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「カゲロウ。とある夜会に出て、調べてほしいことがあります」
いつになく主(王の側室)が真剣な表情でカゲロウを呼んだ。カゲロウは音もなく天井裏から降り立ち、主の前に片膝をつく。
「この男、夜会で女性を物色し、薬漬けにして連れ去ってしまうという噂があるわ。……女の敵よ! 証拠を掴みなさい」
「はっ! ……私がですか?」
いつものように即答したカゲロウだったが、すぐに戸惑いが顔に出た。こういった色仕掛けや潜入捜査は、彼女が最も苦手とする分野だ。
「他の、もっと適任な者に任せた方が良いのでは……」
「いいえ。相手の好みがカゲロウ、貴女と一致しているのよ」
「はあ……」
物好きもいたものだ、とカゲロウは他人事のように思う。
「早速、カゲロウを深窓の令嬢へと仕立てるわ! 準備して!」
目を輝かせる主。その熱量を見ると
(もしや事件の解決よりも、私を着飾らせること自体が目的ではないか……? )
そんな疑念を抱かずにはいられないカゲロウだった。
華やかな旋律と、高価な香油の匂いが立ち込める夜会の会場。
カゲロウは、慣れない高いヒールで大理石の床を踏みしめていた。
(……歩きにくいな。これなら、屋根の上を飛び回っている方が百倍マシだ)
今日の彼女は、いつもの黒鉄の装束も、髪を隠す額当ても付けていない。夜の闇を溶かしたような深い紺色のドレスを纏い、背中まで流した艶やかな黒髪には真珠の飾りが光っている。その姿は「男装の麗人」としての鋭さを潜め、触れれば折れそうな、しかし気高く凛とした一輪の百合のようだった。
「……いた。あそこか」
扇で顔を半分隠しながら、鋭い瞳がターゲットである伯爵を捉える。だがその時、会場がわずかにざわめいた。
「白銀騎士団長、ゼノス様だ……」
入り口に現れたのは、光沢のある白の礼服に身を包んだゼノスだった。
普段の鎧姿も神々しいが、正装した彼はまさに「太陽」そのもの。カゲロウは思わず任務を忘れ、その輝きに小さく息を呑む。
(やっぱり、あの人は光の中にいるのが一番似合う。……本当に、綺麗だ)
純粋な賞賛を胸の中で呟き、彼女は足早にその場を去ろうとした。これ以上近づけば、鋭い彼のことだ。偽装を見破られ、任務の邪魔をされるかもしれない。
「――待ってください。そこの貴女」
背後からかけられた低く、心地よい声に、カゲロウの心臓が跳ねた。
ゆっくりと振り返ると、そこにはいつもの険しい表情を消し、どこか戸惑ったような、熱を帯びた瞳で自分を見つめるゼノスがいた。
「……何か、御用でしょうか。騎士団長様」
カゲロウは精一杯、淑女らしい声を絞り出す。
ゼノスは一瞬、言葉を失った。目の前の女性から、不思議と目が離せない。その瞳の奥にある真っ直ぐな光が、なぜか「あの忌々しい忍」を思い起こさせたが、目の前の美しい人がまさかあの不遜な忍びだとは、彼の脳は微塵も認識しなかった。
「失礼。あの……どこかでお会いしたことは?」
(しまっ……不埒なナンパのような言葉しか出てこない……!)
緊張のあまり、自分の語彙力のなさを呪うゼノス。対するカゲロウは、気まずさに視線を逸らした。
「いいえ。ここには知人に勧められて来ただけですので……」
嘘は言っていない。知人がこの国のトップ(側室)というだけだ。
「すみません。あまりに貴女が美しくて……見惚れてしまいました。僕と少し、お話しでもしませんか?」
照れたように、しかし必死に食い下がるゼノスに、カゲロウは焦る。
(まずい。このままでは伯爵を見失ってしまう。……もしや、正体がバレているのか?)
彼のことだ。偽装の甘さを見抜き、泳がせながら出方を伺っているのかもしれない。
カゲロウは牽制を込めて問いかけた。
「貴方は私と話をしていて良いのですか? 団長ともあろう方が、お連れ様を放っておいては示しがつかないでしょう」
「連れは居ません。なので、もし貴女もお一人なら……僕のパートナーになっていただけないかと」
差し出されたゼノスの手は、手袋越しでも伝わるほど微かに震えていた。
カゲロウは困ったように眉を下げながらも、その手を拒むことができなかった。
(……なるほど。私を監視下に置き、動きを封じるつもりか。あるいは、私の背後にいる『知人』を探るための罠か……)
彼女は、それがゼノスの精一杯のアプローチだとは夢にも思わず、「これも彼の完璧な作戦の一つなのだろう」と、深く疑いもしなかったのだ。
そもそも、ゼノスがここに居るのも任務のためではなかった。
主(国王)から「この夜会で恋人の一人でも見つけて来なさい」と、無理やり送り込まれたのだ。
いい歳をして浮いた話の一つもないゼノスを心配し「後宮で気に入った娘がいれば譲ってやってもいい」とまで言い出す王を安心させるため、仕方なく参加したに過ぎない。
ゼノスには、これまで結婚の意思もなければ、女性にトキメキを感じたことすら一度もなかった。
今夜も退屈な時間を過ごすだけだと思っていた。まさか自分でも驚くほどの衝撃が走るとは思っていなかった。
「……風に当たりませんか。あちらのバルコニーなら、静かです」
ゼノスは、震える手で優しく令嬢(カゲロウ)の手を引く、夜風の吹く場所へと彼女を誘った。
