五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

文字の大きさ
243 / 387

第243話:聖域の初日、そして砕かれた矜持

しおりを挟む
 夜明けの冷たい空気が、アキオの町の外れに新設された隔離・更生区画を包み込んでいた。昨夜、ヴァルト子爵領から護送されてきた数十人の元帝国兵たちは、一夜明けてもなお、その瞳に宿る荒んだ光を消そうとはしない。彼らは、カイとアルトが率いる町の防衛隊に囲まれながらも、誰一人として臆した様子を見せず、むしろ、次に何が起こるのかを試すような、挑戦的な視線を周囲に投げかけていた。

 カイは、そんな男たちの前に進み出ると、腹の底から響くような、厳しい声で檄を飛ばした。
「昨夜、アキオ様から話はあったはずだ! 道は二つ! この町で、人間として再生を望むなら、一歩前へ出ろ! 過去の栄光だかクソだかにしがみついて、ここで腐り果てたいなら、そこで待っていろ! 選ぶのはてめえら自身だ!」
 その言葉に、男たちの間で動揺が走る。彼らにとって、誰かの命令で一歩前に出ることは、兵士としての、そして男としての矜持を捨てる、敗北そのものを意味した。しかし、昨夜アキオが見せた、得体の知れない、しかし抗いがたい指導者の器。そして、この町の、明らかに異常なまでの豊かさと、女性たちの美しい笑顔。全てが、彼らの凝り固まった価値観を揺さぶっていた。
 長い、息の詰まるような沈黙。
 それを破ったのは、一人の若い兵士だった。彼は、唇を固く噛み締めると、仲間たちの嘲笑を背に受けながらも、意を決して一歩前へ出た。その一歩が、堰を切った。一人、また一人と、再生への道を望む者たちが、列を離れていく。最終的に、全体の七割ほどの男たちが「再生班」となり、残りの、特に古参でプライドの高い兵士たちが、腕を組み、冷笑を浮かべたまま「待機班」としてその場に残った。

 再生班に与えられた最初の仕事は、彼らの想像を絶するものだった。町の建設現場でも、森の開拓でもない。それは、この聖域の生活を根底から支える【浄化システム】の、最も下流にあたる、汚泥を処理するための溝の掘削と、濾過槽の清掃。鼻を突き、思考を麻痺させるほどの悪臭と、足元にまとわりつくヘドロ。それは、兵士としての彼らの矜持を、物理的に、そして精神的に、根こそぎ打ち砕くための、過酷すぎる試練だった。
「な、なんで俺たちがこんなクソみてえな仕事を!」
「兵士に泥掃除をさせる気か!」
 当然、男たちから反発の声が上がる。その現場の監督を任されていたのは、カイやアルトではなく、同じ元荒くれであるザックとゴルドーだった。
「てめえら、俺たちと同じだったくせに、偉そうにしやがって!」
 反発する男の一人が、ザックに掴みかかろうとする。だが、ザックは動じない。彼は、その男の腕を軽くいなすと、静かに、しかし心の底から響く声で言った。
「…ああ、偉そうにしてるさ。俺は、この町で、この手で、未来を作る喜びを知ったからな。お前は、このまま泥水の中で、過去の栄光にでも浸って死ぬか? それとも、泥水の中からでも、もう一度這い上がって、一人の男として女に顔向けできる人生を選ぶか? …どっちだ?」
 同じ地獄を見てきた者だけが持つ、その圧倒的な重みのある言葉に、男は何も言い返せず、悔しそうに顔を歪めながら、再び泥の溜まった溝へとスコップを突き立てた。

 夕刻。過酷な労働が終わり、泥と汗にまみれた再生班の男たちが、よろよろと食事場所へと連れてこられた、その時だった。
 彼らの目の前で、信じられない光景が繰り広げられた。
 町の別の建設現場での作業を終えた、ザックやゴルドーといった「先輩」の更生者たちが、町の女性たちと、実に楽しげに談笑していたのだ。
「ゴルドーさん、今日もお疲れ様です! ほら、この前の怪我、もう痛まないのですか?」
 ハナが、心配そうにゴルドーの腕に触れる。ゴルドーは、顔を真っ赤にしながらも、まんざらでもない様子で「お、おう…もう平気だ」とぶっきらぼうに答える。
 少し離れた場所では、ザックが、ユリアから水の入ったカップを受け取っていた。二人の間に、多くの言葉はない。だが、その穏やかな眼差しは、誰が見ても、深い信頼と愛情で結ばれた男女のものだった。
 新参の荒くれ共の中には、ザックやゴルドーと顔見知りの者も少なくない。かつて、自分たちと同じか、それ以上に荒んでいたはずの仲間が、今は町の中心で働き、美しい女性たちと、あんなにも親密に、そして幸せそうにしている。その光景は、彼らの心に、強烈な羨望と、そしてどうしようもない焦りを刻み付けた。

