降る雨は空の向こうに

主道 学

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雨は天にも降る

25話

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 玄関の呼び鈴を押すと江梨香が顔を出した。
「どなたー? ……あら、隆くんじゃない。死んじゃったの? すっごく久しぶりね」
 陽気な江梨香は姿も生前と変わっていない。

 細身で整った目鼻立ちのぎりぎりで美人の範囲に入る容姿である。
 隆は少しだけ気を失いそうになったが、胸に込み上げる懐かしさと温かさが隆の心を支えた。そして、ここへ来て、初めての人心地を得た。そう、ここは本当の天国なのだ。
「母さん。中に入れてもらえないかな。それと、これ」
 隆はなけなしの金で買ったお土産を渡した。
「まあ、ありがとう。って、何これ唐辛子とサボテン?」
 江梨香は隆を玄関からすぐ右のキッチンへと通した。正面には二階へと上がる階段があり、広いキッチンからはプラントの花からの香りとテレビの音声がする。

 テーブルに座ると、江梨香がオレンジ色のエプロンを着て、オレンジ色のお茶を淹れた。
お茶のようなオレンジジュースのような香りが部屋を満たした。
 隆はそういえば、24時間のお姉さんがこの世界のものを、決して食べてはいけないというのを思い出した。
「母さん、悪いけど……。俺はこの世界のものを食べるとまずいんだ」
 隆は申し訳ないといった顔をした。
 そういえば、稲垣 浩美もこの世界の食べ物は食していないのだろうか?
 江梨香はキッチンでクッキーを焼こうと、冷蔵庫から小麦粉とバターを取ろうとして、怪訝そうにこちらに振り向いた。

「え、隆くん。何かの病気になっちゃった?死人が病気になったって言ったら大変よ?」
「いや、違うんだ。実は……」
 隆は自分がこの世界の人間ではないことを話した。それと、死んだ娘を探していることを。
「うっそー、隆くん。死んでいないの?! 父さんに話したらきっとびっくりするわね。でも、どうやってここへ来たのか教えてほしいけれど、それは後でもいいか。父さんが来てから聞かせてほしいわね。まさか、寂しくなって母さんに会いに来たとか?」
 江梨香は少し俯き、声のトーンを少し落として続けた。
「そう……。娘がいたのね。でも、この町には多分いないわ」
 江梨香は俯いている。考え事かただ単に憂い顔をしているようだ。

「雨の宮殿にいるんだ。母さん。雨の宮殿って、行ったことあるかな? どんなところか知らないかな?」
「うーん。……解らないわ。実は母さん。この世界に300年くらいはいるのよ。後、父さんも……。この虹と日差しとオレンジの町に住み付いたのが……確か180年くらい前。その前は……南の荒れ果てた大地で生活していたの。食べ物が少なくて小麦や野菜を栽培していたわ。結構楽しかったけれど、この町の噂を聞いて、この町へと来たの。だから……うーんと、やっぱり知らないわ。ごめん。北の方には行ったことがないの……。でも、そこには雨の大将軍という生命の神様が、毎年下界から人々を攫っているって噂を母さん少し前に聞いたわ。ここ虹とオレンジと日差しの町の郵便配達人から……。その人は昔、北の方で生活していたみたい。あなたの本当の両親は……この世界には私たち以外の父と母がいるんだけれど、その郵便配達員よ。父親の方だけれどね。隆ちゃんには父親と母親が二人いるってことなのよ。その本当の父親が言うには、ちょうど100年前から、雨の大将軍もその部下も不穏なんですって。隆くん……危ないからそこには行かないでね」
 江梨香は少し悲しそうな笑顔を向ける。娘を失った隆の心を変えることは決して出来ないことを悟っていた。
 隆はこっくりと頷いたが、話の内容には驚いていた。
 両親が300年もこの世界にいるなんて……。

 そういえば、前に24時間のお姉さんがこの世界は時の流れが違う。と、言っていたのを思い出す。
 それと、雨の宮殿の情報はこの町の本当の父親である郵便配達員に聞いた方がいいようである。
 不穏な動き? 雨の大将軍? 一体なんのことなのか?
「それじゃあ、どうするの。せっかくだからここに少し泊まってきなよ」
「ああ、そうするよ。父さんは?」


 隆は黒田から貰った釣り道具を思い出して、取りに行こうかと決めた。ゆっくりと話すには二・三日くらいこの家にいた方がいいと判断したからだ。



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