンダとのガールズトークに夢中で、そのまま放置してしまったモバイル……そう言えば、そのままどこかに行ってしまったモバイル……。
「……。ここ、電波が悪いみたいで……」
「ほう」
 これには、とうとう耐え切れずアマンダが吹き出した。
 3人で笑いあい、キャシーのモバイルを探し、ようやく備え付けの棚の奥から見つけ出して少しした後、ジムは腕時計を見て「そろそろ引き上げるよ」と立ち上がった。
「泊まらないの? パートナー講習の参加者も、ゲストハウスに泊まれるでしょ」
 ジムにジャケットを渡しながら、キャシーが尋ねた。ここのご飯、美味しいよ、と付け加えて。
「すまないな。今日は帰るよ。急に出来た休みだから、急に呼び出されるかもしれん」
 キャシーの頬にキスをして、渡されたジャケットを着ると、ジムは自分のモバイルを確認した。連絡は入っていなかった。今のところ、計画は順調のようだ。
「スケジュール管理のなってないボスね」
 キャシーの不安を代弁するように、アマンダが言う。
「全くだ」
 ジムは頷き、ポケットから古臭い車の鍵を取り出した。
「ジム。出産に立ち会うつもりなら、ボスに出産日は必ずオフにするよう書面にサインをもらうべきよ。それから。いい加減諦めて、電気自動車のファミリーカーにしたら? ガソリン車なんて、前世紀の車でしょう」
 ジムは、凛としたアマンダを見て「ごもっともです」と返した。そして、ドアを出る間際に「だが、車は譲らない」と、振り向きざま言い残して、廊下に出た。
 静かなスライドで閉まるドアの隙間から、車をネタにガールズトークが再開された音を背中に聴き、ジムは駐車場へ向かった。





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