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第289話:正妻の願い、そしてエルフの故郷
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王家との会談という、聖域の未来を左右する大きな出来事を前に、アキオの町は、一見、穏やかな日常を刻んでいた。だが、その水面下では、来るべき日に備え、誰もが、それぞれの立場で、自らの務めを果たしていた。凛とクラウディアは、連日、王家との交渉に向けた、膨大な資料の作成と分析に追われ、カイやケンタたちは、町の防衛体制の最終チェックに余念がない。
アキオもまた、棟梁として、そしてこの大家族の長として、多忙な日々を送っていた。しかし、彼の心には、ずっと気にかかっていることがあった。正妻である、シルヴィアのことだ。
彼女は、常に冷静沈着で、町の医療と、そして妻たちのまとめ役として、完璧にその務めを果たしている。だが、アキオは知っていた。その気高いハイエルフの仮面の下に、彼女もまた、一人の女性として、夫との、二人きりの時間を、静かに、そして切実に、求めていることを。最近は、聖域全体の運営や、他の妻たちのことなど、二人でゆっくりと話す機会も、なかなか持てていなかったのだ。
その日の午後、アキオは、全ての執務を凛たちに任せると、シルヴィアの私室兼研究室を訪れた。
「シルヴィア、少し、散歩でもしないか」
「あら、アキオ。どうかなさいましたの?」
「いや…たまには、夫婦水入らずで、ゆっくりしたいと思ってな」
アキオのその、少し照れくさそうな、しかし、心の底からの誘いに、シルヴィアは、一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに、これ以上ないほど、嬉しそうな、そして美しい笑みを浮かべた。
二人が向かったのは、新・中央館の庭に植えられた、神聖樹『アルクス・ヴィリディス』から分かち与えられた、新しい生命樹の若木が根付く場所だった。その若木は、まだ小さいながらも、神々しいほどの生命力に満ち、周囲の空気を清浄な気で満たしている。
二人は、その若木の麓に腰を下ろし、穏やかな陽光の中で、静かに語り合った。
「…不思議なものですわね」シルヴィアが、そっと若木に触れながら、呟く。
「わたくしが、あなたと出会った、あの森の小屋。あの頃は、ただ、静かに、森と共に朽ちていくだけの運命だと、そう思っておりました。…ですが、今は、こんなにもたくさんの、愛しい家族に囲まれて…そして、わたくしのお腹の中にも、また、新しい光が…」
彼女は、自らの、まだ平坦な、しかし確かな命の胎動を感じるお腹を、愛おしそうに撫でた。
アキオは、そんな彼女の手を、優しく包み込んだ。
「それは、俺の方こそだ、シルヴィア。君と出会えなければ、俺は、ただの異世界で途方に暮れる、初老の男だった。君が、俺に、この世界で生きる意味と、家族という温もりを、教えてくれたんだ」
アキオは、この機会に、シルヴィアの、正妻としての、そして全ての妻たちの「姉」としての、その胸の内にある、本当の想いを、改めて聞いた。彼女の、アキオへの、そしてこの大家族への、計り知れないほどの深い愛情と、そして、時折見せる、一人の女性としての、ささやかな願い。アキオは、その全てを、改めて、その心に刻み込むのだった。
その夜。アキオは、シルヴィアを、アヤネのために作った、あの「幻想空間を作り出す部屋」へと誘った。
「アヤネ殿への贈り物は、本当に素敵でしたわ。わたくしまで、幸せな気持ちになりましたもの」と微笑むシルヴィア。
「ああ。だが、今夜は、君のためだけの、特別な景色を用意したんだ」
アキオが、部屋の仕掛けを起動させる。闇に包まれた部屋に、光が灯り始めた。だが、そこに現れたのは、二人の思い出の風景ではなかった。
天を突くほどの、巨大な、白銀に輝く樹々。その枝々の間を、幻想的な光を放つ滝が流れ落ち、足元には、見たこともない、美しい水晶の花々が、柔らかな光を放って咲き乱れている。空気は、どこまでも清浄で、そして、懐かしい、森の香りに満ちていた。
それは、伝説の中にのみ語られる、【エルフの故郷(アルフヘイム)】そのものだった。
「…まあ…! これは…!」
シルヴィアは、言葉を失った。彼女は、ハイエルフとして、その魂の奥底に、遺伝子情報として、この風景を記憶している。だが、実際に、その目で見たことはない、彼女の魂の原風景。
「どうやって…これを…?」
「凛殿と、クラウディア殿に、手伝ってもらってな。君が、時々、夢の中で見るという、故郷の風景。その、君の脳裏に眠る断片的な情報を、二人が読み解いて、この空間に、再現してくれたんだ」
アキオからの、想像を絶する、そして、自らの魂の根源に触れる、最高の贈り物。シルヴィアの、その気高い翠の瞳から、大粒の涙が、静かに、そしてとめどなく、流れ落ちた。それは、彼女の魂が、何百年という長い時を経て、初めて、その故郷へと帰ることができた、感動の瞬間だった。
その、世界で最も美しい場所で、二人は結ばれた。
妊娠中の身体を気遣うアキオの優しさに、シルヴィアは、時に官能的に、そして時に、少女のように甘え、自ら、夫を求めた。
「アキオ…もっと…わたくしの全てで、あなたを感じたい…」
ハイエルフとして昇華した彼女の、神々しいまでの裸身が、故郷の森の、幻想的な光に照らし出される。それは、アキオにとって、この世のどんな芸術品よりも、唯々美しい光景だった。
