五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

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第341話:王女の役割と、初めての添い寝

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 聖域に、穏やかな朝の光が降り注ぐ。新・中央館は、多くの家族の笑い声と、新しい一日が始まる活気に満ちていた。だが、その輪の中心から少し離れた場所で、一人、自らの無力さを噛み締めている少女がいた。メイプルウッド王国の第一王女、イザベラである。
 アキオの奇跡によって光を取り戻した彼女の瞳には、今、この聖域の素晴らしい営みが、鮮やかに映っていた。
 厨房で、数百人分の食事を完璧な采配で取り仕切る、聖域の母アヤネ。
 診療所で、専門的な知識で人々の命を救う、ハイエルフのシルヴィア。
 書庫と執務室で、この町の未来そのものを設計している、才媛の凛とクラウディア。
 森を駆け、聖域の食を支える、神狼のキナ。
 そして、遠い故国で、国の復興のために戦う、セレスティーナとレオノーラ。
 誰もが、自らの役割を持ち、この聖域を、アキオという太陽を、力強く支えている。
(それに比べて、わたくしは…)
 イザベラは、きゅっと唇を結んだ。自分にできることは、何もない。ただ、王女として生まれ、その血筋と美貌によって、アキオの元へ「贈られて」きただけ。彼の妻候補と言われても、その実感は、あまりにも希薄だった。
「イザベラ様、こちらのお皿、運ぶのをお願いしてもよろしいでしょうか」
 アヤネの優しい声に、はっと我に返る。
「は、はい! もちろんですわ!」
 彼女は、何か少しでも役に立ちたいと、慌てて皿の乗った盆を持った。だが、生まれてこの方、家事などしたことのない彼女の手つきは、おぼつかない。次の瞬間、足元の段差に気づかず、ガシャン!という音と共に、盆と皿は無残に床に散らばってしまった。
「も、申し訳ありません…! わたくし、なんてことを…」
「まあ、お怪我はございませんか、イザベラ様! 大丈夫、皿など、また作ればよいのですから」
 アヤネは、少しも彼女を責めず、ただその身を案じる。その優しさが、イザベラには、かえって辛かった。
 その日の午後。落ち込んだまま、庭のベンチで一人、俯いていたイザベラの元へ、アキオが穏やかな表情でやってきた。
「イザベラ。少し、顔色が悪いようだが、どうかしたか?」
「アキオ様…」
 アキオのその優しい声に、堪えていたものが、溢れ出しそうになる。
「わたくし…この町で、何の役にも立てておりません。皆様にご迷惑ばかりおかけして…アキオ様の、おそばにいる資格など、わたくしには…」
 そのか細い声に、アキオは静かに、しかし力強く首を横に振った。
「そんなことはない。イザベラ、君にしかできない、大切な役目があるんだ」
「え…?」
 アキオは、彼女の隣に腰を下ろすと、真剣な眼差しで語り始めた。
「俺たちの町は、これから、ヴァルト公爵や、スタンフィールド公爵、そして、いずれは君の父君である国王陛下とも、対等な立場で渡り合っていかねばならない。だが、俺も、ここにいる皆も、そういった貴族や王族の正式な作法というものを、全く知らないんだ」
 彼は、イザベラの小さな手を優しく取った。
「イザベラ。君に、俺たちの先生になってほしいんだ。王家としての正しい言葉遣い、立ち居振る舞い、そして公式な晩餐会でのもてなしの仕方。それを、俺たちに教えてはくれないだろうか。君のその生まれ持った気品と知識こそが、この聖域が世界と渡り合うための、何よりの武器になるんだ」
 その思いがけない言葉。
 自分には、何もないと思っていた。ただ、王家に生まれたという、それだけが自分の価値だと思っていた。だが、アキオは、その自分の過去そのものを、この町の未来のために「必要だ」と、言ってくれている。
「わたくしが…先生…?」
「ああ。君は、この聖域の外交儀礼と文化の、最高の指導教官だ。頼めるか?」
 イザベラの、光を取り戻したばかりの美しい瞳から、大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれ落ちた。それは、これまでの無力感からくる涙ではない。自分が必要とされているという、生まれて初めて感じる、熱い喜びの涙だった。
「はい…! はい、アキオ様…! この、イザベラ、未熟者ではございますが、必ずや、その大役、果たしてご覧に入れます…!」
 その夜、アキオは、イザベラの部屋を訪れた。
「イザベラ。今夜は、君のそばで、眠らせてはくれないか」
「え…? ですが、アキオ様、わたくしは、まだ…」
「ああ、分かっている。君が、二十歳になるまでは、手は出さんよ。約束だ。ただ、君が、新しい役目を見つけ、素晴らしい一歩を踏み出した、その記念すべき夜を、夫として、一番近くで祝福したいんだ」
 アキオのその、どこまでも誠実な言葉に、イザベラは顔を真っ赤にしながらも、こくりと頷いた。
 大きな寝台の上で、二人は少しだけ距離を置いて横になった。
 生まれて初めて、男性と同じ寝具で眠る。その緊張と、それを上回る、どうしようもないほどの幸福感。イザベラの心臓は、破裂しそうなほど高鳴っていた。
 アキオは、そんな彼女の緊張を解きほぐすように、彼女の新しい役目について、優しく語りかけた。
「まずは、キナの食べ方から、教えてやってくれ。あいつは、豪快すぎて、見ていてハラハラすることがあるからな」
「ふふ…はい、お任せくださいまし」
 他愛のない会話。だが、その一つ一つが、イザベラの心を温かく満たしていく。
 やがて、彼女の体の力がふっと抜けたのを感じ取り、アキオはそっと、その華奢な肩を抱き寄せた。
「…!」
 イザベラの体が、びくりと震える。だが、アキオの腕から伝わってくるのは、絶対的な安心感と、どこまでも優しい温もりだけだった。
 彼女は、おそるおそる、そのたくましい胸に自らの顔をうずめた。
(…これが、アキオ様の匂い…)
 太陽と、土と、そして森の清浄な香り。その香りに包まれながら、彼女の意識は、ゆっくりと穏やかな眠りの海へと沈んでいった。
 アキオは、腕の中ですやすやと安心しきった寝息を立てるイザベラの、その美しい金色の髪をそっと撫でた。
 この聖域で、また一つ、かけがえのない宝物が、その本当の輝きを見つけた夜だった。
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