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「お前、昨日エルフと共に消えた男だな!」
ひときわ勢いづいた男が、ウェダーの前に立つ。
ウェダーより一回り大きく、ドフと似た横にも広い体格の男は、激しく長い尻尾を揺らす。
目尻に黒い稲妻の入れ墨が入れられており、特徴的な釣り目が気の荒さを表していた。
「ここにエルフに助けられながらも、恩知らずに貞操を奪った虎がいると聞いてきたが?」
十数名の男たちに囲まれても、ウェダーは動じる事もなく言ってのけた。
その度胸もさながら、告げた言葉に虎たちは動揺した。
「おいおい、エルフと揉めるのは本意じゃない」
「いや、だがルイの為に引く事はできん」
ルイと呼ばれたのは、ウェダーの前に仁王立ちして威嚇する青年の事らしい。
二十代前半という感じか。
日に焼けた肌と盛り上がった筋肉、体中の傷跡から彼が獣人として勇者である事は明白だ。
そして、この虎がアネッサの相手らしい。
先程から、血走った目でウェダーへの敵意を隠す事もない。
「おいお前!中から来たのか?どうやって入った?お前のエルフはどこだ」
「故郷の集落で、お前に傷つけられた友人の治療をしている」
淡々と告げたウェダーとは逆に、ルイは叫ぶ。
「傷つけたんじゃない!番として愛し合っただけだ」
「一方的な愛を、だまし討ちみたいな形でか?」
鼻で笑ったのは、自分自身に対してもだ。
自覚はある……だが、一緒にされたくない。
少なくとも初めての夜は、必死に自分を抑えてシャーリーの体を労わったつもりだ。
なのに、こいつは本能のままに番を喰らったのだ。
「まあ、童貞っぽいしなぁ」
「なんだと!いや……確かにそうだったが、違う!俺はあの子の運命の番だ」
「だから、女の柔らかい身体を加減なく抱いて、痛めつけたのか?」
「違う違う!」
地団駄を踏む姿は、癇癪を持つ子供のようだが、知能の低さにウェダーは冷たい侮蔑を向ける。
「最初が肝心なのに、せめて仲間に女の抱き方くらい聞いておけよ、馬鹿が」
「うぐぐぐっ……いや、だから、次はちゃんとする!満足するまで頑張る!体力には自信が……」
ウェダーの冷静な指摘に、必死で抗うルイに、仲間達もなぜか同情的な雰囲気になった。
「まあまあ、確かサボとエンジは女を知ってるから教えて貰え」
「確かに、お前は浮かれすぎて失敗しただけだ」
仲間達が和やかに男の会話で盛り上がりかけたが、一人の獣人が我に返る。
「そうじゃないだろ!なんで人に諭されて、納得してるんだ?」
ルイが牙をむき、ウェダーに唸る。
「あの子に会わせろ。アレは俺のモノだ」
「治療中だと言っただろうが」
大きくため息をつき、ウェダーはスラリと長剣を抜いた。
「番の心配より、自分の欲望が先か……虎の獣人というのも、そんなもんか」
「ちゃんと俺たちの里に連れ帰り、治療するさ。さあ皮をむかれたくなければ、俺を中に入れろ」
「そして、中のエルフ達を襲うのか?」
「番との仲を邪魔するなら、蹴散らすまでだ!人のお前に、番の尊さなどわかるまい!」
――わかるさ……嫌って程な。
「俺がエルフを愛したのは、番だけが理由じゃない。お前はそれだけなんだな」
「ただの人が、何を語るか!」
ジリジリと狭まる人の圧すら、ウェダーからすれば慣れたものだ。
ただ相手が、人でなく獣人なだけ。
「流石は虎の獣人だな。人、一人に対して集団で襲う気か」
あえて余裕を見せて笑い、剣の角度を変える。
太陽の光を受けた鋼の輝きが、冷たい空気を裂くようにシュッと前に振り下ろされた。
「まあ、恥もプライドもないケダモノだから、恩義を忘れて襲い掛かったあげくに、ケガも負わせるらしいしな」
「おい待て、そこまであの子のケガがヒドイのか?」
やっと己のしでかした事の重大さに気づいたのか、ルイが少し眉を顰めて尋ねた。
「アネッサは、ずっとベッドの上で外出禁止だ」
あえて、それ以上の理由も教えない。
すぐにルイの顔色は真っ青になった。
「俺……そんなつもりじゃ……ああ、アネッサ、そんな名前だったな。くそっ、せめて一目会いたい」
静かだった森に、虎の悲痛な鳴き声が響き渡った。
だが、彼らの剣は降ろされることはない。
なんであろうと、番を認定してしまったからには、あきらめられないのだ。
「会いたいか?」
「当たり前だ!」
「なら、俺と勝負しよう」
ウェダーが持ち掛けたのは、騎士の決闘と同じ一対一の対決だ。
「俺はお前を中に連れて行くことは出来る。俺が負けたら、問答無用で協力してやる。だが、俺が勝ったら俺の指示に従って貰う」
「ははっ、たかが人が勝てるとでも?お前の度胸だけは、褒めてやる」
ルイは途端に道が開けたとばかりに、元気を取り戻した。
思った通り、獣人は単純で分かりやすい性質なのだろう。
なんとかなりそうだと、ウェダーはルイと向かい合う。
「いいぜ、その勝負にのってやる。それで、どうすれば勝ちだ?お前の腕をちぎればいいのか?」
不敵に笑うルイは、腕に自信があるのだろう。
「息の根さえ、止めなければ、何でもアリでいいな?」
「あーっはっは!いいな、お前、本当に気に入った!」
重い大剣は自らの腰までの長さのある、扱いが難しい代物だ。
だが、手慣れた様子で片手でぶん回したルイは、目を細めた。
金色の瞳の輝きが増し、獣の気配が増していく。
「いいぜ。かかってこい!」
それを合図に、ウェダーは切りかかる。
素早い動きで飛び込むように剣を振ったが、曲線を描き風を切ったのみで、ルイは素早い動きで後退した。
獣人にとって、人の運動能力など赤子のようなものだ。
圧倒的な差にルイは、あざ笑う。
「人にしてはいい剣だが、冒険者レベルだと、どれ位なんだ?」
答えず、何度もウェダーは剣で切りかかるが、ルイは笑って避けていく。
周囲の者達も、はやし立てながら見学を始めた。
彼らは、勝利を確信していた。
それが、隙を作るためのウェダーの作戦だとも知らずに。
勝負は一瞬でついた。
ウェダーが胸元から出した小瓶の粉を、ルイの顔面にぶつけたのだ。
「ケブッ……なんだこれっ!てめえ、卑怯な!」
「なんでもアリだと、さっき言っただろうが」
流石のウェダーも、生粋の虎の獣人とやり合うのは骨が折れる。
だから、シャーリーから偶然手に入れた痺れ薬を活用した。
風に舞った粉は周囲にも飛び散った。
周囲の動きが鈍くなる中で、ウェダーは全力でルイの大剣を叩き負った。
バキッという音と共に、痺れて動けないルイの瞳が大きく開いた。
「お前っ……その目は!」
「勝負ありだ!」
痺れる体であっても、ルイは折れた剣先を放り投げ、すぐさま拳を繰り出したが、ウェダーの動きが一歩速かったのは、経験の差だろう。
きちんと専門的な訓練を受けたウェダーの技術が、ルイの力任せに突進してきた悪あがきを交わし、ついでとばかりに通過するルイの後頭部を、剣の柄で思い切り殴りつけた。
普通の人間なら、頭蓋骨が粉砕するだろうが、獣人の体は頑丈だった。
だが、脳震盪を起こしたルイはそのままドタンと、地面に倒れ気絶した。
他の者たちも咳込む者や、動きづらい体をおして剣を手に持つものと様々だったが、一応はルイとの決闘に手出しはしなかった。
「人とは本当に、姑息だな」
「お前の目、それは我らの血を引く同胞だという事だな」
ウェダーは、ルイを肩に担ぎ足を踏ん張った。
流石にシャーリーと違い、重い。
「俺は人であるが、遠い昔にお前たちの仲間だった先祖はいるらしい」
「ならば我らの為に、ルイに番を与えてくれ」
「ダメだ。俺は人として中立の立場を取らせてもらう。とりあえず、勝負は俺の勝ちだ。こいつを連れて行くぞ」
「どこへだ?」
ルイの仲間達に、ウェダーは背を向け岩に向かう。
足取りは重く、硬い男の体を運ぶのは、楽しいものではない。
