83 / 109
間奏曲
lamentazione(12)
しおりを挟む
巻き立つ塵埃と砂煙にからまるように、色も臭いもしない、だが密度の濃い気体が講堂の中へと充満しはじめた。それが床を這うようにして自分の顔へ覆いかぶさる気配をグレンは感じた。息をするたびにその無色透明な、だが空気とは異なるなにかが肺へと吸い込まれると床の冷たさも体の痛みも意識すらぼんやりと遠のいていく。
なんだろう、これ……。
あれだけ呻り声をあげていた蝿の羽音が次第に緩やかなリズムへと変わり、緩慢なノイズの合間に明滅する光のような音が時折混じっては弾けて消えていく。それが煙と粉塵の中で交錯する銃声と、悲鳴と、生々しい破壊の音だとはグレンにはわからなかった。
なんの音かな。俺、どうしたんだっけ?吹き飛ばされた?でもなにかが俺を……あれ、なんだったんだろう。
こうして床に転がる直前、庭をつっきる石の廊下を走り抜けて講堂へ足を踏み入れたところで背後からの強烈な風圧で身体が宙に浮いた気がした。なにが起きたのか全く理解出来なかったが、身体は宙に浮いたままこの入口からだいぶ離れた場所に転がった。爆発でも起きてこんなところまで吹き飛ばされたのか。だが爆風に煽られる前に何かに体を捕まれた気もするし、なにより予想だにしなかった出来事、まったくの無防備な状態であの衝撃のまま床に叩きつけられていたのであれば、転がる、というだけではすまなかったはずだ。あれはもしかして追いかけてきたリッキーにでも掴みかかられのか。
わからないな、あれがリッキーかどうかなんてもうわからない。
グレンはぼんやりと緩やかなリズムと音に合わせて煙の中で見え隠れしながらスローモーションで動く人影を見ていた。壊れた人形のように頭部をさかんに振り回している。
もしリッキーなら……もうあの気持ちの悪い笑い顔をみなくてすむな。
ほら、だって。
鼻も口もない。
いつものグレンなら顔面にあるべきものが失われ引き裂かれた顔など恐ろしくて見ていられるはずもなかったが、今は恐怖もなにも感じない。
あの顔、なにかに食われたみたいだ。
なんだか笑いたい気分でいっぱいだった。込み上げる感情のまま笑ってみたがヒッヒッと小さくくぐもった音がもれただけでその音はグレンにもその場にいた何者にも聴こえることはなかった。
グレンの周りは凄惨な狩場のようで、飢えた獣に喰らいつかれ生きながら食われる人間が血液と肉片を撒き散らし絶叫をあげながらのたうちまわる。そしてその獣を、影を通して闇から浮かび上がりでもしたような、どこからともなく現れた黒い人間の姿をしたものたちが声ひとつあげず、時には餌となった人間をも破壊しながらただ静かに狩っていくのだが、その動きは黒い影絵のアニメーションでも見ているようにしかグレンには映らなかった。
倒れたグレンはその光景に満たされた気分だった。
そうだ、リッキーは食われたんだ……天使に。あの母親が言ってたのは嘘じゃなかったんだ。天使って本当に強かったんだな……化け物みたいに強くて本当はあんな剣なんていらないんだ。素手で人間をバラバラにしながら食っちまうんだ。そうだよな、天使って化け物だよ。羽、生えてるし、突然やってくるし。そんでもってバカみたいに強くて。だからリッキーたちを喰ってもおかしくないんだ。
グレンは崩れたステンドグラスの中、歪に砕けたミカエルの顔、その瞳に太陽の光が乱反射を起こして輝くさまを見た。
あのガキ、俺にまでバカみたいにいつもニコニコ笑っていたあのガキがリッキーを喰ってほら目玉がキラキラして、天使と同じだ。あのガキやおっさんの目、光ってた……そういやあいつの目玉も……あれは見間違いじゃなかったんだ。俺に「行くな」って言った。あのとき俺を見て「この先に行くな」って。俺が映った目玉がそんとき、ほんの一瞬、光った。そっか……俺のまわりキラキラしたもんがあったんだな。
グレンは今度こそ心底楽しくて笑った。そのすぐそばに、笑い声などとうに聞こえはしない骨が剥き出しになった肉の残骸が転がった。それに喰らいついていた血まみれで蠢く子供は光をたたえた目で笑うグレンに向けてカチカチと歯を鳴らした。
キャロル、ほらおまえの好きなキラキラだ。虹みたいなキラキラがこっちに来る。虹の根元には宝物がうまってるんだったよな。その宝物を守る七色のドワーフがいるとか、七色のたてがみのユニコーンがいるとか、キャロルが幸せそうに笑って話している姿が脳裏によみがえる。
宝物があれば、おまえを連れてってやれるな。ここじゃないどこかへ。
あの光が自分の元へ来たとき、自分にもあの男が言った音が聴こえてくるかもしれない。そうすればキャロルと一緒に新しい場所へ、この世界のどこかにはあるかもしれない自分たちを受け入れてくれる場所へ行ける気がする。キャロルの笑う顔がもっと見られる。それは今まで一度だって感じたことのない幸せというものにとても近いような気がした。
なんだろう、これ……。
あれだけ呻り声をあげていた蝿の羽音が次第に緩やかなリズムへと変わり、緩慢なノイズの合間に明滅する光のような音が時折混じっては弾けて消えていく。それが煙と粉塵の中で交錯する銃声と、悲鳴と、生々しい破壊の音だとはグレンにはわからなかった。
なんの音かな。俺、どうしたんだっけ?吹き飛ばされた?でもなにかが俺を……あれ、なんだったんだろう。
