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第373話:聖霊の違和感と、訪れる危機
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錬金術師パラケルススとその一族を聖域の新しい仲間として正式に迎え入れてから、ひと月ほどの時が流れた。工房では、リザの持ち込んだゴーレム工学の知識とドルガン親方の鍛冶技術が、早くも刺激的な化学反応を起こし始めていた。聖域は新しい技術という風を受け、さらなる発展への期待に満ち溢れていた。
だが、その輝かしい光の裏で、一つの、そして最も神聖な奇跡の時が、静かに、しかし確実に近づいていた。そして、その奇跡がこれまでのどの出産とも違う、測り知れないほどの困難を伴うものであることに、まだ誰も気づいてはいなかった。
その異変に最初に気づいたのはアウロラ自身だった。
夏の終わりの、月が美しい夜。アキオの腕の中でまどろんでいた彼女は、ふと自らの大きなお腹にそっと手を当てた。その表情から、いつもの女神のような穏やかな笑みが消え、微かな、しかし拭い去れない戸惑いの色が浮かび上がる。
「アキオ……」
「ん……どうした、アウロラ。腹の子がまた蹴ったのか?」
アキオはまだ眠気の残る声で優しく問いかける。
「いや……そういうのではないのじゃ」アウロラは身を起こすと、真剣な眼差しでアキオを見つめた。「どうもおかしいのじゃ。わらわのこの腹の中には確かに二つの大きな光を感じる。元気な男の子と優しい女の子の双子の魂じゃ。それは間違いない。……じゃが」
彼女はそこで言葉を切り、再び自らのお腹へと視線を落とした。
「その二つの光のさらに奥深く……。まるで底なしの影のような、それでいて途方もなく巨大なもう一つの気配を感じるのじゃ。それはわらわの子でありながら、わらわの力だけでは全く制御できぬ何か……。これは一体……」
聖霊である彼女が自らの体内で起こっていることを把握できない。その事実はアキオの心に、これまで感じたことのない漠然とした不安の影を落とした。
「大丈夫だ、アウロラ。考えすぎかもしれん。何かあれば、シルヴィアやミコもいる。俺もいる」
アキオはそう言って愛しい妻を力強く抱きしめた。だが、その不安は数日後、最悪の形で現実のものとなる。
その日は朝から空が鉛色に曇っていた。
聖域全体が原因不明の重苦しい魔力の淀みに包まれ、動物たちは鳴き声を潜め、人々もまたその不穏な気配に胸騒ぎを覚えていた。
そして昼過ぎ。中央館にいたアウロラの体が、前触れもなく激しい光を放ち、その場に崩れ落ちたのだ。
「アウロラ!」
知らせを受け駆けつけたアキオが目にしたのは、床に倒れ、荒い息を繰り返しながらその美しい顔を苦痛に歪める妻の姿だった。彼女の体からは制御不能の膨大な魔力が奔流となって溢れ出し、その力に呼応するかのように、森の生命樹と神聖樹の若木が苦しむように激しく明滅を繰り返している。
「アウロラ様!」
シルヴィアとミコが懸命に治癒魔法を試みる。しかし、アウロラの体から溢れ出す魔力はあまりにも強大すぎて、二人の治癒の光をいともたやすく弾き返してしまう。
「くっ……! ダメです、アキオ様! 私たちの力が全く届きません……!」
アキオはすぐさまアウロラのそばに駆け寄ると、その手を握り、自らの「生命の祝福」の力を全力で注ぎ込もうとした。
だが。
「なっ……!?」
アキオは絶句した。彼の万能であるはずのその力が、アウロラの体に触れた瞬間、何の抵抗もなく霧のようにかき消えていくのだ。まるで大海に一滴の水を垂らすかのように、何の反応も手応えもない。
初めて出産時に倒れる妻。
そして初めて自らの力が全く通用しないという絶対的な現実。
アキオは生まれて初めて、本当の意味での「絶望」という感情をその魂に刻み込まれた。
「アウロラ……! アウロラッ!」
いくら叫んでも彼女の瞳が開かれることはない。溢れ出す魔力の嵐の中で、アウロラの命の灯火は今にも消えようとしていた。
聖域はその誕生以来、最大の危機を迎えていた。それはただ一人の妻の命の危機ではない。この聖域の霊的な支柱そのものが失われようとしている破滅への序曲だった。
アキオはただ為すすべもなく、意識を失っていく妻の手を握りしめることしかできなかった。その頬を熱い絶望の涙が静かに伝っていく。
(誰か……誰かアウロラを助けてくれ……!)
その魂からの叫びが聖域の全ての善なる存在の心を震わせた。
奇跡への戦いが今、始まろうとしていた。
だが、その輝かしい光の裏で、一つの、そして最も神聖な奇跡の時が、静かに、しかし確実に近づいていた。そして、その奇跡がこれまでのどの出産とも違う、測り知れないほどの困難を伴うものであることに、まだ誰も気づいてはいなかった。
その異変に最初に気づいたのはアウロラ自身だった。
夏の終わりの、月が美しい夜。アキオの腕の中でまどろんでいた彼女は、ふと自らの大きなお腹にそっと手を当てた。その表情から、いつもの女神のような穏やかな笑みが消え、微かな、しかし拭い去れない戸惑いの色が浮かび上がる。
「アキオ……」
「ん……どうした、アウロラ。腹の子がまた蹴ったのか?」
アキオはまだ眠気の残る声で優しく問いかける。
「いや……そういうのではないのじゃ」アウロラは身を起こすと、真剣な眼差しでアキオを見つめた。「どうもおかしいのじゃ。わらわのこの腹の中には確かに二つの大きな光を感じる。元気な男の子と優しい女の子の双子の魂じゃ。それは間違いない。……じゃが」
彼女はそこで言葉を切り、再び自らのお腹へと視線を落とした。
「その二つの光のさらに奥深く……。まるで底なしの影のような、それでいて途方もなく巨大なもう一つの気配を感じるのじゃ。それはわらわの子でありながら、わらわの力だけでは全く制御できぬ何か……。これは一体……」
聖霊である彼女が自らの体内で起こっていることを把握できない。その事実はアキオの心に、これまで感じたことのない漠然とした不安の影を落とした。
「大丈夫だ、アウロラ。考えすぎかもしれん。何かあれば、シルヴィアやミコもいる。俺もいる」
アキオはそう言って愛しい妻を力強く抱きしめた。だが、その不安は数日後、最悪の形で現実のものとなる。
その日は朝から空が鉛色に曇っていた。
聖域全体が原因不明の重苦しい魔力の淀みに包まれ、動物たちは鳴き声を潜め、人々もまたその不穏な気配に胸騒ぎを覚えていた。
そして昼過ぎ。中央館にいたアウロラの体が、前触れもなく激しい光を放ち、その場に崩れ落ちたのだ。
「アウロラ!」
知らせを受け駆けつけたアキオが目にしたのは、床に倒れ、荒い息を繰り返しながらその美しい顔を苦痛に歪める妻の姿だった。彼女の体からは制御不能の膨大な魔力が奔流となって溢れ出し、その力に呼応するかのように、森の生命樹と神聖樹の若木が苦しむように激しく明滅を繰り返している。
「アウロラ様!」
シルヴィアとミコが懸命に治癒魔法を試みる。しかし、アウロラの体から溢れ出す魔力はあまりにも強大すぎて、二人の治癒の光をいともたやすく弾き返してしまう。
「くっ……! ダメです、アキオ様! 私たちの力が全く届きません……!」
アキオはすぐさまアウロラのそばに駆け寄ると、その手を握り、自らの「生命の祝福」の力を全力で注ぎ込もうとした。
だが。
「なっ……!?」
アキオは絶句した。彼の万能であるはずのその力が、アウロラの体に触れた瞬間、何の抵抗もなく霧のようにかき消えていくのだ。まるで大海に一滴の水を垂らすかのように、何の反応も手応えもない。
初めて出産時に倒れる妻。
そして初めて自らの力が全く通用しないという絶対的な現実。
アキオは生まれて初めて、本当の意味での「絶望」という感情をその魂に刻み込まれた。
「アウロラ……! アウロラッ!」
いくら叫んでも彼女の瞳が開かれることはない。溢れ出す魔力の嵐の中で、アウロラの命の灯火は今にも消えようとしていた。
聖域はその誕生以来、最大の危機を迎えていた。それはただ一人の妻の命の危機ではない。この聖域の霊的な支柱そのものが失われようとしている破滅への序曲だった。
アキオはただ為すすべもなく、意識を失っていく妻の手を握りしめることしかできなかった。その頬を熱い絶望の涙が静かに伝っていく。
(誰か……誰かアウロラを助けてくれ……!)
その魂からの叫びが聖域の全ての善なる存在の心を震わせた。
奇跡への戦いが今、始まろうとしていた。
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