KING'S SWORD/王統楽土

伊阪証

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山ない雨の流れ

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鉛弾が放たれた瞬間、世界が一度だけ呼吸を止めた。火薬の残滓も、空気を割る衝撃も、全てが一拍遅れて凍りつく。その“間”に、カオルコはまばたきすらしなかった。弾丸は止まっていた。彼女の睫毛の先、瞳の奥に映る距離で回転を失い、宙で凍りつく。二本の指が、その弾を挟んでいた。まるで刃の交差だ。双剣の二枚刃が、世界そのものを切断したようだった。
「卑しき血。」
声は低く、冷たく、完璧に整っていた。怒りも熱もない。そこにあるのは“王族”という絶対の重さ。
「その穢れ、この手で浄化してあげます。」
弾丸を指先から落とす。床に当たる乾いた音が、まるで処刑台の鐘のように響く。ディアーナは呼吸を忘れていた。恐怖ではない。理解の拒絶だ。
──“人間”ではない、そう感じてしまう領域。
だがその時、別の音が空間を支配した。
“カチリ”
コウキは一歩も動かなかった。ただ、腰の大太刀の鞘が熱気でわずかに緩み、木が軋む音を立てただけだった。それなのに、空気が変わった。張り詰める、という言葉では足りない。廊下そのものが“死”という概念に置き換わったようだった。
「ジュデッカ…。」
カオルコの唇から、抑えきれない吐息が漏れた。それは恐怖ではない。理解と本能の一致だ。彼女の双剣を握る指がわずかに強張る。
「抜かれる前に…仕留めなければなりませんわね。」
静かな声。だが、その奥には確かに熱があった。目の前の男は卑しき血。だが、だからこそ“価値”がある。この一戦で証明される。自分の良血は偽物ではないと。カオルコの踵が、わずかに床を鳴らした。その瞬間、彼女はもう前にいた。速度の概念が消える。踏み込みと同時に、空気の層が裂け、双剣が閃く。音ではなく“存在”が二つの線を描いた。ディアーナの目には見えなかった。ただ一つ理解できたのは──それは人間の動きではない、ということだった。コウキは動かない。剣も抜かず、視線すら変えない。それでも届かない。
“速度”を以てしても、まだその領域にすら触れられない。
双剣の刃が、コウキの肩先で止まった。わずか一指分の距離。それ以上は進まなかった。
「どうして、動かないのです?」
カオルコの問いは、静かに震えていた。恐怖ではない。答えを知りたいという純粋な欲求だった。
「動く必要があるなら──それは俺が負けた時だ。」
コウキの声は低く、平坦だった。だが、ディアーナにはその言葉が“宣告”に聞こえた。ここは戦場ではない。処刑場だ。勝敗は既に決している。戦う前に。カオルコの双剣がわずかに揺れた。それは迷いではなかった。理解だ。
「やはり、あなたは卑しき血ではありませんわ。」
「俺は王だ。ただ、それだけだ。」
鞘が再び“カチリ”と鳴った。それだけで、双剣の速度は一歩退いた。ディアーナは思った。
──ああ、これが“王族”なんだ。
人間ではなく、存在そのものをぶつけ合う領域だ。この場に自分が立っていること自体が、間違いなのだ。カオルコは双剣を下げない。コウキは剣を抜かない。それでも、このパートの終わりには既に答えがあった。勝者は、動かなかった者だ。そして敗者は、それを理解した者だ。廊下の空気は凍りついていた。ジュデッカの名を知る者なら、まだ抜かれていないのに──ここが地獄の最下層に変わったことを悟るだろう。
双剣が壁を裂いた。火花と石片が舞い、カオルコの身体が弾かれるように軌道を変える。壁を蹴るのではない。刃そのものを“足”にして、壁を掴み、天井を踏む。次の瞬間には逆さまの姿勢から床に滑り、背面からコウキを狙っていた。
