381 / 387
第381話:氷の皇女と、始まりの揺りかご
しおりを挟む
聖域の出産ラッシュも、いよいよ第七夫人リリアーナの出産で一区切りを迎えようとしていた。町は新しい命の誕生を今か今かと待ちわび、祝福の空気に満ちていた。
だが、その中心にいるはずのリリアーナはその喜びの輪から一人取り残されたかのように、原因不明の恐怖と不安に苛まれていた。
「……うっ……!」
真夜中、リリアーナは自室の寝台の上で悪夢にうなされ飛び起きた。額には冷たい汗がびっしょりと浮かんでいる。
彼女が見ていたのは、かつて生きてきた帝国の後宮の光景。世継ぎを産むための道具として扱われ、心を壊していく妃たちの姿。そして生まれた赤子が政争の具として利用され、あるいは暗殺されていく血塗られた記憶だった。
「……違う……。ここは聖域……帝国ではない……」
彼女は自らにそう言い聞かせる。だが日に日に大きくなっていくお腹の重みと、近づいてくる出産の気配がその忌まわしい過去の呪いを呼び覚ますのだ。「母になる」という喜びよりも、「世継ぎを産む」という帝国の宿命が、彼女の心を蝕んでいた。
その彼女の異変に夫であるアキオが気づかないはずがなかった。
その夜、アキオは彼女の部屋を訪れ、優しくその理由を尋ねた。
「リリアーナ、最近顔色が悪いぞ。眠れていないんじゃないのか? 何か悩みがあるなら俺に話してくれないか」
リリアーナは最初は気丈に振る舞おうとする。
「……何でもありません、アキオ殿。少し寝不足なだけです」
だがアキオの全てを包み込むような優しい眼差しの前で、ついにその心の鎧を脱ぎ捨てた。
「……怖いのです、アキオ殿」
その声はか細く震えていた。
「わたくしは良い母になれるのでしょうか。この子がもしわたくしのように、帝国の血を引いているというだけで誰かに憎まれ、その命を狙われるようなことになったらと思うと……!」
それは常に冷静で気丈だった彼女が初めて見せる涙と弱さだった。
アキオはそんな彼女をただ力強く抱きしめた。そして彼は帝国の話ではなく、聖域の未来の話を彼女に語り聞かせる。
「リリアーナ。俺たちの子供は帝国の世継ぎじゃない。この聖域の新しい光だ。誰にも利用されることも誰かに憎まれることもない。ただ俺たち家族の愛に包まれて健やかに育っていくんだ。俺がこの命に代えても、それを約束する」
そしてアキオは彼女の手を引いて工房へと連れて行った。
工房の中央には一つの美しい白木の揺りかごが置かれていた。それはアキオがこの数日、徹夜で作り上げていたものだった。リリアーナの不安を和らげるため聖域の安眠効果のある木材だけを使い、そして彼女の故郷である帝国の紋章と聖域の生命樹の紋様を組み合わせた特別な彫刻が施されている。
「これはお前と俺たちの子のための最初の城だ。帝国の過去も聖域の未来も全てがこの子を祝福しているという証だ」
アキオのどこまでも深い愛情にリリアーナの心の氷は完全に溶け去った。彼女は心の底からアキオに満たされ、そして数日後。
彼のその愛に見守られながら、聖域の技術の粋を集めた安産椅子の上で元気な男の子を無事に出産した。
そしてその奇跡の瞬間。
生まれたばかりのその赤ん坊の左の手の甲に、まるで竜の鱗のような小さな痣があるのをシルヴィアが見つけた。
「……これは……。帝国に伝わる建国の皇帝陛下と同じ聖痕……。まさか……」
そのシルヴィアの驚愕の呟き。その意味を知るのはまだごく一部の者だけ。
リリアーナはその聖痕を愛おしそうに撫でながら我が子に名前を贈った。帝国を再興するという意味ではなく、この聖域で新しい平和な時代を築いてほしいという願いを込めて。
帝国の建国帝と同じ、『アウレリウス』と。
その名前と聖痕が未来にどのような運命をもたらすのか。それはまだ誰も知らない。
だが今はただ、新しい命の誕生という至上の喜びに、聖域全体が満たされていた。
だが、その中心にいるはずのリリアーナはその喜びの輪から一人取り残されたかのように、原因不明の恐怖と不安に苛まれていた。
