雪原脳花

帽子屋

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間奏曲

lamentazione(2)

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 再開発地区とは名ばかりの、行政にとっては忘れてしまいたい、貧困層が密集して生活するこの地区は解体にするにも金がかかりすぎるし、それに見合うだけの歳入も見込めず、増加の一途を辿る社会保障の歳出が国の財源を危機的に脅かすようになってからというもの、その対策にあえいでいる国からの補助金は当然見込めない。そもそもこの区域は100年近く前からの負の遺産、軍需工場の跡地で土壌汚染が進んでいるのを承知で労働力確保のために低所得者向けの公営住宅、集合共同住居を作ったのが始まりだった。行政の上の方では暗黙の了解、知れ渡った話で、当然、有力な出資者となるようなスポンサーがそのわかりやすい裏話を知らないはずもない。買い上げた後、普通に利用できるまでのコストと時間を考えれば誰も手を出そうとはしなかった。結果、それでは自然に任せてしまえとばかりに放置された。
行政の怠慢だとほんのいっとき世間の話題にはなったが、社会の底辺と言われる人間たちの集まりでは行政に強く訴える力はなく、派手な抗議もデモもない地味な絵づらばかりでは早々にマスコミたちは早々去っていった。それでも彼らに協力するわずかばかりの人間はいたが、その手をとって協力し現状打開を目指すより大きく立ちはだかる壁に何を言っても時間の無駄、その時間を生きるために費やさなければと、訴えの中心である住人たちがそうそうに諦めたために霧散した。
たいした時間をかけずに行政の非能動的追い出しは功を奏し、腐食の進んだ鉄筋がむき出しになって崩れ朽ちた住居や、経年劣化著しく役立たないくインフラを前に、命あっての物種と住民たちは自主的に去っていき、今ここにいるのは、朽ちる住居と運命をともにすると決めた者と、世界のどこにも居場所のないようなホームレス、そしてグレンが時折顔を出すギャングの末端組織の弱小グループぐらいなものだった。
その一角で、派手な色でペイントされた廃車寸前の車のエンジンをかけた運転席の男はパワーゲージを見た瞬間、苛立たし紛れにステアリングに両手を打ち付けたあと、窓越しに外にいたグレンに怒鳴り声をあげた。
「オイ!グレン!充電できてねぇじゃねぇか!」
怒鳴られたグレンは身を竦めると、おそるおそる車に近寄った。窓越しにフロントパネルをのぞきこむグレンの顎を力任せに掴み上げる。
「このバッテリー残量じゃボスを送って行けねぇじゃねえか。このクソ寒いなか歩けってのか?!どうすんだ、オマエ!」
「すいません!でも、オレ、ちゃんと言われた通りに地下まわって……」
「でもじゃねぇよ。そのバカ頭でも見りゃわかんだろ?!充電できてねぇのが!」
 確かにグレンは地下にあるいくつかの違法配線のポイントをまわってバッテリーを何本も充電してきたはずだった。しかし、パワーゲージは無情にもエンプティを点滅示している。理由がわからず口ごもっていると、いきなり顔を殴られ地面にしりもちをついた。痛みにうめくグレンの横腹に車からおりてきた男が蹴りをいれる。
「ホント、電気もまともに盗んでこれないとか、マジ、つかえねぇ。オマエみたいなやつ、生きてても意味ねぇよな」
 虫けらのようにのたうち起き上がることもできないグレンに薄く笑い声をあげた男は鬱憤晴らしとばかりに立て続けに蹴りを入れたが、野太い声が最後の一撃の手前で制した。
「もうそれぐらいにしとけ!」
 振り向き声の主を確認すると自分を睨みつけるブロンディに、足先で小突くのはやめにしてグレンを指差しながら叫んだ。
「ボス、こいつのせいで車動かせねえんすよ?」
「だからってグレンをボコったって動かないもんは動かないんだろうが。だったらさっさとリッキーにでも連絡入れて迎えにこさせろ」
 男は転がったままのグレンを蔑んだ目で見下ろし舌打をすると、モバイル片手に廃墟になったビルへと向かった。
「起こしてやれ」
 ブロンディの命令に後ろに付いていた一人がグレンに腕を貸し立ち上がらせた。
「大丈夫か?」
「ハ、イ……」
 冷たく刺すような風がグレンの鼻血や鼻水、涙でぬれた顔を容赦なくうつ。だが寒さより腫れた顔と腹の痛みで不自然に体は熱く感じられた。
「グレン、車ん中入れ。話がある。動かない車でも、外よりマシだろ」
 グレンを起こした男が車のリアシートのドアをあけ、先に中に入ったブロンディが顎先で運転席のドアを示すと、無言でドアを開き、自分はボスの横に乗り込むためリアをまわって反対側から乗り込んだ。
