雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

61

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 Respirazione
 “呼吸”




 ジムが指示されたポイントに車を停めて降りると、奥から静かに黒いセダンが進み出てきた。当然のように後部座席のドアを開け乗り込むと没個性的な黒いスーツの男がバックミラー越しにジムを確認し車を出すよう運転席に指示した。
「状況は深刻だ」
 車が駐車場から出るやいなや、やはりミラー越しに助手席の男はジムに向かって口を開いた。猟犬になってからそれなりの時間が経過したが、相変わらず自分たちを人間だと思っていない連中は多い。助手席の男もその一人で、自分と直接目をあわすことなどないと百も承知でジムは後ろを振り返り愛車に別れを告げ、ジムもまた相手を見ずに応えた。
「まずはその深刻な状況の内容を説明してくれ」
 深刻なのはわかっている。そうじゃなきゃ、ルジェットを喚かせたやつを黙らす。永遠にだ。畜生、煙草を寄越せ。
「フォローロスト」
「……」
 ジムの驚く顔でも期待していたのか、ややあって男は話しを続けた。
「完全にロストだ。AZの子守フォロワーHotelホテルRomeoロミオから立て続けに非常事態コードが送信された後、一切の通信が不通となった。無線はおろかるジェットにも反応が無い」
 ホリーとロンの名前を忘れでもしたのか、そもそも覚えちゃいないのか、フォネティックコードで呼ぶことは今更、いや、今は殊更どうでもいいことだが。馬鹿な。るジェットが黙るだと? 任務中、俺たちはるジェットを身体に直接装着している。生体反応を送る機能は特殊な伝播経路で傍受、妨害にあうこともない。どのような場所であっても、状況であってもるジェットは黙らない。持ち主が生命活動を止めたとしても、その最期の瞬間のデータ、ダイイング・メッセージ、断末魔の叫びを送りつけてくる。
「どう言うことだ」