「まずは当人たちの話し合いで解決したい。お前たちは、力に頼り過ぎだ。エルフ達と戦争をしたいのではないなら、まずは襲った事をこの馬鹿が謝罪するのが筋だろう」
「だが、相手は番だ」
その言葉に足を止め、ウェダーは静かに振り返った。
男たちは息をのむ。
先程から笑み一つ浮かべないウェダーであったが、ここにきて初めての圧倒的な殺意をむき出しにする。
「番とて、感情がある」
自分に一番に戒めた言葉だ。
ウェダーの睨みに、動きを停止した彼らに再び背を向けて、ウェダーはルイを背負って岩の中に消えた。
少なくとも、ルイがエルフの空間に入れた事を見届けて、仲間達は小さな安堵の息を吐くのであった。
済んだ空気と、木々の色が濃くなったのが戻って来た証拠だ。
呑気に寝ている男を、とっとと振り落としたい気持ちを抑えて、ウェダーは長の場所を目指す。
エルフ達の住居が近づくにつれ、ウェダーの背に担いだ男の尻尾を見て、エルフ達は悲鳴をあげたり、顔をしかめたりと様々だった。
その中の何人かは、慌てて長の家の方向に走って行ったので、すぐさま連行した事は伝わるだろう。
何人かのエルフの男たちが、縄を持ってかけつけた。
「そいつが例の奴か?なぜ連れてきた」
「まずは話し合いが必要だろう。長にもそう伝えているから、連れてきた」
そのまま広場に向かうと、長老が数人のエルフ達と共に待っていた。
「子供達と女は家で待機していなさい」
長の言葉に、興味深げに見学に来ていた子供が、母親に手を引かれて消えて行った。
若干困り顔のエルフ達の前に、ドサリとルイを落とす。
「んっ……ううーっ」
「おい!起きるじゃないか!また暴れたらどうするんだ、人間は本当に馬鹿なんだな!」
「とりあえず、その縄を貸してくれ」
無意味だと思うが……と思ったが、あえて口に出さずに渡された縄で、ルイの両手首を後ろで縛る。
「その縄は特殊でな。普通の水牛程度なら暴れても大丈夫だ」
得意げなエルフをチラリと見たが、またもやウェダーは余計な口を出さなかった。
こうしてエルフの男たちに囲まれたまま、ルイが目を覚ました。
勢いよく立ち上がると、エルフ達は怯えて距離をとった。
「おい、エルフの集落に入れたんだな!俺の番はどこだ!」
「いいから、落ち着け」
ウェダーが立ち上がろうとしたルイの肩を、力づくで押しながら耳元で小声で囁いた。
「大人しくしてろ。番に会いたいならな」
「うっ……」
ウェダーはそのまま地面にあぐらをかいたルイの真横に立ち、長に礼をする。
「こいつが犯人だ。煮るなり焼くなり……と言いたいところだが、中立としての意見は、当事者同士の話し合いが必要だという意見に、変わりはない」
「まったく。我らの娘を傷つけた虎だけを連れてくるとは……」
「まず、ルイ。お前は絶対に暴れずに反省しろ。何があろうと、ここのエルフ達に危害を加えない事を誓え」
目を泳がせたルイは、不貞腐れた態度で渋々頷いた。
「わかった。とりあえず、俺は番に会いたい。そして、まずはちゃんと謝罪する」
その言葉に、周囲のエルフ達はどよめいた。
むしろ、その驚きように、ルイ自身が驚いたくらいだ。
「なんだよ!俺だって悪かったって、本当は思ってるさ!だけど、番を前にしたら我慢がきかねーんだ」
今度は、泣きべそをかく寸前の顔をするルイだが、長はきっぱりと宣言した。
「何が理由であろうと、お前はエルフを傷つけた事に違いない。だが、お前たちの本能を考えれば、そのままでいい理由もないが、アネッサの意思を無視して、お前の嫁に与えるわけにもいかん」
「俺の嫁なんだよぅ……」
ガックリと項垂れる姿に、これがあの暴れた虎かとヒソヒソと声が上がる始末だ。
だが、ウェダーは油断していない。
ルイは弱った姿を見せつつも、周囲を警戒している気配は消えないからだ。
当然と言えば当然だが、再度ウェダーが釘を刺す。
「余計な事をするな」
「わかってる、うるせぇ」
既に番の気配を感じているのだろう。