初恋を知ったばかりの騎士団長と、それを「極秘任務」だと信じ込む女忍。二人の夜は、まだ始まったばかりだった。
いつになく主(王の側室)が真剣な表情でカゲロウを呼んだ。カゲロウは音もなく天井裏から降り立ち、主の前に片膝をつく。
「この男、夜会で女性を物色し、薬漬けにして連れ去ってしまうという噂があるわ。……女の敵よ! 証拠を掴みなさい」
「はっ! ……私がですか?」
いつものように即答したカゲロウだったが、すぐに戸惑いが顔に出た。こういった色仕掛けや潜入捜査は、彼女が最も苦手とする分野だ。
「他の、もっと適任な者に任せた方が良いのでは……」
「いいえ。相手の好みがカゲロウ、貴女と一致しているのよ」
「はあ……」
物好きもいたものだ、とカゲロウは他人事のように思う。
「早速、カゲロウを深窓の令嬢へと仕立てるわ! 準備して!」
目を輝かせる主。その熱量を見ると
(もしや事件の解決よりも、私を着飾らせること自体が目的ではないか……? )
そんな疑念を抱かずにはいられないカゲロウだった。
華やかな旋律と、高価な香油の匂いが立ち込める夜会の会場。
カゲロウは、慣れない高いヒールで大理石の床を踏みしめていた。
(……歩きにくいな。これなら、屋根の上を飛び回っている方が百倍マシだ)
今日の彼女は、いつもの黒鉄の装束も、髪を隠す額当ても付けていない。夜の闇を溶かしたような深い紺色のドレスを纏い、背中まで流した艶やかな黒髪には真珠の飾りが光っている。その姿は「男装の麗人」としての鋭さを潜め、触れれば折れそうな、しかし気高く凛とした一輪の百合のようだった。
「……いた。あそこか」
扇で顔を半分隠しながら、鋭い瞳がターゲットである伯爵を捉える。だがその時、会場がわずかにざわめいた。
「白銀騎士団長、ゼノス様だ……」
入り口に現れたのは、光沢のある白の礼服に身を包んだゼノスだった。
普段の鎧姿も神々しいが、正装した彼はまさに「太陽」そのもの。カゲロウは思わず任務を忘れ、その輝きに小さく息を呑む。
(やっぱり、あの人は光の中にいるのが一番似合う。……本当に、綺麗だ)
純粋な賞賛を胸の中で呟き、彼女は足早にその場を去ろうとした。これ以上近づけば、鋭い彼のことだ。偽装を見破られ、任務の邪魔をされるかもしれない。
「――待ってください。そこの貴女」
背後からかけられた低く、心地よい声に、カゲロウの心臓が跳ねた。
ゆっくりと振り返ると、そこにはいつもの険しい表情を消し、どこか戸惑ったような、熱を帯びた瞳で自分を見つめるゼノスがいた。
「……何か、御用でしょうか。騎士団長様」
カゲロウは精一杯、淑女らしい声を絞り出す。
ゼノスは一瞬、言葉を失った。目の前の女性から、不思議と目が離せない。その瞳の奥にある真っ直ぐな光が、なぜか「あの忌々しい忍」を思い起こさせたが、目の前の美しい人がまさかあの不遜な忍びだとは、彼の脳は微塵も認識しなかった。
「失礼。あの……どこかでお会いしたことは?」
(しまっ……不埒なナンパのような言葉しか出てこない……!)
緊張のあまり、自分の語彙力のなさを呪うゼノス。対するカゲロウは、気まずさに視線を逸らした。
「いいえ。ここには知人に勧められて来ただけですので……」
嘘は言っていない。知人がこの国のトップ(側室)というだけだ。
「すみません。あまりに貴女が美しくて……見惚れてしまいました。僕と少し、お話しでもしませんか?」
照れたように、しかし必死に食い下がるゼノスに、カゲロウは焦る。
(まずい。このままでは伯爵を見失ってしまう。……もしや、正体がバレているのか?)
彼のことだ。偽装の甘さを見抜き、泳がせながら出方を伺っているのかもしれない。
カゲロウは牽制を込めて問いかけた。
「貴方は私と話をしていて良いのですか? 団長ともあろう方が、お連れ様を放っておいては示しがつかないでしょう」
「連れは居ません。なので、もし貴女もお一人なら……僕のパートナーになっていただけないかと」
差し出されたゼノスの手は、手袋越しでも伝わるほど微かに震えていた。
カゲロウは困ったように眉を下げながらも、その手を拒むことができなかった。
(……なるほど。私を監視下に置き、動きを封じるつもりか。あるいは、私の背後にいる『知人』を探るための罠か……)
彼女は、それがゼノスの精一杯のアプローチだとは夢にも思わず、「これも彼の完璧な作戦の一つなのだろう」と、深く疑いもしなかったのだ。
そもそも、ゼノスがここに居るのも任務のためではなかった。
主(国王)から「この夜会で恋人の一人でも見つけて来なさい」と、無理やり送り込まれたのだ。
いい歳をして浮いた話の一つもないゼノスを心配し「後宮で気に入った娘がいれば譲ってやってもいい」とまで言い出す王を安心させるため、仕方なく参加したに過ぎない。
ゼノスには、これまで結婚の意思もなければ、女性にトキメキを感じたことすら一度もなかった。
今夜も退屈な時間を過ごすだけだと思っていた。まさか自分でも驚くほどの衝撃が走るとは思っていなかった。
「……風に当たりませんか。あちらのバルコニーなら、静かです」
ゼノスは、震える手で優しく令嬢(カゲロウ)の手を引く、夜風の吹く場所へと彼女を誘った。
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