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一章
大きな目標
しおりを挟む「旅人さん。もう出国なんですか? つい最近来たばかりだというのに」
「故郷の母が危篤に陥ってしまったようで、急いで帰らなくてはならなくなったんですよ」
出国手続きまでの道のりは、意外と難しいものではなかった。
手を繋いで歩いていることで、周囲からは本当の親子のように見られていたのだろう。
エルが想像以上に懐いてくれたのは、様々な意味でありがたいことだった。
「それはそれは……あれ? そちらの子どもは娘さんですか?」
「そうだよー! ねっ、お父さん!」
「ま、まぁ」
エルの演技も段々と繰り返すうちに、本物の娘さながらの雰囲気になる。
逆にイツキの方が不自然なほどだ。
これほどまでに進化していれば疑う余地もない。
ただの人間に見破れるはずもなかった。
「旅人さんは、これからどうなさるんですか? お母様は心配ですが、これから夜になりますし、この国の外は危険ですよ?」
「……大丈夫です。今回はありがとうございました」
そう言ってイツキは国を後にする。
男の言う通り、夜に女の子を連れて出歩くのはかなり危険な行為だ。
しかし、国の中の方が危険である以上、イツキたちに選択肢はなかった。
「うわぁ……! すごい……!」
大きな門の外に出ると、そこには自由の世界が広がっていた。
**************
「ここまで来れば大丈夫でしょう。ちょうど木もありますし、ここで野宿しますよ」
「あっちに川があるから、あそこにテントを張った方が良いんじゃないの?」
ある程度国から離れたところで、イツキたちは野宿をすることになる。
初めて国の外に出たため、エルは心做しか楽しそうだ。
「川の近くはやめておいた方がいいです。大雨が降った時に、大変なことになりますから。特に上流ではね」
「へぇー! お父さん物知り!」
「……別に今はお父さんと呼ばなくて大丈夫ですよ?」
「……だめ?」
「いや、駄目ではないですけど」
イツキは照れているのを隠すように、テントを張り始めた。
それを手伝うため、エルはイツキの周りをウロチョロしている。
何か出来ることがないかと探していたが、難しそうなテント張りの作業の前に、ただ立ち尽くすことしかできない。
「お父さん、何か手伝えることない……?」
「手伝い……ですか。ペグという釘みたいなものがありますから、テントが飛んでいかないように、これを打ち込んでください」
「分かった!」
イツキは、持っているペグをエルに手渡した。
初めて扱う道具であるためか、まじまじと見つめて観察している。
臭いまで嗅いでいたが、どうやら好きな臭いではなかったらしい。
ひとまずエルに任せたイツキは、元の作業に戻ろうと目を離した瞬間――
ゴキンと硬くて嫌な音が聞こえてきた。
「大丈夫ですか!? エルちゃん!」
「――ご、ごめんなさい! くぎが折れちゃった!」
「それより怪我は!?」
「え? 大丈夫だけど……」
エルの手には、綺麗にへし折られたペグがあり、どうしていいのか分からない様子だ。
道具を壊してしまった責任感からか、第一声は謝罪の言葉になる。
「なら良かった……ペグが壊れるというのは初めての経験ですよ」
「怒ってる……?」
「ん? 怒るわけないじゃないですか。それより怪我がなくて良かったです」
だが、そんなエルとは裏腹に、イツキは怪我の方を心配していた。
怪我がないと知ると、安心したように元の作業に戻る。
その手には、どこからか取りだした絆創膏があった。
「お父さんちょっと待ってて!」
何かを閃いたエルは、バッと川辺の方へ駆け出した。
責任感からの行動だろうか。
止めようかとも考えたイツキだったが、エルの気持ちを無下にするわけにはいかない。
まさに子の成長を見届ける親のような気持ちで見つめていた。
遠目では、何やら水をバチャバチャとしている姿が見えたが、実際に何をしているかまでは分からない。
折角買った服が濡れているが、本人が気にしていないのなら、わざわざ口を出さなくてもいいだろう。
エルが戻ってくるのは、数分後のことだった。
「お父さん! 魚! 取ってきたよ!」
戻ってきたエルの手には、二匹の魚が捕らえられている。
どうやら、エルは魚に触れるタイプのようだ。
魚を逃がさないよう、口の中に親指を入れているところが、女の子とは思えないほどたくましい。
「おぉ、この魚を夜食にしましょう。ありがとう、エルちゃん」
「……えへへー」
イツキはエルの頭を撫でる。
撫でられるという経験は初めてなのか、少し恥ずかしそうにした後、自然と笑みをこぼしていた。
「〈点火〉。エルちゃん、その魚を焼けますか?」
「うん! 串に刺して焼けばいいんだよね?」
「はい。その調子です」
エルは器用に内蔵をとり、魚を串刺しにしながら、イツキが用意した炎で魚を炙り始める。
最近は携帯食ばかりの食事であったため、点火スキルを使うのは久しぶりだったが、まだまだ問題なく使えるらしい。
「あっ! この魚、毒があるかもしれない!」
「大丈夫ですよ。この魚はブラックフィッシュといって、毒がある魚ではありませんから」
「そうなんだー。黒いから毒があるかと思っちゃった」
エルは心配そうな顔から、すぐさま楽しそうな顔に戻った。
イツキの情報を鵜呑みにするのは、それなりの信頼関係がないとできないことだ。
ここまで信頼されていると、イツキとしても少しだけプレッシャーがかかる。
これまでは自業自得で済む話だったが、これからはエルと共に行動するため、大きなミスは許されない。
旅をする中で、初めての感覚だった。
「もういいかなー」
「……そうですね。これくらいでいいですよ」
「いただきまーす!」
待ちきれなくなったのか。
エルは火が通ったのを確認すると、イツキに確認を取ってから口を大きく開く。
骨などは一切気にすることなく、ガブリと豪快に噛み付いた。
「――まずい! なんで!? お父さんの言う通りにしたのに! エル間違えちゃった……?」
「いえいえ、ブラックフィッシュは美味しい魚ではないんですよ。栄養価が高くてどこにでもいるので、お世話になる機会は多いですけど」
ブラックフィッシュの身は、まるでゴムのように硬く、味も謎の苦味で包まれている。
今までエルに出されてきた食事に、勝るとも劣らないほどの不味さだ。
「そ、そうなんだ……エルが間違えたってわけじゃなかったんだね。良かった……」
エルは安堵したように息を撫で下ろす。
イツキの調理法が間違っていたわけでもなく、エルがミスをしたわけでもない。
全てをブラックフィッシュのせいにすることができた。
「まぁ、旅をしている以上、食べられるだけマシだと思っておきましょう。明日には、どこかの国に入れるといいですね」
「……エルがいたら拒否されないかな」
「魔王だから……ですか?」
少しだけ不安そうな顔になるエル。
これまでに、魔王だからと酷い扱いを受けていた過去が、エルの頭の中で鮮明に思い出される。
「お父さんは、魔王が近くにいたらどう思う……?」
エルは、ついに覚悟を決めて問いかけた。
いつかは聞かないといけない質問。
一緒にいたいという気持ちに関わらず、イツキに迷惑をかけるのならば、距離を置くという選択肢を選ばなくてはならない。
心臓がバクバクと動いていた。
「他の人たちは、魔王のことをどう思うかは分かりませんが、僕は何とも思っていませんよ。それに、もっと自信を持ってください」
「自信……?」
「はい、魔王が恥だなんて思わないでください。逆に、強大な魔王に成長して、馬鹿にしていた人を見返してみたらどうですか?」
「う、うん! エル強くなる!」
イツキの励ましの言葉に、エルは一つの誓いを立てる。
大きな目標が決まった瞬間だった。
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