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「うぉ……ウェダー……お前なぁ」
「見事に粉々だね」
マーロ夫婦の言葉も無視して、なぜか得意げにウェダーはベネを睨みつけた。
「これでいいんだろ?」
「もっと丁寧に破壊できんのか!」
「まあまあ、これで約束は守られましたよね」
ね?ね?と必死で間に入るシャーリーにすら、ベネは毒づいた。
「お前はどちらの味方なんだ」
「私はウェダーさんの味方のエルフです。あなたも、大変だったのはわかりますけど、変な研究なんかするからですよ」
「うっ……」
変わり者のベネは、その趣味の為にわざわざ故郷を捨てたのだ。
エルフにとって魔法は、風が吹くのが当たり前のような現象の一つ。
わざわざ、それを研究する為に、魔法書や小道具が手に入りやすい、首都の近くに潜んでいたのが運の尽きだった。
「これで約束は果たしたな」
「あとは私を、森まで送って欲しい。といっても、私の故郷はシャーリーの集落と違って、完全なる人とは隔離された場所だから、近くまででいい」
「だそうですよ、団長。では、俺はとっとと退団してシャーリーと教会へ……」
「じゃあ、ウェダー。頼んだぞ」
ドフがウェダーの言葉を無視して、サラリと指令を出した。
途端に、ウェダーの怒りが爆発する。
「どうして俺が!」
「お前じゃなく、そっちのエルフが気難しくて、同じエルフの言葉しか聞かないんだよ」
ベネの人への不信は根強く、この数日の事情徴収にさえシャーリーが通訳のように付き添った。
それゆえに、ウェダーが大人げなくベネに対し嫌悪をあらわにする。
シャーリーを挟んで犬猿の仲になった二人は、もう役割が固定化された調整役のシャーリーが間に入って、なんとか共に森に向かう事になった。
「もう、ベネさんは、もう少し優しくなって下さい」
「ふんっ」
「ウェダーさん、楽しみですね。また一緒に旅が出来るなんて」
ニコニコと愛しい女にこう言われては、ウェダーも引くしかなかった。
「そうだなシャーリー。本当は、二人きりが良かった」
「ちゃんと、送り届けてあげましょうね」
全ての手続きを終えて、三人はドフの邸宅から森に向かう旅に出た。
見送りにマーロが抱き上げた猫の前足を使って、フリフリと振ってくれる。
「可愛い!すいません、その子の面倒をお願いして」
「いいさ、魔法で召喚した子だ。私が責任をもって飼うよ。それより、気を付けて。また、いつでも遊びにおいで」
「はい」
首都に来て色々あったけれど、マーロさん達とも出会えて本当に良かった。
軽装の馬車を引くのは、黒毛のウェダーの愛馬。
用意された騎士が御者を務め、拠点ごとに交代する仕組みになっていた。
「おいウェダー」
「……はい」
「気を付けて、行ってこい。ご苦労だった」
「そちらも、お元気で」
笑うドフと違い、無表情のウェダー。そんな二人のやり取りを見て、別れの挨拶みたいだなと、ふとシャーリーは感じた。
「でも、騎士服も着たままだし、ベネさんを送り届けるのも任務の一つよね」
先に乗り込んだベネが、椅子が硬いと文句を言っている声が聞こえ、急いで荷物から毛布を丸めてクッションを作ったりと、あれこれしていると出発となった。
動き出した馬車の窓から身を乗り出して、見送る彼らが見えなくなるまで、シャーリーは手を振り続けた。
馬車の中は、ピリリとした険悪な空気が漂っていた。
向かいに座るベネは、シャーリーが用意してくれた毛布を丸めてクッションにしたものに体を委ねて、視線は外を向けたまま。
ウェダーは横にいる愛しい番に、ちょっかいを出しては叱られていた。
「ダメです、ウェダーさん」
「どうして?シャーリーにこそ、クッションが必要だろ?俺の膝に乗ればいい」
「だからダメですって。どうして腰に手が回ってるの」
「少しでも、シャーリーで満たしたい」
呆れたベネの嫌味が飛ぶ。
「人ごときに好かれて、大変だな。甘い言葉に耳が腐りそうだ」
対して、ウェダーも負けてはいない。
「愛を知らないエルフは、哀れなものだ。愛の言葉すら拾えぬムダな耳は、腐ればいいのに」
「こらっ!ウェダーさん」
「教えてやらないと、シャーリー。これが愛し合う者たちの姿だと」
ひたすらイチャイチャを繰り返すウェダーと、呆れるエルフ。
そして、襲われるドジエルフを乗せて馬車は進む。
初日の晩に到着した騎士の拠点の町にて、馬車を預けて用意された宿に泊まる。
大きさこそ平凡な二階建てだが、防犯の為に騎士団より貸し切りとなっていた。
「贅沢ですね!」
「この程度の宿しか取れんのか」
正反対の意見のエルフを護衛しつつ、ウェダーは宿の並びの扉の前に立つ。
「枯れたエルフはそちらだ。シャーリー、俺たちはこっちだよ」
「私も一緒の部屋なんですか?」
「君は一応、部外者枠だから俺とセットだ」
「おい、ウェダーとか言ったな。私はお前より何十年も年上なんだ。敬意を持て」
「何十年も年上なのに、愛も知る機会もなかったのか……」
ベネは顔を赤くして、自ら用意された部屋に入るなり、バタンと激しく扉を閉めた。
また喧嘩して……と、呆れるシャーリーと、ニコニコと笑顔のウェダーはいい性根をしていた。
「さあ、邪魔者は消えた。入って休もうシャーリー」
「邪魔者って……彼は護衛対象ですよ?」
「あくまでそれはオマケだ。メインはシャーリーと森への旅行だという気分なんだが」
「ちゃんと仕事の気持ちを忘れないで下さい」
がっくりと項垂れたシャーリーは、部屋に入るなり疲れが襲い掛かる。
車内では緊張して気を張りつめていたのが、緩んでしまったらしい。
「シャーリー、荷物を一度置いて夕食を……ん?眠ったのか?」
ウェダーが見たのは、添え付けのソファーに横になり、すやすやと眠る番の姿。
顔を覗き込み、甘い吐息を奪うように鼻先を近づけた。
「どこまで、お預けさせるんだ君は。まあ、ここまで来たら、とことん耐えてやるが」
頬に軽くキスをすると、むずかる赤子のようにシャーリーが声をあげる。
「んーっ、ん」
「ご褒美が楽しみだな」
もう一度だけキスをして、そのまま優しく抱き上げてベッドに寝かせる。
こうして初日は、シャーリーを堪能する事ができないウェダーだったが、それでも彼女の側にいられるだけで、心が落ち着いていた。
朝食が不味いと文句を言うベネと、なら喰うなと言うウェダー。
昨夜ぐっすりと寝たシャーリーは、朝からシャワーを浴びて爽快な気持ちで、二人の間をとりなした。
そして、また馬車に乗り込み森を目指す。
ベネの集落は、エルフでも最近は珍しい人とも獣人とも接触を拒む方針らしい。
他の集落の話を聞くのは初めてで、シャーリーは馬車内でベネに色々な話を強請った。
物知らずのシャーリーを馬鹿にしながらも、ベネは自らの知識や経験を惜しみなく語ってくれる。
たまに休憩で馬車を降りて、体を伸ばして気分転換をする。
それは、目立つエルフを隠すために、大抵は人のいない湖や森の近くで確保された、贅沢な時間。
「ウェダーさん、ほらこっちに薬草がありますよ」
「よく見つけたな。ああ、木の上で危険だから、俺がとるよ」
木の枝に片手をかけて、足で軽く蹴り上げる。
すぐに姿の見えなくなったウェダーは、バサリと枝を打つ音と共に、垂直に落下して着地した。
その手には、シャーリーの言う薬草の葉っぱが握られている。
「もっととってこようか?」
「いえ、十分です。これは粉にして水で溶かすんです」
そうして湖の水を沸かして、ゴリゴリと粉にした薬草を溶かし緑の液体を作り上げた。
興味深そうに見ていたベネは、その色に顔をしかめた。
「気味の悪いことをするんだな」
「エルフは葉っぱをそのまま使いますけど、これは人の知恵で、こうするとより沢山使えるんですよ」
包帯を浸して、そしてそれをベネのまだ治らぬ足首の痣に巻いてやる。
「痛みが少しはマシになるといいのですが」
「……たしかに、薬液が効果を発揮しているのか、温かい気がする」
「私の母が、人の薬師だったので教えてもらったんです。打撲や筋肉痛、疲れに効果があるんですよ」
「だが臭いな」
「すぐに空気を含んで、気にならなくなりますよ」
言われた通り、ベネはその後に臭いと一度として言う事がなく、また薬草を集めるシャーリーを馬鹿にする事はなくなった。
出来上がった薬用包帯は、ウェダーはもちろん、御者として付き添う騎士にも使用された。
シャーリーは、惜しみなく自らの得たささやかな技術や知恵で、役に立とうとする。
その必死さと健気さは、自分にだけ向けられるべきだとウェダーは思いつつも、いきいきと皆の為に頑張る彼女を温かく見守るしかなかった。
幾日も過ぎて、宿に泊まる回数が多くなる度に、シャーリーの疲れが蓄積していった。
顔には出さぬシャーリーだが、ベネですら見かねて気遣った。
「おい、私はもうこのクッションは邪魔だ。お前が使え」
「なら馬車の荷台に片づけますね」
「そうでなく、お前が使えと言っている」
ウェダーはベネをチラリと見たのちに、受け取ったクッションを設置して、シャーリーの席を整えた。
「ありがとうございます」
「女性に対しては当然だ。その程度の礼儀は、ひねくれエルフにもあったようだ」
「……ふんっ」
馬車はガタガタと道なき道を進む。
既に大きな街道をそれて、ベネの指定する地点まであと少しだった。
「私って、本当に冒険に向いてないのかも。気遣って貰う程に、弱いんだなって感じます」
弱音が出たシャーリーを慰めたのは、ウェダーではなくベネだった。
「エルフが、繊細で弱いのは当然だ。それでも自分で決めた事なら、誇りをもって貫くしかないだろう」
「誇りだけで、ご飯は食べていけないんですよ」
想定外の庶民的な返事に、窓に肘をついていたベネがズルリと滑る。
だが、そんなシャーリーが可愛いと、ウェダーは肩を抱き寄せた。
「ちゃんと、俺が食べさせてあげるから。晩飯は何にしようか?」
「いや、そうじゃないだろ?ずっと見ていて私でもわかる。シャーリーは、なぜかお前と共に並びたいと思って頑張ってるんだろ?」
ベネに指摘され、ウェダーはシャーリーを改めて見つめた。
笑って見つめ返してくれると思った番が、真剣な顔でこちらを見ていた。
「シャーリー……」
「何度も言ってます。私は、お荷物じゃなくって、お役に立ちたいんです」
「だから、俺の側にいてくれるだけで充分なんだが」
流石にベネですら、頭を抱えるように手で顔を覆う。
そしてウェダーに忠告した。
「お前は騎士だからか、本当に女の心が見えないんだな」
「お前にだけは、言われたくない」
「言うさ、シャーリー。理解力のない一方的な男ではなく、私とともにエルフの世界に帰ろう」
突然のベネの提案に、シャーリーは困惑したが、答えはスルリと勝手に出た。
「いやです。私はこの世界で頑張りたいんです」
「でも、この男はお前を囲いたい。だが、お前は自由に生きて活躍したいんだろ?」
シャーリーに触れていた、ウェダーの手が離れていく。
わずかに、その指先が震えている事にシャーリーは気づき、すぐさま掴んだ。
「私、きっと待つだけの貴族の妻は無理だと思うんです。でも、離れたくないって我儘が溢れそうで……」
泣くなと、グッと唇を噛みしめて耐える。
これだけは伝えないと、私の想い……後悔だけはしないように。
「あなたが好きです。でも、やっぱり冒険者を続けたい気持ちは、変わらないんです」
「わかった、わかったからシャーリー。ほら、そんなに力むと唇が切れる」
ウェダーの両手が、優しく顔を撫でるように包む。
だけど、その視線を合わせると、今度こそ泣いてしまう。
目を瞑るシャーリーの唇に、かさついたウェダーの唇が重なった。
ベネがいる。そんな事すら気にならない程に、シャーリーはキスだけで満たされていく。
離れがたい温もりが離れた途端に、誰よりもシャーリーにとって心地よい声が告げた。
「心配しないでいい。ちゃんと考えてるって言っただろ?」
ベネは何も告げない。
ただ、目を逸らすように窓に視線を向けた。
故郷は間もなくだ。
嗅ぎ慣れた空気が近づいてくる。
横目でチラリと前を見たが、二人だけの世界はまだ続いているようだ。
ベネは小さくあくびをしながら、確かに相手がいると楽しいのかも、と百年生きて初めて感じていた。
