レーヌ・ルーヴと密約の王冠

若島まつ

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13 神聖なる継承 - les héritiers légitimes -

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 掴まれたままの右手が熱い。オルフィニナは身じろぎしたが、ルキウスは許さなかった。
「――王が君に指輪を託した時点で、君を嫡出として認めたことになる。君は王の血を分けた実の子だ。母親の血筋なんて、どうでもいい。エギノルフもそう解釈したんじゃないか」
 ルキウスはもっと強い力でオルフィニナの手首を握ると、緑の瞳に剣呑な光を踊らせた。
「エギノルフ王の‘最後’について、調べたんだよ。オルフィニナ」
「何も出ない。箝口令は徹底してた」
「うちの間諜は君が思うよりずっと優秀なんだ。彼らに調べさせたのは、王の生死じゃない。王が病を発する・・・・・直前に誰に会ったかだ。寝室に使用人が出入りできなくなる最後の晩、国王に呼ばれて部屋を訪れたのは、側近のルッツ・アドラーと、オルフィニナ、君だ。何かしら遺言を聞いたに違いないと思ったけど、指輪を見つけて確信したよ。君が、次の国王として、選ばれたんだ。エギノルフ王その人によって」
 ぐにゃりと心臓が歪んだ気がした。ルキウスの言っていることは正しい。
 いやな汗が肌を伝う。ルキウス・アストルが城を留守にしていた数日の間にこれだけの情報を集めていたとは、全く考えつきもしなかった。
「オルフィニナ。君は正統な継承者だ」
 ルキウスは言った。不安で喉が苦しいほど痛むオルフィニナの様子など歯牙にも掛けない、冷徹な声だ。
「…違う」
「違わない。エギノルフ王が縁談を握りつぶしてまで君をどこにも嫁にやらなかった理由は、王国を君に引き継ごうとしていたからだ」
 オルフィニナはいやな脈動を繰り返す心臓を無視して、ルキウスを睨めつけた。
「――もし、百歩譲ってそうだとしても、わたしがあなたの妃になるということは絶対に起こりえない」
 今度はルキウスが笑い声を上げた。
「なぜ?これが一番簡単だろ。君はもう俺のものなんだから」
「どうかしてる」
 オルフィニナは吐き捨てるように言った。誓約がある以上、オルフィニナの自由はルキウス・アストルのものだ。情婦として身体を差し出せというならそれも覚悟していたが、正式な婚姻となると話は別だ。どう考えても、道理に合わない。倫理に反している。
「否定はしない。実を言うと、かなりムカついてるんだ。汚い裏取り引きで王位を簒奪しようとする奴らが計画通りに事を運ぶのが、吐き気がするほど気に入らない。言っただろ、俺は舐められるのは嫌いだ」
「あなたがしていることと何が違う?同じじゃないか。ヴァレル・アストルもフレデガル・ドレクセンも、ルキウス、あなたも、同類だ」
「取り引きがあるという点では共通してるけど、大事なことを忘れてるよ」
 ルキウスがニヤリと笑ってオルフィニナの唇に指で触れた。
「俺と君は正統な継承者だ。この神聖な権利は、誰にも奪わせてはいけない」
「わたしは、女王にもあなたの妃にもならない」
「でも君は王の指輪を持ってる。父親に突き返さず、さっさと叔父にもくれてやらず、七年もの間ずっと隠し持ってたのは、簒奪者から弟を――本当の継承者を守るためじゃないのか?」
「その通りだ。だがあなたの言う方法で守れるとはとても思えない」
「だから俺の妃にはならない?でも試してみる価値はある。だろ?それに、俺たちの間には誓約がある」
「そんなもの――」
 続きを口にすることは叶わなかった。
