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リサによる数ヶ月の「令嬢教育」は、苛烈を極めるものだった。
もともと読み書きの素養はあったものの、「書き順がなっておりません、下手です! もう少し丁寧に、この文字を一時間書き続けてください」と、リサの指導は一切の妥協を許さない。
傍で見ていたエルの額には、何度も青筋が浮かんだ。しかし、リサはユナ自らが選んだ専属メイドだ。エルが外から口を出しても、当のユナはどこ吹く風である。
「流石に言葉が過ぎるのではないか、下女の分際で」
「ユナの癖のある字は可愛い。修正するのは勿体ないだろう!」
「なぜ同じ文字を一時間も書かせるんだ!」
いちいち口を挟むエルに、とうとうユナがキレた。
「エル様が煩くて集中できません! 私のメイドに勝手に怒らないでください。リサのは愛のある厳しさなんです。黙っていられないなら、部屋から出てください!」
本気で怒られ、部屋を追い出されそうになったエルは平謝りし、なんとか許しを得た。それ以来、エルが教育に口を挟むことはなくなった。
文字の次はマナーだ。淑女らしい言葉遣いから社交ダンス、テーブルマナーにいたるまで、一通りリサから教わった。数ヶ月で捨て猫が上品な淑女に生まれ変わるのは難しく、付け焼き刃ではあるが、時間は待ってくれない。
「ユナ様は物覚えが良くて助かりました。あとは、うっかりボロが出ることにだけ注意していただければ結構です。学園でも私がお側をお守りします。最悪、私がすべてカバーしますので、安心してください」
リサのその言葉に、ユナは全幅の信頼を寄せることにした。
そして春。ついに王立最高学園の入学式がやってきた。
学園の門をくぐる馬車の中で、ユナは窮屈なコルセットと、エルの熱を帯びた視線に息苦しさを感じていた。
「いいかい、ユナ。改めて言うけれど、君は僕が救い出した『没落令嬢』だ。悪い親戚に騙されて不遇な生活を送っていたけれど、本来は気高い生まれなんだ。いい、誰に何を聞かれても、これまでのことは口にしてはいけないよ」
エルの指先が、ユナの耳元で揺れる大粒の翡翠の耳飾りに触れる。
「君の過去を知っているのは、僕だけでいいんだ」
「……分かっています。でも、そんな嘘、いつかバレるのでは?」
傍にリサがいても、ユナの不安は拭えない。
「バレないさ。君の戸籍も記録も、僕がすべて『整理』した。君は今日から、僕が磨き上げた一点物の宝石なんだから」
馬車が止まり、エルのエスコートでユナが外へ降り立つ。
一瞬で、周囲の視線が集中した。ワインレッドの髪、透き通るような白い肌、アメジストのような瞳。そして、王室の至宝のごとき輝きを放つドレス。
人々が「あの美しい令嬢は誰だ」と囁き合う中、エルの表情は満足げでありながら、その瞳の奥には排他的な光が宿っていた。
「殿下! そちらの女性は……」
駆け寄ってきたのは、エルの友人らしき高位貴族の少年たちだ。エルはユナの腰を引き寄せ、これ見よがしに微笑んだ。
「僕の婚約者のユナだ。あまりじろじろ見ないでくれるかな。彼女はとても内気で、僕以外の視線には慣れていないんだ」
ユナはエルの腕の中で、内心溜息をついた。
(内気ではないけど……)
実際、彼女にとって、この豪華な学園も貴族たちも、森のモンスターよりずっと奇妙で、理解しがたい生き物に見えた。
「ユナ様、と仰るのですね。失礼ですが、どちらの家のお生まれで?」
一人の少年が興味深げに距離を詰める。瞬間、エルの放つ空気が凍りついた。
「――聞こえなかったかい? 彼女は僕の婚約者だ。名前を呼んでいいのは、僕だけだよ」
エルの声は穏やかだったが、全員が蛇に睨まれた蛙のように硬直した。王子がこれほど露骨な独占欲を示すのは、前代未聞だ。
入学式の間も、エルはユナの手を一刻も離さなかった。ユナは壇上の挨拶を聞き流しながら、会場の隅に置かれた生け花に目を留めた。
(あのアネモネ、元気がなさそう……)
無意識に植物へ意識を向ける彼女の横顔を、エルは獲物を監視するような瞳で見つめていた。
「ユナ、大丈夫。君を馬鹿にする奴も奪おうとする奴も、僕が一人残らず片付けるからね」
その囁きは、ユナには自分を追いかけてくる影の呪文のように聞こえた。
(そんなこと望んでないのに。エルの婚約者として振る舞う方がよっぽど重荷だわ。……ねぇ、リサ。困ったら助けてくれるわよね?)
ユナが無意識にリサを探すと、視線を感じた。
リサは会場の天井(梁の上)から、忍びのようにユナを見守っていた。
(ユナ様、私は何があっても貴女を守ります。ですから、そんな不安そうな表情をなさらないでください!)
式が終わり、教室へ移動する途中。一人の華やかな令嬢が立ちはだかった。
「殿下、お戯れはおやめください。そのような出自も知れぬ女を連れて歩くなんて……。私は認めませんわ!」
いよいよ、エルの「遊び」に牙を剥く者が現れた。ユナは面倒くさそうに目を細め、リサから教わった『恋敵が現れた時の対応』を思い出した。
「……なんですの、貴女。退いてくださる? その香水の匂い、調合が雑すぎて鼻が痛いわ」
(よし! 完璧だわ! 褒めてね、リサ!)
その場が凍りついた。
対照的に、エルの口元は、狂おしいほどの歓喜に歪んでいた。
もともと読み書きの素養はあったものの、「書き順がなっておりません、下手です! もう少し丁寧に、この文字を一時間書き続けてください」と、リサの指導は一切の妥協を許さない。
傍で見ていたエルの額には、何度も青筋が浮かんだ。しかし、リサはユナ自らが選んだ専属メイドだ。エルが外から口を出しても、当のユナはどこ吹く風である。
「流石に言葉が過ぎるのではないか、下女の分際で」
「ユナの癖のある字は可愛い。修正するのは勿体ないだろう!」
「なぜ同じ文字を一時間も書かせるんだ!」
いちいち口を挟むエルに、とうとうユナがキレた。
「エル様が煩くて集中できません! 私のメイドに勝手に怒らないでください。リサのは愛のある厳しさなんです。黙っていられないなら、部屋から出てください!」
本気で怒られ、部屋を追い出されそうになったエルは平謝りし、なんとか許しを得た。それ以来、エルが教育に口を挟むことはなくなった。
文字の次はマナーだ。淑女らしい言葉遣いから社交ダンス、テーブルマナーにいたるまで、一通りリサから教わった。数ヶ月で捨て猫が上品な淑女に生まれ変わるのは難しく、付け焼き刃ではあるが、時間は待ってくれない。
「ユナ様は物覚えが良くて助かりました。あとは、うっかりボロが出ることにだけ注意していただければ結構です。学園でも私がお側をお守りします。最悪、私がすべてカバーしますので、安心してください」
リサのその言葉に、ユナは全幅の信頼を寄せることにした。
そして春。ついに王立最高学園の入学式がやってきた。
学園の門をくぐる馬車の中で、ユナは窮屈なコルセットと、エルの熱を帯びた視線に息苦しさを感じていた。
「いいかい、ユナ。改めて言うけれど、君は僕が救い出した『没落令嬢』だ。悪い親戚に騙されて不遇な生活を送っていたけれど、本来は気高い生まれなんだ。いい、誰に何を聞かれても、これまでのことは口にしてはいけないよ」
エルの指先が、ユナの耳元で揺れる大粒の翡翠の耳飾りに触れる。
「君の過去を知っているのは、僕だけでいいんだ」
「……分かっています。でも、そんな嘘、いつかバレるのでは?」
傍にリサがいても、ユナの不安は拭えない。
「バレないさ。君の戸籍も記録も、僕がすべて『整理』した。君は今日から、僕が磨き上げた一点物の宝石なんだから」
馬車が止まり、エルのエスコートでユナが外へ降り立つ。
一瞬で、周囲の視線が集中した。ワインレッドの髪、透き通るような白い肌、アメジストのような瞳。そして、王室の至宝のごとき輝きを放つドレス。
人々が「あの美しい令嬢は誰だ」と囁き合う中、エルの表情は満足げでありながら、その瞳の奥には排他的な光が宿っていた。
「殿下! そちらの女性は……」
駆け寄ってきたのは、エルの友人らしき高位貴族の少年たちだ。エルはユナの腰を引き寄せ、これ見よがしに微笑んだ。
「僕の婚約者のユナだ。あまりじろじろ見ないでくれるかな。彼女はとても内気で、僕以外の視線には慣れていないんだ」
ユナはエルの腕の中で、内心溜息をついた。
(内気ではないけど……)
実際、彼女にとって、この豪華な学園も貴族たちも、森のモンスターよりずっと奇妙で、理解しがたい生き物に見えた。
「ユナ様、と仰るのですね。失礼ですが、どちらの家のお生まれで?」
一人の少年が興味深げに距離を詰める。瞬間、エルの放つ空気が凍りついた。
「――聞こえなかったかい? 彼女は僕の婚約者だ。名前を呼んでいいのは、僕だけだよ」
エルの声は穏やかだったが、全員が蛇に睨まれた蛙のように硬直した。王子がこれほど露骨な独占欲を示すのは、前代未聞だ。
入学式の間も、エルはユナの手を一刻も離さなかった。ユナは壇上の挨拶を聞き流しながら、会場の隅に置かれた生け花に目を留めた。
(あのアネモネ、元気がなさそう……)
無意識に植物へ意識を向ける彼女の横顔を、エルは獲物を監視するような瞳で見つめていた。
「ユナ、大丈夫。君を馬鹿にする奴も奪おうとする奴も、僕が一人残らず片付けるからね」
その囁きは、ユナには自分を追いかけてくる影の呪文のように聞こえた。
(そんなこと望んでないのに。エルの婚約者として振る舞う方がよっぽど重荷だわ。……ねぇ、リサ。困ったら助けてくれるわよね?)
ユナが無意識にリサを探すと、視線を感じた。
リサは会場の天井(梁の上)から、忍びのようにユナを見守っていた。
(ユナ様、私は何があっても貴女を守ります。ですから、そんな不安そうな表情をなさらないでください!)
式が終わり、教室へ移動する途中。一人の華やかな令嬢が立ちはだかった。
「殿下、お戯れはおやめください。そのような出自も知れぬ女を連れて歩くなんて……。私は認めませんわ!」
いよいよ、エルの「遊び」に牙を剥く者が現れた。ユナは面倒くさそうに目を細め、リサから教わった『恋敵が現れた時の対応』を思い出した。
「……なんですの、貴女。退いてくださる? その香水の匂い、調合が雑すぎて鼻が痛いわ」
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その場が凍りついた。
対照的に、エルの口元は、狂おしいほどの歓喜に歪んでいた。
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