「見事に粉々だね」
マーロ夫婦の言葉も無視して、なぜか得意げにウェダーはベネを睨みつけた。
「これでいいんだろ?」
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「まあまあ、これで約束は守られましたよね」
ね?ね?と必死で間に入るシャーリーにすら、ベネは毒づいた。
「お前はどちらの味方なんだ」
「私はウェダーさんの味方のエルフです。あなたも、大変だったのはわかりますけど、変な研究なんかするからですよ」
「うっ……」
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エルフにとって魔法は、風が吹くのが当たり前のような現象の一つ。
わざわざ、それを研究する為に、魔法書や小道具が手に入りやすい、首都の近くに潜んでいたのが運の尽きだった。
「これで約束は果たしたな」
「あとは私を、森まで送って欲しい。といっても、私の故郷はシャーリーの集落と違って、完全なる人とは隔離された場所だから、近くまででいい」
「だそうですよ、団長。では、俺はとっとと退団してシャーリーと教会へ……」
「じゃあ、ウェダー。頼んだぞ」
ドフがウェダーの言葉を無視して、サラリと指令を出した。
途端に、ウェダーの怒りが爆発する。
「どうして俺が!」
「お前じゃなく、そっちのエルフが気難しくて、同じエルフの言葉しか聞かないんだよ」
ベネの人への不信は根強く、この数日の事情徴収にさえシャーリーが通訳のように付き添った。
それゆえに、ウェダーが大人げなくベネに対し嫌悪をあらわにする。
シャーリーを挟んで犬猿の仲になった二人は、もう役割が固定化された調整役のシャーリーが間に入って、なんとか共に森に向かう事になった。
「もう、ベネさんは、もう少し優しくなって下さい」
「ふんっ」
「ウェダーさん、楽しみですね。また一緒に旅が出来るなんて」
ニコニコと愛しい女にこう言われては、ウェダーも引くしかなかった。
「そうだなシャーリー。本当は、二人きりが良かった」
「ちゃんと、送り届けてあげましょうね」
全ての手続きを終えて、三人はドフの邸宅から森に向かう旅に出た。
見送りにマーロが抱き上げた猫の前足を使って、フリフリと振ってくれる。
「可愛い!すいません、その子の面倒をお願いして」
「いいさ、魔法で召喚した子だ。私が責任をもって飼うよ。それより、気を付けて。また、いつでも遊びにおいで」
「はい」
首都に来て色々あったけれど、マーロさん達とも出会えて本当に良かった。
軽装の馬車を引くのは、黒毛のウェダーの愛馬。
用意された騎士が御者を務め、拠点ごとに交代する仕組みになっていた。
「おいウェダー」
「……はい」
「気を付けて、行ってこい。ご苦労だった」
「そちらも、お元気で」
笑うドフと違い、無表情のウェダー。そんな二人のやり取りを見て、別れの挨拶みたいだなと、ふとシャーリーは感じた。
「でも、騎士服も着たままだし、ベネさんを送り届けるのも任務の一つよね」
先に乗り込んだベネが、椅子が硬いと文句を言っている声が聞こえ、急いで荷物から毛布を丸めてクッションを作ったりと、あれこれしていると出発となった。
動き出した馬車の窓から身を乗り出して、見送る彼らが見えなくなるまで、シャーリーは手を振り続けた。
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向かいに座るベネは、シャーリーが用意してくれた毛布を丸めてクッションにしたものに体を委ねて、視線は外を向けたまま。
ウェダーは横にいる愛しい番に、ちょっかいを出しては叱られていた。
「ダメです、ウェダーさん」
「どうして?シャーリーにこそ、クッションが必要だろ?俺の膝に乗ればいい」
「だからダメですって。どうして腰に手が回ってるの」
「少しでも、シャーリーで満たしたい」
呆れたベネの嫌味が飛ぶ。
「人ごときに好かれて、大変だな。甘い言葉に耳が腐りそうだ」
対して、ウェダーも負けてはいない。
