五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

文字の大きさ
290 / 387

第290話:聖母の休日、そして夫婦の原点

しおりを挟む
 王家との会談まで、あと十日を切った。聖域は、その日に向けて、静かでありながら、確かな緊張感を内包していた。アキオは、その大きな責務を前に、自らの、そしてこの町の、全ての原点である、筆頭夫人アヤネと、二人だけの、特別な一日を過ごすことを決めた。

 その日の朝、アキオは、子供たちの世話を他の妻たちに任せると、アヤネの手を取り、新・中央館を後にした。
「あなた、どこへいらっしゃるのですか?」
「ああ。少し、散歩にな。俺たちの、最初の家に、だ」
 アキオのその言葉に、アヤネは、一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに、これ以上ないほど、嬉しそうな、そして懐かしそうな笑みを浮かべた。

 二人が向かったのは、森の奥深く、生命樹からも少し離れた場所に、ひっそりと佇む、小さな丸太小屋だった。アキオが、この世界に来て、最初に建てた、全ての始まりの場所。今では、訪れる者もほとんどいないが、アキオの指示で、いつでも人が住めるように、完璧に手入れがなされていた。
「ここは、万が一の場合、森で道に迷った者や、緊急時の避難所にもなるからな。いつでも、火と、水が使えるようにしてあるんだ」
 アキオは、そう言って、暖炉に慣れた手つきで火を入れる。
「まあ…。ですが、あなた。わたくしたちにとっては、それだけでは、ありませんわね」
「ああ。俺たちにとっては、それだけじゃない。特別な、俺たちの家だ」
 二人は、顔を見合わせ、穏やかに微笑んだ。

 その日、二人は、聖域の「父」と「母」としての立場を、完全に忘れた。アキオは、棟梁としてではなく、ただの男として、斧で薪を割り、井戸から水を汲む。アヤネもまた、宰相としてではなく、ただの女として、その小さな厨房で、夫のために、昼食の準備を始めた。
 畑で採れた、新鮮な野菜と、キナが分けてくれた猪肉の塩漬け。アヤネは、それを、素朴な、しかし愛情のこもったスープへと変えていく。アキオは、その隣で、不器用な手つきで、野菜の皮を剥いて手伝う。
「あなた、危のうございますわ。指を切ってしまいます」
「ははは、これでも、昔は職人だったんだがな。お前の手際を見ていると、俺の出る幕はなさそうだ」
「いいえ。こうして、貴方が隣にいてくださるだけで、わたくしは、幸せなのです」
 他愛のない会話。穏やかな時間。それは、二人が、この世界で、ただの「アキオ」と「アヤネ」として過ごした、あの最初の頃の日々を、鮮やかに蘇らせた。

 その夜、二人は、思い出の家で、寄り添いながら、暖炉の揺れる炎を見つめていた。
「…不思議なものですわね」アヤネが、アキオの胸に、そっと頭を預けながら、呟いた。「あの頃は、五人の子供たちと、貴方と、この小さな家で、明日を生きるのに必死でした。ですが、あの頃の、一日一日が、今の、わたくしの、そしてこの町の、全ての宝物です」
「ああ、そうだな」
「わたくしのお腹の中にも、そして、姉妹たちのお腹の中にも、新しい命が宿っています。この聖域は、これから、もっともっと、大きくなっていくでしょう。ですが、わたくしの願いは、あの日から、何も変わっておりません」
 彼女は、顔を上げ、アキオの瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「わたくしは、いつまでも、貴方様の一番近くで、そのお心を、お支えしたい。それだけが、わたくしの、唯一の、そして最高の幸せなのです」
 その、筆頭夫人としての、そして、この男を、誰よりも長く、そして深く愛し続けてきた、一人の女性としての、魂からの言葉。

 アキオは、そんな愛しい妻の全てを、その大きな愛で受け止めた。
 その夜、二人は、豪華な寝室ではなく、思い出の詰まった、小さなベッドで結ばれた。それは、派手な仕掛けなど何もない、しかし、二人の愛の、全ての原点が詰まった、どこまでも温かく、そして、お互いの魂が、完全に満たされる、最高の夜となった。
 アヤネは、自らが聖域の「母」であることを、一時だけ忘れ、ただ、愛する男に身も心も委ねる、一人の「女」に戻っていた。アキオもまた、彼女の、その献身的で、そして深い愛情に、改めて、その身も心も、全てを委ねるのだった。

