ジャスティファイ・パラゴン

伊阪証

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おしまい

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地響きのような振動が、足元から全身を揺らす。空からは、数秒ごとに次の“自殺機”が降ってくる。遠隔操縦の無人航空機。使い捨ての兵器。滑走路を火の海に変えるためだけの装置。中東やアフリカの戦場で見たような、吐き気を催す現実の模倣。

既に十機以上が突入し、焦げたコンクリートの間に破片が突き刺さっている。油と砂煙の臭い。小さな炎が吹き上がるたびに、空気が軋んだ。等価交換はもう使えない。破片を交換すれば、爆発そのものを転送する。目に映るもの全てが“トラップ”になっていた。

それでも、彼はそこにいた。マティアス──血に濡れたスーツのまま、焦げ跡の中心で、顔色一つ変えずに。

「知っているか、イオ。お前の母は、俺の妹だった」

唐突な告白だった。彼の声は、あまりにも冷たい。熱に包まれた滑走路の中で、それだけが氷のようだった。

「俺の血を継いでいる。骨も、皮膚も、脳も、同じ素材だ。だから──お前は俺の責任だ。出来損ないだろうと」

レイナがわずかに目を見開く。だが、イオは、微動だにしなかった。

「ああ、そう」
平然とした声で返す。
「じゃあ、確かに結婚は困るな」

その一言に、風向きが変わった。何かがズレたような静寂。マティアスの眉が、ほんの一瞬だけ、引きつった。

イオは続ける。
「でもさ。そうやって“血”だの“素材”だのって言い出すの、どうかと思うよ。自慢か?だったら──悲しむべきだな。そんなもんでしか誇れない、雑魚さを」

火花の音が、会話の間に割り込む。どこかで油が爆ぜた。

レイナがゆっくりと前に出た。砂塵で髪は乱れ、制服の端は焦げている。それでも歩みは止めなかった。

「冷静気取り、ってやつね」
視線をマティアスに向ける。
「感情を切り離したふりして、やってることは感情のまま。殺意、怒り、憎しみ──全部、子供にぶつけて。そっちが勝手に作って、勝手に育てたくせに」

マティアスの口元が、わずかに歪む。だが言葉は返ってこない。

「ねぇ。自分の感情に振り回されて、それを正当化するために“合理性”って言葉に縋る。……それ、典型的なダメ人間のやることだよ」

鋭い。レイナの言葉は刃だった。それは父親に向けたものというより、“全ての加害者”に突きつけた声明だった。
そしてその刃は、間違いなくマティアスに刺さっていた。彼の表情は、今度こそ動いた。それでも怒りではなかった。ほんのわずかな、痛みを噛み殺すような、哀しみの混じった顔。

イオがその変化を見逃さなかった。
(──ああ、やっぱりこの人、感情があるんだ)
それが、何よりの証拠だった。

「彼女は──お前の母は、浮気していたんだ」

マティアスの声は低く、熱を押し殺したような音色だった。油と火薬の残り香の中で、彼の目だけが異様に澄んでいる。

「役者仲間と──何人もな。口座は裏名義、金の出入りもおかしかった。火薬が仕掛けられていたこともある。おそらく俺を殺すつもりだった」

レイナがまばたきもせず、マティアスを見つめる。

(それ、僕が仕掛けたんだけど)
イオは隣でわずかに口元を動かした。

(よくやったわイオ)

マティアスはさらに続けようとした。証拠は他にもある、あの舞台裏のカメラ映像、あの夜のタクシーのログ──しかし、レイナとイオは完全に聞いていなかった。聞いていても、それは“どうでもいい”カテゴリだった。

「だから? 浮気されて殺されそうになったから、子供の私たちを殺すって?」

レイナが肩をすくめる。乾いた声だった。

「マジでダメ男じゃん。女に裏切られて逆上して、その女の子供に当たるって──メンタルちっちゃ。なんか……憐れだわ」

マティアスは無言だった。顔の筋肉がわずかに引きつる。その瞬間、イオの左手が動く。
小さな破片が、一枚だけ空中に浮かぶ。さっき墜落した無人機の主翼の一部。それが目にも止まらぬ速度で──マティアスの眉間に向かって飛んだ。が、