 グレンは痛む身体を引きずるようにして開かれた運転席になんとかおさまったが、壊れ掛けの重たいドアをしっかりと閉めるだけの力が出せず隙間が空いた。後ろではブロンディが煙草に火をつける音がする。今では珍しい紙巻の煙草は、葉と紙、フィルターをチャイナタウンまで使いに出され自分が買ってきて、そこに見える崩れかけた部屋で一本ずつ手で巻いたものだった。自分がまともに任せてもらえる仕事はこの煙草の使いと、バッテリーの違法充電ぐらいのものだ。
「グレン、オマエが巻く煙草はうまいぜ。手先が器用なんだな」
 ブロンディは大きく肺から煙を吐き出すとそれを後ろからグレンに向けて差し出した。痛みに震える腕でその煙草を指にはさみ、鉄の味しかしない口内から肺に煙を招けば、幾分か気持ちが落ち着いた。手巻きとは言えブロンディが好む葉はそこそこ値段のするもので、こんないい煙草はブロンディが機嫌のいいときに何本か駄賃代わりにもらえるぐらいで、普段自分が吸っているクズ葉を集めた粗悪なものとは煙の質も気持ちの落ち着き方さえも全然違うように思えた。
「オマエ、仕事したくねぇか?」
 グレンが一度大きく息を吐いてから、ブロンディは静かに話しを始めた。
「し、仕事ってどんなんですか。俺にできることならしたいです」
「オマエにしかできない仕事だ。デニスにもリッキーにもできねぇ、オマエになら任せられる」
 自分を殴りつけ笑いながら蹴り続けた男の顔が浮かぶ。
「それってどんな……」
「廃教会にいって様子を探ってこい。教祖がなにやってるか見てくるんだ。表向きはその辺の教会みたいなことしてるっていうからな、今のオマエの顔なら温かく迎えてくれるだろう。酷い目にあって悩んでいるとでも言ってやれ」
 ブロンディはバックミラーごしにグレンの腫れあがった顔に視線を寄越し、ジョーク混じりに笑った。つられてグレンも小さく笑う。
「でもボス。見てくるって何を見てくるんですか」
「お前、裏のボロ部屋で干からびた雑巾みたいなジーサンがいたの知ってるだろ。まあ雑巾にしたのはリッキーたちだがな。あいつらが言うには悲鳴も上げられないほどボコったあと放置したそうだ。ところがそいつの姿が消えたそうだ。死んだにしてもここらじゃ死体を片付けるような奇特なやつがいるわけねぇし、衛生局が回収するはずもねぇ」
 キトク……グレンは自分の知らない単語を頭の中で反芻してみた。
「ところがな、最近そいつを街で見かけたって言うんだよ。で、笑えることに働いてるんだとさ、マーケットのゴミ掃除かなんかで。あのクズが、働くのが嫌でこんなとこに流れ着いた根っからのクズが真面目に働いて生きてくわきゃねぇよ。人間なんてのは変わるわけがねぇ、よっぽどの理由がなきゃな。生まれつきなんだよ。頭ん中に入ってる脳ってやつの作りが違うんだ。遺伝ってやつよ。チビの親からデカイガキは生まれないだろ?頭のデキも同じなんだよ。バカからはバカしか生まれねぇ。クズな人間はクズから生まれる、責任は親にあるんだ。生まれつきクズはクズでバカはバカだ。そんでそのまま死ぬんだよ。バカはバカのままな」
「でも、じゃあ、どうして……」
「グレン、お前はバカじゃないからわかるだろう?だからな、よっぽどの理由ってのがあるんだよ。それはな、だいたいクスリか金かってとこだ」
「でもあいつそんなもん持ってませんでしたよ」
 一度、リッキーに言われて様子を見に行ったことがある。何もない、外とたいして変わらない温度、朽ちた部屋だった。何かを隠すような場所も家具もなかった。
「そりゃそうだろう。そんなもん持ってりゃ死にぞこないになるほどリッキーたちに殴られねぇ。ひとつわかってるのはあのジーサンは廃教会に出入りしていた。今でも時々顔出してるって話だ。何もねえあの野郎に何かあったとすれば、そこしかねぇだろ?それに最近じゃあの教会に行くと奇跡が起こるとか、サルより頭の悪い息子が字が読めるようになったとか、ババァたちが喋ってるのをコイツが聞いたんだとさ」
 ブロンディは隣に座るボディガード、ブロンディよりも上背も横幅もある屈強な右腕を指差した。
「グレン、オマエなら怪しまれずに教会に入れる。そこで神父だか牧師だか知らねぇが、教祖サマが何やってるか調べて来い」
 肩に手をおきミラー越しとは言えしっかりと自分と目を合わせて仕事を頼んでくれるボスに、グレンは高揚した気分に身体の痛みまでも和らいだ気がして「イエス、ボス」と大きく返事をした。
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