「……うっ……!」
真夜中、リリアーナは自室の寝台の上で悪夢にうなされ飛び起きた。額には冷たい汗がびっしょりと浮かんでいる。
彼女が見ていたのは、かつて生きてきた帝国の後宮の光景。世継ぎを産むための道具として扱われ、心を壊していく妃たちの姿。そして生まれた赤子が政争の具として利用され、あるいは暗殺されていく血塗られた記憶だった。
「……違う……。ここは聖域……帝国ではない……」
彼女は自らにそう言い聞かせる。だが日に日に大きくなっていくお腹の重みと、近づいてくる出産の気配がその忌まわしい過去の呪いを呼び覚ますのだ。「母になる」という喜びよりも、「世継ぎを産む」という帝国の宿命が、彼女の心を蝕んでいた。
その彼女の異変に夫であるアキオが気づかないはずがなかった。
その夜、アキオは彼女の部屋を訪れ、優しくその理由を尋ねた。
「リリアーナ、最近顔色が悪いぞ。眠れていないんじゃないのか? 何か悩みがあるなら俺に話してくれないか」
リリアーナは最初は気丈に振る舞おうとする。
「……何でもありません、アキオ殿。少し寝不足なだけです」
だがアキオの全てを包み込むような優しい眼差しの前で、ついにその心の鎧を脱ぎ捨てた。
「……怖いのです、アキオ殿」
その声はか細く震えていた。
「わたくしは良い母になれるのでしょうか。この子がもしわたくしのように、帝国の血を引いているというだけで誰かに憎まれ、その命を狙われるようなことになったらと思うと……!」
それは常に冷静で気丈だった彼女が初めて見せる涙と弱さだった。
アキオはそんな彼女をただ力強く抱きしめた。そして彼は帝国の話ではなく、聖域の未来の話を彼女に語り聞かせる。
「リリアーナ。俺たちの子供は帝国の世継ぎじゃない。この聖域の新しい光だ。誰にも利用されることも誰かに憎まれることもない。ただ俺たち家族の愛に包まれて健やかに育っていくんだ。俺がこの命に代えても、それを約束する」
そしてアキオは彼女の手を引いて工房へと連れて行った。
工房の中央には一つの美しい白木の揺りかごが置かれていた。それはアキオがこの数日、徹夜で作り上げていたものだった。リリアーナの不安を和らげるため聖域の安眠効果のある木材だけを使い、そして彼女の故郷である帝国の紋章と聖域の生命樹の紋様を組み合わせた特別な彫刻が施されている。
「これはお前と俺たちの子のための最初の城だ。帝国の過去も聖域の未来も全てがこの子を祝福しているという証だ」
アキオのどこまでも深い愛情にリリアーナの心の氷は完全に溶け去った。彼女は心の底からアキオに満たされ、そして数日後。
彼のその愛に見守られながら、聖域の技術の粋を集めた安産椅子の上で元気な男の子を無事に出産した。
そしてその奇跡の瞬間。
生まれたばかりのその赤ん坊の左の手の甲に、まるで竜の鱗のような小さな痣があるのをシルヴィアが見つけた。
「……これは……。帝国に伝わる建国の皇帝陛下と同じ聖痕……。まさか……」
そのシルヴィアの驚愕の呟き。その意味を知るのはまだごく一部の者だけ。
リリアーナはその聖痕を愛おしそうに撫でながら我が子に名前を贈った。帝国を再興するという意味ではなく、この聖域で新しい平和な時代を築いてほしいという願いを込めて。
帝国の建国帝と同じ、『アウレリウス』と。
その名前と聖痕が未来にどのような運命をもたらすのか。それはまだ誰も知らない。
だが今はただ、新しい命の誕生という至上の喜びに、聖域全体が満たされていた。
11
あなたにおすすめの小説
異世界帰りの勇者、今度は現代世界でスキル、魔法を使って、無双するスローライフを送ります!?〜ついでに世界も救います!?〜
沢田美
ファンタジー
かつて“異世界”で魔王を討伐し、八年にわたる冒険を終えた青年・ユキヒロ。
数々の死線を乗り越え、勇者として讃えられた彼が帰ってきたのは、元の日本――高校卒業すらしていない、現実世界だった。