「……っ!」

マティアスは、まるで予感したかのように首をずらし、破片は耳の横をかすめて背後のコンテナに突き刺さった。イオは舌打ちした。

「なんで避けんだよ……今の完璧だっただろ……」
「まぁまぁ」
レイナが小声で返す。
「焦るのはやめよ。どうせこっちの復讐はもう、終盤だし」
「……そうだね」

レイナはふっと笑った。火薬と血にまみれた顔で、それでも、笑った。

「あとちょっとで、クソ親父殺して気楽に生きるわー。イオもついてくるでしょ?」
「当然」

──滑走路の上に、死と笑いが交錯していた。

マティアスがわずかに足を動かす。その一瞬の動きで、レイナは理解した。向こうは撃たせる気などない。その予感に乗るように、レイナは引き金から指を離し、銃を地面に捨てた。

カラン、と乾いた音。

その刹那、レイナの膝が動いた。身体ごと沈み込み、捨てた銃を蹴り上げる。

「──ッ!」

重みで引き金が僅かに引かれ、暴発。一発の銃弾が、予期せぬ角度で跳ね、マティアスの肩を掠めて布を裂いた。血が飛び、彼の上半身がわずかに揺れる。

「熱気で壊れるって分かってた。使うより、捨てたほうが速い」

そう言いながら、レイナはもう踏み出していた。銃の代わりに握ったのは、自分の身体。蹴りと肘と全体重。直線的な突進ではない。膝を内側に折り、肘を斜め下から突き上げ、足をすぐに引いて距離を詰め直す。

マティアスはその動きを正面から受け止めない。代わりに後退──舞台殺陣のような、優美で滑らかな後方ステップ。レイナの拳を寸前で逸らし、相殺ではなく“無効化”を選ぶ動き。
……それ自体が、舞台の所作だった。

「その動き──見せるために設計されてる」
レイナが低く呟いた。
「私を殺すための動きじゃない。避けることで“観客に伝える”ことしか考えてない」

マティアスは表情を変えず、次の一歩を踏む。手首を返しながら、掌底のような形でレイナの脇腹に一撃を送る。だが、それが“斜め上から叩く”角度であることに気づいた瞬間、レイナは肘を締めて吸収し、即座に右脚を上げる。足の甲で首を狙う回し蹴り。マティアスは腕で受けたが、受けると同時に数歩下がる。踏ん張らずに受け流す動き。重さをまともに食らうことを避けている。

レイナはすぐさまナイフを抜いた。だがそれを投げる直前、マティアスの目がわずかにそれを追ったのを見て──やめた。ナイフを振りかざし、偽の軌道を描いて斜めに振るうフリだけ。そのまますぐに接近し、彼の腰を掴み、片足を内側にかけたまま重心を崩す。

「──っ!」

マティアスが体勢を崩すが、即座に演技的なバランスで立て直す。だがレイナの狙いはそこではない。崩れた瞬間、相手の左肩にナイフの刃を逆手に当てて抑え、もう片方の手で肘の内側を捻る。関節の可動範囲を熟知した制圧動作。舞台では教わらない殺しの技術。

「こっちは、ずっと考えてたのよ」
距離ゼロで吐き捨てる。
「イオの身体でも使える動き。脚が動かなくても、腕に力がなくても、関節と重心で倒せるように──」

マティアスの顔に、初めて戸惑いが浮かぶ。が、それを利用してレイナはさらに捻る。左腕を後ろに極め、上体を折りたたませ、バランスを崩させる。
だが、完全に倒しきる前にマティアスは肩を回転させて抜けた。演技者特有の柔軟性。だが──「抜けるだけ」の動き。

レイナはすぐに腰を引いて距離を取る。投げられる動きではないと見切ったからだ。相手の技に“殺意”が足りないのだ。

「──人を殺すための演技って、ないのね」
彼女の声が軽蔑に染まる。
「見せることしか知らない。人を殺す動きってのは、無駄がないし……戻らないのよ」

言葉と同時に前傾姿勢からのタックル。だがこれもフェイント。踏み出した足を引き、マティアスが構え直す瞬間に逆方向から拳を打ち込む。顎にヒット。その反動でマティアスが一瞬たじろぐ。そこに──

「レイナ、左っ!」

イオの声が、風の中から飛ぶ。
無人機。炎に包まれたままの金属塊が、滑走路を突き進んできていた。進路の先にいるのは──レイナ。
とっさに身を引くが、方向が悪い。間に合わない。

しかし、突っ込んでくる主翼が──あり得ない軌道でずれる。本来なら直撃していた位置から逸れ、レイナの背中のすぐ脇を通り抜けて地面に激突した。
爆発。巻き上がる火と煙。衝撃波。

