降る雨は空の向こうに

主道 学

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神々が住む都市

34話

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「どいて下さい! どいて下さい!」
 ケーキ屋から20分以上も走りながら、正志は高級住宅街へと走り続けていた。荒い呼吸で通行人をどかしどかし進んで行くと、真っ赤な炎が所々に飛び出す高級住宅街へと着いたようだ。
「危ないから下がって!!」
 何台も集まっている消防車から、一人の男が正志と何時の間にか現れた野次馬に言った。
 その男は黒人で見事なチームワークで、盛んな火の手を防ぐところでもあった。手にはホースを持ち、正志の好奇な目を気にもしなかった。放水は的確に家屋の炎や付近の燃え盛る場所を狙い。火の手の逃げ道を遮った。高級住宅街の窓からは多くの人たちが、まるで何かのショーを見ているかのように歓声を上げ始めた。

 正志はこの男が英雄のヒロだと直感的に思っていた。
 数人の男たちが、正志のところからホースを引張って来た。白人や日本人もいる。火の手は三階建ての家屋から出火し、隣にまで燃え広がっている。
 消防車と消防士の間で、正志は野次馬とともに炎を見つめていた。


「俺に何かようか?」
 黒人の消防士は消火を終えた住宅街で、汗を拭きながら正志に言った。耐熱帽を脱いだ頭には汗が到る所に噴き出ていた。
 正志は慇懃にお辞儀をしてから、
「あなたが、英雄のヒロですか。だとしたら、私たちと是非来て下さい。雨の宮殿で……」
 正志の話の途中でもう一人の男が、黒人男性に手を上げて歩いてきた。
「エディ。帰るぞ」
 もう一人の男性は白人だ。
「え……?」
「どうしたんだい?」
 エディと呼ばれた男は首を傾げる。
「人違いだった……。いや……実は英雄のヒロという火の神を探しているんです。ひょっとしたら、消防士だと思ったんですが。どうもすいません……」
 エディはいきなり笑った。
「はっはっ、冗談だろ。俺じゃなくて俺の弟だぜそれは……。弟なら放水もホースもいらないぜ。火事が逃げちまうからな」
「弟さんですか?」
 正志はエディに向かって、瞬時に気を取り直してにっこりと笑った。
「できたら、お会いしたいのですが……。どうか、お願いします」


 エディの家まで正志はタクシーを使った。エディに自宅の住所を教えてもらったのだ。複雑なビルディングの間を、タクシー運転手は苦も無く右に左に突き進んで、都市の外れへと向かっていった。ヒロの家は神々の住む都市の南に位置していて、近くに大きなアスレチック施設のあるところだった。 
 細い丸太で出来ている木造建築の住宅が見えると、私服のエディが今帰る所だった。
 青い普通自動車から降りたエディはこちらに向かって手を振った。

 正志はタクシーにかなりのお金を支払うと、広い玄関まで歩いて行った。大きなアスレチック施設は東京ドームが2個分の大きさで、ガラス張りのその建造物には夕日が映えていた。
 玄関で待っていたエディがニッコリと笑った。
「あんたツいているね……引越したばかりだし、今日は非番だったんだぜ」
 長身で背筋がピンとした若者だった。
 がっしりしていて隆と同じくらいな体格である。
「俺の弟も非番でよ。なんなら俺が話してみようか?」
「ええ。お願いします」
 正志はエディが玄関のドアを開けると、緊張した足取りで中へと入った。神に会うのはこれで三度目だ。恐らくモルモルも時の神なのだろう。

「お邪魔します」
「気を使わなくても良いぜ」
 エディは玄関からすぐの左のリビングに向かった。
 そこには、腹筋をしている青年がいた。鉄アレイや雑誌が散乱している広いリビングに、ステレオから明るい音楽が流れていた。窓際にある植木鉢にぶら下がる小さな檻には猿が奇声を発して牙を剥いていた。
「ヒロ。お客だぜ」
「ああ」
 ヒロが立ち上がった。

 白人のハンサムな男だった。上半身裸で、青いジーンズ姿である。筋肉隆々のすっきりとしたスキンヘッドで汗が体中を流れていた。
「あなたが……英雄のヒロ。お願いがあります。私たちと雨の宮殿へと来て下さい」
 ヒロは難しい顔を瞬時にした。
「悪いんだが……。俺は消防士をしているから解ると思うが。今忙しんだ。何故か火事が最近になって、頻繁になりだしてな。俺の力がどうしてもこの町には必要なのさ」
 正志は再度、頭を下げる。
「ですから、そこをなんとか。火事のことはここの勇敢な消防士たちがいるじゃないですか。あなたが、英雄でその火事を止めなければならないという使命は解ります。けれど、こちらには親子の命と未来が掛っています」
 ヒロはそれを聞いて、汗をタオルで拭きながら、少しだけ表情を綻ばせ、
「へえ。親子の命と未来ね。確かにそれは優先事項だ」
 しかし、ヒロは別の正当な言葉を返す。