 口をルキウスの唇に覆われたからだ。
「――っ、んん…!」
 いとも簡単に舌が入ってくる。柔らかく熱いものが絡みつき、思考を鈍らせる。胸に触れていた手がガウンの襟元を滑り、ベルトを解いて前を開いた。ルキウスがガウンの下の鳩尾へ手のひらを滑らせ、唇を触れ合わせながら薄く笑う。吐息が肌を舐め、オルフィニナの身体を震わせた。
「下は何も着てないんだな。準備がいい」
「ちが…」
 またしても唇を塞がれた。
 オルフィニナはせめてもの抵抗に自由を許されている左手でルキウスの肩を押したが、びくともしない。
「本当は、今夜は君が泣いて赦しを乞う姿を見たかったんだ。そうなれば今日のところは逃してあげようと思っていたけど、やめた。もう逃がさない。君が誰のものか、自覚してもらわないといけない理由ができたから」
 言うなりルキウスはもう一度唇を奪い、息もつかせないほどに激しく舌を絡めて、開かれたガウンの下で、夜気に冷やされた柔らかな胸を覆った。
 ルキウスの手が空気にさらされて冷えた肌に熱を与えながら胸を覆う。
「――!ふ、う…」
 オルフィニナはルキウスの唇の下で呻いた。全身の細胞がざわざわと騒ぎだし、頭の中で警鐘を鳴らし始める。
 ルキウスの指が胸の先端を掠めると、得体の知れない小さな衝撃が走った。オルフィニナは堪らず身をよじって逃げようとしたが、両脚の間に膝をつかれ、身体を壁に押し付けられて、更に自由を奪われた。
 ルキウスの舌が絡みつき、呼吸もままならない。唾液が唇から溢れたが、もはやどちらのものか判らない。触れられた胸の先端が形を変えていくのを、それがルキウスの指を押し上げる感覚で知った。オルフィニナは掴まれたままの右手を、身体の中を走り回る奇妙な感覚に耐えるように、いつの間にか硬く握りしめていた。
「怖いの?」
 唇を解放して、ルキウスが言った。
 ルキウスは硬く握られたオルフィニナの右手を解すように手首から上へ指を這わせ、オルフィニナの細い指を自分の長い指に絡めた。
「…怖くない」
 見え透いている。
 ルキウスは唇が意地悪く吊り上がるのを堪えきれなかった。
「ここに、触れたのは――」
 ビク!とオルフィニナの肌が跳ねた。ルキウスが胸の先端を、円を描くように優しく撫でたからだ。
「――もしかして俺が初めてなのかな」
「だったら、何」
 声が上擦っている。
「とても光栄に思う。俺のレーヌ」
 ルキウスは満足げに笑んでオルフィニナの肩からガウンを滑り落とした。反射的に胸を隠そうとしたオルフィニナの左手も捕らえて壁に押し付け、身を屈めて首筋に吸い付いた。
 柔らかい唇の感触が肌に熱を灯し、次第にオルフィニナの思考を鈍らせる。それとは裏腹に、肌の感覚は鋭くなっていく。夜気と濡れた髪が肌を刺すようだ。逃げたくて堪らない。が、逃げ場などないことをオルフィニナは知っている。
 ルキウスの手が鎖骨へ下り、今度は左の胸を覆ってその先端を撫でた。オルフィニナは喉の奥で小さく呻いた。呼吸が荒く熱くなっている自覚はある。ぞくぞくとせり上がってくるこの感覚の正体も、理解している。が、認めたくない。
 熱い唇が首から左胸へと啄むようなキスを繰り返しながら下りてくる。これだけで、胸の先端が硬くなった。馬鹿正直な反応だ。自分でも情けなくなってくる。
 そこにキスされる。――と身構えた瞬間、ルキウスが肌に触れる直前でピタリと止まった。
「…嘘を吐いたな」
 声に怒りを滲ませ、胸元から顔を上げたルキウスの目が、暗く静かな怒りを映している。
「なに?」
「君の胸に触れたのは俺が初めてだと言っただろ。じゃあこれ・・は何だ」
