獅子王と海の神殿の姫

若島まつ

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四十八、家族のかたち - parents, enfants -

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 ネフェリアの言ったとおり、庭園の南側には三角屋根のガラス張りの大きな温室があり、中からは聞いたことのない賑やかな鳥の鳴き声が聞こえてくる。その隣には白い石板を敷き詰めて造られた小さな建物があり、この広く美しい庭園に調和していた。
「このお城の庭師さんたちは素晴らしい腕前をお持ちですね。そういう方を集められたネフェリアさまのご人徳も素晴らしいです」
 キセが庭を見渡し、惚れ惚れと称賛した。
「スクネも同じようなことを言っていた」
 ネフェリアは快活に笑いながら言った。
「そなたたち兄妹はよく似ているな。母親が違うと言うのに、それほどまでに似るものなのか」
「家族のことを、お聞きになったのですね」
 とキセが訊ねたのは、キセが初めて家族のことを語った時にテオドリックが見せた、拒絶にも似た反応を思い出したからだ。
 知り合った翌日の朝、初めて朝食を共にした後のことだった。
 父には妻が三人おり、母親がそのうちの第三妃であることをキセが告げた後、テオドリックは‘妾腹’と忌々しげに吐き捨てた。その反応にキセはひどく傷付いたが、すぐに後悔した様子のテオドリックを見て感じた。多分、テオドリックも何かにひどく傷付いているのだろうと。
 ネフェリアはどうだろうかと、キセは少し心配になった。スクネが家族の話をした時、テオドリックのようにいやな思いをしなかっただろうか。
 ところがキセの心配をよそに、ネフェリアは穏やかに微笑んだ。
「ああ、聞いた。よい家族のようだな。スクネやそなたを見ていれば分かる。のびのびとしていて、心が晴れやかだ。まあ、…母が三人もいると口煩そうだが。厳しさも三倍になるのかな」
「はい。三人ともそれぞれ着眼点が違うので、とても学ぶことが多いのですよ」
「それは忙しいな」
 ネフェリアが温室の扉を開けながら、おかしそうに言った。
 温室に足を踏み入れると、花や樹木の独特な香りが濃くなり、暖かな湿気を含んだ空気が肌にしっとりと張り付いた。
 濃い緑の大きな葉をつけた木々が植えられ、至る所で明るい色の大輪の花が咲いている。中には壺のような形をした植物や棘の生えた二枚貝のような植物もある。
「こいつらは虫を食べる植物だ。こっちの口が閉じているやつは、捕食後だな。甘い匂いを放ち、待ち伏せて、獲物が来たら、こう――」
 と、ネフェリアは両手を使って花の形をまね、両手を素早く閉じた。
「閉じ込める。捕らえた獲物は溶かして、そいつの養分を吸収するんだ。面白いだろう」
「へえ!」
 キセは目を見張ってまじまじとその鉢植えを眺めた。
「不思議です…」
 この時、キーッと外で聞いたのと同じ鳥の鳴き声がすぐ近くから聞こえてきたので、キセは頭上を見上げてキョロキョロとその姿を探した。
 ボコボコと大きな鱗のような樹皮を持つシュロに似た高い木の枝に、濃いオレンジ色の太い嘴をした大きな鳥を見つけた。体が黒く、顔は白く、目の周りは黄色や空色が混ざったような色をしていて、奇妙だが、美しい。
「わあ…!かわいいです!」
 キセが祈るように手を組んで感嘆したので、ネフェリアは思わず笑い出した。
「かわいいか?」
「はい!お化粧してるみたいで、オシャレさんですね。お名前はなんと言いますか?」
「オオハシだ。わたしは‘バナーヌバナナ’と呼んでいる」
「バナーヌちゃん…。ふふ、嘴の形ですね」
「そうだ」
 ネフェリアがニッと笑った。
 二人が話しているともう一羽の同じ鳥が飛んできて、同じ木にとまった。後から来たほうが嘴が小さい。
「あれが番いの‘バナネット’だ」
「バナネットちゃん」
「繁殖を試みているが、やはり自然と違うからうまく行かないな。本当はあいつらも国に帰りたいだろうが、ここから放すにしても故郷は遠すぎる」
「…ネフェリアさまもテオドリックとよく似ていらっしゃいますね」
 ちょっと寂しそうに鳥を見上げるネフェリアに向かって、キセが言った。テオドリックと同じ優しさを、ネフェリアも持っている。
 ネフェリアはキセに向かって優しく目を細めた。
「そうか」
「ネフェリアさまから見て、アストル家のみなさんはどのようなご家族ですか?」
 この質問をネフェリアはちょっと意外に思ったらしい。少しだけ驚いたような顔でキセを見、あとは大真面目な顔でうーんと悩み始めた。
「初めて訊かれた。そうだな…。姉のサフィールは堅実で利口。婚約者候補の中から一番自分を尊重してくれる相手を巧く選び、窮屈な王家をさっさと離れて、それほど影響力のない無難な貴族の家へ降嫁したからな。テオドリックは孤高の強情っ張り、だが最近は様子が変わってきた。ずいぶんと良い変化があったらしい」
 と言いながら、ネフェリアがキセに笑いかけた。キセはちょっと頬を染めてはにかんだ。
「――オベロンは、繊細さゆえに人の空気に敏感だ。それから、家族は――そうだな。主軸を無くして機能不全を起こしているが、みなそれぞれに情深い。それゆえの危うさもあるかな。…父上が良い例だ」
「主軸は、お母さまのことですね」
「そうだ。家族の中心にはいつも母上がいた。それが突然消えて、みんなバラバラだ。父上は寂しさに耐えきれず、わたしたちを遠ざけた。子供にはみな母の面影があるから、近くにいるのがつらかったのだろうと今は分かるがね。わたしもテオドリックも当時は子供で、拒絶されたという思いしか残らなかった。あいつは、まだそう思っているだろうな。信念の強い男だから、尚更許せない思いもあるのだろう」
 キセは宴でのテオドリックとテオフィル王の会話を思い出した。二人とも親子なのに交わす言葉が極端に少なく、どこかよそよそしかった。
(でも――)
 あの時、キセの目にはもう一つ違うものが映っていた。
「初めてお会いした時の国王陛下は、なんだかとても、‘お父さま’のお顔をなさっていました」
「あの人が父親の顔を?」
「はい。とってもお父さまでした」
「それはあの人をよく知らないからだ」
 と厳しい口調で言ったのは、ネフェリアではなかった。
 二人が振り返ると、温室の入り口にテオドリックが立っている。
「なんだ、無粋なやつだな。女同士の話に割って入るな」
 ネフェリアが苦々しげに言ったが、テオドリックは黙殺してゆっくりと二人に近づいた。
「妻を亡くしてつらかったのはわかるが、母を亡くした子供も同じだ。父親なら、家族を支えるべきだろ。父上は、俺たちを捨てた。国事も」
「デレク」
 ネフェリアが弟の肩に手を置き、ぽんぽんと叩いた。
「わたしたちはもう親を失った子供ではないよ」
(ああ、なんて――)
 キセは無意識のうちに祈る時のように両手を組んでいた。
(なんて、愛の深い方たち)
 キセには初めてこの家族のかたちが見えた気がした。
「…とても素敵なお母さまだったのですね」
 キセが言うと、テオドリックとネフェリアは顔を見合わせ、なんだか意味ありげに含み笑いをした。
「そうだな」
 テオドリックが言うと、ネフェリアも「ああ」と笑った。
「かなり破天荒な人だったが」
「それは意外です。お母さまのお話をもっと聞かせてくださいますか?」
「いいぞ、キセ・ルルー。庭園とサロンと、どちらで茶を飲みたい?」
 ネフェリアがキセの肩に手を回して訊ねると、キセはちょっと口元をむずむずさせた。家族以外の人から幼い頃のあだ名で呼ばれるのは、嬉しくもあるがやっぱりなんだか恥ずかしくもある。このあだ名をネフェリアに教えたのはスクネに間違いないが、兄が外で自分をキセ・ルルーと呼んでいた事実を思うと、それも少し気恥ずかしい。
 が、これも裏を返せば別の事実が見えてくる。あの兄が極めて個人的な家族のことを話すほどに、ネフェリアに気を許していると言うことだ。これは、妹としてはとても喜ばしい。
「庭園がいいです。お天気も良いですし、お母さまの思い出話は、お花に囲まれてしたらもっと楽しくなりそうです」
 キセが笑うと、またしてもネフェリアの手を払いのけるようにテオドリックの手がキセの肩に伸びてきて自分の方へ抱き寄せ、キセの身体がテオドリックの胸にぴったりくっついた。
 赤くなったキセの顔を、テオドリックがにこりともせずに覗き込んだ。テオドリックに重なって表情は見えないが、キセにはなんとなくネフェリアが目を細めている様子がわかる気がした。
 三人が温室から出ると、オベロンが待っていた。
 ガラスの扉の横に背を預け、三人の姿を認めると少年っぽさの残る顔に屈託ない笑みを浮かべて手を振った。
「わたしが呼んだ。たまには姉弟で集まるのもいいだろう」
 と、ネフェリアが得意げに胸を膨らませた。
 オベロンはさり気ない優雅さでキセの手を取ってその甲に口付けの挨拶をし、二人の姉弟には抱擁の挨拶をした。人懐こい中型犬のようだ。
「サフィ姉上も来られたら良かったですね」
 オベロンが心の底から残念そうに言うと、テオドリックは弟に向かって人差し指を立て、ちょっと眉を寄せた。
「それよりお前、来ていたなら何故入って来ない?」
 テオドリックは不思議そうに訊ねたが、キセの見るところ、ネフェリアはどうやらその理由を知っている。秀麗な貌にちょっと面白そうな笑みを浮かべているからだ。この含み笑いは、テオドリックとそっくり同じだ。
「だって、あれがいるでしょう。あ、‘いる’っていうのも何だか変ですけど、虫を食べる花。あれは気味が悪いから好きじゃないんですよ。この中はじめじめするし、空気も何だかちょっと奇妙な感じがして苦手です」
「生命力あふれるとっても可愛いお花でしたよ」
「本気で?」
 オベロンがうげ、と顔で訴えたので、キセは思わず笑い出した。

 四姉弟の母エヴァンジェリーヌ・アストルは、かなり活動的な人物だったらしい。陽射しの中の小麦の穂のような色の髪に深い森のような緑色の目をしていて、背が高く目鼻立ちはテオドリックやネフェリアとよく似ていたというから、相当の美人だったはずだ。
 エヴァンジェリーヌの特技は、歌学や刺繍よりも狩猟だったらしい。それも子供たちに体験をもって教えようとした。まだ三歳のテオドリックを自分の胴に子守帯で括り付けて馬に乗り、「王家の子はかくあるべし」と言って次々と鹿や猪を狩る自分の勇姿を特等席で見守らせていたという。
 キセは最初、冗談を言っているのだと思った。が、どうやら言葉通りの事実らしい。
「度を越した英才教育だったな」
 テオドリックが春の暖かい風を受けながらおかしそうに笑った。
「最初の時のことは覚えていないが、五歳で自分の馬に乗れるようになるまではそうやって連れて行かれた。それも、少なくとも月に二回の頻度で」
「もしかして…」
 キセは持っていたティーカップに口を付けるのをやめ、ネフェリアのほうを向いた。ネフェリアは茶を飲みながらニヤリと笑った。
「わたしもされた。そなたの兄上に聞いてみると良いぞ。母との思い出話をさんざん聞かせたからな」
「本当か」
 と、ネフェリアに聞いたのはテオドリックだった。ネフェリアは驚いた様子の弟を特に気に留めることなく、「ああ」と言った。
「サフィとオベロンは免れたがね」
「僕は嫌がって大暴れしたらしいから」
 オベロンが肩をすくめると、キセはくすくす笑った。
「賢明でしょう。今考えても、絶対に御免です」
「だが代わりに水練をさせられていたな」
 テオドリックが揶揄うように言った。
「おかげで姉弟の誰より泳ぎが得意になりましたよ。海で遭難したら一番長く生き残るのはきっと僕」
 オベロンが胸を張ったので、キセは目を輝かせた。
「わたしも泳ぎは得意なのですよ。生みのお母さまに二歳の頃からみっちり鍛えられましたから。お母さまは泳ぎに関してはとても教育熱心だったんです。オシアスになると決めたときには、船で一時間ほどの小さな島に連れて行かれて、泳いで帰ってこられなければ認められないと言われました」
「それは、…想像できないな。あの温厚そうなオミ・アリア妃にそんな激しい一面があったとは」
 テオドリックがちょっと疑わしげに言った。あの穏やかで凪の海のような佇まいの貴婦人がする所業と思えない。
「オスイアさまの神殿は海の近くなので、水難事故に備えるためです。命に関わることだからと、オミお母さまは本当に厳しくて、泳ぎの訓練中は他のお母さまたちが引くほど人が変わっていました。言葉も変わるんです。お母さまの生まれた地域の方言になったり、祈りの時の古代語で叱られたり…」
 キセは平素穏やかな実母に激しく叱咤されたことを思い出し、ちょっと遠い目をした。
「はは、根性があるな」
 テオドリックが笑うと、ネフェリアとオベロンも声を上げて笑った。キセは‘よいことを思いついた’と言うように、両手をパチンと合わせた。
「そうです、オベロン。夏になったら競泳しませんか?アストレンヌの近くに湖があると聞きました」
「こら、キセ」
 オベロンが応える前に、テオドリックが顔をしかめた。
「だめですか?」
「だめだ」
 理由が分からず、キセは首を傾げた。
「兄上はあなたの水浴姿を他の誰にも見せたくないそうですよ」
 オベロンが理由を代弁してやると、キセは顔を赤くして隣のテオドリックを見上げた。テオドリックの目は‘余計なことを言うな’と、オベロンに向いている。
「我々の母親と、キセの母上には少し似ているところがありそうだな」
 ネフェリアが愉快そうに言った。
 その後も、エヴァンジェリーヌの武勇伝は尽きなかった。夫と子供たちを伴って花見をしに森へ入っていったら冬眠明けのクマが現れたので護衛よりも早くそれを討ち取り肉を焼いて家臣たちに振る舞ったとか、風邪を引いて寝込んだ夫に滋養のあるものを食べさせるために漁へ出、仕掛け網でサメを引き揚げて城へ帰ってきたとか、様々だ。
 彼らが語ったのは、王家でも何でもない、ただの幸せな家族の思い出だった。
 きっとこれが本来の姿なのだろうとキセは思った。
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