「愛を知らないエルフは、哀れなものだ。愛の言葉すら拾えぬムダな耳は、腐ればいいのに」
「こらっ!ウェダーさん」
「教えてやらないと、シャーリー。これが愛し合う者たちの姿だと」
ひたすらイチャイチャを繰り返すウェダーと、呆れるエルフ。
そして、襲われるドジエルフを乗せて馬車は進む。
初日の晩に到着した騎士の拠点の町にて、馬車を預けて用意された宿に泊まる。
大きさこそ平凡な二階建てだが、防犯の為に騎士団より貸し切りとなっていた。
「贅沢ですね!」
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正反対の意見のエルフを護衛しつつ、ウェダーは宿の並びの扉の前に立つ。
「枯れたエルフはそちらだ。シャーリー、俺たちはこっちだよ」
「私も一緒の部屋なんですか?」
「君は一応、部外者枠だから俺とセットだ」
「おい、ウェダーとか言ったな。私はお前より何十年も年上なんだ。敬意を持て」
「何十年も年上なのに、愛も知る機会もなかったのか……」
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「邪魔者って……彼は護衛対象ですよ?」
「あくまでそれはオマケだ。メインはシャーリーと森への旅行だという気分なんだが」
「ちゃんと仕事の気持ちを忘れないで下さい」
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車内では緊張して気を張りつめていたのが、緩んでしまったらしい。
「シャーリー、荷物を一度置いて夕食を……ん?眠ったのか?」
ウェダーが見たのは、添え付けのソファーに横になり、すやすやと眠る番の姿。
顔を覗き込み、甘い吐息を奪うように鼻先を近づけた。
「どこまで、お預けさせるんだ君は。まあ、ここまで来たら、とことん耐えてやるが」
頬に軽くキスをすると、むずかる赤子のようにシャーリーが声をあげる。
「んーっ、ん」
「ご褒美が楽しみだな」
もう一度だけキスをして、そのまま優しく抱き上げてベッドに寝かせる。
こうして初日は、シャーリーを堪能する事ができないウェダーだったが、それでも彼女の側にいられるだけで、心が落ち着いていた。
朝食が不味いと文句を言うベネと、なら喰うなと言うウェダー。
昨夜ぐっすりと寝たシャーリーは、朝からシャワーを浴びて爽快な気持ちで、二人の間をとりなした。
そして、また馬車に乗り込み森を目指す。
ベネの集落は、エルフでも最近は珍しい人とも獣人とも接触を拒む方針らしい。
他の集落の話を聞くのは初めてで、シャーリーは馬車内でベネに色々な話を強請った。
物知らずのシャーリーを馬鹿にしながらも、ベネは自らの知識や経験を惜しみなく語ってくれる。
たまに休憩で馬車を降りて、体を伸ばして気分転換をする。
それは、目立つエルフを隠すために、大抵は人のいない湖や森の近くで確保された、贅沢な時間。
「ウェダーさん、ほらこっちに薬草がありますよ」
「よく見つけたな。ああ、木の上で危険だから、俺がとるよ」
木の枝に片手をかけて、足で軽く蹴り上げる。
すぐに姿の見えなくなったウェダーは、バサリと枝を打つ音と共に、垂直に落下して着地した。
その手には、シャーリーの言う薬草の葉っぱが握られている。
「もっととってこようか?」
「いえ、十分です。これは粉にして水で溶かすんです」
そうして湖の水を沸かして、ゴリゴリと粉にした薬草を溶かし緑の液体を作り上げた。
興味深そうに見ていたベネは、その色に顔をしかめた。
「気味の悪いことをするんだな」
「エルフは葉っぱをそのまま使いますけど、これは人の知恵で、こうするとより沢山使えるんですよ」
包帯を浸して、そしてそれをベネのまだ治らぬ足首の痣に巻いてやる。
「痛みが少しはマシになるといいのですが」
「……たしかに、薬液が効果を発揮しているのか、温かい気がする」
「私の母が、人の薬師だったので教えてもらったんです。打撲や筋肉痛、疲れに効果があるんですよ」
「だが臭いな」
「すぐに空気を含んで、気にならなくなりますよ」