「でも、こっちにもそれはたくさんあるんだ。親子や友人。兄弟に姉妹。時には隣人。俺たちの仕事は火事を消すだけじゃない。燃え盛る建物の中には、そういった命とは言わないが未来があるんだ。だから、どっちが大切かって言っているんじゃないけど。俺は消防士だからね……」
 正志は背広のネクタイを緩めて戦いの姿勢をした。思考をくるくると回転させている。
 どうしてもヒロに来てもらいたい。

「雨の宮殿にはたくさんの人たちが捕らわれています。虹とオレンジと日差しの町の人々です。私も雨の宮殿に捕われかけた時があります。……とても、恐ろしい体験でした。……それだけではなく、北の雨の宮殿は下界からも多くの人たちが、生命の神に今も捕らわれていると思います。こちらも、大勢の未来や生命がかかっていたはずです。きっと、今頃はその虹とオレンジと日差しの町の人々は不安でしょうがないと思いますし、生死の定かは解りませんし、宮殿内のどこに囚われているのかも解りません……。どうか……お願いします。私たちと一緒に来て下さい……。今、この時にも捕われている人々の何人かはどうにかなっているのでは?私には解りませんが、けれど、心配と助けが必要なのは明らかです」
 深々と頭を下げる正志の誠意には少しハッタリがあった。さらわれた虹とオレンジと日差しの町の住人は、確かに不穏だが。生命や未来。つまり、天界で殺されることは現時点では言えないはず。
 それに、正志は知らないが、ここ天の園では天界の人々や下界で死んだ人たちはもう死なない。
「ふー、ヒロよ。行ってやりなよ。確かに雨の宮殿の生命の神は不穏だって言うぜ。この世界の住人は死なないから、その男の言うことは少しハッタリが混じっているのだとは思う。けれど、それじゃあ何故、人々を捕らえたのかって、考えなきゃならない」
 エディは憂いの表情で俯いていたが、そして、広いリビングで遥か北の方を見た。林立するビルディングやアスレチック施設の遥か向こう。北の方には暗雲が立ち込めていた。

 ヒロは難しい顔をしていたが、急に力を抜いた。
「……解ったよ。あんたのそのちょっと捻くれた誠意に負けたよ。時の神もこれくらいハッタリを言うほどのずる賢さがあれば、最初から雨の宮殿へと行っていたかもな」
 ヒロはふーっと、弱く溜め息をつくように口から火を吹いた。


 瑠璃はあれから5日間も競馬とパチンコに通い詰めだった。この町で一番客の出入りが激しいパチンコ屋と競馬場は、手当たり次第に瑠璃の格好の標的であった。寝食は車へと一旦正志と戻った時に釣り具を持って来ては、フランス料理やロシア料理などの高級な食べ物を食べ尽くしていた。 
 寝床は人の多い商店街から歩いて20分の宿泊施設をいつも利用していた。

 格安のホテルで事足りた。なんでも、どこも一泊4500円のホテル<ニューウエーブ>である。
 神々の住む都市にある系列店のようで、ビジネスホテルではないが瑠璃の考慮した結果の寝床である。
 そこで、食事は全部外で食べるのだと受付に言っておいて、一泊2500円にまで負けてもらった。風呂やトイレも女性の瑠璃には申し分なかった。
 財布を調べると、元手の6万円が今では72万円。寝床の分を引いても64万7千5百円の儲けである。通貨は下界と同じ円だった。

 瑠璃は店内での電気的な大音響が大好きだった。
 この日も競馬帰りにウキウキ気分で店内に入っていった。早速、目ぼしい台を探す。この時には天才的な直観が瑠璃にはあった。4割の確率で当たる台を見つけるのだ。
 時にはまったく出ない時が何度もあるが、だいたいは直観を信じていれば、当たる台に巡り合う可能性があると信じているのだ。
 瑠璃はギャンブルにのめり込む時だけ、この世界の恐ろしさを忘れられるようだ。
 店の一番奥の中央の右端。
 瑠璃の直感はそう感じた。

 瑠璃は恐怖を払拭するために、この世界でなんとしても一攫千金をしておきたかったのだろう。そうすれば、ここが楽しい夢の世界でもあることを自覚できるはずである。
 何列かのパチンコ台を通り抜けて、目的の人のいない台へと座ると、持っていたバックを膝に乗せた。そこから一万円札を二枚抜き取り、いざ勝負。
 30分経っただろうか。
 隣の台の男は台を叩いて、このパチンコ屋の正面にある15階建ての巨大なゲームセンターへと向かった。
「ジョー助も今日は旗色悪いな」
 そんな声が瑠璃の耳に入った。

 瑠璃は当たらない台を蹴って、ウンザリした顔でゲームセンターへと向かった。
 横断歩道を歩いていると、瑠璃は自然にその男の体格を観察していた。
 でっぷりとでた腹をしていて、もじゃもじゃの頭は毎朝の櫛を忘れているようだ。服装は薄汚いいでたちで、茶色いポロシャツと黒のジーンズ。両手をポケットに突っ込み。少々赤ら顔で溝が深い顔に汗をかいている。
 瑠璃はさすがに、こんな男を雨の宮殿に連れて行くのは御免だと思ったようだ。瑠璃も遊び人だが、服装や化粧。何を取っても上質なものを好んでいる。
 化粧代や着る物には毎月6万単位は支払っていた。

 
 なのに何故、その男に付いて行くのか瑠璃自身にも解らなかった。きっと、正志の誠意が瑠璃の心の隅でちくりと突ついていたのだろう。
 ゲームセンターもパチンコ屋と同じく電気的な音が大きく。瑠璃は耳を塞いだ。ジョー助は10階まで薄暗い一室へとエレベーターを使った。箱の中では制服を着た高校生たちの姿もあった。
 瑠璃はジョー助をチラチラと脇目で見ていた。
 薄暗い店内は複数のゲーム機による申し分程度な光で少しは明るかった。中学生くらいだろうか、複数の男の子たちが学校をさぼって遊んでいた。
 ジョー助は一番窓際のゲーム機へと向かった。
 瑠璃には無縁な場所だったが、ジョー助の後を追ってやり始めたゲームを覗く。
「あの……あなたが戦の神のさすらいのジョー助ね?」
 ジョー助の行う目にも止まらぬ両手を見つめながら囁いた。

「……」
 周りの男の子たちは自然な態度で、ゲームをしていた。彼がここにくるのには慣れているのだろう。
 高速で動くジョー助の手を瑠璃は見つめている。
「私は花田 瑠璃。ねえ、私も遊び人だけれど……。雨の宮殿へと来て欲しいのだけれど……。そこには、大勢の人たちが不本意なのに捕まってしまっているわ。そして、私たちの依頼人の娘さんが捕まってしまっているのよ。なんとかしないと……やっぱり、いけないと思えてきたの」
 瑠璃は更に言葉を続ける。

「きっと……正志さんも同じことを考えると思うの。そう……大きな運命には逆らえないって……。私は今までとこれからも、依頼人の娘さんのことを大事には思わないかも知れない。けれど……人生って色々あるのね。こんな私でも神様をこの広い都市で見つけられるんだもの。きっと、大きな運命には逆らえないんだわ。……ええ……私はこの世界が嫌いよ。……もう怖くて帰りたいって気持ちでいっぱいだったけれど……。何て言うか……」
 ジョー助の顔が瑠璃に向いた。・・・相変わらず両手は高速で動いている。
「君たちのことは、よく知っているよ。虹とオレンジと日差しの町で少し戦ったね。それよりも前にも(下界で)戦っている。小さいことでも戦いは戦いだ。でも、僕は遊んでいるわけじゃないんだ。……こうやって、多くの人たちの戦いを自分の手で操作しているんだ。君にはゲームや遊びに見えても、僕は神だからね。こうやって、下界の戦いに干渉しているんだよ」
 瑠璃は目を見開いて、
「う……嘘……。私ったら神様に説教しちゃった」
 ジョー助はニッコリと笑って、
「君も小さい時に弟と喧嘩したね。あれも戦いなんだ。僕が管理しているものは戦いならなんでもさ。子供の喧嘩や昆虫同士の喧嘩から国同士の戦いまで……」
 ジョー助はゲームに目を戻した。

 ゲームでは倒れたプレイヤー側のキャラクターが必死に起き上がろうとしていた。
「出来れば。僕は雨の宮殿に行くのは断りたいんだ。ここで、世界中の戦いを操作しながら雨の宮殿での戦いにも干渉していたいんだ。勿論、君たちが勝つようにね……」
「……それでもいいのかな……?あ、でも、時の神さまたちが連れて行ってほしいって、言っているし……。ねえ、あなたが雨の宮殿に行くとどんな戦いをするの?」
「それは、簡単。僕自身が兵器を使って戦うんだ」
「強い……?」
「ああ……強いとも。この天の園でも下界でも僕を倒せる者はいない」
 瑠璃は考えた。
 こんなに凄い神様がいてくれれば、この悪夢から醒められる。楽に雨の宮殿での戦いで勝ちそうである。
「ねえ、どうしても行ってくれないと困るのよね……私。あなたは毎日こういうことをやっているの?」
 ジョー助がニッコリと笑った。


「そう……。じゃあ、雨の宮殿で戦ってくれたら……キスしてあげる」

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