ルイのそわそわした動きに、ウェダーもまた注視しながら、長に許可を得てアネッサの元に向かう。
チラチラと遠くから、エルフ達の視線を感じながらルイの縛った縄の先を握る。
ザクザクとアネッサの家に向かう最中、既に昼下がりを迎えている事に気づく。
昼飯すら食べる暇もなく、この虎の相手をしていたのかと腹立たしいが、これで少しはシャーリーの夫である自分の株が上がれば儲けものだ。
少しでも、彼女の為になればいい。
そう耐えているウェダーと違い、ルイは呑気だった。
「つい最近までここにいたのに、懐かしい気分だぜ」
「その時は、虎の姿だったのか?」
尋ねると、ルイはこれでもかという自慢を始めた。
本人いわく、ある虎の住む村の村長の息子であり、歴代の虎の戦士の出であるらしい。
「たまたま、この近くの村に用があったんだ。そしたら、いい匂いに釣られて森に入ったんだが」
その香りは、いつも二点の場所で発生しては消えるらしく、ルイはウロウロと彷徨った。
一瞬でも離れるわけにはいかない、その香りの正体を確認するまでは。
まったく真逆にある二点を、何度も往復するうちに、旅路の食糧も尽きて弱っていく。
何度も太陽が昇り、月に替わる。
人型ではなく、虎の方が動きも早く、食料の調達も容易かった。
あの香りがしなくなった二週間目に、やっと出会う事が出来たのだ。
彼女が近づき、その存在に感動して動けないルイの頭を撫でた。
「いい子ね虎ちゃん。ペットだったのかしら?怖がらないのね……って、あら口をケガしているの?」
先程、野鳥を食べた返り血を、勘違いしたらしい。
それでも待ち続け、体力も気力も限界だったが、場所から離れる選択肢はなかった。
やっと現れた……俺の番……。
大人の大きさ程度の虎の姿のルイは、こうしてアネッサに導かれてエルフの集落に入った。
アネッサの家が集落でも外れの、一番結界に近い場所だったせいで、誰も危険な虎を招き入れられた事に気づく者はいなかったのだ。
あの事件の夜までは……。
ひときわ勢いづいた男が、ウェダーの前に立つ。
ウェダーより一回り大きく、ドフと似た横にも広い体格の男は、激しく長い尻尾を揺らす。
目尻に黒い稲妻の入れ墨が入れられており、特徴的な釣り目が気の荒さを表していた。
「ここにエルフに助けられながらも、恩知らずに貞操を奪った虎がいると聞いてきたが?」
十数名の男たちに囲まれても、ウェダーは動じる事もなく言ってのけた。
その度胸もさながら、告げた言葉に虎たちは動揺した。
「おいおい、エルフと揉めるのは本意じゃない」
「いや、だがルイの為に引く事はできん」
ルイと呼ばれたのは、ウェダーの前に仁王立ちして威嚇する青年の事らしい。
二十代前半という感じか。
日に焼けた肌と盛り上がった筋肉、体中の傷跡から彼が獣人として勇者である事は明白だ。
そして、この虎がアネッサの相手らしい。
先程から、血走った目でウェダーへの敵意を隠す事もない。
「おいお前!中から来たのか?どうやって入った?お前のエルフはどこだ」
「故郷の集落で、お前に傷つけられた友人の治療をしている」
淡々と告げたウェダーとは逆に、ルイは叫ぶ。
「傷つけたんじゃない!番として愛し合っただけだ」
「一方的な愛を、だまし討ちみたいな形でか?」
鼻で笑ったのは、自分自身に対してもだ。
自覚はある……だが、一緒にされたくない。
少なくとも初めての夜は、必死に自分を抑えてシャーリーの体を労わったつもりだ。
なのに、こいつは本能のままに番を喰らったのだ。
「まあ、童貞っぽいしなぁ」
「なんだと!いや……確かにそうだったが、違う!俺はあの子の運命の番だ」
「だから、女の柔らかい身体を加減なく抱いて、痛めつけたのか?」
「違う違う!」
地団駄を踏む姿は、癇癪を持つ子供のようだが、知能の低さにウェダーは冷たい侮蔑を向ける。
「最初が肝心なのに、せめて仲間に女の抱き方くらい聞いておけよ、馬鹿が」
