五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~

よっしぃ

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第342話:森の主の神託と、赤と金の夜

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 聖域の朝は、子供たちの元気な声と共に始まる。だが、その喧騒から少し離れた森の入り口では、より原始的で、力強い生命のやり取りが繰り広げられていた。
「こら、お前たち!じゃれ合うのもいいが、少しは落ち着け!」
 キナの、呆れを含んだ愛情のこもった声が響く。彼女の目の前では、アキオの祝福を受けて聖域に誕生した、三頭の若い聖獣(黒豹)たちが、互いに飛びかかり、転げ回り、無邪気に戯れていた。その姿は、じゃれ合う子猫そのものだが、一挙手一投足が、大地を揺るがすほどの力を秘めている。
 しかし、その輪から少し離れた場所で、一頭だけ、全く違う空気を纏う存在がいた。三頭の親玉であり、この聖域の森の守護者たる、成体の聖霊獣(黒豹)である。その漆黒の体躯は、まるで闇を切り取って創られた彫像のように静止し、金色の瞳は、ただじっと、森の奥深くを見つめている。その視線の先にあるのは、この森の真の主、意識を持つ神聖樹『アルクス・ヴィリディス』だ。
「やはり、あの子だけは、心を開いてくれませんわね…」
 不意に、背後からかけられた声に、キナは振り返った。そこに立っていたのは、聖域の教師団を率いるクラウディアだった。その手には、何やら案が書き込まれた羊皮紙が握られている。
「おう、クラウディアか。まあな。こいつは、ただの獣じゃねえ。森の意思そのものみてえなもんだからな。ガキどもとは、訳が違う」
 今、キナとクラウディアは、共同である一つのプロジェクトに取り組んでいた。それは、聖域の子供たちのための、新しい教育カリキュラム――『森と共に生きる』の実践である。子供たちに、この聖域の自然の素晴らしさと、その厳しさを、肌で学ばせる。そして、その一環として、聖獣たちとの正しい触れ合い方を教える、という壮大な計画だった。
 だが、その計画には、大きな壁があった。三頭の若い聖獣は、子供たちにも懐き始めているが、この親玉である聖霊獣だけは、アキオとキナ以外の人間を、決して寄せ付けようとしないのだ。
「このままでは、計画は進められませんわ。子供たちの安全を考えれば、この方の協力は、不可欠ですもの」
「ああ。こいつの考えてることが、分かればいいんだがな…」
 キナは、そう言うと、意を決したように立ち上がった。
「よし、決めた。クラウディア、お前も来い。直接、聞きに行くぞ」
「え? どこへ、ですの?」
「決まってんだろ。この森の、本当の主に、だ」
 キナは、聖霊獣に一声かけると、森の奥深くへと歩き始めた。聖霊獣は、無言でその後に続き、三頭の若い聖獣たちも、遊びをやめて、行儀よくその後に従う。クラウディアは、少し緊張しながらも、その神秘的な行列に加わった。
 しばらく進むと、周囲の空気が一変した。まるで、神社の境内に入ったかのような、清浄で、荘厳な気配。森の最深部、巨大な生命樹とはまた違う、古えの叡智を宿した神聖樹『アルクス・ヴィリディス』が、そこに鎮座していた。
 キナが、その幹に手を触れ、心で問いかける。
(森の主よ。あんたの使いである、この黒い奴は、何を考えている? 俺たちは、この森と、もっと仲良くしたいだけなんだが)
 すると、ざわ、と。アルクス・ヴィリディスの無数の葉が、一斉に揺れ、言葉にならない「意思」が、キナと、そしてクラウディアの脳裏に、直接流れ込んできた。
『ヒトは増え、ヒトは望む。聖域は広がり、森は変わる。我が僕(しもべ)は、それを憂う。調和は、保たれるのか、と…』
 それは、問いかけであり、警告でもあった。聖域の発展は、森の、古からのバランスを、崩しかねない。聖霊獣は、その、森の意思の代弁者として、人間たちの真意を、見極めようとしているのだ。
「…そういうことか。こいつは、俺たちが、この森を壊さねえか、心配してやがったんだな」
「なんと…。わたくしたちの、浅慮でしたわ。ただ、仲良くなりたい、と願うだけでは、駄目だったのですね。彼らの、森の理(ことわり)を、理解し、敬意を払わなければ…」
 クラウディアは、自らの計画の、根本的な見直しが必要であることを、痛感した。これは、教育だけの問題ではない。この聖域の、未来の在り方そのものに関わる、重大な問題だ。
 その夜。
 アキオの部屋の扉を、二人の女性が、同時に訪れた。神狼の血を引く、野性の女キナと、知性に溢れる、才媛クラウディア。対照的な組み合わせに、アキオは少し驚きながらも、二人を中に招き入れた。
「どうしたんだ、二人揃って。何か、問題でも起きたか?」
「だんな、聞いてくれ。今日、森の主と話してきたんだが…」
「アキオ様。わたくしたちの計画は、根本から、間違っておりましたわ」
 キナとクラウディアは、昼間の出来事と、アルクス・ヴィリディスから受け取った神託、そして、聖霊獣が抱いている懸念を、アキオに、詳細に報告した。それは、聖域の未来にとって、決して無視できない、重要な課題だった。
 全ての報告を聞き終えたアキオは、腕を組み、静かに目を閉じた。そして、ゆっくりと目を開くと、二人の顔を交互に、真っ直ぐに見つめた。
「…そうか。キナ、クラウディア、よく気づいてくれた。そして、よく報告してくれたな。ありがとう」
 彼の声には、安堵と、そして二人への深い信頼がこもっていた。
「聖霊獣が、何を考えているか、分かったよ。あいつは、俺たちに試練を与えているんだ。俺たちが、本当に、この森と共存する覚悟があるのか、と」
 アキオは、立ち上がると、二人の手を取った。
「キナ、お前のその自然と一体になる野性の魂。クラウディア、お前の物事の本質を見抜く知性の光。その二つが合わされば、きっと答えは見つかる。俺も手伝う。三人で、あいつに、俺たちの覚悟を示してやろうじゃないか」
「だんな…」
「アキオ様…」
 アキオは、二人の、驚きと期待に揺れる瞳を見つめ、悪戯っぽく微笑んだ。
「そのためには、まず、俺たち三人の魂を完全に一つに調和させる必要がある。そうだろ?」
 
 その夜、アキオの寝台は、赤銅色の髪と、華やかな金色の髪が入り乱れていた。
 野性的で、ストレートな愛情をぶつけてくるキナ。
 知性的で、しかしその奥に秘めた情熱を燃やすクラウディア。
 アキオは、その対照的でありながら、どちらも抗いがたい魅力を持つ二つの個性を、その大きな器で全て受け止めた。
 それは、ただの欲望の交歓ではない。
 野性と知性。
 森の理と、人の叡智。
 その二つを、アキオという絶対的な調停者の元で融合させ、新しい答えを生み出すための、神聖な儀式だった。
 三つの魂が、完全に一つに溶け合ったその時。部屋の外、闇の中でじっとその気配を感じていた漆黒の聖霊獣が、ふっと緊張を解き、初めて穏やかな表情で月を見上げたことを、まだ誰も知らなかった。
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