 夫婦の原点へと立ち返り、その絆を、改めて、そして永遠に確認し合った二人。その夜、アヤネの心に、王家の王女を迎え入れることへの、不安の影は、もはや、一片も残ってはいなかった。
(どんな方がいらっしゃろうとも、この方の、最初の光は、わたくしですもの)
 聖域の母は、その絶対的な自信と、夫への愛を胸に、穏やかな眠りにつくのだった。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

異世界帰りの勇者、今度は現代世界でスキル、魔法を使って、無双するスローライフを送ります!?〜ついでに世界も救います!?〜

沢田美
ファンタジー
かつて“異世界”で魔王を討伐し、八年にわたる冒険を終えた青年・ユキヒロ。 数々の死線を乗り越え、勇者として讃えられた彼が帰ってきたのは、元の日本――高校卒業すらしていない、現実世界だった。

書道が『神級』に昇格!?女神の失敗で異世界転移して竜皇女と商売してたら勇者!聖女!魔王!「次々と現れるので対応してたら世界を救ってました」

銀塊 メウ
ファンタジー
書道が大好き(強制)なごくごく普通の 一般高校生真田蒼字、しかし実際は家の 関係で、幽霊や妖怪を倒す陰陽師的な仕事 を裏でしていた。ある日のこと学校を 出たら目の前は薄暗い檻の中なんじゃ こりゃーと思っていると、女神(駄)が 現れ異世界に転移されていた。魔王を 倒してほしんですか?いえ違います。 失敗しちゃった。テヘ!ふざけんな! さっさと元の世界に帰せ‼ これは運悪く異世界に飛ばされた青年が 仲間のリル、レイチェルと楽しくほのぼの と商売をして暮らしているところで、 様々な事件に巻き込まれながらも、この 世界に来て手に入れたスキル『書道神級』 の力で無双し敵をバッタバッタと倒し 解決していく中で、魔王と勇者達の戦いに 巻き込まれ時にはカッコよく(モテる)、 時には面白く敵を倒して(笑える)いつの 間にか世界を救う話です。

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

固有スキルガチャで最底辺からの大逆転だモ~モンスターのスキルを使えるようになった俺のお気楽ダンジョンライフ~

うみ
ファンタジー
 恵まれない固有スキルを持って生まれたクラウディオだったが、一人、ダンジョンの一階層で宝箱を漁ることで生計を立てていた。  いつものように一階層を探索していたところ、弱い癖に探索者を続けている彼の態度が気に入らない探索者によって深層に飛ばされてしまう。  モンスターに襲われ絶体絶命のピンチに機転を利かせて切り抜けるも、ただの雑魚モンスター一匹を倒したに過ぎなかった。  そこで、クラウディオは固有スキルを入れ替えるアイテムを手に入れ、大逆転。  モンスターの力を吸収できるようになった彼は深層から無事帰還することができた。  その後、彼と同じように深層に転移した探索者の手助けをしたり、彼を深層に飛ばした探索者にお灸をすえたり、と彼の生活が一変する。  稼いだ金で郊外で隠居生活を送ることを目標に今日もまたダンジョンに挑むクラウディオなのであった。 『箱を開けるモ』 「餌は待てと言ってるだろうに」  とあるイベントでくっついてくることになった生意気なマーモットと共に。

異世界で家をつくります~異世界転移したサラリーマン、念動力で街をつくってスローライフ~

ヘッドホン侍
ファンタジー
◆異世界転移したサラリーマンがサンドボックスゲームのような魔法を使って、家をつくったり街をつくったりしながら、マイペースなスローライフを送っていたらいつの間にか世界を救います◆ ーーブラック企業戦士のマコトは気が付くと異世界の森にいた。しかし、使える魔法といえば念動力のような魔法だけ。戦うことにはめっぽう向いてない。なんとか森でサバイバルしているうちに第一異世界人と出会う。それもちょうどモンスターに襲われているときに、女の子に助けられて。普通逆じゃないのー!と凹むマコトであったが、彼は知らない。守るにはめっぽう強い能力であったことを。 ※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています。

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

異世界に転移したらぼっちでした〜観察者ぼっちーの日常〜

キノア9g
ファンタジー
※本作はフィクションです。 「異世界に転移したら、ぼっちでした!?」 20歳の普通の会社員、ぼっちーが目を覚ましたら、そこは見知らぬ異世界の草原。手元には謎のスマホと簡単な日用品だけ。サバイバル知識ゼロでお金もないけど、せっかくの異世界生活、ブログで記録を残していくことに。 一風変わったブログ形式で、異世界の日常や驚き、見知らぬ土地での発見を綴る異世界サバイバル記録です!地道に生き抜くぼっちーの冒険を、どうぞご覧ください。 毎日19時更新予定。

大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います

町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。

処理中です...