レイナの背中が吹き飛ばされる寸前、足元に一つの“モノ”が転がった。さっきの機体に使われていた支柱の代わりに、滑走路の端に転がっていた“軽量コンクリート片”──等価交換だった。

「ッ……助かったわよ、イオ……!」

レイナはすぐに態勢を立て直し、煙の中からマティアスの気配を探る。が、逆光と煙で視界が不安定。
その瞬間、イオは別の方向から行動していた。背後から別の無人機が接近していたため、それに備えて機体下部と滑走路の「隙間」を交換。機体は衝撃で下にめり込み、爆発するも炎が外側に逸れた。
しかし、代償は大きい。イオの脚装具が熱で歪み、蒸気が漏れ始めている。

「くそ……!」

自分の左足に装着されていた冷却機構を、隣にあった排気口の残骸と交換。温度調整。命綱を削っての強引な手段。それでも──レイナを守るためなら躊躇はない。

「あと一つ……!」

イオは目を閉じ、集中する。マティアスの足音。レイナの呼吸音。それらを“誤認”させるために交換。
レイナの居場所が、ほんの一瞬“消えた”。マティアスの耳に伝わる情報がねじれ、踏み込んだタイミングを外す。
レイナはその隙を見逃さず、反撃へと動く──

互いに身体をぶつけ合い、骨の軋みが響くたびに火花のような熱が全身を走った。すでに何度目か分からない膝蹴りをかわした直後、マティアスの手元から閃きが走った。ナイフ。
レイナが視認するより速く、彼の手が懐から刃を引き抜いていた。
しかし、それでもレイナは止まらなかった。すでに、彼女の腰にもナイフがあった。身体を捻って、鞘から半ば抜けた状態──。

同時だった。引き金が引かれるように、レイナが走る。マティアスが振り上げた刃に対し、レイナは横から腕ごと押し込み、ナイフを構える余裕すら奪う。
だがその瞬間──マティアスの表情が、一瞬だけ変わった。
視線が、レイナの構えた手に落ちる。彼女の体重を殺さず、身体を入れ替えるように突進してくる動き。それは──かつて、彼自身が母親に叩き込まれた攻撃と、同じだった。

「同じ……」

小さく、マティアスが呟いた。母の声が脳裏に蘇る。

『──お前も、所詮私の子供だから。同じように終わるのさ。』

刹那、マティアスの動きが止まった。思考でも逡巡でもない。本能が、己を止めた。

その一瞬の“止まり”に、レイナの刃が迷わず飛び込む。狙ったのは心臓。
ズド、と湿った音が響く。
マティアスの喉が震える。だが──彼のナイフも、止まりきってはいなかった。
交差。レイナの刃が先に届いたものの、踏み込みすぎた勢いで、マティアスの刃先がレイナの腹に突き刺さった。

「っ……!」

時間が止まったかのように、互いの身体が密着し、血の臭いが一気に噴き出す。レイナは目を見開いたまま、刺したまま、刺されたまま動かない。

「……君は、本当に……違うんだな……」

マティアスの口元がわずかに緩んだ。

「“違うように終わった”か……」

そのまま、崩れるように力が抜けた。ナイフが抜け、レイナの身体からも一滴ずつ赤が滴り始める。呼吸が荒くなる。視界が歪む。
だが、倒れない。レイナは──まだ立っている。

「……これで終わりか……」

マティアスの膝が折れる。ナイフは深く突き刺さり、彼の胸元から血が溢れていた。レイナの腕も震えていたが、まだその手を放してはいなかった。

「君たちは……“違うように終わった”か……」

呼吸が細く、声が掠れていく中、マティアスはわずかに顔を上げた。目線の先には、車椅子に座るイオがいた。
そして──口を開いた。

「目の前で……証明して見せろ」

イオの目が見開かれる。次の瞬間には、彼の口から短く呼吸が漏れた。

「──レイナ、手を貸して」

虚脱したレイナが、半ば反射的に手を差し出した。血に濡れたその手を、イオがそっと取る。そして──そっと、レイナの腹部の刺し傷に触れ、自身の腹に手を当てる。
深呼吸一つ。刹那の集中。
等価交換。
レイナの体内で破損していた内臓が、瞬時にイオの“予備にとっておいた物質”と置き換えられた。痛みが消え、体内の炎症が鎮まり、レイナの呼吸が少しだけ整う。

