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14.悲劇の幕開け
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アイラの屋敷を出てすぐに彼らは待っていた。
騎士の礼をとったあとに、一人の騎士が前に出る。
「隊長の妹君の警護という形で待機しております。副隊長のガウフィールドです。先ほど妹君が見つけた場所と、預かった品の鑑定結果が出ました」
「早いわね、まだ二時間程度しか立っていないと思うけど」
「あくまで伝えられる範囲ですので、ご了承ください」
前置きを置きつつ、副隊長という男は、小さな薬の包み紙を差し出した。
「薬物に関しては急げとの隊長の指示でして。結論から申しますと──この薬物は特殊ですが、成分は把握しています。今回のみ特例で、極秘扱いの解毒剤をお渡しします」
かなり無理をして兄が急がせてくれたのだ。礼はあとで必ず伝えよう。
とにかく今はアイラだ、と踵を返そうとした瞬間──
「まだお伝えすべきことが……」
「あっ……ごめんなさい」
「いえ、それよりも……ここからが重要です。騎士の数を増員致します。理由は――この薬物は、邪教徒だけが使う幻覚毒だからです」
「ひっ……!」
小さく悲鳴をあげたサバサが強く震える。だが騎士は淡々と続けた。
「現場の足跡は女性のもの。ヒール跡からも子供ではなく成人女性と断定します。そして最近、屋敷から突然姿を消したメイドがいたとか。その者について、お話を伺いたい」「いなくなったメイドはシャレーと申しまして、私の姪でございます」
「事情をお聞きしても?」
「は、はい……」
横にいたサバサが、意を決して前に進み出た。
冬の光が弱い影を落とし、背筋が冷たくなる。
乾いた私の唇から、かすれた言葉を紡ぐ。
「使い魔、という言葉は邪教に何か意味がありますか?」
「邪教徒の侮蔑語です。白い者を指す……どこで?」
彼らの目的は、悪魔召喚なのは有名だ。その為に、数々の子供が攫われ殺されている……まって、子供?
白をより憎む彼らにとって、子供であり白であるアイラの存在を知られたのだとしたら?
シャレーと通じていたのも、アイラが目的なのだとしたら?
足元を見つめたまま、私は動けなかった。
「消えたメイド……シャレーの恋人の男に、この庭で逢引していた時に言われました。そのことは兄にも伝えてあります」
「はい。だからこそ邪教の存在を疑い、急ぎ駆けつけました」
副隊長は私の方へ視線を向け、声を落として言った。
「隊長から、ご令嬢が“白”であると聞いております。実は奴らが過去から白を狙っていることは、すでに掴んでいました」
私の憶測が当たっていたとわかり、ヒュッと息を呑んだ。
「この薬は意識を奪い、体力を弱らせますが、即死性はありません。しかも量も不十分で、使った者は扱いを理解していなかったのでしょう」
少しだけ救われ、私は深く頭を下げた。
サバサは別の騎士に連れて行かれ、副隊長より当主であるハロルドはどこかと尋ねられた。
確かに、重要な内容だ。すぐに伝えたいのは山々だが、今の彼は睡眠薬で深い眠りについているはず。
それを告げて、私は急いで受け取った解毒剤をアイラに飲ませたくて、急いでアイラの部屋に向かうと、執事が立ちふさがった。
「先ほど、警備のためにと騎士様が部屋の確認を申し出られました」
この部屋に?私がこの館の入り口で副隊長と話をしていた時に?
胸が凍り、私は部屋へ飛び込んだ。
――誰もいない!
乱れたシーツ。揺れるカーテン。開いた窓。
玄関で話していた、そのほんの隙に――!
私が叫ぶ前に、屋敷の外から声が響く。
「大変です!西側で火災が発生しています!」
「陽動だ!狙いは白き令嬢!」
外で騎士たちの声が聞こえ、アイラの部屋に駆け込んで来た。
「急いで外の騎士と、他の部隊に連絡して包囲網をとれ!」
その騒ぎの中、ふらつく足取りでハロルドが現れた。
「ごめんなさい……私が傍にいるって言ったのに……アイラが!」
「一体、なんの騒ぎだ……?」
騎士たちは、寝室の惨状から誘拐されたと判断した。
ハロルドは悔しげに歯噛みした。
彼らの動きを見て、ハロルドも現状を把握する。
「俺がこの隣の寝室に入ってから、まだ一時間も経っていない。物音ひとつ聞き取れなかったのは……薬のせいか。くそっ」
その言葉に、先程の副隊長がハロルドに睡眠薬の受け取りの詳細を尋ね、すぐさま指示を飛ばす。
「その医師も拘束せよ。重要参考人として扱う」
「代々うちの担当をしてきた医者だが……」
「有名な家系ですね。ですが、今回訪れたのは代替わりしたばかりの息子。これまでに会ったことは?」
「いや、息子になってからは今回が初めてだ……まさか!」
「タイミングが良すぎます。我々を知って強硬手段に出たのでしょう」
明かされていく内容に、私は意識が遠のきそうになる。
ならアイラに飲ませた薬は?思ったより若いと思ったが偽物だったのか?
「先ほど、貴殿の名で飲み物の差し入れが届きました」
「そんな指示はしていない……」
「外部業者が“当主の依頼”だと偽ってきたようです。押収した品の一部は、あなたが飲んだ睡眠薬と同等の物が含まれていると思いますよ」
「くっ……」
「あえてこのタイミングにしたのは、外部から人を入れるキッカケがあったからです。奴らは隙を伺っていたに違いありません」
薬の影響か、ふらついたハロルドを私は咄嗟に支えた。
だが彼は、すぐに自ら離れて体勢を立て直した。
「水を頼む」
執事にそう告げると、ハロルドは袖をまくり、自らの腕に強く噛みついた。
「なっ!」
「これで少しは頭がしっかりとした。アイラの行先、見当は?」
「いくつかの拠点候補の目星はついておりますが」
「どこが本命かわからない……か」
少し意味ありげな視線でつぶやくように言うハロルドに、副隊長も頷いた。
「俺が警備隊にいたのは二年程度だが、あの時から邪教の撲滅には手を焼いていた。ああ、確かに奴らは、薬物や幻覚剤が十八番だったな」
運ばれた水を水差しごとあおるように飲み干し、ハロルドの目に再び力が宿る。
落ち着かないのはむしろ私だった。
とうとう最悪のシナリオが進行してしまった。
元騎士同士の短い会話。その間にも胸が潰れそうだ。
私は焦りに任せて言葉を吐き出す。
「どこへ連れ去られたか目星がついているなら、現場近くへ連れて行ってください!」
私の悲痛な叫びに、周囲が静まり返った。
ハロルドが慰めようと手を伸ばしてきたが、私はそれを振り払い、訴えかけた。
「アイラの体のことはご存じでしょう?少しでも陽に当たったら大変なことになるんです!保護されたら、すぐに抱きしめてあげたい!」
「いや、しかし……」
隊長の妹である私に遠慮をして歯切れが悪いが、それでも受け入れてくれそうにない。
あの結末をアイラに迎えさせるわけにはいかないと、私は必死に懇願した。
「そもそも、皆さまが警備している中で、どうやってアイラを連れ出したんですか?シーツに包まれていたのだと思いますが、そのまま屋敷の外に出るのは目立ちます」
「そうか!先ほどの差し入れ用の荷車を使えば、小柄な子供なら箱でも樽でも隠せる!」
副隊長は残っていた仲間達に号令をかけた。
「急いで差し入れをした食材業者の情報を集めろ」
「ならば、本館の対応した使用人がいるはずだ」
私達が本館に向かうと、ボヤも消え騒然とした使用人たちがいた。
夜番のメイドが駆け寄り、必死に訴えた。
「さっき、あのっ、大きなシーツを方に背負った騎士様を見ました!私見覚えがあるんです!彼は騎士じゃなく、シャレーと仲が良かった肉屋の男のはずなのですが……」
事態はくるくると展開していく、ともかく一秒すら私には耐えがたく焦るばかり。
運悪く、騎士に偽装したガトーに対応した使用人は、ガトーの顔を知らなかった。
「シャレーは、もう二年間も彼に夢中だったのは有名です。でも顔を知っているのは私か、もう一人程度で……。夜の密会は、互いに邪魔しないというルールがあるんです」
「お嬢さん、この紋章の形に見覚えは?」
副隊長が懐から、いびつな炎を象った黒いブローチを取り出した。それを見た夜番のメイドが大きく目を見開く。
「見ました!恋人から貰った物だからと、シャレーが大事にしていたのと一緒です!」
「これで間違いないな、そして差し入れの対応をした使用人から、奴らの逃げた方角もわかった。急いで隊長に報告し我々も向かう」
騎士たちは全員で、逃走方向へ駆け出した。
ハロルドは、副隊長に何度も自らを連れていけと交渉をしていたが、彼らは元騎士であろうと、一般人となったハロルドの同行を拒絶した。
その背を見送り、私はただ暗闇に飲まれそうだった。
だが──ハロルドは違った。
「急いで馬車を用意しろ、小回りのきく小型のやつだ」
まだ体はふらついているのに、彼は諦めていなかった。
