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古書塔
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真昼の新宿駅の東口から古書塔へ赴く。
町の人々はしなびた古本屋を古書塔と呼んでいた。
何故、古書塔と呼ばれているのか。と、私は古書塔でアルバイト経験のある友達に聞いた時がある。それは、ガラス越しから見える薄暗い店内に、しんみりとした日蔭が射す新刊コーナーには、いつも町の人々が売っている新刊の本が塔のように聳えているからだという。
半年前からだ。
うちのクラスの男の子が古書塔で働きだした。
私の友達と同じく学校側には、何も言わなかったらしい。
そんなに本が好きな人たちは、私は知らない。
確かに、紙に印刷された本には独特の匂いがある。
本は、人の手の一部になるときもあるだろう。古本屋に売っても人生の一部になるときもあるだろう。家の本棚にいつまでも置いてある時もあるだろう。
だけど、私の手のスマホには電子書籍という文字の羅列が星の数ほどあった。
昼間の空腹も気にせずに、ひたすら古書塔を目指し○クドナルドや大型チェーン店の牛丼屋を通り過ぎる。
風のない穏やかな日々だった。
行き交う通行人の顔は皆、いつも通りだ。
メガネ屋とコンビニに挟まれた古書塔が見えた。
日陰に覆われたガラス扉を押し開けると、古本屋独特の古びた本からの独特の臭いがしてきた。
「いらっしゃいませ……」
同じクラスの雪 市ノ葉がレジの近くの椅子にまたがっていた。目線は完全に本の文字に注がれていた。
そんなに活字が好きなのだろうか?
私は不思議に思った。
所詮、人が書いた字だ。
写真や画像ならわかる。
しかし、どんなに立派な人でも、字では画像のように事件や人物は表せないはずだ。
「あのね。そんなに学校辞めたいの?」
「ふえ?」
本から目を離した雪は、私の顔に気が付いた。
雪はくりくりといした目とは対照的に、いつも皮肉を言いたそうな唇をした。前髪の長い男子である。
「なんだ。科島か。ここの場所で働いているのがよくわかったね」
「なんだじゃなくて。うちの学校は厳しいから誰かに言いつけられると、困るんじゃないかしら?」
学校側は生徒のアルバイトを禁止していた。
雪は本しか興味のない変わったクラスメイトである。でも、学級委員の私から見ると普通過ぎる真面目な男の子だった。
「活字はいいね……。人から人へ色んなものを伝えることができるんだ。感情も思考も笑顔も」
「はあ?」
私はミステリのトリックに夢中になることはあるけれど、その時にしか面白さを感じなかった。パズル遊びに似ている。けど、大したことなんてなにもないのに。
「もうそろそろ。店主が来るぞ。帰ったら」
雪は再び本へと目を優しく注いだ。
私は溜息をつくと踵を返した。
この古書塔にはとても怖いおじさんがいた。
名前は誰も知らない。
確か小熊と言われたことがある。
万引きをしそうな人は店主の顔を見ただけで震え上がった。
もうそろそろ、お昼休みだ。古書塔の隣のコンビニでパンと缶コーヒーを二人分買った。
雪は学校の中では、一番成績優秀だった。
学級委員だからではなく。そんな雪のことを心配するのは、普通のことだと私は思っていた。
休憩時間の交代のために小熊が店内をうろついていた。
小熊のような体格に小さい顔。
しかし、人相はとても悪いと聞いた。
私はレジへ向かうと、一人分の昼食を雪に渡した。
「ありがとう……」
雪はやっと本から目を離し、パンの入った袋をぶら下げると椅子から立ち上がった。この古書塔には二階がある。狭い二階だが店員の休憩室を兼ねた小熊のねぐららしい。
普段は女子の店員は二階は使わないと聞く。
それほど、むさくるしいのだろうか?
