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第3章 ウツロ救出作戦

第55話 ウツロ・ボーグ

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「虫ケラめ、神の力で、滅ぶがよい……!」

 魔女・ディオティマの手にかかって作り変えられてしまったウツロ。

 その名もウツロ・ボーグが放つ殺意のオーラに圧倒され、鷹守幽たかもり ゆうは首筋を冷汗で湿らせた。

「――っ!?」

 ストレート・パンチの一閃。

 見えなかった、速すぎて。

 そして、ひどく重い。

 単純に「ぶん殴られる」という行為によって、黒衣の暗殺者は後方へと吹き飛んだ。

 いや、事はそれだけでは済みそうにない。

「ふんっ!」

 四方八方から矢継早に攻撃を受ける。

 あまりの超スピードに、まるでひとりでダンスでも踊っているように映った。

「ふふふ、すばらしい。まさかこれほどの強さになることができるとは」

 ディオティマは後ろのほうでニヤニヤとほくそ笑んでいる。

「ぎひ……」

 バニーハートは内心、不服だった。

 これまで生きてきてやっと見つけることができた「好敵手」の存在。

 それを「いいところ」で横からかっさわれたのだ。

 興を失うどころではない。

 ほとんど愛する者を奪われるかのごとき屈辱。

 彼はひそかに奥歯をすり減らせた。

 鷹守幽はすでにボロボロになっている。

「とどめだ……!」

 床に倒れこんだ彼に、ウツロ・ボーグは拳を振りかざした。

「幽くん!」

 サイドの壁がまばゆい光を放つ。

 円を描くようにそこがスパッと抉れ、輝く光球が姿を現す。

「む、あれは、ミスター羽柴はしば……!?」

 ディオティマたちが驚いている間にも、光をまとった羽柴雛多はしば ひなたは相棒をすくい取り、そのまままた壁を貫いて遠ざかっていった。

「ふん、逃げたか。口ほどにもない」

 ウツロ・ボーグは余裕の表情だ。

「さすがはウツロさま。龍影会りゅうえいかいのエリート戦闘員を相手に、まさに赤子の手をひねるかのような戦いぶりでございます」

 ディオティマは相変わらずの「小芝居」を続けている。

「なかなかの力だな、ディオティマ。これならすぐにでも、世界の救済はかなうであろう。ほめてつかわす」

「ふふ、ありがたき幸せにございます」

 二人が「それっぽく」会話を交わす中、バニーハートは皮肉にも、鷹守幽の身を案じていた。

 おまえは僕が倒すんだ。

 どうか、無事でいてくれ……

 そんなふうに、祈りにも近い感情をいだいていた。

「手が血で汚れてしまったな。バニーハート、ふけ」

「ぎひ……」

「聞こえないのか? そのだぼだぼの袖でふけと言っているのだ。バカでかいウサギの耳はお飾りなのか?」

「ぎ……」

 ディオティマが顔を寄せてささやく。

(バニーハート、こらえるのです。のちのちアメリカのラボへ戻ったあかつきには、心など完全に奪ってしまえばよいだけのこと。いまは黙って、彼の言うとおりにしておくのです)

 不服だ。

 不服だが、したがうしかない。

「ぎひ……わかりました、ウツロさま……」

「早くしろ、グズが」

「ぎ……」

 バニーハートは言われたとおり黙って、ウツロ・ボーグが差しだした拳をふいた。

 なんという屈辱。

 鷹守幽とのバトルを邪魔しただけでは飽き足らず、この僕にこんな仕打ちを……

 ウツロ、ただで済むと思うなよ?

 ディオティマさまからの許可が得られたときには、貴様に地獄の苦しみを味あわせてやる。

 そんなふうに悶々とした。

「さて、ウツロさま。さくらかんにてご盟友さま方が、ウツロさまのご帰還を待っているよし」

 ディオティマはさりげなく、次の行動を促した。

「ふむ、そうだな。みんなきっと、驚くだろう。俺の力に、俺の美しさに。みんなもぜひ仲間に加え、人類の浄化としゃれこもうではないか。ふふっ、ははは!」

「それがよろしいかと思われます。このディオティマ、みなさまにもお力をお授けすること、抜かりなく。ふふっ、ふははは!」

 邪悪な笑いが地下道にこだました。

 かくしてウツロ・ボーグたちは、かの地さくら館へと向かったのである。

   *

「ひな、た、くん……」

 光球の中で、鷹守幽は目を覚ました。

 みずからが本当に心を許した者にだけ、彼は語りかけるのだ。

「幽くん、よくがまんしたね。本気を出さないのって、疲れるでしょ?」

 羽柴雛多が傷ついた親友を気づかう。

「すべては、組織の、ため……」

「そうだね、幽くん。だけど先生だけ、喜代蔵きよぞう先生だけだ。俺たちを、人間としてあつかってくれるのは」

「先生……」

「がまんだよ、幽くん。先生が天下を取るまでのね?」

「ふふっ、くすくす」

 鷹守幽は子どものように笑った。

 実年齢に対しての幼児性、その裏返しとしての狂気性。

 これが彼の強さの秘密だった。

 そして考えていた、バニーハートのことを。

 ここまで自分を追いつめたのは、あいつがはじめて。

 それはまさに、子どもが遊び道具へと注ぐ愛情に近しかった。

 早くまた戦いたい、あいつと。

 それが僕の、存在理由なのだから……

 ゆりかごの中の赤ん坊のように、黒衣の暗殺者はいつまでも、みずからを満たす夢を見ていたのである。
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