 その光景を見せつけられた後、再生班の男たちの前に、湯気の立つ、栄養満点の猪肉のシチューと、焼きたてのパンが置かれた。彼らは、泥だらけの手で、夢中でそれをかき込む。それは、彼らが数年ぶりに味わう、【自らの汗で稼いだ、まともな食事】の味だった。
 一方、その光景を、柵の向こうから見つめる【待機班】。彼らに与えられたのは、冷たい水と、固い黒パンが一切れだけ。腹の虫が鳴り、惨めさが心を支配する。その時、待機班の一人が、ついに耐えきれず叫んだ。「お、俺も…明日から、再生班に入れてくれ!」
 その声は、伝染した。

 その夜、凛がアキオの執務室を訪れ、初日の状況を報告した。
「再生班の作業効率は、想定の七割。ですが、精神的な抵抗は、想定よりも早く弱まっているようです。待機班からは、本日付で十数名が、再生班への移動を願い出ています」
 アキオは、満足げに頷いた。
「彼らの無駄な誇りを一度砕いた。そして、ザックたちの姿を見せて、本当の『希望』とは何かを教えた。明日からは、彼らが作ったその浄化槽が、この町の全ての命を支える、どれほど尊い仕事であるかを、徹底的に教え込む。…絶望の次に、本当の『誇り』を与えるんだ」
 アキオの、人の心を巧みに導くその深慮に、凛は改めて、この男の底知れない器の大きさを感じ、秘書官として、そして一人の女性として、彼への尊敬の念を新たにするのだった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

異世界に転移したらぼっちでした〜観察者ぼっちーの日常〜

キノア9g
ファンタジー
※本作はフィクションです。 「異世界に転移したら、ぼっちでした!?」 20歳の普通の会社員、ぼっちーが目を覚ましたら、そこは見知らぬ異世界の草原。手元には謎のスマホと簡単な日用品だけ。サバイバル知識ゼロでお金もないけど、せっかくの異世界生活、ブログで記録を残していくことに。 一風変わったブログ形式で、異世界の日常や驚き、見知らぬ土地での発見を綴る異世界サバイバル記録です!地道に生き抜くぼっちーの冒険を、どうぞご覧ください。 毎日19時更新予定。

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

シスターヴレイヴ!~上司に捨て駒にされ会社をクビになり無職ニートになった俺が妹と異世界に飛ばされ妹が勇者になったけど何とか生きてます~

尾山塩之進
ファンタジー
鳴鐘 慧河(なるがね けいが)25歳は上司に捨て駒にされ会社をクビになってしまい世の中に絶望し無職ニートの引き籠りになっていたが、二人の妹、優羽花(ゆうか)と静里菜(せりな)に元気づけられて再起を誓った。 だがその瞬間、妹たち共々『魔力満ちる世界エゾン・レイギス』に異世界召喚されてしまう。 全ての人間を滅ぼそうとうごめく魔族の長、大魔王を倒す星剣の勇者として、セカイを護る精霊に召喚されたのは妹だった。 勇者である妹を討つべく襲い来る魔族たち。 そして慧河より先に異世界召喚されていた慧河の元上司はこの異世界の覇権を狙い暗躍していた。 エゾン・レイギスの人間も一枚岩ではなく、様々な思惑で持って動いている。 これは戦乱渦巻く異世界で、妹たちを護ると一念発起した、勇者ではない只の一人の兄の戦いの物語である。 …その果てに妹ハーレムが作られることになろうとは当人には知るよしも無かった。 妹とは血の繋がりであろうか? 妹とは魂の繋がりである。 兄とは何か? 妹を護る存在である。 かけがいの無い大切な妹たちとのセカイを護る為に戦え!鳴鐘 慧河!戦わなければ護れない!

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身、動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物や魔法、獣人等が当たり前に存在する異世界に転移させられる。 彼が送るのは、時に命がけの戦いもあり、時に仲間との穏やかな日常もある、そんな『冒険者』ならではのスローライフ。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練とは如何なるものか。 ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

勇者パーティを追放されてしまったおっさん冒険者37歳……実はパーティメンバーにヤバいほど慕われていた

秋月静流
ファンタジー
勇者パーティを追放されたおっさん冒険者ガリウス・ノーザン37歳。 しかし彼を追放した筈のメンバーは実はヤバいほど彼を慕っていて…… テンプレ的な展開を逆手に取ったコメディーファンタジーの連載版です。

転生したみたいなので異世界生活を楽しみます

さっちさん
ファンタジー
又々、題名変更しました。 内容がどんどんかけ離れていくので… 沢山のコメントありがとうございます。対応出来なくてすいません。 誤字脱字申し訳ございません。気がついたら直していきます。 感傷的表現は無しでお願いしたいと思います😢 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ありきたりな転生ものの予定です。 主人公は30代後半で病死した、天涯孤独の女性が幼女になって冒険する。 一応、転生特典でスキルは貰ったけど、大丈夫か。私。 まっ、なんとかなるっしょ。

処理中です...