「うぐぐぐっ……いや、だから、次はちゃんとする!満足するまで頑張る!体力には自信が……」
ウェダーの冷静な指摘に、必死で抗うルイに、仲間達もなぜか同情的な雰囲気になった。
「まあまあ、確かサボとエンジは女を知ってるから教えて貰え」
「確かに、お前は浮かれすぎて失敗しただけだ」
仲間達が和やかに男の会話で盛り上がりかけたが、一人の獣人が我に返る。
「そうじゃないだろ!なんで人に諭されて、納得してるんだ?」
ルイが牙をむき、ウェダーに唸る。
「あの子に会わせろ。アレは俺のモノだ」
「治療中だと言っただろうが」
大きくため息をつき、ウェダーはスラリと長剣を抜いた。
「番の心配より、自分の欲望が先か……虎の獣人というのも、そんなもんか」
「ちゃんと俺たちの里に連れ帰り、治療するさ。さあ皮をむかれたくなければ、俺を中に入れろ」
「そして、中のエルフ達を襲うのか?」
「番との仲を邪魔するなら、蹴散らすまでだ!人のお前に、番の尊さなどわかるまい!」
――わかるさ……嫌って程な。
「俺がエルフを愛したのは、番だけが理由じゃない。お前はそれだけなんだな」
「ただの人が、何を語るか!」
ジリジリと狭まる人の圧すら、ウェダーからすれば慣れたものだ。
ただ相手が、人でなく獣人なだけ。
「流石は虎の獣人だな。人、一人に対して集団で襲う気か」
あえて余裕を見せて笑い、剣の角度を変える。
太陽の光を受けた鋼の輝きが、冷たい空気を裂くようにシュッと前に振り下ろされた。
「まあ、恥もプライドもないケダモノだから、恩義を忘れて襲い掛かったあげくに、ケガも負わせるらしいしな」
「おい待て、そこまであの子のケガがヒドイのか?」
やっと己のしでかした事の重大さに気づいたのか、ルイが少し眉を顰めて尋ねた。
「アネッサは、ずっとベッドの上で外出禁止だ」
あえて、それ以上の理由も教えない。
すぐにルイの顔色は真っ青になった。
「俺……そんなつもりじゃ……ああ、アネッサ、そんな名前だったな。くそっ、せめて一目会いたい」
静かだった森に、虎の悲痛な鳴き声が響き渡った。
だが、彼らの剣は降ろされることはない。
なんであろうと、番を認定してしまったからには、あきらめられないのだ。
「会いたいか?」
「当たり前だ!」
「なら、俺と勝負しよう」
ウェダーが持ち掛けたのは、騎士の決闘と同じ一対一の対決だ。
「俺はお前を中に連れて行くことは出来る。俺が負けたら、問答無用で協力してやる。だが、俺が勝ったら俺の指示に従って貰う」
「ははっ、たかが人が勝てるとでも?お前の度胸だけは、褒めてやる」
ルイは途端に道が開けたとばかりに、元気を取り戻した。
思った通り、獣人は単純で分かりやすい性質なのだろう。
なんとかなりそうだと、ウェダーはルイと向かい合う。
「いいぜ、その勝負にのってやる。それで、どうすれば勝ちだ?お前の腕をちぎればいいのか?」
不敵に笑うルイは、腕に自信があるのだろう。
「息の根さえ、止めなければ、何でもアリでいいな?」
「あーっはっは!いいな、お前、本当に気に入った!」
重い大剣は自らの腰までの長さのある、扱いが難しい代物だ。
だが、手慣れた様子で片手でぶん回したルイは、目を細めた。
金色の瞳の輝きが増し、獣の気配が増していく。
「いいぜ。かかってこい!」
それを合図に、ウェダーは切りかかる。
素早い動きで飛び込むように剣を振ったが、曲線を描き風を切ったのみで、ルイは素早い動きで後退した。
獣人にとって、人の運動能力など赤子のようなものだ。
圧倒的な差にルイは、あざ笑う。
「人にしてはいい剣だが、冒険者レベルだと、どれ位なんだ?」
答えず、何度もウェダーは剣で切りかかるが、ルイは笑って避けていく。
周囲の者達も、はやし立てながら見学を始めた。
彼らは、勝利を確信していた。
それが、隙を作るためのウェダーの作戦だとも知らずに。
勝負は一瞬でついた。
ウェダーが胸元から出した小瓶の粉を、ルイの顔面にぶつけたのだ。