 ルキウスが指し示したのは、暴かれた左の乳房の上部に印された刺青だった。
 白い肌に濃い青の線で描かれているのは、横を向いて咆哮する狼の頭部の図像で、狼の横顔はとても人の手で描かれたとは信じられないほどの細密な幾何学模様で構成されている。
 ルキウスの目には、その文様が解読できない文字のようにも見えた。――クインの右腕に彫られていたものと、よく似ている。
 オルフィニナはこの不可解な憤りに困惑したが、もはやそれをうまく躱す方法を考えることなどできなかった。
 だいたい、ここに物理的に触れた最初の人間がルキウスでなかったから何だと言うのか。意味がわからない。
「別に、肯定はしていない。それに、これは――あっ…!」
 オルフィニナに最後まで言わせず、ルキウスは狼の下の淡く色づいた実を唇で覆った。
 ビリビリと身体が甘く痺れる。ルキウスの舌が胸を食み、熱い手のひらが乳房の感触を確かめるように這う。
「んんっ…」
 オルフィニナは今まで聞いたことのない声が自分の喉から上がるのに耐えられず、唇を噛み締めた。
 逃げ場のない感覚から逃れようとするように、右手に絡められたルキウスの左手をきつく握りしめると、ルキウスももっと強い力で握り返してくる。
 不可解だ。こんなに一方的な行為なのに、まるで二人が与え合っているみたいに感じる。
「ふ、あ…っ」
 ルキウスは乳房の上の狼に噛み付くように歯を立て、強く吸っていくつも痕を残した。痛みなら耐えられる。が、これは違う。
「君の身体に他の男の痕跡を残すなんて許さない」
 胸から顔を上げてオルフィニナの顔を覗き込んだ緑色の目は、夜の森のように暗かった。
「男の痕跡じゃない。これは、…ベルンシュタインの印だ」
 ルキウスがオルフィニナの柔らかい胸を手で覆い、今度は首筋に噛み付いた。
「ん…!」
「君はベルンシュタインじゃないと言ったよな。それなのに、なぜその印がある。また俺を欺いたのか」
「違う」
 オルフィニナは奥歯を噛んだ。またこの男に心の奥を覗かれる。
「…わたしは、王の娘だからベルンシュタインにはなれなかった」
 ルキウスの指が乳房の先端を撫でて摘み、身体の中に小さな火花を散らした。
「…っ、普通は、長の訓練を終えた者が印を彫ることを許される。咆哮し走るベルンシュタインの狼を。でもわたしは違う。だから、頭部だけ彫った。ルッツには秘密で」
「ベルンシュタインになりたかった?」
「そうだ」
「そんなに家族が大事なんだな」
「っ、あ…」
 耳にかじりつかれ、やわやわと弄ばれる胸からぞくぞくと鋭い感覚が広がっていく。
「わたしには、王国と家族が全てだ」
「じゃあ尚更、身体に教えないといけないな。君はもう王国のものでも、ベルンシュタインのものでもない。――俺のだ」
 オルフィニナは応えなかった。身体の中で激しく鳴り続ける脈動が耳の奥に響く。
「拒んでも無駄だ。君に権利はない」
 ぞくりと肌が小さく震えた。が、オルフィニナは表情だけは変えようとしなかった。全てを奪われるとしても、矜持だけは手放せない。
「言った通り、痛みには慣れてる。どうということはない」
 この時、ルキウスの目がぎらりと獣性を覗かせたのを、オルフィニナは見た。体内に危険な予兆が走り、ルキウスの唇に濡らされ、指で触れられた場所が熱を持った。
「痛くなんてしてやらない」
 それじゃあ君に俺を刻みつけてやれないだろ。――とまで言ったかどうか自覚もないまま、ルキウスはオルフィニナの唇を覆い、舌を弄び、一糸纏わぬ白く美しい裸体を、余すところなくその腕の中に閉じ込めた。
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