アイラを守るには、単騎ではなく馬車が必要だと理解していた。
飾り棚の布を引きちぎり、カーテンも剥ぎ取って抱える。
十分な大きさと厚み。畳む暇も惜しんで、両手にまとめてハロルドに叫んだ。
「私も行きます、急いで!」
ハロルドは一瞬だけ迷ったが、すぐに深く頷いた。
私達は馬車へ飛び乗り、屋敷を振り切るように駆け出した。
願うのはただ一つ。
どうか、アイラが無事でいてくれますように――。
歪んだ炎の向こうで、泣き叫ぶ小さな影と黒い笑い声が聞こえた気がした。
馬車は激しいスピードをあげて走る。
小型の馬車ゆえに揺れがひどく、ハロルドが大きな体で私がよろける度に支えてくれた。
後悔や悔しさが、荒波となって押し寄せてくる。
気をしっかり持たないと、心が押しつぶされそうだ。
「アイラのいる場所を聞けたのですが?」
「いや、あいつらは口を割らない。ただ、会話の端に手がかりがあった。西の正教会に向かっているはずだ」
「正教会!まさか、正教徒のふりをして、邪教徒だったというのですか?」
私の知っているシナリオに、そんな設定はなかった。
小説の始まりは、今から二年後に、妻子を亡くした傷心のハロルドと、箱入り娘のクリスティーネの恋愛小説がメインだったはず。
「その布は、アイラの為の物だな」
目を閉じて、ひたすら歯を食いしばっていた私に、ハロルドが指摘する。
みれば、彼も自らの腕に爪をたて、必死で薬に耐えていた。
「大丈夫だ。君が見た不思議な夢など壊してやるさ」
自らも苦しいはずなのに、私を励ましてくれる。
誰よりも今、辛いのはこの人なのに。そして、私の言葉を信じてくれていた。
あの小説の始まりは死から……、どこにも、それ以前の彼の具体的な描写はなかった。
もしかしたら、今みたいに助けるために足掻いていたかも知れない。
いや、悪い考えに引き摺られるのは、邪教の思う壺、それこそ悪魔の仕業だ。
私はそっと、彼の胸に顔を埋めた。
目を閉じ、この世界の神に静かに祈りを捧げた。
騎士の礼をとったあとに、一人の騎士が前に出る。
「隊長の妹君の警護という形で待機しております。副隊長のガウフィールドです。先ほど妹君が見つけた場所と、預かった品の鑑定結果が出ました」
「早いわね、まだ二時間程度しか立っていないと思うけど」
「あくまで伝えられる範囲ですので、ご了承ください」
前置きを置きつつ、副隊長という男は、小さな薬の包み紙を差し出した。
「薬物に関しては急げとの隊長の指示でして。結論から申しますと──この薬物は特殊ですが、成分は把握しています。今回のみ特例で、極秘扱いの解毒剤をお渡しします」
かなり無理をして兄が急がせてくれたのだ。礼はあとで必ず伝えよう。
とにかく今はアイラだ、と踵を返そうとした瞬間──
「まだお伝えすべきことが……」
「あっ……ごめんなさい」
「いえ、それよりも……ここからが重要です。騎士の数を増員致します。理由は――この薬物は、邪教徒だけが使う幻覚毒だからです」
「ひっ……!」
小さく悲鳴をあげたサバサが強く震える。だが騎士は淡々と続けた。
「現場の足跡は女性のもの。ヒール跡からも子供ではなく成人女性と断定します。そして最近、屋敷から突然姿を消したメイドがいたとか。その者について、お話を伺いたい」「いなくなったメイドはシャレーと申しまして、私の姪でございます」
「事情をお聞きしても?」
「は、はい……」
横にいたサバサが、意を決して前に進み出た。
冬の光が弱い影を落とし、背筋が冷たくなる。
乾いた私の唇から、かすれた言葉を紡ぐ。
「使い魔、という言葉は邪教に何か意味がありますか?」
「邪教徒の侮蔑語です。白い者を指す……どこで?」
彼らの目的は、悪魔召喚なのは有名だ。その為に、数々の子供が攫われ殺されている……まって、子供?
白をより憎む彼らにとって、子供であり白であるアイラの存在を知られたのだとしたら?
シャレーと通じていたのも、アイラが目的なのだとしたら?