私は雪の後を追って二階に続く古木の階段を上がった。雪はめんどくさそうな顔をしてこちらを見てから二階へと上がる。
狭い二階の部屋は以外にも清潔だった。パイプ式のシングルベットが片隅にあるのと、小型の冷蔵庫とガラステーブルが中央に設置されてある。しかし、部屋の片隅には場違いな大きさのサンドバッグが吊るされているのと、床に転がる鉄アレイがあるので、これが小熊のねぐらだと誰でもなるほどなと思うだろう。
雪はガラステーブルの頑丈な椅子に座ると、袋を開け缶コーヒーを無造作に取り出した。飲む前に思い切り何度か振って、蓋を開ける。
「学校にはバレないようにするからさ。誰にも迷惑なんてかけるわけじゃないし。だから、俺がここにいることを誰にも言わないでほしいな。科島は本屋で仕事する人間って、どんな人だと思う?」
私もガラステーブルの座り心地の悪い椅子につくと、袋から缶コーヒーを取り出す。
「本好き?」
雪は頷き。
「なんだ。知っているんだ……」
それから、私は学校を抜け出しては毎日のように古書塔へ赴いた。
説得するためではなかった。
説得されるためだった。
「本はなんで好きな人がいるかというと……」
彼の目はくりくりとしている。
「時代にも強いんだ。本の内容の移り変わりは、文化が移り変わることだと思う……」
彼の背は私と同じだった。
「やっぱり、そうだろ。本は紙の束のようで、全然そうじゃないんだ……集中して読んでごらん。不思議な体験をするんだ」
彼が……。
雪の顔がドアップだった。
何度も何度も雪に会いに古書塔へ赴いては。説得をされていた。
後ろには古書塔の古びた壁がある。
嗅ぎなれた古本屋独特の本の匂いは、私の一部になっていた。
彼は、私の体を覆うように壁に両手をついていた。まるで、私を逃がすまいとしているかのようだ。
彼の目を見つめながら私は震えながら口を開ける。
「電子書籍はどうなの?」
「あまり知らないんだ。読んだときがなくて……」
私と雪はいつもこうだった。
お互いに共鳴しようとすると、必ず衝突をする。
弱い衝突のはずだ。
けれど、何かが決定的に違っている。
ただ、私たちは本当の電子書籍と本の魅力を、お互いに知らないだけではないだろうか?
「それじゃあ、賭けてみよう。この町の人たちに、どっちが魅力的か比べてもらうんだ。今でもここには、たくさんの人たちが本を売りに来てくれる。その半分でも電子書籍がいいっていう人がいるなんて、有り得ないかも知れないけどね」
お互い好きなはずなのに、何故かすれ違う。
時代と文化。
古きものと新しきもの。
これからとこれからも。
古書塔が傾いた。
電子書籍が勝ったのだ。
町の人は便利な。そして、新しいものを選んだ。
半分どころではない。古書塔のお客が全員選んでしまった。
電子書籍を足を延ばして、一軒一軒と熱心に広めた私にも責任があるのかも知れない。
町の人は古いものしか知らなかったのだろうか?
実際はこんなつもりじゃなかった。
古書塔にくるお客がいなくなり。
かわりに小熊は更に小さくなった。
食べ物もろくに食べずに、古書塔の店内を歩き回り。寂しそうな目で無くなった新刊コーナーを見つめていた。
雪は学校へ通いだし。
私も勉強の毎日を送った。
そんなある日。
雪が私の机の上に座った。
皮肉を言いたそうだったが、なんとか飲み込んでいた。
「なあ、このままでいいのか?」
私は俯いた。
確かに小熊を放っておくわけにはいかないし、町の人々も気になる。
「どうしたらいい?」
「科島は頭がいいはずだ。そう、俺よりもね」
私は雪の皮肉なのか考えなのかを見抜こうとしていた。
雪は机に人差し指をトントンと置いては、ニコニコしている。
「どうするの? 私は今から小熊を助けるのは難しいと思う。町の人々は電子書籍の方がいいって、判断したのだから。それが正解じゃないかしら」
雪はニッコリして、こう言った。
「明日は金曜日だよね。都合がいい。早朝に新宿駅の東口へ来てくれないか?」
新宿駅の東口へと改札口を抜け、道路へと息を弾ませて走るころには、ようやく考えがまとまってきた。
雪の考えに賛成だ。
そう、本を広めるんだ。
時代遅れな本だが、電子書籍のように広められれば。
良さを知ってもらい。そして、いつも読めるようなものなら。
町の人々も考え方が変わるはず。
ただ、膨大な文字の羅列の電子書籍には、本が勝つのは難しいのかも知れない。けど、ちょっとした何かがあればそれでいい。
その答えが雪と共に目の前にあった。
雪は軽トラックの脇で缶コーヒーを振っていた。
軽トラックの運転席には小熊がいる。
「これなら、便利だろ。小熊が「是非、俺にやらしてくれ」といってくれてね。今のところは勝率は五分五分だ」
本が時代に対抗した。
人の手によって。
人の繋がりによって。
私たちはこれから毎週金曜日に方々の家に向かう。
本の押し売りではなく。
ただ、知ってもらいたいだけ。
町の人々はしなびた古本屋を古書塔と呼んでいた。
何故、古書塔と呼ばれているのか。と、私は古書塔でアルバイト経験のある友達に聞いた時がある。それは、ガラス越しから見える薄暗い店内に、しんみりとした日蔭が射す新刊コーナーには、いつも町の人々が売っている新刊の本が塔のように聳えているからだという。
半年前からだ。
うちのクラスの男の子が古書塔で働きだした。
私の友達と同じく学校側には、何も言わなかったらしい。
そんなに本が好きな人たちは、私は知らない。
確かに、紙に印刷された本には独特の匂いがある。
本は、人の手の一部になるときもあるだろう。古本屋に売っても人生の一部になるときもあるだろう。家の本棚にいつまでも置いてある時もあるだろう。
だけど、私の手のスマホには電子書籍という文字の羅列が星の数ほどあった。
昼間の空腹も気にせずに、ひたすら古書塔を目指し○クドナルドや大型チェーン店の牛丼屋を通り過ぎる。
風のない穏やかな日々だった。
行き交う通行人の顔は皆、いつも通りだ。
メガネ屋とコンビニに挟まれた古書塔が見えた。
日陰に覆われたガラス扉を押し開けると、古本屋独特の古びた本からの独特の臭いがしてきた。
「いらっしゃいませ……」
同じクラスの雪 市ノ葉がレジの近くの椅子にまたがっていた。目線は完全に本の文字に注がれていた。
そんなに活字が好きなのだろうか?
私は不思議に思った。
所詮、人が書いた字だ。
写真や画像ならわかる。
しかし、どんなに立派な人でも、字では画像のように事件や人物は表せないはずだ。
「あのね。そんなに学校辞めたいの?」
「ふえ?」
本から目を離した雪は、私の顔に気が付いた。
雪はくりくりといした目とは対照的に、いつも皮肉を言いたそうな唇をした。前髪の長い男子である。
「なんだ。科島か。ここの場所で働いているのがよくわかったね」
「なんだじゃなくて。うちの学校は厳しいから誰かに言いつけられると、困るんじゃないかしら?」
学校側は生徒のアルバイトを禁止していた。
雪は本しか興味のない変わったクラスメイトである。でも、学級委員の私から見ると普通過ぎる真面目な男の子だった。
「活字はいいね……。人から人へ色んなものを伝えることができるんだ。感情も思考も笑顔も」
「はあ?」
私はミステリのトリックに夢中になることはあるけれど、その時にしか面白さを感じなかった。パズル遊びに似ている。けど、大したことなんてなにもないのに。
「もうそろそろ。店主が来るぞ。帰ったら」
雪は再び本へと目を優しく注いだ。
私は溜息をつくと踵を返した。
この古書塔にはとても怖いおじさんがいた。
名前は誰も知らない。
確か小熊と言われたことがある。
万引きをしそうな人は店主の顔を見ただけで震え上がった。
もうそろそろ、お昼休みだ。古書塔の隣のコンビニでパンと缶コーヒーを二人分買った。
雪は学校の中では、一番成績優秀だった。
学級委員だからではなく。そんな雪のことを心配するのは、普通のことだと私は思っていた。
休憩時間の交代のために小熊が店内をうろついていた。
小熊のような体格に小さい顔。
しかし、人相はとても悪いと聞いた。
私はレジへ向かうと、一人分の昼食を雪に渡した。
「ありがとう……」
雪はやっと本から目を離し、パンの入った袋をぶら下げると椅子から立ち上がった。この古書塔には二階がある。狭い二階だが店員の休憩室を兼ねた小熊のねぐららしい。
普段は女子の店員は二階は使わないと聞く。
それほど、むさくるしいのだろうか?
私は雪の後を追って二階に続く古木の階段を上がった。雪はめんどくさそうな顔をしてこちらを見てから二階へと上がる。
狭い二階の部屋は以外にも清潔だった。パイプ式のシングルベットが片隅にあるのと、小型の冷蔵庫とガラステーブルが中央に設置されてある。しかし、部屋の片隅には場違いな大きさのサンドバッグが吊るされているのと、床に転がる鉄アレイがあるので、これが小熊のねぐらだと誰でもなるほどなと思うだろう。
雪はガラステーブルの頑丈な椅子に座ると、袋を開け缶コーヒーを無造作に取り出した。飲む前に思い切り何度か振って、蓋を開ける。
「学校にはバレないようにするからさ。誰にも迷惑なんてかけるわけじゃないし。だから、俺がここにいることを誰にも言わないでほしいな。科島は本屋で仕事する人間って、どんな人だと思う?」
私もガラステーブルの座り心地の悪い椅子につくと、袋から缶コーヒーを取り出す。
「本好き?」
雪は頷き。
「なんだ。知っているんだ……」
それから、私は学校を抜け出しては毎日のように古書塔へ赴いた。
説得するためではなかった。
説得されるためだった。
「本はなんで好きな人がいるかというと……」
彼の目はくりくりとしている。
「時代にも強いんだ。本の内容の移り変わりは、文化が移り変わることだと思う……」
彼の背は私と同じだった。
「やっぱり、そうだろ。本は紙の束のようで、全然そうじゃないんだ……集中して読んでごらん。不思議な体験をするんだ」
彼が……。
雪の顔がドアップだった。
何度も何度も雪に会いに古書塔へ赴いては。説得をされていた。
後ろには古書塔の古びた壁がある。
嗅ぎなれた古本屋独特の本の匂いは、私の一部になっていた。
彼は、私の体を覆うように壁に両手をついていた。まるで、私を逃がすまいとしているかのようだ。
彼の目を見つめながら私は震えながら口を開ける。
「電子書籍はどうなの?」
「あまり知らないんだ。読んだときがなくて……」
私と雪はいつもこうだった。
お互いに共鳴しようとすると、必ず衝突をする。
弱い衝突のはずだ。
けれど、何かが決定的に違っている。
ただ、私たちは本当の電子書籍と本の魅力を、お互いに知らないだけではないだろうか?
「それじゃあ、賭けてみよう。この町の人たちに、どっちが魅力的か比べてもらうんだ。今でもここには、たくさんの人たちが本を売りに来てくれる。その半分でも電子書籍がいいっていう人がいるなんて、有り得ないかも知れないけどね」
お互い好きなはずなのに、何故かすれ違う。
時代と文化。
古きものと新しきもの。
これからとこれからも。
古書塔が傾いた。
電子書籍が勝ったのだ。
町の人は便利な。そして、新しいものを選んだ。
半分どころではない。古書塔のお客が全員選んでしまった。
電子書籍を足を延ばして、一軒一軒と熱心に広めた私にも責任があるのかも知れない。
町の人は古いものしか知らなかったのだろうか?
実際はこんなつもりじゃなかった。
古書塔にくるお客がいなくなり。
かわりに小熊は更に小さくなった。
食べ物もろくに食べずに、古書塔の店内を歩き回り。寂しそうな目で無くなった新刊コーナーを見つめていた。
雪は学校へ通いだし。
私も勉強の毎日を送った。
そんなある日。
雪が私の机の上に座った。
皮肉を言いたそうだったが、なんとか飲み込んでいた。
「なあ、このままでいいのか?」
私は俯いた。
確かに小熊を放っておくわけにはいかないし、町の人々も気になる。
「どうしたらいい?」
「科島は頭がいいはずだ。そう、俺よりもね」
私は雪の皮肉なのか考えなのかを見抜こうとしていた。
雪は机に人差し指をトントンと置いては、ニコニコしている。
「どうするの? 私は今から小熊を助けるのは難しいと思う。町の人々は電子書籍の方がいいって、判断したのだから。それが正解じゃないかしら」
雪はニッコリして、こう言った。
「明日は金曜日だよね。都合がいい。早朝に新宿駅の東口へ来てくれないか?」
新宿駅の東口へと改札口を抜け、道路へと息を弾ませて走るころには、ようやく考えがまとまってきた。
雪の考えに賛成だ。
そう、本を広めるんだ。
時代遅れな本だが、電子書籍のように広められれば。
良さを知ってもらい。そして、いつも読めるようなものなら。
町の人々も考え方が変わるはず。
ただ、膨大な文字の羅列の電子書籍には、本が勝つのは難しいのかも知れない。けど、ちょっとした何かがあればそれでいい。
その答えが雪と共に目の前にあった。
雪は軽トラックの脇で缶コーヒーを振っていた。
軽トラックの運転席には小熊がいる。
「これなら、便利だろ。小熊が「是非、俺にやらしてくれ」といってくれてね。今のところは勝率は五分五分だ」
本が時代に対抗した。
人の手によって。
人の繋がりによって。
私たちはこれから毎週金曜日に方々の家に向かう。
本の押し売りではなく。
ただ、知ってもらいたいだけ。
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