証明は終わった。彼女は、自分の力で生き延びたのではない。イオが、証明したのだ。レイナが「違う」と。マティアスが「過去を超えた」と。

「……ありがとう」

それだけ残して、マティアスは崩れ落ちた。表情は、苦悩でも怒りでもなく、ただ空っぽだった。仮面を失った俳優のように──彼は、静かに幕を閉じた。
イオはそれを見つめながら、立ち上がることはなかった。車椅子に深く沈んだまま、視線をレイナに向けた。

「……レイナ、もういいよ。逃げなくて」
レイナは言葉を返さない。ただ、無言で頷いた。身体はまだ重く、動き出すには時間がかかりそうだったが──どこか、満たされていた。

遠くでサイレンが響く。熱と硝煙の風が吹き抜け、次第に足音が近づいてきた。

「負傷者発見!」
「早く応急処置──車椅子の子も!」

警察と救護が到着する。イオは手を出さず、誰にも顔を見せず、車椅子のまま滑走路を背にした。レイナも、脱力しながらも、救護班に引き取られていく。
誰もが、何が起きたのかを知らないまま──

結局のところ、裁判は開かれなかった。証拠は不十分で、そもそも法廷にすら進むことはなかった。唯一現実的だった一件は殺人鬼の殺害であり、正当防衛だという感じで世間から批判を浴びると見越して訴えるべきではないと処理された。
だが、別件が浮上した。イオとレイナの出生地において、二人が“近親婚”に該当する関係であったことが報じられ、故郷の法律に基づき死刑判決が下された。
彼らは収監されたものの、三十分後には脱獄を果たす。

その間、外では国際問題に発展していた。報道は過熱し、同情と批判が交錯する中で、二人はある国家により保護されることとなる。調査の結果、そもそも互いを知らずに育ったこと、相互の合意と自立があったこと、そして現在に至るまでに法的な結婚が成立していないことなどから、「既成の法枠組みでは裁きようがない」として処分は見送られた。

それでも──影は残った。故郷を追われ、居場所を失った二人に残されたのは、崩壊した都市の一角、「映画街」だった。

レイナは、マティアスから相続した遺産をすべて、映画街の復旧費に投じた。手元に何も残らなかった。
むしろ、それによって映画街の制作機構は、常に資金難に晒されることとなった。一本でもヒットを外せば破綻する──そんな危機の上で、彼らは“創る”ことを選んだ。
全力で、すべてを映画に変えていく。終わった物語を、血の代償を、記憶のひとつひとつを、すべてカメラに残すように。
破滅寸前の芸術の街で、彼らは笑いながら、次の作品を撮っていた。

──そして、彼らは次の映画の準備をしていた。

瓦礫が片付き、黒焦げの看板が少しずつ付け直され、機材倉庫の隅ではカメラが組み立てられ、街はほんのわずかに「日常」」を取り戻しつつあった。それでも資金は足りない。スポンサーは不安を抱え、投資家は慎重で、作品を一本仕上げるごとに街の未来が一つ賭けられていた。
そんな中──ある噂が、軽い冗談として流れた。

『イオとレイナがキスしたら、三百万ドル寄付するってよ』

誰が言い出したのかは知らない。だが、映画街の片隅から始まったその提案は、瞬く間にクラウドファンディングを通じて形を持ち、寄付サイトには現実にゼロが並んでいった。
当然、当人たちは困惑した。

「子供も作ってないんだぞ? そもそもキスすらしてないんだけど」
レイナは珍しく本気で困った顔をしていた。イオも、膝の上でじっと黙ってうつむいていたが、耳は赤かった。

二人は意地を張っていたのだ。血の繋がりがどうあれ、自分たちは“親”のようにはならない。どこかで、そんな約束のようなものが、言葉にはならずとも互いの間にあった。
けれど、資金不足は現実だった。あの三百万があれば、次の作品は完成する。映画街の再建は前進する。
どこかで、それぞれが折れた。

「……じゃあ、撮影で。あくまで、演技として」
「そ、そうだよね。演技だよ。演技だから」

その日の夜、撮影はごく限られたクルーで行われた。カメラが回る。音声が入る。照明が柔らかい光を差し込む。
イオとレイナは、互いに何度も目を合わせては逸らし、タイミングを見計らって──そっと、唇を重ねた。
ほんの数秒。風が止まったような静けさ。
そして──寄付金は、瞬く間に集まった。