足元を見つめたまま、私は動けなかった。
「消えたメイド……シャレーの恋人の男に、この庭で逢引していた時に言われました。そのことは兄にも伝えてあります」
「はい。だからこそ邪教の存在を疑い、急ぎ駆けつけました」
副隊長は私の方へ視線を向け、声を落として言った。
「隊長から、ご令嬢が“白”であると聞いております。実は奴らが過去から白を狙っていることは、すでに掴んでいました」
私の憶測が当たっていたとわかり、ヒュッと息を呑んだ。
「この薬は意識を奪い、体力を弱らせますが、即死性はありません。しかも量も不十分で、使った者は扱いを理解していなかったのでしょう」
少しだけ救われ、私は深く頭を下げた。
サバサは別の騎士に連れて行かれ、副隊長より当主であるハロルドはどこかと尋ねられた。
確かに、重要な内容だ。すぐに伝えたいのは山々だが、今の彼は睡眠薬で深い眠りについているはず。
それを告げて、私は急いで受け取った解毒剤をアイラに飲ませたくて、急いでアイラの部屋に向かうと、執事が立ちふさがった。
「先ほど、警備のためにと騎士様が部屋の確認を申し出られました」
この部屋に?私がこの館の入り口で副隊長と話をしていた時に?
胸が凍り、私は部屋へ飛び込んだ。
――誰もいない!
乱れたシーツ。揺れるカーテン。開いた窓。
玄関で話していた、そのほんの隙に――!
私が叫ぶ前に、屋敷の外から声が響く。
「大変です!西側で火災が発生しています!」
「陽動だ!狙いは白き令嬢!」
外で騎士たちの声が聞こえ、アイラの部屋に駆け込んで来た。
「急いで外の騎士と、他の部隊に連絡して包囲網をとれ!」
その騒ぎの中、ふらつく足取りでハロルドが現れた。
「ごめんなさい……私が傍にいるって言ったのに……アイラが!」
「一体、なんの騒ぎだ……?」
騎士たちは、寝室の惨状から誘拐されたと判断した。
ハロルドは悔しげに歯噛みした。
彼らの動きを見て、ハロルドも現状を把握する。
「俺がこの隣の寝室に入ってから、まだ一時間も経っていない。物音ひとつ聞き取れなかったのは……薬のせいか。くそっ」
その言葉に、先程の副隊長がハロルドに睡眠薬の受け取りの詳細を尋ね、すぐさま指示を飛ばす。
「その医師も拘束せよ。重要参考人として扱う」
「代々うちの担当をしてきた医者だが……」
「有名な家系ですね。ですが、今回訪れたのは代替わりしたばかりの息子。これまでに会ったことは?」
「いや、息子になってからは今回が初めてだ……まさか!」
「タイミングが良すぎます。我々を知って強硬手段に出たのでしょう」
明かされていく内容に、私は意識が遠のきそうになる。
ならアイラに飲ませた薬は?思ったより若いと思ったが偽物だったのか?
「先ほど、貴殿の名で飲み物の差し入れが届きました」
「そんな指示はしていない……」
「外部業者が“当主の依頼”だと偽ってきたようです。押収した品の一部は、あなたが飲んだ睡眠薬と同等の物が含まれていると思いますよ」
「くっ……」
「あえてこのタイミングにしたのは、外部から人を入れるキッカケがあったからです。奴らは隙を伺っていたに違いありません」
薬の影響か、ふらついたハロルドを私は咄嗟に支えた。
だが彼は、すぐに自ら離れて体勢を立て直した。
「水を頼む」
執事にそう告げると、ハロルドは袖をまくり、自らの腕に強く噛みついた。
「なっ!」
「これで少しは頭がしっかりとした。アイラの行先、見当は?」
「いくつかの拠点候補の目星はついておりますが」
「どこが本命かわからない……か」
少し意味ありげな視線でつぶやくように言うハロルドに、副隊長も頷いた。
「俺が警備隊にいたのは二年程度だが、あの時から邪教の撲滅には手を焼いていた。ああ、確かに奴らは、薬物や幻覚剤が十八番だったな」
運ばれた水を水差しごとあおるように飲み干し、ハロルドの目に再び力が宿る。
落ち着かないのはむしろ私だった。
とうとう最悪のシナリオが進行してしまった。
元騎士同士の短い会話。その間にも胸が潰れそうだ。
私は焦りに任せて言葉を吐き出す。
「どこへ連れ去られたか目星がついているなら、現場近くへ連れて行ってください!」
私の悲痛な叫びに、周囲が静まり返った。
ハロルドが慰めようと手を伸ばしてきたが、私はそれを振り払い、訴えかけた。