「ケブッ……なんだこれっ!てめえ、卑怯な!」
「なんでもアリだと、さっき言っただろうが」
流石のウェダーも、生粋の虎の獣人とやり合うのは骨が折れる。
だから、シャーリーから偶然手に入れた痺れ薬を活用した。
風に舞った粉は周囲にも飛び散った。
周囲の動きが鈍くなる中で、ウェダーは全力でルイの大剣を叩き負った。
バキッという音と共に、痺れて動けないルイの瞳が大きく開いた。
「お前っ……その目は!」
「勝負ありだ!」
痺れる体であっても、ルイは折れた剣先を放り投げ、すぐさま拳を繰り出したが、ウェダーの動きが一歩速かったのは、経験の差だろう。
きちんと専門的な訓練を受けたウェダーの技術が、ルイの力任せに突進してきた悪あがきを交わし、ついでとばかりに通過するルイの後頭部を、剣の柄で思い切り殴りつけた。
普通の人間なら、頭蓋骨が粉砕するだろうが、獣人の体は頑丈だった。
だが、脳震盪を起こしたルイはそのままドタンと、地面に倒れ気絶した。
他の者たちも咳込む者や、動きづらい体をおして剣を手に持つものと様々だったが、一応はルイとの決闘に手出しはしなかった。
「人とは本当に、姑息だな」
「お前の目、それは我らの血を引く同胞だという事だな」
ウェダーは、ルイを肩に担ぎ足を踏ん張った。
流石にシャーリーと違い、重い。
「俺は人であるが、遠い昔にお前たちの仲間だった先祖はいるらしい」
「ならば我らの為に、ルイに番を与えてくれ」
「ダメだ。俺は人として中立の立場を取らせてもらう。とりあえず、勝負は俺の勝ちだ。こいつを連れて行くぞ」
「どこへだ?」
ルイの仲間達に、ウェダーは背を向け岩に向かう。
足取りは重く、硬い男の体を運ぶのは、楽しいものではない。
「まずは当人たちの話し合いで解決したい。お前たちは、力に頼り過ぎだ。エルフ達と戦争をしたいのではないなら、まずは襲った事をこの馬鹿が謝罪するのが筋だろう」
「だが、相手は番だ」
その言葉に足を止め、ウェダーは静かに振り返った。
男たちは息をのむ。
先程から笑み一つ浮かべないウェダーであったが、ここにきて初めての圧倒的な殺意をむき出しにする。
「番とて、感情がある」
自分に一番に戒めた言葉だ。
ウェダーの睨みに、動きを停止した彼らに再び背を向けて、ウェダーはルイを背負って岩の中に消えた。
少なくとも、ルイがエルフの空間に入れた事を見届けて、仲間達は小さな安堵の息を吐くのであった。
済んだ空気と、木々の色が濃くなったのが戻って来た証拠だ。
呑気に寝ている男を、とっとと振り落としたい気持ちを抑えて、ウェダーは長の場所を目指す。
エルフ達の住居が近づくにつれ、ウェダーの背に担いだ男の尻尾を見て、エルフ達は悲鳴をあげたり、顔をしかめたりと様々だった。
その中の何人かは、慌てて長の家の方向に走って行ったので、すぐさま連行した事は伝わるだろう。
何人かのエルフの男たちが、縄を持ってかけつけた。
「そいつが例の奴か?なぜ連れてきた」
「まずは話し合いが必要だろう。長にもそう伝えているから、連れてきた」
そのまま広場に向かうと、長老が数人のエルフ達と共に待っていた。
「子供達と女は家で待機していなさい」
長の言葉に、興味深げに見学に来ていた子供が、母親に手を引かれて消えて行った。
若干困り顔のエルフ達の前に、ドサリとルイを落とす。
「んっ……ううーっ」
「おい!起きるじゃないか!また暴れたらどうするんだ、人間は本当に馬鹿なんだな!」
「とりあえず、その縄を貸してくれ」
無意味だと思うが……と思ったが、あえて口に出さずに渡された縄で、ルイの両手首を後ろで縛る。
「その縄は特殊でな。普通の水牛程度なら暴れても大丈夫だ」
得意げなエルフをチラリと見たが、またもやウェダーは余計な口を出さなかった。
こうしてエルフの男たちに囲まれたまま、ルイが目を覚ました。
勢いよく立ち上がると、エルフ達は怯えて距離をとった。