初めてのキスは、口紅の苦い味がした。
レイナが用意したのは“撮影用”の口紅だったが、塗る量も種類も、毎日違っていた。イオがうっすら顔を背けるたび、レイナは「演出よ」と言い張った。結果として、完成した映像のバージョンは膨大な数に膨れ上がり、街のどこかからは毎日のように“リーク”映像が流れた。
あのシーンだけで、編集は三ヶ月かかった。そのうちのいくつかでは、背景のビルの数が増えている。最初は瓦礫だったものが、撮り直すたびに建て替わり、光が灯り、看板が掲げられていた。街が再建されていく様子そのものが、二人のキスシーンの背後で進行していた。

そして何より──あのキスは、最初の一度で終わらなかった。

レイナは言っていた。
「これ以上の進展は、イオの腰に負担がかかるからって、抑えてるの。だから……キスだけは、我慢できないの」

イオは最初こそ戸惑っていたが、やがて抗わなくなった。気がつけば、撮影の名目がない日にも、レイナは彼の唇を奪っていた。

「これも記録用」
「編集素材」
「リハーサル」
「訓練」
「研究」
「副業」
「生活習慣」
──そう言い訳するたびに、イオは目を伏せ、耳まで赤くなっていた。
それでも彼は、離れなかった。

そして今日もまた、新しい映画が撮影される。世界がどうであれ、背後の街が崩れていようと、照明が落ちようと──二人のキスは止まらなかった。

その夜、特別な観客が招かれた。映画街の片隅にある古びた劇場──修復されたばかりのその場に、レイナとイオ、それぞれの実母がやって来たのだ。
姉妹のように似ている二人は、まるで旧友のようにすぐ打ち解けた。椅子に腰かけながら、映画が始まる前から笑い合い、互いの子の愚痴や近況を語り合っていた。会話が途切れたときには、ナディア(レイナの母)が話したい時だけ、イオの母が自身の喉を一時的に“貸し”、等価交換で入れ替えて喋る──というやり方で、無理なく話を繋いでいた。
レイナは、ただ静かに母のそばに立ち、映画が始まる直前に、そっとその体を抱き締めた。何も言わず、ただその体温を確かめるように。

イオのほうは、上映の合間に母にぎゅっと抱き締められた。その瞬間、彼の顔は少しだけ困ったように歪んだ。

「……そんなに細いなんて、心配よ……」
「だって……食べても動かさないと腰周りばかりに行くんだもん……っ」

誰も聞いていないようで、母はちゃんと聞いていた。笑いながら、もう一度抱きしめてきた。

上映が終わると、イオは尋ねた。
「ねえ、母さん──この“等価交換”って……これから、どう使うべきなんだろう」
母は即答した。
「映画撮影で存分に使いなさい!」
「それで何が出来たのか皆がわからなくなって、“オーパーツ”にしちゃえばいいのよ!」

レイナは一瞬絶句したが、イオは目を輝かせた。
その日から、映画街における等価交換の使用頻度は跳ね上がり、次の作品では“撮影中にカメラマンとカメラの位置が入れ替わる”という現象まで記録されたという。
誰もが混乱し、誰もが笑った。そして、また新たな映画が、混沌の中で産声を上げていった。

ある日の撮影帰り、夕暮れの映画街にて、二人は並んで歩いていた。
照明機材のケーブルが地面を這い、スタッフが笑いながら撤収を進めていく。その光景を背に、レイナがぽつりと呟いた。

「ねえ、イオ……私、ずっと不思議だったんだけどさ」
「ん?」
「──あのとき、イオの父と母が兄妹だったって判明したじゃない?あれって、結構な衝撃じゃなかった?」
イオは肩をすくめた。
「まぁ、なんとなくそうだろうとは思ってたよ。君の父さんもそう言ってたし」
「そうなんだけどさ。私、その意味をちゃんと理解したの、つい最近なんだよね」
「……え?」
レイナは、少し恥ずかしそうにイオの顔を覗き込む。
「つまりさ、脚の疾患って──そのせいだったんでしょ?遺伝とか、そういう」
イオは一瞬ぽかんとしたあと、吹き出した。
「あー……うん、それ、三年越しに気づくこと!?」
「だってその場では、みんな深刻な顔してるから、言いづらかったし……」
「もう……今さらかよ……」

お互いに顔を見合わせて、そして、二人は心から笑った。

──この世界は、時に優しく、時に冷酷だ。それでも歩き続ける彼らの物語は、スクリーンの中だけでは終わらない。何度でも、どんな未来でも、再びカチンと鳴ったその瞬間から始まるのだ。

──カメラ、回ってます。

移動するのが常識かもしれない、だが、彼等は正当化ばかりの人生を歩んだ人間だ。だから、後ろを振り返って満面の笑みを見せつけてやった。
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