『犬は余計な事はするな』

 完璧なシステムとやらを擁して臨んだお前の自慢の作戦じゃなかったのか、スミス。ジムはブライアンの背後で聴こえた不快音が自慢げに話していた記憶を脳内再生した。
 俺たちのような汚れ仕事専門の存在はお前の勲章を曇らせ名誉の汚点になると使用を最小限に留め、俺とブライアンをわざわざ外したのは、スミス、お前の判断だったな。お前の尊大なプライドのお陰で俺はブライアンと入れ替わりに貴重な待機に入れたわけだが、それを数日も経たずに爆音で吹き飛ばしたのはどういうことだ。
パナガリス、お前は何をしている。
 言ってやりたい事は山ほどあったが、ジムは今ただ一言だけ、煙草を寄越せと前の男に言ってやりたかった。黙りこくったジムに助手席の男は一瞥をくれると喋りだした。
「異常事態が発生するまで計画は当たり前に順調だった。昨夜、パーティは予定通り開催され、当然ターゲットも全て揃っていた」
 計画は当たり前に順調で当然か。過去形だがな。
 ジムは男の話しを聞きながら自分たちに渡された計画書をやはり脳内で展開する。
「昼間のパーティは滞りなく終了し、ターゲットのうちクラスSまでの情報収集は計画通りに完遂した」
「ショウタイムの話しを。表のパーティはあくまで前座だったはずだ」
 計画を計画通りに遂行したと当たり前のことを喋っている余裕はないはずだ。このスーツにも俺にも。
「屋敷内のカメラをハッキングした映像だ」
 振り向きもせず後ろ手に差し出されたタブレットを受け取り、ファイルを展開するとジムの目の前に20余りのカメラからの3D映像が宙空に展開される。昼間に催された華やかなパーティが終了したあとの屋敷は打って変わって静かにたたずんでいた。夜の部ソワレはよほど重要な公演らしく、昼の部マチネのゲストが全て館を後にし、準備と沈黙の時間をおいてから開演したようだった。
 夕闇に紛れ数台の車が屋敷へと入ってきた。その車とそしてそこから降りる客たちが画面にクローズアップされていく。特殊情報作戦本部しろうさぎたちは自分たちのマシンが持つハッキング能力に絶大な自信を持ち、物的証拠を残さないためにも屋敷のカメラをそのまま使うことにしたんだろうが、この夜の部のゲストたちが、シロうさぎだけではなく、屋敷の主、このパーティのホストであるベンヌの会長にとっていかに重要だったかと言うことは、筒抜けになっている屋敷内のハッキング映像からうかがえた。視点の低いガードドッグの目までも使って執拗に撮影しているということは、会長は保身のためか、或いはしろうさぎと同じく今回の主賓に多大な期待をよせ、その取得した情報をどこかへ売ろうとでもしていたか。
 到着した客人が執事に案内され鏡の裏の豪華な隠し部屋へと通されていくのが映り、また部屋の中で寛ぐ姿も見えた。最後に到着した客を会長自らが案内し部屋へと入ると秘密の部屋は一旦その扉を閉ざした。すでに過去となった正常実行中の計画であるならば、招きに応じた王が、リチャード・ダークがいるはずだが一度見たら忘れないその姿はどこにもなかった。
「本命が映っていない。的外れか?」
「恐らく会長が案内する二人の客のうち一人がダークだ。他は皆、個体識別情報の一致を見ている」
「この二名だけ架空の情報か?」
「いや。片方、若い黒髪の男は今回の計画にあたり我々の協力者となった人間と識別情報が一致している。だが、その男はアジアにある精肉加工場で捌かれていたと報告が上がった。その隣の男は照合をかけても一切の情報が出てこない。空白ブランクだ」
 空白ブランク――情報的に死とも生ともどちらつかずの人間――と死んだ人間の二人組。なるほど、そうそう簡単には拝顔叶わないようだ。表の世界でも裏の世界でも顔が見えないリチャード・ダーク。しろうさぎが作ったあの3Dモデルはいったい誰の顔なんだ。情報ゼロと言う壊滅的状況にやけになったエンジニアが捏造した顔なのか。ふとアジアでミンチにされた男がカメラへ向けて静かに微笑んだように見えた。
「何を笑っている……」
 口の両端を僅かに持ち上げた、と言えるような些細な動きだったが、確かにカメラへ向けて弧を描いた口元に “笑った” とジムは疑わず、そしてただそれだけの動きにとても異質な何か “死人” と言う情報以上に得体の知れない何かを感じた。普通の人間なら “ぞっとする” とでも表現するのだろうか。
 その直後、映像が次々とブラックアウトを始め、ジムの前には真っ黒な箱ブラックボックスが煉瓦壁のように並んだ。そのいくつかを閉じて開き直しても変化はなく情報は箱の中へ吸い込まれ閉ざされてしまったようだった。ジムはしばらく黒い積み木を上下左右へ振ったり広げたりと、何かが映っていないかと探したが黒い箱は蓋を閉ざしたまま、再生時間だけがカウントされていった。ジムがしばらくそのまま数字をみつめていると急に箱たちは蓋を開け、今度は雪原の風景とそこに広がる雪と氷で出来た満開の花をジムの目の前に映し出した。雪に咲く花が風に煽られるように消えると雪原も消え、また屋敷の監視映像へと戻った。同時に新しいファイルが再生され始めちょうど子どもの目の高さにある2つの視点で少年の顔が映し出された。
 二人は向かい合って互いを見ているようで光を受けて輝く金と銀の混じる髪、雪原のような透き通る肌、一つ一つのパーツは愛らしく完璧に配置された絵画の天使のようで二人の瞳はその中で金銀色が交じり合い、絵画が飾られる教会にはめ込まれたステンドグラスのような虹彩だった。2つの視点は鏡の現し身のように互いのダイクロイックアイをのぞき柔らかに微笑むと別れ、禿げた男と髪の長い女、ベンヌの研究員二人と、その直ぐ後ろを歩くのは裏切り者のシャルヴァーの研究者とその助手の姿をしたロンとホリーを映した。二つの視点は前を歩く禿げた後頭部や執事の撫で付けられた頭、高価な調度品が並ぶ廊下を映しながら迷うことなく進んでいったが、片方の視界のはしには黒い小さな染みが少しずつ浮き上がり始めていた。
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