「アイラの体のことはご存じでしょう?少しでも陽に当たったら大変なことになるんです!保護されたら、すぐに抱きしめてあげたい!」
「いや、しかし……」
隊長の妹である私に遠慮をして歯切れが悪いが、それでも受け入れてくれそうにない。
あの結末をアイラに迎えさせるわけにはいかないと、私は必死に懇願した。
「そもそも、皆さまが警備している中で、どうやってアイラを連れ出したんですか?シーツに包まれていたのだと思いますが、そのまま屋敷の外に出るのは目立ちます」
「そうか!先ほどの差し入れ用の荷車を使えば、小柄な子供なら箱でも樽でも隠せる!」
副隊長は残っていた仲間達に号令をかけた。
「急いで差し入れをした食材業者の情報を集めろ」
「ならば、本館の対応した使用人がいるはずだ」
私達が本館に向かうと、ボヤも消え騒然とした使用人たちがいた。
夜番のメイドが駆け寄り、必死に訴えた。
「さっき、あのっ、大きなシーツを方に背負った騎士様を見ました!私見覚えがあるんです!彼は騎士じゃなく、シャレーと仲が良かった肉屋の男のはずなのですが……」
事態はくるくると展開していく、ともかく一秒すら私には耐えがたく焦るばかり。
運悪く、騎士に偽装したガトーに対応した使用人は、ガトーの顔を知らなかった。
「シャレーは、もう二年間も彼に夢中だったのは有名です。でも顔を知っているのは私か、もう一人程度で……。夜の密会は、互いに邪魔しないというルールがあるんです」
「お嬢さん、この紋章の形に見覚えは?」
副隊長が懐から、いびつな炎を象った黒いブローチを取り出した。それを見た夜番のメイドが大きく目を見開く。
「見ました!恋人から貰った物だからと、シャレーが大事にしていたのと一緒です!」
「これで間違いないな、そして差し入れの対応をした使用人から、奴らの逃げた方角もわかった。急いで隊長に報告し我々も向かう」
騎士たちは全員で、逃走方向へ駆け出した。
ハロルドは、副隊長に何度も自らを連れていけと交渉をしていたが、彼らは元騎士であろうと、一般人となったハロルドの同行を拒絶した。
その背を見送り、私はただ暗闇に飲まれそうだった。
だが──ハロルドは違った。
「急いで馬車を用意しろ、小回りのきく小型のやつだ」
まだ体はふらついているのに、彼は諦めていなかった。
アイラを守るには、単騎ではなく馬車が必要だと理解していた。
飾り棚の布を引きちぎり、カーテンも剥ぎ取って抱える。
十分な大きさと厚み。畳む暇も惜しんで、両手にまとめてハロルドに叫んだ。
「私も行きます、急いで!」
ハロルドは一瞬だけ迷ったが、すぐに深く頷いた。
私達は馬車へ飛び乗り、屋敷を振り切るように駆け出した。
願うのはただ一つ。
どうか、アイラが無事でいてくれますように――。
歪んだ炎の向こうで、泣き叫ぶ小さな影と黒い笑い声が聞こえた気がした。
馬車は激しいスピードをあげて走る。
小型の馬車ゆえに揺れがひどく、ハロルドが大きな体で私がよろける度に支えてくれた。
後悔や悔しさが、荒波となって押し寄せてくる。
気をしっかり持たないと、心が押しつぶされそうだ。
「アイラのいる場所を聞けたのですが?」
「いや、あいつらは口を割らない。ただ、会話の端に手がかりがあった。西の正教会に向かっているはずだ」
「正教会!まさか、正教徒のふりをして、邪教徒だったというのですか?」
私の知っているシナリオに、そんな設定はなかった。
小説の始まりは、今から二年後に、妻子を亡くした傷心のハロルドと、箱入り娘のクリスティーネの恋愛小説がメインだったはず。
「その布は、アイラの為の物だな」
目を閉じて、ひたすら歯を食いしばっていた私に、ハロルドが指摘する。
みれば、彼も自らの腕に爪をたて、必死で薬に耐えていた。
「大丈夫だ。君が見た不思議な夢など壊してやるさ」
自らも苦しいはずなのに、私を励ましてくれる。
誰よりも今、辛いのはこの人なのに。そして、私の言葉を信じてくれていた。
あの小説の始まりは死から……、どこにも、それ以前の彼の具体的な描写はなかった。
もしかしたら、今みたいに助けるために足掻いていたかも知れない。
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