雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 タクシーは高速道路を下りると輝く光を放つ大都市の内部へと入った。大通りの両端にずらりと軒を並べる店舗はまだどこも閉店する様子はないようで、どの店からも照明の光があふれ地上に注がれていた。しかしその光が照らし出す通りに、あれだけひしめき合いながら行き交っていた人々の姿が見えない。明るい店内には多くの客の姿が浮かんでいるものの、店の前の通りを歩く人影はまばらで、それも搬入業者か、立ち止まって電話でもしているらしい人間に見えた。
 ジムが双子を膝に乗せたまま窓の外を眺めていると、タクシーと歩道の間を自転車が数台勢いよく走り抜けていく。どうやら自転車専用レーンのようで、タクシーはひとけのない歩道、自転車専用レーン、その更に内側にある往復6車線の車両専用レーンの片側を遮られることのない魚の群れが泳ぐがごとく流れていた。
「気付かれましたか?」
 運転手は窓の外を興味深く眺めているジムに声を掛けてきた。
「店は開いているのに通行人の姿が見えないのはどういうことです? それに……」
 ジムは高速を下りたタクシーが一般道に入ったにも関わらず、ほとんど、と言っていいほど信号で停止していないことに気付いていた。止まらないのではなく信号がないのだ。
「以前よりも信号の数が少ない気がするんだが」
「ええ。そうなんです。歩行者用の信号も横断歩道もありません。最近、都心では歩行者は車両の立ち入らない専用区域以外、地上を歩かなくなりました。渡れませんからね。皆、地下を移動しています」
「道を渡れないのか」
「はい。地上の車両レーンには歩行者が横断、侵入できないようになりました。無理やり通ろうとすれば、すぐに警官がやってきて罰金です。そもそも、この車の量とスピードですから、危なくて渡ろうとは普通は思いません」
「なるほど。しかし道路横断で罰金とは穏やかじゃないな」
 運転手は、そうですね、と笑い「ですが」と続けた。
「仕事がら、酔っ払いなんかが車道に出ようとして注意を受けているのは見かけますが、実際に渡って捕まっているところを見たことは、ほんの数回ぐらいでしょうか。それも渡り始めてすぐに捕まったようで、大事故にはなりませんでした」
「東京で人混みが見えないなんて驚きだ。確かにすごい変わりようだ」
「地下街にいらっしゃれば、昔の壮観な人混みが見られますよ」
 運転手は久し振りの里帰りと言っていたジムを気遣ったのか、変わらないものを伝えてきた。
 ジムはもちろんこの街の一際大きな変遷を知っていた。潜入する土地の情報が頭の中に入っていなくては仕事にならない。しかし実際に来て目の当たりにすると、東京の中心街を歩く人間の姿が地上にない風景は実に不思議なもので、仮想現実的感覚とともに、警戒しなければならない現実をジムはひしと感じていた。
「エリック。聞いた? 地下、だって。東京は地下都市があるの?」
「地下都市って言うか、地下街じゃない?」
 ジムの膝に頭を載せて聞き耳を立てていた双子は同時に身を起こすと、運転手を今度は二人で質問攻めにし始めた。「お前たち。落ち着け」と窘めるジムに対して運転手は孫の相手でもしているかのように「いいんですよ」と穏やかに答えた。
「運転手さん! 地下、地下都市? 面白い?」
「そうですね。初めて見るなら何本も交差するMovingうごくwalkwayほどう(動く歩道)の交差点は面白いかもしれませんよ」
「動く歩道! 乗ってたらどこまでも行ける?」
「どこまでも、とはいきませんが。かなりの距離は繋がりました」
「迷子にならない?」
「どこにでも案内ロボットがいますし、何かあれば警備員や警官がやって来ますから近くでしたら坊やたちだけで出掛けられるかもしれませんよ」
「地上は? 地上は地下みたいに変わった面白いところないの?」
「変わったところ……そうですね。地上は明るくなったら、高層ビル群をご覧下さい。ちょっと驚かれるかも知れませんよ」
「「なんで?」」
「それは、見てからのお楽しみの方が宜しいかと……」
「えー! 今は見えないの?」
「いくつかのビルはライトアップされていますが、そんなにはっきりとはわからないと思いますよ」
「うーん。なんだろう」
「運転手さん教えてよー」
 双子の相手を運転手に任せたジムは、熟慮すべき問題について考えていた。しばらく窓の外を眺めていたが、パトカーや警官が常にパトロールや待機している様子は見えなかった。だが運転手の話では違反者やその可能性がある人間がいればどこからともなく警官がやって来るということになる。つまり各所に設置してあるカメラで対象をはっきりと確認し追跡出来るということだ。個体認証、IDからの身元の割り出しも自信があるに違いない。資料にあった、エラーを見逃すことのない “眼” が東京に張り巡らされているのは確かなようだ。
 都内の交通事情はそれだけでなく、個人の自家用車での都内中心部への侵入を制限し、タクシーを含めた公共交通機関が大幅に拡充されていた。そしてそこには必ずAIの存在がある。半分は自動運転のこのタクシーもだが、バスや電車、地下鉄の運行は各コントロールセンターのAIに完全制御されている。人間の乗務員は緊急時や機械が対処しづらい不測の事態に備えて乗車しているに過ぎない。地上は徒歩で逃げることが困難な上に公共交通機関は足がつきやすく、何よりAIの監視付きだ。
 では地下はどうだ。
 地上を車両に明け渡した人間たちは整備された巨大な地下街を移動し目的地へと向かう。何本もの動く歩道が完備され、進行方向を定められたその上を歩く。時間さえ気にしなければ歩道線の乗り換えを繰り返し、歩くことなく乗っているだけでも目的地にたどり着ける。動く歩道以外のも脇にはあるがキャットウォークのようなものだ。
 完璧に管理されているな。
 人の流れを作ることは、対象を追いやすく制御しすい。確保すべき人間、物品を発見した場合、歩道を止め各出入り口を塞いでしまえばあっという間に袋のねずみだ。以前地上を闊歩していた数多の数の人間がそこで止まれば、それをかきわけて逃げるのは容易ではない。AIが逃亡ルートと確保最適ルートを計算し、最短時間で警官がやって来るだろう。世界を代表する巨大都市はAIに制御管理されている。
 なんともたしかに。銃器やナイフの携帯不可と言った武器の問題よりもなによりも、この街そのものが仕事を困難なものにしている。目の下にクマを作っていたパナガリスが『ハヤマのせいでやりづらい』と苦々しく口にしていたのを思いだす。
 全くだ。全くやりづらい。
 その昔。地下といえば、魑魅魍魎の巣の代名詞だったろうに。今ではどこもかしこも光にあふれ影も出来やしない。幽霊の隠れる隙もないな。ジムは、シートに背中を預けると深く息を吐いた。

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