──乾いた銃声。
空気が先に鳴り、彼女が踏み込む“未来”を塞ぐ。弾丸はまだ着弾していない。だが、そこに進めば確実に刺さる軌道。カオルコは迷わず双剣を床に突き立て、反動で身体を横へ跳ね飛ばした。足場は選ばない。石も鉄も、刃を入れた瞬間に自分の領域になる。それでも銃声は追いかけてくる。正確ではない。正確以上だ。
──彼は、“一歩先”を見て撃っていた。
「邪魔をするのも、卑しき血の役目ですの?」
軽口ではなかった。息を整える余裕もなく吐かれた言葉。コウキは答えない。弾を込める音もない。足も動かない。それなのに、廊下の“道”が一つずつ消えていく。ディアーナには意味が分からない。目で追えていないのではない。世界の方が形を変えているのだ。カオルコが走るたび、通路の空気そのものが別の“檻”に変わる。コウキはただ立っているだけで、その檻の鍵を握っていた。双剣が閃く。壁に突き立て、反動で回転、次の瞬間には天井から落ちる。速度ではない。位置の制圧だ。だが、再び銃声。今度は天井と床の“間”に弾丸が走り、逃げ場を消す。カオルコの足が一瞬止まる。いや、止められたのだ。
──近付けば勝てる、ではない。
──近付いた瞬間、死ぬのだ。
それを理解しているからこそ、双剣は止まらない。壁を裂き、刃を足にし、角度を変え、接近と離脱を繰り返す。彼女の全ての動きは“届かないまま”終わる軌道を否定するためだけにある。
“カチリ”
鞘が二度目に鳴った。今度は熱ではない。冷気だった。ジュデッカの内部から漏れ出す、氷解の息。まだ抜かれていない。だが、空気が一段階落ちた。ディアーナの吐息が白く変わる。
「時間を稼がれている?」
カオルコは一瞬だけ考える。銃は牽制ではない。準備のための時間稼ぎだ。ジュデッカが抜かれる、その一線に近付けさせないためなのだ。壁を蹴り、天井に刃を刺し、身体を反転。双剣が描く軌跡はもはや斬撃ではない。「届く」という一点だけを狙った線。だが、その線は“即死圏”の外側を擦るだけ。わずかに入れば、ジュデッカの鞘が答える。コウキはまだ動かない。動く必要がないからだ。
「ほんの数歩の距離が、これほど遠いとは。」
カオルコの声に焦りはない。ただ、理解と研ぎ澄まされた実感があった。壁に突き立てた双剣を蹴り、もう一度加速する。その刹那、銃声。今度は避けなかった。弾丸が双剣の柄を掠め、火花が散る。
──回避ではなく、妨害を踏み台にした加速だ。
ディアーナは息を呑んだ。
「今の、避けてない…踏んでる…。」
カオルコは銃撃すら利用していた。それでも──届かない。ジュデッカの鞘が三度目の音を鳴らす。
“カチリ”
熱と冷気が交差し、空気が一層狭くなる。
「これ以上、離れれば突破できませんわね。」
カオルコの瞳が、冷たく光る。
「ですが、これ以上近付けば、死ぬ。」
コウキは一言も発さない。その沈黙が、答えだった。双剣が交差した。刃ではない。空気そのものが裂け、圧がぶつかり合った。一瞬で廊下が白く曇る。石畳が鳴り、冷気と熱が混じり合って世界が軋んだ。その直後、衝撃は刃ではなく──カオルコの内側に返ってきた。骸武器特有の“反動”。人の骨と肉ではなく、血脈そのものに打ち込まれる圧力。肺が縮み、心臓が跳ねる。呼吸が止まるより早く、耳鳴りが響いた。視界がわずかに揺れ、双剣の切っ先がわずかに震える。
──良血。
選ばれた証。だがそれは、同時に病弱という名の刻印でもあった。強い血ほど、崩れる。混じり気のない組織ほど、衝撃に耐えられない。この身体は、戦うために作られていない。
“正しくある”ために削られてきた。
「…っ」