アキオは、この聖域の、そして自らの、最初の光である、正妻シルヴィアという、特別な存在を、その魂で、改めて、そして永遠に、抱きしめる。それは、二人の愛が、単なる夫婦の絆を超え、この聖域の歴史そのものと、完全に一つになった、忘れられない一夜となった。
アキオもまた、棟梁として、そしてこの大家族の長として、多忙な日々を送っていた。しかし、彼の心には、ずっと気にかかっていることがあった。正妻である、シルヴィアのことだ。
彼女は、常に冷静沈着で、町の医療と、そして妻たちのまとめ役として、完璧にその務めを果たしている。だが、アキオは知っていた。その気高いハイエルフの仮面の下に、彼女もまた、一人の女性として、夫との、二人きりの時間を、静かに、そして切実に、求めていることを。最近は、聖域全体の運営や、他の妻たちのことなど、二人でゆっくりと話す機会も、なかなか持てていなかったのだ。
その日の午後、アキオは、全ての執務を凛たちに任せると、シルヴィアの私室兼研究室を訪れた。
「シルヴィア、少し、散歩でもしないか」
「あら、アキオ。どうかなさいましたの?」
「いや…たまには、夫婦水入らずで、ゆっくりしたいと思ってな」
アキオのその、少し照れくさそうな、しかし、心の底からの誘いに、シルヴィアは、一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに、これ以上ないほど、嬉しそうな、そして美しい笑みを浮かべた。
二人が向かったのは、新・中央館の庭に植えられた、神聖樹『アルクス・ヴィリディス』から分かち与えられた、新しい生命樹の若木が根付く場所だった。その若木は、まだ小さいながらも、神々しいほどの生命力に満ち、周囲の空気を清浄な気で満たしている。
二人は、その若木の麓に腰を下ろし、穏やかな陽光の中で、静かに語り合った。
「…不思議なものですわね」シルヴィアが、そっと若木に触れながら、呟く。
「わたくしが、あなたと出会った、あの森の小屋。あの頃は、ただ、静かに、森と共に朽ちていくだけの運命だと、そう思っておりました。…ですが、今は、こんなにもたくさんの、愛しい家族に囲まれて…そして、わたくしのお腹の中にも、また、新しい光が…」
彼女は、自らの、まだ平坦な、しかし確かな命の胎動を感じるお腹を、愛おしそうに撫でた。
アキオは、そんな彼女の手を、優しく包み込んだ。
「それは、俺の方こそだ、シルヴィア。君と出会えなければ、俺は、ただの異世界で途方に暮れる、初老の男だった。君が、俺に、この世界で生きる意味と、家族という温もりを、教えてくれたんだ」
アキオは、この機会に、シルヴィアの、正妻としての、そして全ての妻たちの「姉」としての、その胸の内にある、本当の想いを、改めて聞いた。彼女の、アキオへの、そしてこの大家族への、計り知れないほどの深い愛情と、そして、時折見せる、一人の女性としての、ささやかな願い。アキオは、その全てを、改めて、その心に刻み込むのだった。
その夜。アキオは、シルヴィアを、アヤネのために作った、あの「幻想空間を作り出す部屋」へと誘った。
「アヤネ殿への贈り物は、本当に素敵でしたわ。わたくしまで、幸せな気持ちになりましたもの」と微笑むシルヴィア。
「ああ。だが、今夜は、君のためだけの、特別な景色を用意したんだ」
アキオが、部屋の仕掛けを起動させる。闇に包まれた部屋に、光が灯り始めた。だが、そこに現れたのは、二人の思い出の風景ではなかった。
天を突くほどの、巨大な、白銀に輝く樹々。その枝々の間を、幻想的な光を放つ滝が流れ落ち、足元には、見たこともない、美しい水晶の花々が、柔らかな光を放って咲き乱れている。空気は、どこまでも清浄で、そして、懐かしい、森の香りに満ちていた。
それは、伝説の中にのみ語られる、【エルフの故郷(アルフヘイム)】そのものだった。
「…まあ…! これは…!」
シルヴィアは、言葉を失った。彼女は、ハイエルフとして、その魂の奥底に、遺伝子情報として、この風景を記憶している。だが、実際に、その目で見たことはない、彼女の魂の原風景。
「どうやって…これを…?」
「凛殿と、クラウディア殿に、手伝ってもらってな。君が、時々、夢の中で見るという、故郷の風景。その、君の脳裏に眠る断片的な情報を、二人が読み解いて、この空間に、再現してくれたんだ」
アキオからの、想像を絶する、そして、自らの魂の根源に触れる、最高の贈り物。シルヴィアの、その気高い翠の瞳から、大粒の涙が、静かに、そしてとめどなく、流れ落ちた。それは、彼女の魂が、何百年という長い時を経て、初めて、その故郷へと帰ることができた、感動の瞬間だった。
その、世界で最も美しい場所で、二人は結ばれた。
妊娠中の身体を気遣うアキオの優しさに、シルヴィアは、時に官能的に、そして時に、少女のように甘え、自ら、夫を求めた。
「アキオ…もっと…わたくしの全てで、あなたを感じたい…」
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アキオは、この聖域の、そして自らの、最初の光である、正妻シルヴィアという、特別な存在を、その魂で、改めて、そして永遠に、抱きしめる。それは、二人の愛が、単なる夫婦の絆を超え、この聖域の歴史そのものと、完全に一つになった、忘れられない一夜となった。
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