言われた通り、ベネはその後に臭いと一度として言う事がなく、また薬草を集めるシャーリーを馬鹿にする事はなくなった。
出来上がった薬用包帯は、ウェダーはもちろん、御者として付き添う騎士にも使用された。
シャーリーは、惜しみなく自らの得たささやかな技術や知恵で、役に立とうとする。
その必死さと健気さは、自分にだけ向けられるべきだとウェダーは思いつつも、いきいきと皆の為に頑張る彼女を温かく見守るしかなかった。
幾日も過ぎて、宿に泊まる回数が多くなる度に、シャーリーの疲れが蓄積していった。
顔には出さぬシャーリーだが、ベネですら見かねて気遣った。
「おい、私はもうこのクッションは邪魔だ。お前が使え」
「なら馬車の荷台に片づけますね」
「そうでなく、お前が使えと言っている」
ウェダーはベネをチラリと見たのちに、受け取ったクッションを設置して、シャーリーの席を整えた。
「ありがとうございます」
「女性に対しては当然だ。その程度の礼儀は、ひねくれエルフにもあったようだ」
「……ふんっ」
馬車はガタガタと道なき道を進む。
既に大きな街道をそれて、ベネの指定する地点まであと少しだった。
「私って、本当に冒険に向いてないのかも。気遣って貰う程に、弱いんだなって感じます」
弱音が出たシャーリーを慰めたのは、ウェダーではなくベネだった。
「エルフが、繊細で弱いのは当然だ。それでも自分で決めた事なら、誇りをもって貫くしかないだろう」
「誇りだけで、ご飯は食べていけないんですよ」
想定外の庶民的な返事に、窓に肘をついていたベネがズルリと滑る。
だが、そんなシャーリーが可愛いと、ウェダーは肩を抱き寄せた。
「ちゃんと、俺が食べさせてあげるから。晩飯は何にしようか?」
「いや、そうじゃないだろ?ずっと見ていて私でもわかる。シャーリーは、なぜかお前と共に並びたいと思って頑張ってるんだろ?」
ベネに指摘され、ウェダーはシャーリーを改めて見つめた。
笑って見つめ返してくれると思った番が、真剣な顔でこちらを見ていた。
「シャーリー……」
「何度も言ってます。私は、お荷物じゃなくって、お役に立ちたいんです」
「だから、俺の側にいてくれるだけで充分なんだが」
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そしてウェダーに忠告した。
「お前は騎士だからか、本当に女の心が見えないんだな」
「お前にだけは、言われたくない」
「言うさ、シャーリー。理解力のない一方的な男ではなく、私とともにエルフの世界に帰ろう」
突然のベネの提案に、シャーリーは困惑したが、答えはスルリと勝手に出た。
「いやです。私はこの世界で頑張りたいんです」
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シャーリーに触れていた、ウェダーの手が離れていく。
わずかに、その指先が震えている事にシャーリーは気づき、すぐさま掴んだ。
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泣くなと、グッと唇を噛みしめて耐える。
これだけは伝えないと、私の想い……後悔だけはしないように。
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「心配しないでいい。ちゃんと考えてるって言っただろ?」
ベネは何も告げない。
ただ、目を逸らすように窓に視線を向けた。
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彼が近づいた真の目的は、彼女が守る「禁書」――王国を揺るがす禁断の真実にあったことを。
「君は、私のものだ。禁書も、その魂も、すべてな」
嘘から始まった関係が、執着に変わる。
竜の情欲と宮廷の陰謀が絡み合う、背徳のインモラル・ロマンス。
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