異世界で家をつくります~異世界転移したサラリーマン、念動力で街をつくってスローライフ~
ヘッドホン侍
ファンタジー
◆異世界転移したサラリーマンがサンドボックスゲームのような魔法を使って、家をつくったり街をつくったりしながら、マイペースなスローライフを送っていたらいつの間にか世界を救います◆
ーーブラック企業戦士のマコトは気が付くと異世界の森にいた。しかし、使える魔法といえば念動力のような魔法だけ。戦うことにはめっぽう向いてない。なんとか森でサバイバルしているうちに第一異世界人と出会う。それもちょうどモンスターに襲われているときに、女の子に助けられて。普通逆じゃないのー!と凹むマコトであったが、彼は知らない。守るにはめっぽう強い能力であったことを。
※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています。
凡夫転生〜異世界行ったらあまりにも普通すぎた件〜
小林一咲
ファンタジー
「普通がいちばん」と教え込まれてきた佐藤啓二は、日本の平均寿命である81歳で平凡な一生を終えた。
死因は癌だった。
癌による全死亡者を占める割合は24.6パーセントと第一位である。
そんな彼にも唯一「普通では無いこと」が起きた。
死後の世界へ導かれ、女神の御前にやってくると突然異世界への転生を言い渡される。
それも生前の魂、記憶や未来の可能性すらも次の世界へと引き継ぐと言うのだ。
啓二は前世でもそれなりにアニメや漫画を嗜んでいたが、こんな展開には覚えがない。
挙げ句の果てには「質問は一切受け付けない」と言われる始末で、あれよあれよという間に異世界へと転生を果たしたのだった。
インヒター王国の外、漁業が盛んな街オームで平凡な家庭に産まれ落ちた啓二は『バルト・クラスト』という新しい名を受けた。
そうして、しばらく経った頃に自身の平凡すぎるステータスとおかしなスキルがある事に気がつく――。
これはある平凡すぎる男が異世界へ転生し、その普通で非凡な力で人生を謳歌する物語である。
いらないスキル買い取ります!スキル「買取」で異世界最強!
町島航太
ファンタジー
ひょんな事から異世界に召喚された木村哲郎は、救世主として期待されたが、手に入れたスキルはまさかの「買取」。
ハズレと看做され、城を追い出された哲郎だったが、スキル「買取」は他人のスキルを買い取れるという優れ物であった。
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
ゲームの世界(異世界)へ、モブ(子供キャラ)として転移してしまった
厘
ファンタジー
ゲーム好きの田中 蓮(たなか れん)が、寝て起きたらゲームの世界(異世界)にいた。
どんな冒険が待っているか楽しみにしてたら、何も起こらない。チート能力をくれるはずの女神様も来ない。ちょっと若く(子供キャラ)なったくらい?
お金がなければご飯も食べられない。まずはその辺の木の枝を拾ってお金にしよう。無理か?
「はい。50Gね」
お金になった・・・・。
「RPGゲームと一緒だ。よし!おいしいご飯を食べるためにお金を貯めるぞ!」
「え?俺、モブ(子供キャラ)なの?」
ゲームの世界(異世界)へ、モブ(子供キャラクター)に転移したレンだが、いつの間にか面倒なことに巻き込まれていく物語。
■注意■
作中に薬や薬草、配合など単語が出てきますが、現代をヒントにわかりやすく書いています。現実世界とは異なります。
現実世界よりも発達していなくて、でも近いものがある…という感じです。ご理解ご了承いただけますと幸いです。
知らない植物を口にしたり触ったりするのは危険です。十分気をつけるようにしてください。
この作品はフィクションです。
☆なろうさんでも掲載しています
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる