遥かなる光の旅人

しょこら

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第五章

1.思惑

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 暗い闇の向う側にリヴァがいる。
 おぼつかない足取りで、一心にリヴァの元に行こうとするのだが、近付けば近付こうとするほど、リヴァは遠ざかっていってしまう。エリスはリヴァの名を叫んだ。
「―――!」
 発したはずの声は音にならず、闇に吸収されてしまう。
 横たわるリヴァの横顔。青白く、痩せてこけてしまった頬。輝きを失ってしまった金の髪。力のない細い腕。
 光の中で笑っていたリヴァとは全く違っている。
 遠ざかるリヴァ。
 届かない声。
 陽の差さない冷たい空間に、エリスはうずくまる。
 何も出来ない、どうすることも出来ない無力な自分が悔しくて、とめどなく涙が流れ落ちる。
 誰か、助けて。
 リヴァを助けて。
 闇に声を封じられ、心の中で思いの限り叫ぶ。
『心配はいらない。大丈夫』
 ふいに、温かい光と共に、柔らかな声がエリスを包み込んだ。
 空気が緩やかに動き、肖像画の間で見た光の子が微笑みかけていた。
 優しく穏やかな波動。冷え切った体に染み込むように、ゆったりと光が触れて行く。
「セリスティーナ」
 エリスは光の子に微笑みかけ、ゆっくり瞼を閉じた。



 空間を抜けると、そこはやはり光のない暗闇が広がっていた。
 ファークスを追って来たイアンは、どこか建物の中に出たのだろうと、見当をつける。この際、誰の屋敷かは考えないことにした。家人にしてみれば、イアンは不法侵入者であることに変わりは無い。ティアルーヴァの空間移動には、かなり厳しい規制が設けられている。イアンはまだティアルーヴァですらないが、玄関から入っていない以上、とても説明のしようがない。どうしようもないことは、考えても仕方がないと、イアンはさっさと結論付けた。
 静かではあるものの、人の気配はある。それがファークスのものであるかは分からないが、慎重に足を進めていく。
 手前に階段があった。大きく螺旋を描き、階下から明かりがこぼれている。
 微かに、人の声。
 足音を忍ばせつつ、イアンは階段を降りて行く。微かだった人の声が段々はっきりと聞き取れるようになって来た。
 声は二つあった。
 両方とも男の声だ。
「予言の乙女を隊から引き離したというのにまだ捕えられんのか」
「も、申し訳ありません」
 一方的に相手を叱り付けている低い声と、ひどく脅えて上ずった声。
 叱られ、相手の男に諂っている方がファークスだとイアンはすぐに分かった。
 もう片方の声には聞き覚えはない。
 かなり地位の高い男のようだ。人の上に立ち、命令することに慣れた声。
 イアンが聞き耳を立てていると、ふいに男の声が途絶えた。
 見付かったか、と一瞬ひやりとしたが、違ったらしい。
 コツコツと床をたたく音が聞こえ、その後、何かが床に落とされたらしい。
 人の呻き声が聞こえたとき、イアンは体を堅くした。ファークスのものでない、三人目の男の声。
「かなり弱っておりますなぁ」
 ファークスが、下品で愉悦に満ちた笑い声を漏らして言った。相手の男は鼻で笑っただけである。
 イアンは何とか中を盗み見ようと、僅かな扉の隙間を覗き見た。うまい具合に、人の姿が見えた。
 かなり長身の男だ。黒い髪を後ろに流し、金色の目は冷やかに下方に向けられている。闇使いの黒装束を身につけ、細身ながら威厳に満ちた風貌をしていた。
 部屋は暗く、丁度真下に光源があるらしく、下方から男の顔が明かりに照らされている。
 イアンの角度からは、ファークスの姿は確認出来なかった。
 視線を下に動かすと、イアンは目を見張った。
 金髪の青年がうずくまるようにして、倒れていた。男は腕を組んだまま、足で青年の体を起こし、仰向けさせる。
 青年はひどく消耗しているらしく、微かに呻き声が聞こえて来るだけだ。
「若造が、生意気にも『星』を名乗るとは、身の程知らずな。光の塔も地に落ちたものですなぁ」
「だが、この闇の中、一月以上保つだけのことはある。並の光使いならとっくの昔に消えている。これなら、我が神が与えて下さるエルナーダの良き人柱となるであろう」
「少々、切れ過ぎたのが、この男の災いを呼んだのでしょうなぁ」
 媚び、諂ったファークスの声など初めから聞き流し、イアンはもう一人の男の言葉にひどく驚いた。
 我が神が、与えて下さる、エルナーダ?
 闇の民が我が神と称えるのは、闇の神ヴァネル唯一柱である。
 エルナーダとは、遥か昔に消え去ったはずの闇の大地の名のはずだ。大昔に消えた大地に人柱とは、一体どういうことなのか。それにさっきこの男は、予言の乙女を隊から引き離したとか言っていた。予言の乙女だかはよくわからないが、これは絶対エリスのことだと思った。
 こいつらのせいでエリスは隊からはぐれたのだろう。
「カイユに呼び集めた闇が臨界点に達するまで、もうしばらく時間がいる。もどかしいものだ」
「いずれ、このカイユの闇すべてが御身の力となるでしょう。その暁には、御神自らあなた様のお声を聞き届けられ、我らにエルナーダを与えて下さることでしょう」
 男は喉の奥を鳴らし、笑い声を上げる。
 ふいに男は顔を上げ、ファークスを睨みつけた。
「ファークス、鼠を一匹連れて来たな」
 ギクッとイアンは扉から飛び離れる。
 イアンの気配を悟ったらしいファークスは、凄い勢いで扉を開け放った。視線の先にいたイアンの姿を見て、憤怒の形相に変わる。
「お、お前っ、イアン! いつの間に?」
「ファークス、お前こそ、カイユが闇に覆われた途端逃げ出したと思ったら、こんなところに隠れていやがったのか」
 口だけのファークスなど、イアンは恐れたこともなかった。ただ軽蔑するだけだ。
「闇使いの名が泣くぜ」
「この、がきっ」
 イアンをつかまえようとして伸ばされた腕から、ひょいと身をかわし、あっかんべーをする。
 ファークスは顔を真っ赤にして怒り、めちゃくちゃに手を振り回す。
 イアンはうまく体を動かし、その手にかすりもしない。
「ファークス、何をしている。さっさと捕えて、地下にでもほうり込んでおけ」
「は、ははっ」
 こっけいなくらいに背筋を伸ばし、受け答えるファークスに、イアンは吹き出した。
「お前なんかにつかまるほど、おいらトロくさくないぜ」
 イアンは闇使いに向けて、おいでおいでをして挑発する。闇使いの顔は、これ以上にない程赤く上気し、憤死寸前である。
 チラッと部屋に立つ男の横顔を見遣り、一度ここから離れたほうがいいとイアンは判断した。
 充分、ファークスを引き付け、後は機会を待つ。おそらく、あの場に倒れていた金髪の青年が、エリスの従兄だろうとイアンは思った。
 ひどく憔悴した顔が気になった。痩せ細った腕が生々しく脳裏に焼き付いている。
 何とかして機会を作り、あの兄ちゃんを助けださなければ。今のままじゃまずい。
 のんびりしている暇はなかった。


 闇鬼の鈎爪によって傷を負ったエリスを連れ、ルーリックはナナの家に戻った。
 一通りの手当を施し、やっと落ち着きを見せたエリスにほっと安堵する。
 一時は本当に危なかった。
 エリスの中の光がほとんど消えてしまっていた状態で、エリスに光を送る行為は危険な賭けに近かった。
 闇の民に光を送ればバランスを崩し崩壊する。光玉に消された闇鬼のように。
 けれどエリスはルーリックの光を受け入れた。やはりエリスは光の民でもあるのだ。その事実にルーリックは震えるほどの歓喜を覚えた。
「…リ…ヴァ…」
 夢を見ているのだろうか。泣きながら従兄の名を呼ぶエリスを落ち着かせたくて、そっと手を握った。緩やかに光を送り込む。
 闇の中で光を失いつつあったエリスの目は、すでに金色に近かった。
 少しずつ光を送り続け、ようやく微かに目を開けたエリスの瞳は、元の青い色に戻っていた。
 エリスはうっすらと微笑み、今度は安らかな寝息を立て、眠りつく。
 微かにもれた声は、セリスティーナと紡いだ。
 ルーリックはたじろぐ。
 今、ナナは席を外している。青年はナナがいなくて良かったとほっとした。
 ルーリックにとっては、セリスティーナの名は、とても懐かしいものだった。
 遠く離れてしまった笑顔。
 けれど、目を閉じればいつでも思い出せる。
 暖かな光の中で過ごした、優しい日々。
 まだセリスティーナがティアニーと呼ばれ、光の大地レイルーンが失われていなかった遠い昔の日。
 ティアニーの澄んだ笑い声が、今でも聞こえて来そうな錯覚に陥る。
 目の前で眠っている黒髪と青い瞳の少女に、光を送りながら、青年は微笑する。
 そして、小さく独白する。
「ティアニー、見付けたよ。…僕の夢を。君とアルダスとでつくったこの国で…」
 
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