声は出なかった。咳をすれば、崩れる。息を吸えば、破れる。だから、吐くことすら許されなかった。ジュデッカは抜かれなかった。それだけで、コウキの勝ちだった。彼は一歩も近付かず、ただ鞘を戻した。冷気が薄れ、霜が音もなく溶けていく。勝者は、動かなかった者だ。敗者は、存在を削られた者だ。カオルコは膝をつかなかった。それが、唯一の矜持だ。だが、ディアーナは見てしまった。彼女の唇から、わずかに零れた赤。その色だけが、この空間で唯一“人間”の証だった。ディアーナは息を呑んだ。恐怖ではなかった。王族という存在が、“選ばれた”ではなく“削られた”ものだと理解した瞬間だ。カオルコは双剣を下げない。だが、もう届かない。反動で震える指を、本人だけが抑えていた。コウキは何も言わなかった。彼の目にあったのは、勝利の色ではない。生かした、という選択の冷たさだけ。ディアーナは立ち尽くしていた。戦場ではなかった。ここは、生存競争の終端だ。敗者が“王”を続けるために、血と命を削る場所なのだ。カオルコは最後にわずかに笑った。自分に向けた笑いでも、相手への嘲りでもない。ただ、王族という存在そのものに向けた、諦めと誇りの混じった笑み。
「これが…良血の、価値。」
その声は掠れていた。吐息に混じる鉄の匂いが、良血の証明だった。
冷気はまだ廊下に残っていた。その中で、荒い呼吸音だけが混じる。カオルコの肩がわずかに上下する。双剣を握る手が痙攣し、刃が壁を叩いて鈍い音を立てた。
「…っ」
吐息が震える。骸武器の反動がまだ抜けていない。良血の身体は強く、しかし脆い。崩れない代わりに、内側から削れていく。コウキは動かない。ジュデッカの鞘は静かだが、彼の視線だけが廊下の奥を捉えていた。臭い。焦げた鉄。腐った肉。空気の層がざらつき、耳鳴りに似た音が石壁を伝う。足音ではない。音そのものが、ここへ“寄ってくる”。ディアーナは理解した。そこに来るのは人間ではない。
──災害だ。
暗がりの奥、シルエットが揺れた。肉ではなく、溶けた布と骨の束。人の形を真似ただけの、崩れた構造。口からではなく、身体の裂け目から息を吐く。その度に腐敗した熱が空気を押し、廊下を覆った。カオルコが双剣を構える。だが腕はわずかに痙攣し、重さを支えきれない。反動が血管を叩き、肺が悲鳴を上げていた。
「下がれ。」
コウキの声が、低く落ちた。だが次の瞬間、ディアーナの身体は勝手に動いていた。理由はなかった。本能だった。崩れ落ちかけたカオルコに、駆け寄る。手を伸ばした瞬間──空気が止まった。ゾンビの動きが、唐突に緩む。吐き出す腐敗熱が消え、ただ立っているだけの塊になる。冷気が柔らかく変わり、カオルコの呼吸が一度深く入った。
「なに、これ…?」
カオルコの声はかすれていた。だが次の瞬間、双剣の震えが止まる。呼吸が整い、力が戻る。良血の脆さを打ち消すように、身体が再び戦闘の構えを取った。コウキは何も言わなかった。ただ、ジュデッカの鞘が静かに鳴る。
“カチリ”
冷気が再び廊下を覆い、床に霜が走る。カオルコは双剣を交差させ、一歩踏み込んだ。コウキが半歩、逆に引いた。二人の動きが交差した瞬間、廊下全体が音を失った。双剣の斬撃と、大太刀の冷気。氷と風が重なり、ゾンビは一声も上げずに崩れた。肉ではない。骨でもない。残ったのは、白い灰と凍った空気だけだ。静寂が戻る。カオルコは壁に背を預け、双剣をゆっくり下ろした。吐息にわずかな赤が混じる。その唇を、ディアーナは見つめていた。初めて人間”の顔を見た気がした。コウキはジュデッカを完全に抜かなかった。鞘に戻す音だけが、最後の合図だった。
「ここからが本当の地獄だ。」
低い声。宣言でも予告でもない。ただ、この場所が“災害の入口”だという現実なのだ。ディアーナは自分の手がまだカオルコの腕に触れていることに気付いた。カオルコはその手を払いもせず、ただ一度だけ視線を向けた。氷のようでいて、ほんの少しだけ温度のある目だった。
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