異世界へようこそ

飛狼

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第二章 森都グラナダ

◇情けは人の為ならずというけれど。

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 その部屋に入ると、つんと鼻につく妙な匂いが漂っていた。部屋自体はかなりの広さがあり、日本で俺が住んでいたマンションの部屋の、数倍はあるかと思える広さがあった。そして、その妙な匂いは、広い部屋の隅々まで漂い拡がっていたのだ。

 ――甘い匂い……しかし……。

 その匂いは確かに甘ったるい匂いなのだが、その中には微かに饐(す)えた臭いが混じり、爛(ただ)れた匂いのようにも感じられた。その為、部屋の中はどこか、退廃的な雰囲気に包まれてる気もする。

 部屋の中央に目を向けると、煌びやかな装飾のなされた天蓋付きのベッドがあった。その前には祭壇が組まれ、全身に刺青を施したエルフが、祝詞のようなものを唱えている。それ以外にも、白衣に身を包むエルフ達が、ベッドの周りで両手を差し伸べていた。
 その両の手のひらが白く輝いている事から、何らかの魔法を行使している事が窺えた。

 ――あれは、聖魔法なのか?

 ゲーム内では、派手なエフェクトだったが、現実ではえらく地味に見える。確か、聖魔法は神官が使えるスキルだったはずだが、何故エルフが……。

 この部屋に案内される道すがら、サラから弟さんに付いて色々と聞いていた。
 弟さんはルークという名前だそうだが、今は原因不明の病に冒されてるという事だった。それも以前からでなく、つい最近の事だという話だ。サラが大祓の儀式を行う為に、禁足地である不浄の森に赴く前は、病の影もなく健康そのもので元気だったらしい。
 それが、不浄の森から帰って来ると、原因不明の病に冒されていれば、驚くのも頷ける。サラは弟のルークを、大層可愛がっていたように思えた。
 そのルークを、今はエルフの司祭達が懸命に治療を行っているという話だったのだが、ベッドの周りにいる彼等がそうなのだろう。

 しかしそれなら、ヒューマンである俺が口出しすれば、不味いことになりそうに思うが……。

 俺達が部屋に入ると、その治療を少し離れていたところから見守っていた、エルフの男性と女性が近付いてきた。

「サラ、どこに行っていたのだ。今は大事な、祓魔の儀式の最中だというのに」

「父上、母上、私には……その祓魔の儀式で……ルークが良くなってるようには見えないのです……」

 どうやら、この二人はサラの両親のようだ。二人とも、司祭達と同じ白衣を着込み、サラとよく似た美しいエルフだった。しかし、子供の事が心配なのか、さすがに憔悴した顔をしている。

「何を言っている。司祭様達の行う法術は、神の力を借りて行う奇跡。その中でも、エルク殿はこのグラナダで一番の法力の持ち主なのだよ」

「しかし、私にはルークが回復するどころか、徐々に衰弱していってるようにしか見えません。だから……一度、この者にルークを見せてやりたいのです」

「この者?」

 サラの言葉に、父親がようやく俺の事に気付き、じろりと眺め訝しげな表情を浮かべていた。

 ――おいおい、参ったな。

 父親に話を通してから、俺を連れて来たのじゃないのかよ。それに、さっきから神官か司祭かは知らないが、あの連中がこっちを気にして、ちら見しているぞ。あんたら、声がでかいんだよ。洒落になってないぞ。

「……この者、まさか……ヒューマンではないのか」

 サラの父親が、顔を険しくさせて俺を睨み付けてくる。

「はい。しかし、ヒューマンといっても、只のヒューマンではありません。私は、この者なら或いは、ルークを治せるのではと思っています」

「馬鹿な事を……たかだ、ヒューマンに何ほどの事が出来ようか」

 サラの父親が、俺を小馬鹿にしたように眺める。

「彼の地で、私はこのヒューマンの不思議な技を、何度も見掛けました。彼なら弟を、ルークを治す事が出来るはずです」

「ふんっ、馬鹿な事を言うでない。我が家は、この地を治める七賢人の内の一家。その栄えあるサンタール家が、たかがヒューマンに力を借りる等と、有ってはならぬ事。サラ、この際に言っておこう。お前は以前より、ヒューマンに関して研究し、太古にはヒューマンも魔法を使えた等と、馬鹿げた事を考えているようだが、今後は、そのような研究は一切禁止する」

「なっ……分かりました。父上がそうせよと仰せなら、それに従いましょう。なれど、此度だけは……彼に弟の治療を。これはルークの命に関わる話。何卒、後生ですから」

 険しい眼差しを向ける父親に、一歩も退かぬと言わんばかりに、サラも父親を睨み返している。
 しかしそこで、母親が父親の袖を引く。

「あなた、サラがここまで言うのです。私はサラを信じます。私にとっては、サンタールの家よりルークの方が大事。僅かでも可能性があるのなら……私からもお願いします」

 母親が哀願するかのように縋り付くと、父親が「むぅ」と、唸り声を上げていた。

 何か、家族ドラマでも見てるみたいで、ぼけっと眺めてたよ。けど……これってやばくね。
 一度見るだけって言ってたのに、これだと弟さんを治せないと、どんな目に合わされるか分かったもんじゃないよ。

 困惑する俺に、父親が更に険しさの増した眼差しを向けてくる。

「まこと、治せるのであろうな。分かっておると思うが、治せぬ時はそれなりの覚悟をしてもらおう」

 いやいや、何だか治さないといけない方向に、行っちゃってるようですけど。それなら、止めときますと言いたくなるよ。けど、サラと母親エルフの縋るような表情を見ると、どうもねぇ。
 取り敢えず一度見てから……しかし、その前に。

「えぇとですね、やるだけの事はやってみますが、その前に、出来ればお人払いを……」

 俺はベッドの周りにいるエルフの司祭達を眺めながら、出来るだけ抑えた声、小声で話し掛ける。流石に、あの人達の見てる目の前で、治療は出来ないです。

「何! ヒューマンの分際で、皆を部屋から追い出す積もりか!」

 父親が目を怒らせて叫ぶ。

 ――だから、声がでかいってば……あの人達に聞こえるでしょうが。

「いえ、ご家族の方は良いのですが……あの方達に、途中で邪魔されそうなので……」

 俺は、更に抑えた声で話し掛ける。

「ふむ……」

 父親エルフが、少し考える素振りを見せるが、「あなた」「父上」と、母娘が呼び掛けると、暫くしてようやく頷いた。
 そして、刺青エルフさんの元に行って話し掛けるが、そこでも何やら揉めているようだった。話の切れ切れに、俺を見ながら、「ヒューマンに」とか、こちらに聞こえてくる。
 やっぱり、こちらでのやり取りが聞こえていたようですね。後々、難癖を付けられそうで怖いんですけど。

 暫くして、どんな風に話を付けたのか、エルフの司祭さん達は、不承不承な様子で部屋を出ていく。

「エルク殿には、少し休憩して頂く事にしてもらった」

 サラの父親が、苦虫を噛み潰したような顔をして、こちらに戻ってくる。その父親エルフの言葉に、今まで影のようにサラに付き従っていたカリナが、慌てて司祭達を案内しに行く。
 しかし、司祭達が部屋から出る際、特に刺青のエルフは、俺に対して敵意のこもった視線を向けていた。

 いやはや、これだと治療に成功しても、失敗しても、後に問題が残りそうだな。

 俺が「はぁ」と、ため息を吐き出していると、サラがぐいっと俺の腕を掴み引っ張る。

「さぁ、早く弟を」

 まぁ、そうだな。どっちに転んでも問題があるなら、弟さんを助けるのが当然の選択だな。

 というわけで、早速、部屋の中央にあるベッドの側に歩み寄る。が、そこで、ぎょっとなった。

 ――これは……。

 ベッドの中に、この部屋に入った時に匂ったあの甘い匂いの源が、そこに横たわっていたのだ。

 既に意識の無い弟さんの顔や手足に、斑状に黒い紋様が浮き上がり、もはや、黒一色に覆い尽くされそうになっている。弟さんは体も小さく、まだ子供といえる年齢だと思えた。その幼さが少し残る顔立ちが、サラや両親に良く似て美しいだけに、余計に痛ましく見える。
 だが……。

 ――これは……もしかして。

 弟さんの肌着の前を開くと、強烈な甘酸っぱい匂いが周囲に広がった。近くにいたサラやご両親が、息を飲み、思わず顔を背けていた。
 肌着に包まれていた身体自体は、すでに黒一色に染まっている。その上、体はぱんぱんに膨らみ、まるで熟れた果実のようになっていた。少しつつくと、今にも弾けて崩れしてしまいそうに思えるほどだった。

 ――やはり、そうに違いない。

 俺には、この斑状に浮かぶ黒い紋様に、見覚えがあった。もっとも、それはゲーム内での事であったが。

「それで、どうなのだ」

 サラが弟を見た後、縋るような顔を向けてくる。

「こいつは【死の宣告】だな」

「死の宣告?」

「あぁ、弟さんは何処かで魔族に出会い、呪いを掛けられたようだ」

 そう、見覚えのあるこの黒い紋様は、魔族の呪詛スキルを受けた証し。

 ゲーム内での【死の宣告】は、魔族の固有スキルだった。呪詛、所謂呪いというやつだ。それは、正に死へのカウントダウン。ゲームでは、ステータスウィンドウ上に5・4・3と数字が現れ、0になると死に至るというものだった。しかも、プレイヤーならセーブした地点に死に戻るだけであったが、ゲームキャラであるNPCに至っては、生きたまま屍食鬼に成り果てる悲惨なものだった。
 この世界には、死に戻りなどは当然ない。だとすれば、俺も呪詛を受けると、こうなる可能性があるということだ。そして、屍食鬼に……。
 それを想像して、肌が粟立つ。

 少し体をぶるっと震わせ気を取り直し、弟さんを改めて眺めてみた。
 弟さんの息は細く絶え絶えとなり、今にも途切れそうな感じだ。その体の状態からも、死のカウントダウンも最終段階だと思えた。
 こうなると、意識がないのが唯一の救いだな。もし、この状態で意識があれば、俺なら頭がおかしくなってるだろう。
 そんな思いで弟さんを詳細に調べていた俺に、父親エルフから怒りを滲ませた声が飛んでくる。

「魔族だと、馬鹿げた戯れ言を言い出したものだ。ここ百年は、この地に魔族など現れたこともない!」

 ――やはり、この世界には魔族もいるようだ。

 ゲームだと、邪神ザカルタの手下のような扱いだったが……。

 父親エルフは、俺の言うことなど端から信用せず、見下し蔑んだ表情を浮かべていた。
 しかし、サラは俺の肩を掴むと激しく揺さぶる。

「お前なら治せるのだろう? あの薬ならルークを助ける事が……」

「……いや、残念だが。確かに、霊薬を飲ませれば一時的には回復するが、また直ぐに同じ状態になってしまう」

 そうは言ったものの、一応、霊薬を弟さんに飲ませてみる。
 その際、俺が何もない空中から霊薬を取り出すのを見て、父親エルフが目を見開き驚いていた。

 そして弟さんはというと、途端に、劇的な変化が現れていた。身体が僅かに輝き、見る間に黒い紋様を駆逐していく。絶え絶えだった呼吸も、安定した落ち着いたものへと変わる。

「おぉ、ルーク!」

 母親エルフが喜色を浮かべて、弟さんにしがみ付いていた。サラも喜びの声を上げ、父親エルフは唖然とした表情を浮かべる。
 だが……。

 ――やはり駄目か。

 次の瞬間、弟さんの胸の真ん中に、小さな黒い紋様がぽつりと浮かびあがった。それが、あっという間に、体の全身に拡がっていくのだ。
 魔族のスキル【死の宣告】は、相手に直接しるしを付けて精神を繋ぐ事で、相手に呪詛を送る。だから、今も何処かで、呪いを送り続けているはず。さすがに霊薬にも、その繋がりを断ち切る力までは無かった。だから、一旦治っても、すぐに送られてくる呪詛に体を蝕まれてしまうのだ。

「いやあぁぁぁぁ……」

 喜びの声から一転、母親エルフの悲痛な叫びが辺りに響き渡る。

「ど、どうして……おいヒューマン、何とかしろ!」

 サラが俺の胸ぐらを掴んで、激しく揺さぶる。

「だから言っただろ。一時的に回復させる事が出来るだけだと。しかし、これで時間を稼げるはずだ。その間に……」

「その間にどうすれば良いというのだ」

「決まっているだろ。この呪いの根本、呪詛を行う魔族を見付け出し、滅ぼすしかない」

「……ま、魔族を……」

 サラは時間が止まったかのように固まり、呆然として俺を見詰めていた。
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