「おい、エルフの集落に入れたんだな!俺の番はどこだ!」
「いいから、落ち着け」
ウェダーが立ち上がろうとしたルイの肩を、力づくで押しながら耳元で小声で囁いた。
「大人しくしてろ。番に会いたいならな」
「うっ……」
ウェダーはそのまま地面にあぐらをかいたルイの真横に立ち、長に礼をする。
「こいつが犯人だ。煮るなり焼くなり……と言いたいところだが、中立としての意見は、当事者同士の話し合いが必要だという意見に、変わりはない」
「まったく。我らの娘を傷つけた虎だけを連れてくるとは……」
「まず、ルイ。お前は絶対に暴れずに反省しろ。何があろうと、ここのエルフ達に危害を加えない事を誓え」
目を泳がせたルイは、不貞腐れた態度で渋々頷いた。
「わかった。とりあえず、俺は番に会いたい。そして、まずはちゃんと謝罪する」
その言葉に、周囲のエルフ達はどよめいた。
むしろ、その驚きように、ルイ自身が驚いたくらいだ。
「なんだよ!俺だって悪かったって、本当は思ってるさ!だけど、番を前にしたら我慢がきかねーんだ」
今度は、泣きべそをかく寸前の顔をするルイだが、長はきっぱりと宣言した。
「何が理由であろうと、お前はエルフを傷つけた事に違いない。だが、お前たちの本能を考えれば、そのままでいい理由もないが、アネッサの意思を無視して、お前の嫁に与えるわけにもいかん」
「俺の嫁なんだよぅ……」
ガックリと項垂れる姿に、これがあの暴れた虎かとヒソヒソと声が上がる始末だ。
だが、ウェダーは油断していない。
ルイは弱った姿を見せつつも、周囲を警戒している気配は消えないからだ。
当然と言えば当然だが、再度ウェダーが釘を刺す。
「余計な事をするな」
「わかってる、うるせぇ」
既に番の気配を感じているのだろう。
ルイのそわそわした動きに、ウェダーもまた注視しながら、長に許可を得てアネッサの元に向かう。
チラチラと遠くから、エルフ達の視線を感じながらルイの縛った縄の先を握る。
ザクザクとアネッサの家に向かう最中、既に昼下がりを迎えている事に気づく。
昼飯すら食べる暇もなく、この虎の相手をしていたのかと腹立たしいが、これで少しはシャーリーの夫である自分の株が上がれば儲けものだ。
少しでも、彼女の為になればいい。
そう耐えているウェダーと違い、ルイは呑気だった。
「つい最近までここにいたのに、懐かしい気分だぜ」
「その時は、虎の姿だったのか?」
尋ねると、ルイはこれでもかという自慢を始めた。
本人いわく、ある虎の住む村の村長の息子であり、歴代の虎の戦士の出であるらしい。
「たまたま、この近くの村に用があったんだ。そしたら、いい匂いに釣られて森に入ったんだが」
その香りは、いつも二点の場所で発生しては消えるらしく、ルイはウロウロと彷徨った。
一瞬でも離れるわけにはいかない、その香りの正体を確認するまでは。
まったく真逆にある二点を、何度も往復するうちに、旅路の食糧も尽きて弱っていく。
何度も太陽が昇り、月に替わる。
人型ではなく、虎の方が動きも早く、食料の調達も容易かった。
あの香りがしなくなった二週間目に、やっと出会う事が出来たのだ。
彼女が近づき、その存在に感動して動けないルイの頭を撫でた。
「いい子ね虎ちゃん。ペットだったのかしら?怖がらないのね……って、あら口をケガしているの?」
先程、野鳥を食べた返り血を、勘違いしたらしい。
それでも待ち続け、体力も気力も限界だったが、場所から離れる選択肢はなかった。
やっと現れた……俺の番……。
大人の大きさ程度の虎の姿のルイは、こうしてアネッサに導かれてエルフの集落に入った。
アネッサの家が集落でも外れの、一番結界に近い場所だったせいで、誰も危険な虎を招き入れられた事に気づく者はいなかったのだ。
あの事件の夜までは……。
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