こうして床に転がる直前、庭をつっきる石の廊下を走り抜けて講堂へ足を踏み入れたところで背後からの強烈な風圧で身体が宙に浮いた気がした。なにが起きたのか全く理解出来なかったが、身体は宙に浮いたままこの入口からだいぶ離れた場所に転がった。爆発でも起きてこんなところまで吹き飛ばされたのか。だが爆風に煽られる前に何かに体を捕まれた気もするし、なにより予想だにしなかった出来事、まったくの無防備な状態であの衝撃のまま床に叩きつけられていたのであれば、転がる、というだけではすまなかったはずだ。あれはもしかして追いかけてきたリッキーにでも掴みかかられのか。
わからないな、あれがリッキーかどうかなんてもうわからない。
グレンはぼんやりと緩やかなリズムと音に合わせて煙の中で見え隠れしながらスローモーションで動く人影を見ていた。壊れた人形のように頭部をさかんに振り回している。
もしリッキーなら……もうあの気持ちの悪い笑い顔をみなくてすむな。
ほら、だって。
鼻も口もない。
いつものグレンなら顔面にあるべきものが失われ引き裂かれた顔など恐ろしくて見ていられるはずもなかったが、今は恐怖もなにも感じない。
あの顔、なにかに食われたみたいだ。
なんだか笑いたい気分でいっぱいだった。込み上げる感情のまま笑ってみたがヒッヒッと小さくくぐもった音がもれただけでその音はグレンにもその場にいた何者にも聴こえることはなかった。
グレンの周りは凄惨な狩場のようで、飢えた獣に喰らいつかれ生きながら食われる人間が血液と肉片を撒き散らし絶叫をあげながらのたうちまわる。そしてその獣を、影を通して闇から浮かび上がりでもしたような、どこからともなく現れた黒い人間の姿をしたものたちが声ひとつあげず、時には餌となった人間をも破壊しながらただ静かに狩っていくのだが、その動きは黒い影絵のアニメーションでも見ているようにしかグレンには映らなかった。
倒れたグレンはその光景に満たされた気分だった。
そうだ、リッキーは食われたんだ……天使に。あの母親が言ってたのは嘘じゃなかったんだ。天使って本当に強かったんだな……化け物みたいに強くて本当はあんな剣なんていらないんだ。素手で人間をバラバラにしながら食っちまうんだ。そうだよな、天使って化け物だよ。羽、生えてるし、突然やってくるし。そんでもってバカみたいに強くて。だからリッキーたちを喰ってもおかしくないんだ。
グレンは崩れたステンドグラスの中、歪に砕けたミカエルの顔、その瞳に太陽の光が乱反射を起こして輝くさまを見た。
あのガキ、俺にまでバカみたいにいつもニコニコ笑っていたあのガキがリッキーを喰ってほら目玉がキラキラして、天使と同じだ。あのガキやおっさんの目、光ってた……そういやあいつの目玉も……あれは見間違いじゃなかったんだ。俺に「行くな」って言った。あのとき俺を見て「この先に行くな」って。俺が映った目玉がそんとき、ほんの一瞬、光った。そっか……俺のまわりキラキラしたもんがあったんだな。
グレンは今度こそ心底楽しくて笑った。そのすぐそばに、笑い声などとうに聞こえはしない骨が剥き出しになった肉の残骸が転がった。それに喰らいついていた血まみれで蠢く子供は光をたたえた目で笑うグレンに向けてカチカチと歯を鳴らした。
キャロル、ほらおまえの好きなキラキラだ。虹みたいなキラキラがこっちに来る。虹の根元には宝物がうまってるんだったよな。その宝物を守る七色のドワーフがいるとか、七色のたてがみのユニコーンがいるとか、キャロルが幸せそうに笑って話している姿が脳裏によみがえる。
宝物があれば、おまえを連れてってやれるな。ここじゃないどこかへ。
あの光が自分の元へ来たとき、自分にもあの男が言った音が聴こえてくるかもしれない。そうすればキャロルと一緒に新しい場所へ、この世界のどこかにはあるかもしれない自分たちを受け入れてくれる場所へ行ける気がする。キャロルの笑う顔がもっと見られる。それは今まで一度だって感じたことのない幸せというものにとても近いような気がした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生したら世界一の御曹司だった〜巨乳エルフメイド10人と美少女騎士に溺愛されています〜
まさき
青春
異世界転生した最強の金持ち嫡男、
専属エルフメイドと美少女騎士に囲まれて至福のハーレム生活
現代日本で「地味だが実は超大富豪」という特殊な人生を送っていた青年は、ある日事故で命を落とす。
しかし目を覚ますと、そこは魔法と様々な種族が存在する異世界だった。
彼は大陸一の富を誇る名門貴族――
ヴァン・バレンティン家の嫡男カイルとして転生していたのだ。
カイルに与えられたのは
・世界一とも言える圧倒的な財力
・財力に比例して増大する規格外の魔力
そして何より彼を驚かせたのは――
彼に仕える十人の専属メイド全員が、巨乳美少女だったことである。
献身的なエルフのメイド長リリア。
護衛騎士でありながら隙あらば誘惑してくる女騎士シルヴィア。
さらに個性豊かな巨乳メイドたち。
カイルは持ち前の財力で彼女たちの願いを叶え、最高級の装備や生活を与えていく。
すると彼女たちの忠誠心と愛情はどんどん加速していき――
「カイル様……今日は私が、お世話をさせてください」
領地を狙う貴族を金と魔力で圧倒し、
時にはメイドたちの愛が暴走して甘すぎる時間に巻き込まれながらも、
最強の御曹司カイルは
世界一幸せなハーレムを築いていく。
最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ応援をお願いいたします。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件
こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる